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2024-09-19

車椅子の有無よりもさあ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.youtube.com/watch?v=QsskUgnrZrs

「転んで腰を強く打って歩けなくなった」って事は腰から下が不随だと思うんだが

その割に「健常者がちょっと足挫いたので車椅子乗ってます」みたいな演技しかしてなかった方が雑っぽくて気になったんだが

現代みたいに高機能車椅子じゃないだろうに、一日中あん姿勢よくいられるもんなの?

新潟田舎で高度な医療を受けられる環境じゃなさそうなのに、歩けない以外何十年も健康でいられる?

そもそも排泄コントロールも出来ないはずだよな?今みたいに良い紙おむつもない時代介護するの大変じゃね?一人で飲食店経営しながら介護出来るの?

医療監修入ってたかどうかは、オープニング確認し忘れたんだけど(まあ監修入ってても言われた事無視する事も多々あるらしいが…)

2024-09-17

anond:20240917012637

・あれ男女で処方量ちがうんだけどお医者ちゃんと処方してくれてるかな。男性女性の倍のまないとあかん。逆に女性男性の半分ということになってる。

・腹部膨満感がひどいばあいは低FODMAP食でググって消化の良い物をたべてくれ。俺はそれで改善した。一時期は介護おむつもちあるこうかとおもってた

2024-09-15

愛おしいという感情

どちらかというとドライ人間だったので、他人の子どもを可愛いとは言いつつもそこまで本心ではない。

インスタのストーリー子どもだらけだが、他人の子供がどこで何をしようと全く興味がない。

が、先日産まれた娘、ほんっっっと〜〜〜に可愛い

正直育児は全く楽でないし投げ出したくなることもあるけど、娘の顔を一目見たら頑張れてしまう。

眠たい中での重たい抱っこも、おむつ替えもミルクも、何もかも尽くしたくなるし心の底から愛おしい。

愛おしいという感情を具現化した物を育てている感覚

この感情を味わうことがどんなに幸せか。

結婚したときにも思ったが、家庭を持つことの意味が改めてわかった気がする。

2024-09-09

anond:20240908203119

子供なんてそう簡単に死なんよw

予防接種打たないからとて今日明日死ぬわけではない

未接種と接種で死亡率にさほどの差は無い、誤差程度も無い

BCGとて日本はつい最近まで結核の中度蔓延国だったのでヒステリックに打っていたが

最近ランクが下がった、結核菌のエンカウントはほぼ無視できる

先進国じゃほとんど打ってない

打つとツベルクリン反応が出るからアメリカ留学して米軍入隊とか面倒だよ

日本人はみんな引っかかるから追加検査必要なっちゃ

予防接種には二種類あり、個人防衛のもの社会防衛

ほとんどが社会防衛で、回りみんなが打ってくれりゃそれでいいんだよ

日本ポリオとかありえねぇしw

 

飯も自分だけ外で食うか、自分の分は自分で作って食えばいい

子供が年頃になれば外食ジャンクフード食わせればいい

嫁はブチギレるだろうが、戦え、そこは戦え

有無を言わせない自己、威厳

説得力など必要ない、どうせ論理で話せる相手ではないのだから

自分方針生き方絶対に曲げないと示し相手を諦めて妥協させる威圧

 

おしめ洗うのも面倒なら洗わなきゃいい

自分が変える時は紙おむつを使えばいい

嫁が発狂して布に履き替えさせるだろうから、ご苦労なこったと粛々とほっとけば良い

 

キミにはキミの方針がある、尊重しましょう

俺には俺の方針がある、尊重してくれ

真逆で互いに折れる事はないのだから、適度に干渉無視しながら子育てしようず

 

ここで合意取ればよかろうに

 

ここまで書いてて、筒井康隆の「日本列島七曲り」短編集の中の「融合家族」という作品を思い出した。

まったく参考にはならんが機会があったら読んでみてくれ

 

無責任アドバイスのようだが

俺は文化宗教も育ちも全く違う外国人結婚して、子育ての衝突、大喧嘩家出(俺)フルコースやって、幾度と繰り返し、最後は諦めたwほぼほぼ向こうの言いなり

ま、向こうも同じセリフを吐くだろうが

ともかく、それでも元気ないい子に育ったよ

 

夫婦仲もそれほど悪くない

週の半分は外で飯を食うが

がんばれw

2024-09-08

妻が陰謀論にハマって離婚の話が出てきた

「妻が陰謀論にハマって離婚しそう」という記事を書いた増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20240905030945

少し進展がありました。

それが悪い方に進みまして。

話をしたものの、お互いか離婚も含んだ方向の話をすることになってしまいました。

きっかけも最悪で、妻と対話するつもりが、その前に私が爆発してしまたからでした。

もともと妻の意向布おむつ育児だったり、オーガニック食品だったり、育児以外でも鍋での炊飯だったり発酵食品だったりを、私自身は消極的ながらも受け入れてきました。

この週末妻が留守にすることになり、ひさびさのワンオペ育児になったのですが、タイミング悪く娘が下痢お腹を下しておりました。

布おむつの予洗いで一苦労してるとき自分の中でなにかが壊れてしまいました。

もううんちおむつを洗いたくない。

何入ってるかわからない妻のオーガニックレシピを食べたくない。

家計プラスにもなってない妻の1時間夜間バイトに協力するために、仕事を無理矢理切り上げて寝かしつけをしたくない。

なんか自分の中で妻のあらゆる育児家事方針に嫌気がさしてしまいました。

晩飯ときに「君がワクチン嫌がるのと同じだ。こんな何が入ってるかわからないもの食べたくない」と拒否して、リビングを出てしまいました。

寝かしつけのあと、少しだけ話をしました。

オーガニックが嫌だったこと、育児家事でわざわざ手間のかかる方法を選んでいるのが不服だったことなどをぶちまけました。

ワクチンについても投げやりに「打ちたくないなら勝手にすればいい、でも子ども病気になった時の世話は君が全部しろわたしは手伝わない」と無責任なことを吐き捨ててしまいました。

ブチ切れモードで会話をしてしまったため、離婚しても仕方ないんじゃない?といった流れになってしまいました。

お互い娘を守りたい気持ちは同じなのに、こうも正反対対立するもんなのか、と消沈しております

前回の増田アドバイスをもらい、彼女不安を少しずつほぐしていくつもりでしたが、そうする前に自分の心が限界迎えてしまったようです。

せっかくのアドバイスを活かせずすみません

あと、ブコメで「増田他人事のように子育て放棄しようとしてるのが気になった」といったニュアンスの指摘もありましたが、それはまさにその通りだと思います

できればずっと我が子を育てていってやりたいと思っていました。

が、家事育児も二人体制とはいえ、メインは今のところ専業で妻がやってくれています

ワクチン拒否ではネグレクト認定も難しいようなので、離婚したあと自分積極的育児に関わるのは難しいのかなと思っています

世のお父さんお母さんは、なんとか子どもさんにワクチン打たせてやってください。

1億歩譲って新型コロナワクチンは見送るにしても、その他の定期接種ワクチンはせめて打たせてあげてください。

我が子と、世界中の子どもを守るために、心からお願いします。

もやもやを吐き出すためにここに書き殴りました。

このあとどうなるか自分でもわかりません。

正直どうあるべきか、どうしたいのかもわかりません。

追記 誤字修正ブクマありがとう

2024-09-04

赤ちゃんのオナラは短い

「ぶー」じゃない、「ぶ。」である

それをわらび餅みたいな尻で鳴らす。

筋肉の盛り上がりがそんなにないからか、赤ちゃんの尻はゆるく作ったわらび餅のように四角いのだ。

赤ちゃんを持ち上げてなんでもないときに尻を嗅ぐと、塩バターポップコーン匂いがする。

おむつの吸水ラインに色がついてないときうす塩味で、ついてるときは塩強めのバターポップコーンだ。

赤ちゃんの指はサイゼリヤサラダ小エビに似ている。

柔らかくて頼りなくて小さい。赤ちゃんこちらの顔に手を伸ばすとき、「うおー小エビ調査団だ」と思う。

小エビたちは顔の上を好き勝手に調べまわり、時々鼻の穴に入ろうとするからそれだけは止める。

赤ちゃんの頭のてっぺん香ばしい

空気を思いっきり吸い込んで吐き出すと、心もとない毛がフワフワ揺れる。

幸せだ。

2024-09-03

祖母の好きなひと

わたしの母は実家が大好きな人で、子供の頃はよく泊まりに生かされたものだった。

母の生家(わたしから見た祖父母の家)は川の堤防沿いにあった。

そこは中々の田舎で、家にたどり着くまでの10m程の細道には雑草や低木が我が物顔で生い茂っていていたし、そこを歩く度に一枚の羽しかない黒胡麻の様な虫が何匹も脛にくっ付いた。

玄関を開けるとすぐ鏡張りの棚があって、そこには昔懐かしい黒電話どんと置かれていて時々けたたましく鳴り響くのが怖くて堪らなかった。

そして夜は最悪で、日本昔ばなしに出てきそうな古ぼけた畳の部屋に寝かされて、それだけでも嫌なのに遠くないところを新幹線が走るから中々寝付けなかった。

良いところなんて焼き魚を焼くと匂いに釣られた野良猫がにゃあにゃあ鳴きながら勝手口に集まってくるところぐらいだった。

わたしはそんな母の実家に泊まるのが嫌で嫌で泊まるのをよく嫌がったが、わたしが嫌がることを母は許さなかった。

「私はあの家で幸せに育ったんだから!」

「あの家には思い出がいっぱいあるんだから!」

これが母の口癖だった。

なんだか母はわたし実家より自分実家の方がずっと好きなようだった。

というより、父と母はお見合い結婚だったらしく仲も良くなかったから、ただこの家が全然きじゃないだけかもしれないとも思った。

わたし高校生の頃、祖父祖母が同時にボケた。

すぐに徘徊暴言が始まり祖母はいつも「家に帰りたい!」と泣きながら電話をかけてきて、祖父おむつを履かせてもゴワゴワすると言って勝手に脱いでは糞尿を部屋中に撒き散らした。

母は仕事をしながら、自宅から母の実家(祖父母宅)に通って二人の世話をした。

そのうち精神的に限界が来てわたし愚痴る様になったが、それでも母は二人のことを決して否定せず、相変わらず好きでいるようだった。

わたしは心が冷たい人間なので、母が同じようになっても愛せないだろうなあ、なんて思いながら愚痴を聞き流していた。

その後母は二人を施設に入れ、それからまもなく祖父が亡くなった。

葬儀には祖母も訪れ、自分名前も分からないぐらい全てを忘れてしまっていたはずだった祖母祖父遺体を覗き込んで「お父さん、今までありがとうね、すぐにそっちに行くからね」とボロボロ涙を流した。そんな祖母を見て母もボロボロ泣いた。碌に介護に関わらなかった母の兄はヘラヘラ笑って泣きすぎだ、と母を揶揄いながら、トイレに行くと言って廊下で静かに泣いていた。

それからまもなくして祖母が亡くなった。母は祖母火葬される瞬間獣の様に大声を上げて泣き叫んだ。施設なんかに入れてごめんね、家に帰りたがってたのにごめんね、と謝りながら泣いた。いつまでも泣いた。

そして祖母が骨になった頃ようやく泣き止んで、しゃくりあげ鼻水を垂らしながら骨を箸でつまんで骨壷に入れた。そして兄弟の中で一人だけ全く泣く素振りを見せないわたしを恨めしげに睨んで「やらんでいい」とわたしから箸を奪い、業者に止められるまで箸で骨を摘み上げ続けた。

それからすぐに母の実家リフォームすることが決まり、余分な物を処分することになった。何故か他の兄弟でなくわたしが付き合わされ、わたし実家味噌汁匂いがこびりついたお椀や傘や服など、売ってもお金にならなそうなものを集める係をさせられた。

何年かぶりにくる祖父母宅は記憶より随分と暗く静まり返っていて、ナフタリンと線香の匂いがする部屋の中、窓の向こうには昔と変わらず新幹線が轟音と共に走り去るのが見えた。

わたし新幹線が走り去るのを見送ってから祖母の古いドレッサーの整理に取り掛かった。

もうとっくに使用期限の切れていそうな化粧水やら髪の毛だらけの木の櫛やらをどんどんゴミ袋に入れていると、ドレッサーの鏡の部分がパカッと開いて収納スペースになっているのを見つけた。

そしてそこには古びた青いお菓子の缶があって、中を開けると手紙が数枚入っていた。

【⚪︎⚪︎トヨコ様】

トヨコ(仮名)は祖母名前だった。ひっくり返してみると愛媛の住所と知らない男の人の名前が書いてあった。

中を見たら、達筆すぎて読みにくかったけど、その男の人から祖母へのラブレターだとすぐに察した。

【たとえ引き裂かれようと、ボク達の愛は永遠です。貴方が誰と結婚させられようと、一生貴方を想います

数枚文の手紙の内容を纏めると、ざっくりこんな感じの内容が書かれていた。わたしはそれをゴミ袋にしまってやるべきか、それとも一応母に見せておくべきか迷って、結果後者を選んだ。

「ねえお母さん、おばあちゃんのドレッサー見たらラブレター隠してあったんだけど笑」

こんな感じで冗談混じりに見せると、母はパッと手紙を見てすぐに奪い取った。そして無言でクロックスを履くと外に出て、ポケットから取り出したマッチを擦って躊躇いなく手紙に火をつけた。

手紙燃えて黒い灰に変わっていく間、母は手紙の上部を人差し指と親指だけでつまむ様にして持って、燃え尽きる直前にパッと手を離した。

それを繰り返し、数枚あった手紙はあっという間に燃えて無くなった。

その間わたしは無言で母の丸まった背中を見つめていただけだったけれど、結局母はわたしに何も言わずに家に入っていってしまった。わたしも何も言わずに家に入った。玄関に入った途端気配を感じて振り返るとそこには未だ黒電話があって、黄ばんだ丸いダイアルがじっとこっちを見てる気がした。

いくら大人になってもわたしはやっぱりその電話が怖くて嫌いで、今まで散々怖がらされた仕返しとばかりに母に無断で捨てるもの用の袋に突っ込んだ。黒電話は半透明の白いゴミ袋に収納されてもなお黒い塊をここにあるぞと見せつけてきた。これだから嫌いなんだ、と思った。

その後あらかた片付け終え、帰ることになったわたしと母は玄関の外に出ていた。母は最後に一度振り返って、家の中に向かって手を合わせた。

「ごめんね、お母さん。愛媛に帰してあげれんかったのに」

母がそう小さな声で呟くのが聞こえた。愛媛祖母故郷だった。

帰りの車の中で母は無言だった。わたしも無言だった。母は遠くを見つめたままずっと何かを考えているようだった。

家まであと数kmのところまで来た時、踏切に捕まって車が停止した。カンカン遮断器煩い警報を聴いていると、母がふいに口を開いた。

「おばあちゃんねえ、好きな人がいたんだって

わたしは黙ったまま母の方を向いた。母は前を真っ直ぐ見つめて言った。

「でも親に無理矢理お見合いさせられて、それでおじいちゃん結婚したんだって

「へえ」

「でもね、きっと幸せだったんだよ、お母さん」

「うん」

「お父さん優しかったし、お母さんは愛されてたから」

「そうだね」

わたしはそれだけ相槌を打った。それしか言えなかった。遮断機が上がるとさっきより沈黙が耳に痛かった。

その後家に帰ってから、母がこの話題を出すことは二度となかった。

数年経って、母が父と離婚し、リフォームした母の実家に住んでいると兄弟から聞いた。わたしはもう母と縁を切ったので知らなかった。

私はもうリフォームしたあの家に訪れることも、あの日のことをもう一度聞くことも二度とないのだろうが、母の好きなひとたちはきっとそこにしかいないんだろうな、と思った。

2024-09-02

日常的にションベンを漏らさなしたり顔人間がが文化人を騙っていてそれをありがたがっている連中の多いこと

文化人なら新発見におののきションベンくらい盛らせ

そしてそれくらいの準備をしろ

具体的にはおむつをつけなさい

全能感を持ち始める30代にありがち

2024-08-30

専業主夫経験からの生後すぐの子育てについてのコメント、の補足

https://anond.hatelabo.jp/20240829222653

思ったよりも反応があり答えていく。

### 自分の両親を頼らなかったのは何故か?

頼るのも面倒くさすぎて、もう考えるのも嫌だったから。

自分の両親の方が頼れそうだったが、あくまでワイフの両親と比べて、という点。

自分実家まで片道1時間半。ワイフの実家より近いが気軽に行くには遠い。

・両親共に働く現役世代子どもをみてもらうのなら、仕事を休んでもらうか、仕事終わってからになる。両親にも生活があるので、それと両立させなければいけない。

・世話を頼むにしても休みタイミング一時的にきてもらうか、僕らが実家に行くしかない。

一時的ものだったら親を頼るのもありだったが、ワイフの産後うつ状態をみると、数回やたまに見る程度では良くならないのは明らか。

・僕らが実家に住むとなると、僕は職場までの通勤問題に、ワイフだけ僕の実家に置いても遠慮して自分でやってしまうので良くならない気がした。

・僕自身が4人兄弟、母は保育士子育てに関して常に最新情報をいれてるスペシャリストで、口移しやハチミツなどの地雷を踏むことはないが、それが故に気になることが多く、母の愚痴が激しくなる気がした。母はワイフに遠慮してる部分もあり、僕の家庭に関する文句は基本僕に言ってくる。精神的に消耗してる僕がそれを受け止めることができる気がしなかったし、そこで僕が逃げたらワイフがやられるし、文句を誰にも言わなかったら母がやられる気がした。

・事前に準備してあれば、多少頼りやすかったのかもしれなかったが、その準備は全くやれてなかった。母は「今は昔に比べ子育てに関わる事情が変わって考えることやることが多くて昔の1人分多めで見てる感覚で大変だよ」とも言ってて理解があったが、理解があるが故に大変さも分かっており、実家との調整を考えるだけで、あーめんどくせー、というものが勝ってしまった。そういう点では、ワイフが、というよりも、僕自身が面倒くさ過ぎて止めた、というのが正しいのかも。

### うつで休んでるなら子育てやらず休めや

そうしたかったが、できなかった。

うつで休んでたのは、仕事&プライベートでのストレスが許容値を超えていたからで。

1番ストレスが少ない状況はなにか?となった場合、その答えが僕が子育て積極的に関わるということだった。

結局休んだ後、半月はまともに動けなかったので、相当疲れてたのだと思う。

### うつで疲れてたか子育て大変だっただけだろ

このテの意見みて、最初の僕の反応は、「オイオイ、それ産後女性には絶対に言うなよ、殺られるぞ、大丈夫か」という感じ。

産後1ヶ月、ワイフは自分実家に帰っていたので、そこまで致命的に大変だと当時気付いていなかったのだが、自然分娩or帝王切開をすると女性文字通り身体がガタガタになり数日動けなくなる。

帝王切開文字通り切るわけだし、自然分娩だと20時間上りきみっぱなしなんてこともザラなので、全身筋肉痛の酷いやつとか血管があちこちブチ切れてたりする。

その状態産後すぐから赤ん坊を見ることになるので、母親の方がもっと酷い状態からスタートすることも多いんやで………

と反射的に思ったわけだが「健康だったら」という点に関してはそれはそうだな、と思う部分も。

身体しんどいのが続くから精神的にもつらくなるので、身体がしんどくなければつらくなくなる!?とも考えることができる。

よく4人も育てられるな、と言われるが、精神にしんどい、の前の、身体しんどい、を色々駆使して軽減してきたからこそやれたわけで。

ココに書きたかった理由も、その事例をいくつか紹介して参考にできれば、と思ったから。

結局うちはやらなかったのだが、その点オススメしたいのが、無痛分娩

色々なママさんネットワークで見聞きする限り、産後母親の体調が明らかに良いようで、子育て最初スタートダッシュ健康である分、だいぶ良くなると思う。

もし次産むんだったら、絶対無痛分娩だわー、もう絶対嫌だけど、とワイフは言っている。

### 正常性バイアスだろ

まさにその通りで1人目でやったノウハウをそのまま他人に展開するのはかなり危険だと思ってるし、どちらかというとちゃんと働きながら育てた2人目以降の話の方が皆には参考になると思う。

ただ大変だよねーツライよねー、男性目線から見た子育てって?という話は1人目の話の方が分かりやすいので、まずは1人目の時の話を書いた。

### あの時欲しかったのは「乳の出る乳首」では?

これは当時ワイフにも同じこと言われたのだが、結果的に欲しいとは思わなかったかな。

それは乳の出る乳首が便利すぎるから

何やっても大人しくならないのに、乳首を使えば一発で大人しくなる、マジで便利、マジで救世主

だが故に、乳首を外せばまた泣いてしまう、泣いている→乳首を!!という感じになり、他の人に渡していても泣き声聞くだけで落ち着かなくなってしまう。

超便利な乳首が一人に依存するという状況が、母親が休めない要因になってるようにも思う。

その点僕は、土日の昼にお昼寝して、ワイフに預ける時、安心してぐっすり眠れた。

きっと僕に便利な乳首があったのなら、気になって眠れなかったかもしれないし、土日の昼間眠れなかったら僕も子育てで病んでたかもしれない。

### そうは言っても、産後の恨みは一生、はおかしいでしょ

コレ言う人全般に関しての所感なんだけど、産後の恨みはどのようなものなのか?の重さを理解できていない気がしたので、ココに書いた次第。

かに社会的には罪の重さに対してのトレードオフ釣り合ってないのかもしれない。

しかし、夫婦加害者/被害者関係ではなく良き伴侶なのだから贖罪/刑期を終えたから良いッショ!と開き直るのでなく、つらかったことを分け合って寄り添うが大事

一方で、夫婦加害者/被害者関係では無い、というのは妻側にも言えることなので、夫だけが完全に悪いわけでなく、夫婦問題だと思う。

ただ、夫側はそこで開き直る態度がでがちなので批判されるような気がする。

### どうして4人も……

これはね……完全な間抜け自業自得不可抗力なんですよ。

おかげさまで、夫婦仲は良く、身体関係ちゃんと続いていて……

子どもができないように、ってゴムを常備するんですが、ちょこちょこ買い足すのを忘れることがあり、テンションが上がったまま、今回だけなら……というのをやって、結果的に……

結婚したら避妊とか気にしなくても良いんじゃないの?とか馬鹿なこと考えていた過去自分が恨めしい。

子どもができた、と分かった時、いつも経済的にやっていけるのか?という試算を一緒に見直し大丈夫そうなら、どうする?→あー産むか!!みたいな感じでなぁなぁの勢いで決まる感じなので、完全に褒められる状況じゃない。

ワイフの最後一言で決まる感じなので、何故産んだのか、の真意は僕には分からない。

けど、いつも産前産後には、産むのも産んだ後の世話もあまりにつらすぎる記憶から記憶に残ってない、忘れるんだよね、でもその時になってくると段々思い出してきてもう嫌だー!!ってなる、と言ってる。

今思えば笑える話なのだが、付き合っていた当時、ワイフに子宮筋腫が見つかり手術をすることになり、将来的に子どもができる可能性が下がるかもしれないから別れよう、と別れ話を打診されたことがある。

その時僕はとっさに、子どもができる確率が1/10になるのなら他の夫婦10倍やればいい、僕らが仲良くやっていければ何があっても問題ないよ、と返した。

確率1/10なら10倍、というフレーズとともに僕ら夫婦の思い出深い一幕になったわけだが、今や子どもが増えすぎないように心配する事態になるなんて……

母や子どもらは無邪気に、5人目は?みたいに聞いてくるが、流石に歳を重ねてきて体力的にも経済的にも厳しい。

ゴムの常備は前よりもちゃんとするようになった。

### 次に書こうと思ってた内容

ネタはまだまだ大量にあるのだが、書き続ける精神力が足りなさそうで、ここまで長く書きすぎて何書くかを今さら迷子になってる。

もうわけわからんから、書きたかったであろう内容を適当に。気になるやつがあれば深掘りするかも。

専業主夫、2週間目あたりからにしんどくなる問題。疲れとストック管理、誰にも指示されず自分で決めるコストしんどい

専業主夫をやっていて良かったこと。メインとサブ、でなく、メインと(メインもやれる)サブに。つらさが分かるので寄り添いやすい。

子どもの寝かしつけや大人しくさせるテクニック哺乳類輸送反応に起因してるようなものが多い。背中スイッチでなくお腹スイッチ

・寝かしつけるためにやった事例集、苦労話。上の子を夜中寝かしつけるため、抱っこ紐で背中に背負い、自転車で走るのを毎晩のようにやっていた。

・1人目と2人目の間に1人子どもが流れてしまった話。流産確率は15%くらいなので普通にありうる。それも外からみて妊娠したと分からない妊娠初期がほとんど。

・同じ遺伝子から始まったはずなのに4人とも個性が違いすぎる、子どもに対するテクニックは相性があるので探り探り開発してくしかない

・両親を頼るのも良いが、子どもの世話は想像以上に体力を使う。頼り過ぎると両親が病むのでほどほどに。

子どもに関する情報ノイズが多すぎる。NHK「すくすく子育て」が一番バランスが良い。

・この10年で育児グッズは大分便利になった。新しく出てきて助かったものおむつゴミ箱、1歳から飲めるゼリー、丸いスタイ、傾けても飲めるコップ、サマーシューズ、缶のミルク

家事負担を減らすと、育児も楽になる。家電など札束で叩く選択肢も入れる。食洗機乾燥機ロボット掃除、電鍋等。

ご飯を食べる子は色々楽。ご飯食べないことを起因に色々な問題が誘発する。

体調不良家族崩壊危機をもたらす。体調不良新生児でなくとも、世話が大変になる。それが連続コンボだと……

子どもとのトラブルエピソード。不測の事態が起きるのが日常に。出先での非日常トラブルが起きやすい。

子どもがいるのが何が良いのか、単純に楽しいよ、大変なことも多いけど刺激にあふれている日々は最大級の娯楽といえるかも。

子どもの姿を見て自分の忘れていた過去を振り返ることになる、ちょうどゼルダBoWみたいな感じで急に思い出す。それがきっかけで自分の親に対する目線が変わったり、それを夫婦で話すことで何年一緒にいても知らなかった面を知ることになる

結果的仕事フィードバックされた能力精神的に追い込まれた人へのケアトラブル発生時の安定感落ち着き具合、パワハラ気質の人への対応力胆力など。

他にもある気がするが、もうわけわからんので、またそのうち続きでも……

2024-08-29

子育てをしなかった父の娘として

増田の父は、家事育児もほぼ全くしなかったらしい。そのように母が、増田大学生ぐらいになった頃からグジグジ湿っぽく言っていた。

私たち子ども(兄と姉と私の三人兄弟)たちも「保護者はお母さん」 「お父さんは遅く帰ってきて晩酌要求したり、夏休みに海や山に連れってくれる「レアアイテム親」」」みたいな感じだったので、まぁそうだねーと思っていた。

とはいえ、母や私たち子どもが父をATM扱いしていたわけでもなく、父がボーナス山ほど持って帰ってきたり昇進するととお祝いをしたり。子供たちが小さい時は夫婦喧嘩は恐らく子が見ていないところでやっていたんだろうと思う。お父さんが約束してたお出かけに一緒に行けなくなって拗ねた時は「お父さんもお仕事大変なんだから仕方ないのよ」と叱られたり。

そんな風にしつけられて育ったので、子供のころにいとこたちと遊びに行く時など、いとこの家はパパもママもいるけどうちはいつもお母さんだけだなーでもうちのお父さんは忙しいかしょうがないよなと納得するようになっていた。授業参観大会応援とかも一度も来たことがないが、まぁそういうものだと思っていた。まれ仕事が早く終わって夜早くに父が帰って家にいると気恥ずかしいような嬉しいような。

要するに、父親にも育てられた自覚ちゃんとある。が、が一方で「夫婦で協力して子育てをしてもらっていた」という感覚はない。

面倒見てくれたのも、学校トラブルがあった時に話を聞いてくれたのも、習い事の送迎も、どの塾にするかもどの学校受験したいかも全て母だった。接する時間が長いのは圧倒的に母だったから、まあそれは仕方がない。増田が育った時代地域は分業夫婦多数派だったので、不満はないわけじゃなかったが違和感もあまり感じていなかった。

母が、父が子育てコミットしてこなかったことにグジグジ言い出したのは、前述通り増田大学生ぐらいのころからなのだが、それは増田大人になったからではなく、兄が結婚し子を授かったからだと思う。

兄は、時代のせいもあるし、父を反面教師にした面もあるだろうし、なんていうか優しいタイプの男だったこともあるのだと思うが、しっかりと育児をする男だった。

それでたぶん母は自分が夫からされた仕打ち子供たちが小さいころにした色んな苦労をぶわわーっと思い出してしまったみたいだった。そのせいか母はその頃は少し嫌な母親になっていて義姉を疎んでイヤミを言ったり、孫をかわいがろうとしてしくじる父にグチグチ言い出したりし始めたのだろうと思う。

産後乳幼児の子育ての苦労は「子供死ぬかもしれない」を中心に精神的・物理的・時間的な苦労が大きいから、そこで負担が大きかったりすると辛いのは何となくわかるが、まぁこんな風にトラウマが噴き出すみたいになるもんなんだな…と驚いた。ずっと溜めこんでたんだな、それが息子の嫁と子が大事にされているところを見て吹き出しちゃったんだと今ならわかる。

父は、母からそのように責められるたびにバツの悪い顔になって、怒ることこそなかったがとても不機嫌になる。せっかくかわいい赤ちゃんまでいるのに空気が悪くなるのは嫌だったので、「お父さんが孫にあんまり好かれないのは子育てしてこなかったからでしょうがいねおむつも変えたことないなら、お兄ちゃんが教えてあげたら」と父と兄を焚き付けて、父は息子から教わる形で「夫婦で協力する」を後から学んでいったんだと思う。

そんなこんなで何となく実家の様子は時間とともに落ち着いていき、並行して、私が社会人になり家を出て、結婚する報告をしに実家に帰ったらその2年弱で父は家事分担ジェントルマンに変貌していた。一緒に買い物に行き荷物を持ってやる、父一人でスーパーに買い物に行って適切なものを買って帰ってくる、家の掃除は父の分担になり、母が出かけている間に洗濯物を取り込んで畳むことまで出来るようになっていた。母が寝込んでも何もしない男だったのだがおじやを作ってたのには心の底からびっくりした。私たち子供のころ、母が寝込んだ時に母方の祖母電話で呼び出して妻と子供たちの看病を命じた男が、会社飲み会がある予定をきちんと一週間前には母と共有するようになっていた。父は後天的学習ができたのだろう。そのおかげで母の「嫌な義母ムーブ」も少しずつ収まっていったみたいだった。

もう父も母も亡くなったのだが、父が死んだ後の母はとても悲しんで落ち込んでいた。その程度には夫婦関係を修復で来ていたのだろうと思う。

母が亡くなって遺品整理をしていた時、叔母から、母は子育てが本当にしんどそうだった(産後うつ?)と聞いた。兄・姉と生んだ後に、幼稚園前の兄と生まれたばかりの姉をつれて家出して実家に帰っていた時期があるんだという。全然知らなかった。私たちは母方のいとこたちとしょっちゅう遊んでいたのだが、それは叔母が母を気遣ってくれてのことだったらしい。兄はうっすら覚えているらしく、兄が家族にとてもやさしい男になった理由の一つなのかもと思った。

子供から見ると「父親から育てられてない」とは全然思わないけど、例えば私が成人式の時に、父が母に向かって「俺たち育て上げたななぁ」と相槌を求めてきたとしたら私なら「やだお父さん、育てたのは大半お母さんだよ」ぐらいは言っちゃいそうだ。私の母が、息子のイクメンぶりに刺激されてトラウマがよみがえったように「あなたは「育て」にはコミットしてないでしょ!」ってなっちゃったのかもなぁ奥さん

せめて「俺たち頑張ったなぁ!」とかだったらパンドラの箱は開かなかったかもしれない…だろうか、どうだろ。まぁどのぐらい地雷を埋めたかからいから何とも言えないね。幸いなことに私の父はびっくりするほど学習能力が高くてジェントル協働夫になって仲良し夫婦夫々旅立っていったから、まぁよかったなって思ったし、私も改めて夫を大事にしようと思った次第。

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-28

anond:20240827183503

まるでこの夫は妻が憎くてしょうがいからこんな意地悪をしているか、あるいは人の心がないサイコパスかのように見えるだろ?

違うよ。この夫はどこにでもいる普通人間だよ。この夫が酷い男に見えるのは我々が現代日本価値観内面化して生きているからなんだよ。

妊娠中腰が痛くて動けない時にお茶入れて?って言われた

→女が子供を産むのは息をするのと同じくらい当たり前だよ。「呼吸しながらお茶なんて入れられない!」とか言う奴おらんよね? 病気でもないことで甘えちゃダメだよ。

陣痛中は隣で寝てた

→女の出産に男なんか役に立たないのにそばにいてくれるなんて優しい旦那さんだね。そこらへんの亭主なら愛人のとこか飲み屋へでもシケ込んで浮かれてるよ。

退院後1週間でヨシケイ弁当もう嫌だからちゃんと飯作ってって言われて作らされたし

家事は女の務めだし妊娠出産病気じゃないんだから普通のことだね。命懸けで働いてる旦那さんに出来合いの飯なんか何日も食べさせたら失礼だよ。

子供赤ん坊の頃は夜泣きうるさいからとずっと別部屋で寝てたし

育児は女の義務なんだから旦那様を煩わせちゃダメだよ。育児なんかさせて命懸けで働いてる旦那さんの仕事差し支えたら大変だよ。

もちろん育児は全部ワンオペ、夫はおむつ替えた事も風呂に入れた事もないし抱っこ紐の使い方も分からない

育児は女の義務なんだから旦那様を煩わせちゃダメだよ。育児なんかさせて命懸けで働いてる旦那さんの仕事差し支えたら大変だよ。

どれだけ寝不足でも朝は必ず起こされて朝飯作らされたし夜帰りが遅くても起きて待ってなきゃならなかったし

旦那さんより遅く起きちゃいけないし早く寝ちゃいけないって歌があったから当然だね。その程度の事もやらないぐうたら妻は不倫されるよ。

一度体調が悪くてベッドで倒れてたら何で起きねえんだよ!と怒鳴られたし

→わ〜体の弱い妻なんてもらっちゃって旦那さんかわいそう。そんな妻捨ててもっと丈夫な奥さんもらったらいいのに。

夫の転勤に帯同する為に仕事辞めて保育園も入れないから働けなかったのに、職場女性たちはみんな働いてるのに何で君は働かないの?って言われたし

単身赴任なんかさせたら女作られるよ。妻が夫の転勤についていくのは当たり前でしょ? 子供の手が離れてきたなら家でゴロゴロしてないで家計に貢献しないと寄生虫って言われるよ。

流産した事を後であんときは大変でさあ~的に笑い話にされて、流石にそれは酷いと抗議したら逆切れされたし

子供なんかまたいくらでも仕込んで産みゃいいじゃん。終わったことをいつまでもグチグチとうっとうしい。


はてブの皆はちょっと前のコロナ禍で自分が何言ってたかも忘れちゃうくらい記憶力に乏しいから年取ってても忘れちゃってると思うんだけどね。

ほんのちょっと前まで日本男と女はこういう価値観の中に生きて、結婚して子供産んで育てるのが当たり前だったんだよ。男だけじゃなくて、普通に女もこういうことをよその奥さんから言われて、自分もよその奥さんや娘さんに言って生きてきたんだよ。

から今でこそ、ミソジニストすら「こんな男と結婚したのが悪い」としか女叩きしようがないようなボンクラゴミクソサイコパス亭主に見える元増田旦那も、昔の日本人の男としては普通のことを普通にやっているだけだよ。多分この亭主が自分のやってきたことを皆に批判されたら「このくらい皆やってる。俺は産前産後風俗行って奥さん性病うつしたりしてない(※行ってないとは言ってない)分全然マシな方」とか言うよ。


そりゃあ産前産後の恨みおじさんだってガックリきちゃうよね、この増田の夫みたいなそこらへんにゴロゴロいる凡百の父親と違ってここまで酷いことせずに立派な父親やってきたのに。仕事が大変で疲れてたか子供夜泣きしてても妻に任せて寝てた程度のことを20年もグチグチ根に持って恨まれたら嫌になっちゃうよ。借金も女遊びも暴力もせず、大黒柱として妻に楽させて、たまには育児手伝ってやってたのにあんまりだよね。



みんな忘れちゃうんだよね。昭和平成自分たちが何やって生きてきたか子供にどういう家庭を見せてきたのかをさ。

多分増田の夫は父親がやってたように、その父親祖父がやってたように、自分も同じことをしただけだよ。当時は誰もそれを酷いって指摘しなかったからね。

産前産後の恨みおじさんだって増田に書いてないとこで暴力とか借金とか浮気やらかしてた訳じゃなきゃ、当時は別に悪いことしてない普通父親だったんだよ。

からそれを令和の価値観他人事みたいに棍棒振り上げて叩いてるばかりじゃダメだよね、そういう父親を作ってきたのは時代のものだったんだから


自分が「→」の後に書いたようなことをむかし思ったり自分で言ったりしたことがある人は反省してね。あなたたちが産後まれおじさんを作ったんだよ。

夫婦関係について妊娠出産育児のことで自分母親から助言されたこ

当方は妻であり妊娠をそれとなく伝えた際に自身母親から様々な助言を頂いた

母親言葉をできるだけ再現しているけどもちろん100%再現では無い

2024-08-22

先般やっと配信された「デリコズナーサリー1話目を見ている

父親職場子育てしながら仕事する」って良いな

コロナ以降増えた「自宅で仕事してるおとーさん」は同じ状態だろうけど

出社義務があったとしても職場託児所があれば少し近いことは出来るよな

でも託児所作ってるところは大体「母親向け」なのかな?

別に父親会社託児所子供預けても良いよなあ。父子家庭だったら確実に父親が預けるもんだし

なんかあったら会議中でもすっ飛んで行って、そのまま病院に連れてく(早退。そこで「母親仕事から帰ってバトンタッチしたら父親職場に戻る」とかはしないこと)

別に普通に(社外の)保育園保育所でも良いけどさ。絶対社内にあった方が楽だよね

ちなみに託児所作ってるとこは大企業ばっかだ↓当たり前だけど。中小企業には無理。正直「子供が熱出したんで帰ります」ですらキツイ

https://media.clarity.tokyo/benefit/childcare-center/

それにしても、↑の表題解説で「働くママ会社設備サポートしてくれます」ってあって、やっぱりママ向けなんだなと思った

そこは嘘でも「働くパパママ」にしとけよ

つーか、犬とか猫とか事務所内にうろついてる会社あるんだから子供がその辺ウロウロしてても良いかもね

(常に迷子のお知らせが館内放送流れる職場電話してると後ろで「あぎゃああああああ」みたいなBGMが入る。トイレは男女ともにおむつ替えの台とかある)

上記の様な巨大企業だとフリーアドレスのとこ結構あるだろうから子連れで移動

子供社会性を身に着けさせるには最高の場所かもな

「静かにする」とか「礼儀」とか「社会にはどんな人間が居るか知る」とか

あと「父親の偉大な仕事姿」を見せつけられるぞ

(乳幼児場合は働く偉大な父親背中に紐で括り付けられたりしている。バギーで運搬する拝一刀スタイルとかも)

2024-08-21

九州県庁所在市で、公共施設男子トイレにサニタリーボックス(汚物入れ)を設置する動きが広がっている。

使用済みティッシュを捨てるのかな・・・

福岡美人が多いから、急に催すこともある。

加齢の影響や前立腺がん後遺症で尿漏れパッド、紙おむつを使う人が増えており、安心して外出できる環境づくりの一環。

全国的に見ると、取り組みは緒に就いたばかりで、専門家は「デリケート話題当事者は声を上げづらいが、潜在的ニーズは大きい」と指摘する。

2024-08-16

anond:20240814233647

多胎育児とそれ以外は全然違う。

なので、多胎育児本を読んでほしい(とは言ってもだいぶ昔に出たたまひよの本しかないと思うが)。

ワンオペは無理と言ってる人がたくさんいるが、解像度低いので具体的に言うと、まず三時間に一回の授乳が、単純計算だと双子で1.5時間に一回、三つ子で1時間に一回になる。睡眠時間も同じ。実際は最初に起きた子に合わせて次の子も無理矢理起こしてリズム合わせるようにするから(というかしないとマジで成り立たない

から)もうちょっと纏まるがしれてる。

ミルク作り5分、ミルク飲み10分、ゲップ10分、寝かしつけ15分でも1人40分かかる。3人いたら二時間コース。これにおむつがえ、吐き戻しのお着替え、おしっこもらしのお着替え、哺乳瓶洗浄などなどの他に、大変さは赤ちゃん依るという個体差があって、飲まなかったり、ゲップがでなかったり、寝つきが悪かったり、眠りが浅かったり、で容易に+10分とかになりうる。

そうすると睡眠時間が一時間切ってくるんだけど、あれっ、人ってそんな睡眠時間で生きていけたっけ?ってなる。

ちなみに双子よりも、三つ子の方が産後鬱になる確率低くて、これは双子だと「頑張ろう」ってなるけど、三つ子だと「無理っ!」てなって事前にサポートを受けやすいからってなってたはず。なので事前に向こうの親に来てもらうとか、サポート体制整えていると思うんだけど、

それが出来てないなら恐怖でしかない。

嫁に昼寝ぐらいさせてあげよう。(そして喜んでもらおう)なんて思ってたら甘いとしか言いようがない。嫁の心の中では、「ちょっとだけ寝れた。でもあの絶望の日々がまた始まるのか。」だ。そこに希望はない。生きるか死ぬか、そりゃ産後クライシスも始まりますわ。

なので、まずすべき事は、もっと危機感を持つこと、息子にサポート体制確認、説得だ。あとは物量(哺乳瓶の量とか着替えの量とかネムリラなどなど)が重要になってくるので金の支援と買い出し。買い物行く暇もないので。もっと言うとうんこする暇も、風呂を入る時間も無いけどそこは代われないからしゃあない。

たぶん産まれたあと低体重入院することになると思うので、二週間後~一ヶ月後、それまでにどれだけ準備できるか。

anond:20240814233647

多胎育児とそれ以外は全然違う。

なので、多胎育児本を読んでほしい(とは言ってもだいぶ昔に出たたまひよの本しかないと思うが)。

ワンオペは無理と言ってる人がたくさんいるが、解像度低いので具体的に言うと、まず三時間に一回の授乳が、単純計算だと双子で1.5時間に一回、三つ子で1時間に一回になる。睡眠時間も同じ。実際は最初に起きた子に合わせて次の子も無理矢理起こしてリズム合わせるようにするから(というかしないとマジで成り立たない

から)もうちょっと纏まるがしれてる。

ミルク作り5分、ミルク飲み10分、ゲップ10分、寝かしつけ15分でも1人40分かかる。3人いたら二時間コース。これにおむつがえ、吐き戻しのお着替え、おしっこもらしのお着替え、哺乳瓶洗浄などなどの他に、大変さは赤ちゃん依るという個体差があって、飲まなかったり、ゲップがでなかったり、寝つきが悪かったり、眠りが浅かったり、で容易に+10分とかになりうる。

そうすると睡眠時間が一時間切ってくるんだけど、あれっ、人ってそんな睡眠時間で生きていけたっけ?ってなる。

ちなみに双子よりも、三つ子の方が産後鬱になる確率低くて、これは双子だと「頑張ろう」ってなるけど、三つ子だと「無理っ!」てなって事前にサポートを受けやすいからってなってたはず。なので事前に向こうの親に来てもらうとか、サポート体制整えていると思うんだけど、

それが出来てないなら恐怖でしかない。

嫁に昼寝ぐらいさせてあげよう。(そして喜んでもらおう)なんて思ってたら甘いとしか言いようがない。嫁の心の中では、「ちょっとだけ寝れた。でもあの絶望の日々がまた始まるのか。」だ。そこに希望はない。生きるか死ぬか、そりゃ産後クライシスも始まりますわ。

なので、まずすべき事は、もっと危機感を持つこと、息子にサポート体制確認、説得だ。あとは物量(哺乳瓶の量とか着替えの量とかネムリラなどなど)が重要になってくるので金の支援と買い出し。買い物行く暇もないので。もっと言うとうんこする暇も、風呂を入る時間も無いけどそこは代われないからしゃあない。

たぶん産まれたあと低体重入院することになると思うので、二週間後~一ヶ月後、それまでにどれだけ準備できるか。

2024-08-15

anond:20240814233647

おむつミルク関連を始め、育児製品は本当に進歩しているので、生まれる前に近隣のベビー用品店(アカチャンホンポ/ベビーザらス/西松屋/...)は一通り回ってリサーチして、用意できるものはどんどん買った方がいい。ベビー用品店に売ってるものは多かれ少なかれ必要になると思え。ナイスベビーあたりの育児通販カタログ請求しておこう。

正直三つ子わからんけど、1オペするなら確実に子供を拘束する道具類は必要になると思う。例えばバウンサーの類。電動バウンサーが3つあったら最強なのでは?(レンタルできるはず)

母乳で育てるなら搾乳機は必須になると思う。電動鼻水吸い機もたぶん必須になる(口で吸うタイプ絶対ダメ、人数いるなら大き目でチューブで吸うタイプがいいと思う)。

赤外線タイプの体温計も必須温度調節付きの電気ケトルもあると便利。おなじみ洗濯乾燥機・食洗器も間違いなくあった方がいい。

おむつ、おしりふき、ミルクなど消耗品はどんどん必要になるので供給する。通販でもいいが、段ボールの片づけなどしんどいと思われる。

色々なモノが溢れはじめるので、フタ付き収納ボックスをたくさん部屋に並べて、とにかく分類して突っ込んでおくのがおすすめ

寝かせつけはお母さんの仕事になるだろうけど、とにかく子守歌から初めて、歌や口笛で音楽→寝るの条件付けをすると後々絶対楽になるよ。

幼児はとにかく揺らしたり振動が加わると寝る。抱っこしたら正弦波をイメージして揺らす。ベビーカーや車もむしろガタガタ揺れるぐらいの方がよく寝るよ。三つ子だと難しいかもだけど、どうしても寝てくれないときは車に載せて夜のドライブすると、微妙自分時間が持てる。

幼児期の参考にする育児書は、どでかいけど「シアーズ博士夫妻のベビーブック」がおすすめ

あと、Twitter・インスタ系育児漫画は色々参考になるし、日々の糧になるのでフォローしておくべき。孫より1~2歳上ぐらいの子を育ててる漫画家さんを見つけるといいと思う(つまり最近育児を始めた人)。

とりあえず、ぱっと思いつけるのはこれぐらいだけど、参考になれば幸い。爺の健闘と子供たちの健やかな成長を祈る。

anond:20240814233647

とにかく当面はプロベビーシッターを呼ばせてほしい

生活リズムが落ちついてきてマイルールルーティンの整理がついてきたら手伝いに来てくれてもいいか

夜はベビーシッターを呼びづらいことがあるので来てほしいと思うことがある

ももしかしたらおむつ替えより数年後に遊び相手として本気出してくれるのが嬉しいか

公園で走り回るのを安全に見守るとか

自転車練習付き合うとか

無限リクエストされる同じ絵本を読むとか

あとお金はいものを一点買ってもらうのもありがたいけど日常で嵩むお金の方が負担としてはけっこう大変だからこまめに西松屋みたいなところに連れてって好きなだけカゴにつっこむとかさせてくれると嬉しい

anond:20240814233647

大体の母親ジジイ子供触られたくないんで、ましてやおむつ替えなんて論外なんで、「毎日家事代行料理洗濯掃除など)サービス頼みなさい」ってポンと金だけ出すジジイになんな

結局増田の願望って「カッコいい素敵」ってレアジジイとして称賛浴びることが主眼で、息子の嫁さんのことなんて視界に入ってねーんだよ

つーか他人様が産んだ大切な新生児たちを、無資格経験ジジイのくせに「助けたい」とか的外れもいいところなエゴ丸出し練習台にしようとすんな

anond:20240814233647

うちの子どもはほとんどのミルクを嫌がって、ぴゅあって種類の粉ミルクだけ飲んでくれた

ぴゅあには液体ミルクキューブタイプのものがないので、楽する手段がなかった

おたく3つ子も、3人もいればそういうグルメな子もいるかもしれない

あと、どのミルクおむつを使ってるかはちゃんと息子夫婦に聞いてから買うんだぞ

うちの両親は俺に何も聞かずにアイクレオの液体ミルクトップバリュオムツを送ってきたから、嫁さんがかなり嫌そうな顔してたのを今でも思い出す

2024-08-14

滅びゆく者

孤独死記事を見た。

死ぬ肛門が緩みそこから腐った内臓などが漏れ出て床を駄目にすることがあるらしい。

それを見てからというもの食事ナッツなどの植物性のもののみを接種し、毎晩ブルーシートの上に布団を敷きおむつをして眠るようにしている。

滅びゆく者の最後仕事

未来ある者たちの手を少しでも煩わせないようにするために出来ること。

2024-08-08

anond:20240808091435

自動育児

37.5℃以上で救急車手配の電話



おむつ交換

しりふき

ミルク補充

角度調整

寝かしつけ機能


年齢によって変わる

発疹感知機能

保湿クリーム機能

着替え機能

着替え洗濯機


抱っこ保温機能

ゆすぶり寝かしつけ機能

子守歌機能

床ずれ防止機能


母子手帳管理機能

診察券管理機能

医療管理機能

せき完治機能

鼻水感知機能

病院搬送機能(300万~)

薬局薬受取機能


販売予定価格:500万円



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