はてなキーワード: 安定的とは
・金ローでラピュタをやっている。冒頭部分をチラッと見たけど、何度見ても絵の迫力がすごい。「色褪せない名作」とはまさにこのことを指すんだなと思う。
・そういえば、スタジオジブリ作品を国内で見るにはDVDを買うか借りるか放送を待つかしなければならない。この配信全盛の時代に、だ。
・世代を問わず愛されている作品。配信を待ち望んでいる人は星の数ほどいるはずだ。しかも海外では配信されているわけで。であれば尚更理由が気になる。
・親会社の日テレは今年6月の株主総会で「スタジオジブリは原則、サポートする形で子会社化したと承知しているが、シナジーを感じられない。優待でジブリグッズを出したり、配信では放映権の問題で海外でしかみられないジブリ作品を国内でもみられるようにしたりしないのか。」という質問に対して次のツイートのように回答している。(公式の資料が見当たらなかったので個人のツイートを掲載)
https://x.com/michsuzu/status/1806181949222101350
・あと、鈴木敏夫Pと宮崎駿監督はラジオで鼎談したピクサーのピート・ドクターの質問にこう回答している。(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 2024年8月4日放送回)
(ピート・ドクター)ちょっと哲学的な問いになってしまうんですけど、今の時代本当に色んな場所で色んな作品が見られる状況が(配信含めて)できてしまって、それって私たちにとって健康的なことなのかと悩むことがあります。スマホで作品を見る方も見かけるし、世界とちゃんと繋がれているのかなとちょっと思ってしまうんです。
(宮崎駿)僕自身が全然そういうものを見ないもんですから。僕は平和です(笑)。
(中略)
(鈴木敏夫)だから、いわゆる配信もね。世界ではやってますけど、実はこの日本では一切やってないんです。日本の人は映画館に行かなきゃ映画が観られない。それだけはね、守ってます。
・つまり、ジブリ側としては「映画は映画館で見るもの」というスタンスであり、日テレ側もあくまでジブリをサポートするという立ち位置であるため配信に踏み切れない、というわけなのだろうか。
・鈴木Pの熱い信条があるから実現しないというのは理解できる。
・ただ、既にビデオテープもDVDも発売してテレビ放映までしているわけで、散々映画館の外で見られているというのになぜ配信だけ頑なに拒むのだろうか。
・レンタルビデオ店はおろか、テレビを日常的に視聴する人すら減ってきている中で果たしてこれからどのくらいの子供達が安定的にジブリ映画を視聴できる環境にあるだろう。
・テレビ放映されるといえども、いつ、どのタイミングで見たい作品が放映されるかは分からない。放映されるといっても数年に一度のペースだ。高畑勲作品に至ってはここ数年ほとんど放映されていない。さらに「ノーカット放送」といいつつ本編中に提供クレジットを読み上げ始めたり、エンディングを来週の予告をする左端で信じられない速度で流したりする。あまりにも作品へのリスペクトが欠けているのではないだろうか。
・日テレもせっかく自前の映像配信サービス(Hulu)を持っているのにこれは宝の持ち腐れではないだろうか。ネトフリだのU-Nextだので配信しろと言っているわけじゃない。悪いこと言わないから、自社のサービスで構わないから、どうか配信してくれないだろうか。
・子供に宛てて作った作品が子供の目に留まらなくなるのは本望じゃないだろうから。このままじゃ歴史の渦に埋もれてしまうから。見放題配信が嫌なのであればAmazonやDMMでレンタル配信でも構わないから。スタジオジブリさん、どうか、どうかインターネットでの配信をお願いします。この通りです。
注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国
増田は某国立大学の工学部で教鞭をとる40代の准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。
こういう記事のブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会が構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。
みんな気になるだろうから、これを先に書く。
最近になってにわかに科学研究が大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究のお話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやすい環境にある。
どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ。
例えば人件費。民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国からの運営費交付金や寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算で裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授が宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。
秘書や事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金は人件費だけでなく建物や設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。
ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山の学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である。
昔からアルバイトに熱心な学生やサークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近は就職活動に時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中もインターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生は疲弊している。日中の貴重な時間を研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親からの仕送りでは足りない学生はアルバイトまでしているのだから、卒論や修論の質は落ちる。企業はガクチカとか聞く前に、理系の学生を研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論は半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。
研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。
というか、企業の採用も、もっと必要な資格や能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定の資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句で学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格や能力は採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。
博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力で研究を進めてくれるし、そのレベルも論文として世に問えるものである。
ところが、である。ちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本の博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマの自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振の特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策で博士課程進学者を経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費や生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生は就活するしかないのだ。
さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術職採用でも研究職採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程の初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給は修士号の入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである。
欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費を支給される研究員である。仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。
ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用で企業に転職したりする。それくらい、普通の仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。
大学に安定的な予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用の教職員にやらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員に入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動が必要だと言われたときに来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生の就職や研究指導の面倒は必須である。
というわけで、大学の先生は講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義や研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニアの教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事の効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジでお茶を濁したような企画書をいかに気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金の申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。
ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大の教員が競争的資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外の論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本の論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である。
それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つものが必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算のアンバランスはどうにかならないものだろうか。
というわけで、大学の先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義や学生指導は当然やるのだから、研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算からは支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面のキャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動は過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動でスキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である。
ちょっと前に「障害者は障害者雇用行けや」という話があった気がします。まあ障害者雇用で自立した生活を営むのはわりと難しいのですが、僕は障害者雇用と障害年金と同居している彼女の障害年金で生計を立てることができております。
上記の通り多少特殊な生活形態ではあるものの、何かの参考になるかもしれませんので、僕たちがどうやって糊口を凌いでいるか書いてみます。
バイト | 40,000円 | |
障害厚生年金3級 | (増田) | 50,000円 |
障害基礎年金2級 | (彼女) | 65,000円 |
計 | 155,000円 |
家賃 | 35,000円 |
水道光熱費 | 15,000円 |
食費 | 50,000円 |
交通費 | 10,000円 |
通信費 | 10,000円 |
保健医療 | 5,000円 |
その他 | 15,000円 |
計 | 140,000円 |
どんぶり勘定なので正確な計算はできていませんが、めちゃくちゃ間違っているということはないと思います。
家賃がやっすいのがでかいですね。地方都市の狭いアパートに二人ひしめき合いながら生活しています。一般的な感覚ではとてもではないでしょうが暮らしていくことはできないだろうなあと思います。でもお互い適当なのと性格の相性もあってか、致命的な不自由はなく過ごせています。
食費をもうちょっと抑えられたら楽になりますね。ただ、僕も彼女も安定的に家事をするというのが大変難しいので、出来合いのものを買うことが多いです。近所の4割引スーパーに感謝です。(追記:フードシェアリングにも助けてもらっています!)
精神科への通院もありますが、自立支援医療制度のお陰でかなり安価に済ませていただいています。ありがとうございます。
僕は障害者雇用のパートで週10時間程度働いています。農業のお仕事です。といっても特例子会社などではなく、慈善事業のような形で障害者雇用を進めている小さな会社です。人は少なく仕事は多く夏は暑く冬は寒いのでなかなか大変ですが、人間関係は良好です。障害者と健常者という垣根を感じることもなく、皆楽しく仕事をしています。あと同人活動的なことをやっているので多少のおこづかいが生まれます。
彼女は無職です。以前は楽器の先生をやっていたのですが、コロナで教室が閉まってからは労働収入が途絶えています。
僕にはASDと躁鬱があります。ASDとは自閉症みたいなやつです。これのためか人間関係が壊滅的にダメで、今まで縁してきた皆様には不快な思いをさせてしまったかと思います。すみません。しかしこれは自覚と鍛錬があれば技術的な操作で多少ごまかすことはできるようです。今の職場ではかつてのような大きな衝突もなく働けているので、ある程度は何とかごまかすことに成功しているんじゃないかと思います(もしかしたら職場のみなさんがだいぶ我慢してくださっているだけかもしれませんが……)。
躁鬱の方はなかなかにはっちゃけています。ほっとくと知らん人に声掛けてご飯奢ったりカラオケ行ったりし出します。いやお前ASDじゃんという話もありますが、長年の功夫により身につけた健常者の擬態と、軽躁状態の特徴的な人柄が微妙なところでバランスを取れているのか、まあまあいろんな人と仲良くなることができました。今の彼女とも軽躁状態の時に付き合い始めました。しかし躁は酷くなると人間関係や預金残高を破壊しますし、後で必ず反動が来るので、極力避けねばなりません。また、薬のコントロールがあってなお安定した出力を保つのは難しいので、フルタイムの労働とかもきついです。短期間ならできなくもないかもしれませんが、決して持続可能ではありません。実際できませんでした。
彼女にはいろいろ重い障害があって、普通に生活することも難しいです。家事や種々のケアなど僕ができないなりにしています。ですが世話をする・されるの関係になってしまわないよう注意しなくてはなりません。お互いが対等であるという共通了解なしに安定した共同生活を営むのは難しいと思います。
今の会社に入る前には、就労移行支援事業所というところに通っていました。これは主に障害者の社会復帰を支援するための施設で、基本的に無料で使えます。毎日決まった時間に起きて、自分で決めたプログラムに参加し、人と話すという訓練を行えます。訓練と言ってもそんな堅苦しいものではなく、簡単なグループワークをしたり、利用者さんたちとレクリエーションをしたりといった、緩いものです。僕のところは希望者でソフトボールやってました。昔野球やってたこともあり結構活躍できたので嬉しかったです。他にも、施設の職員さんと一緒にハローワークの求人を検討したり、気になる職場へ見学に行ったりできます。企業によっては体験就労ができたりもします。該当地域の障害者雇用の求人について詳しく教えてもらえますし、いろんな企業にツテがある場合もあるので、強い事業所はかなり心強いです。
一方で残念なことに、あまり利用者のためを思って事業をしているとは思えないようなところもあるらしいです。こういった事業所を引かないためにも、入所を決める前に一度見学することをお勧めします。また、障害者就業・生活支援センターというところに相談するのもいいかもしれません。これはたぶん厚生労働省がやってるもので、全国各地に設置されており、障害者支援に関する情報が集まっているらしいです。ここで優良就労移行支援事業所がないか相談してみるのも手です。僕は障害者就業生活支援センター→就労移行支援事業所→障害者雇用という流れで今の職場に辿り着きました。
僕は障害年金を受給させていただけたり、周囲の人間関係に恵まれたり、そういったいろいろな支援と幸運が重なったお陰で何とか生活できています。しかし、様々な理由により支援の手から零れ落ちてしまった人たちもいると思います。何らかのしんどい境遇に陥ってしまった人たちへの参考になったらいいなあと思い、増田を書かせていただきました。あるいは今は健常者である人も、ふとしたきっかけで障害者になってしまうこともあるかもしれません。その時はまだ社会には頼れるものがあるんだということを思い出していただいて、何とか生き延びていってくださればと思います。最後まで読んでくださってありがとうございました。
増田がめいろまの優生思想を肯定しているわけではないのはわかるが、
日本の選手が強くなったり、最近の子達が美形でダンスや勉強もうまいというの、あれ日本で80年代以後は見合いが激減したのが原因かもな。能力がない、金がない、不細工は結婚できなくなって、優秀な人間だけが自然選別で結婚して子供を産むようになった。多分これ結構あたってると思うんだよ
ある快挙を無理やり優生学的な原因で説明しようとするのはモロに優生思想でしょ。例えば日本のスポーツ選手が強くなり、オリンピックで優れた成績を残せるようになったのにお見合いの激減など効いているはずもない。はてな民からしたらめいろまなんか真に受けるなよといいそうだが、最近こういうなんでもお手軽に優生学的な理由を求めようとする人間が増えている気がするので真面目に反論しておく。
これはズバリ森喜朗のおかげ…もといtotoのおかげである。森喜朗もJリーグも好きではないが、今日の国際大会での日本勢の活躍の一因は間違いなくこのスポーツ予算にある。
https://www.asahi.com/articles/DA3S14462004.html
totoの売上からは"毎年"200億くらいの予算がスポーツ振興に安定的に投下されるようになっている。メジャースポーツからしたら大した額に見えないかもしれないが、これにより従来個人の趣味の域を出ずスポンサーもつかなかったマイナースポーツへも強化予算が割り振られるようになった。パリオリンピックでの躍進目覚ましいフェンシングの分析をしたものが以下のツイートである。
Sato Josuke (Jose Sato)
@soccer_kozou013
いつの頃からかは不明なのですが、味の素トレーニングセンターに作られた広い練習場で定期的に候補選手の強化合宿が開かれていたり、学生の選手で将来有望だとみなされた選手のトレセンが頻繁に行われています。太田雄貴さんの活躍によりそれにさらに拍車がかかった印象です。
一昔前なら、フェンシングのようなマイナースポーツ(失敬)の国立トレーニングセンターなど想像もできなかっただろう。ちなみにスケボーも2017年からJOCに加盟しているのでそれなりの予算が出されていると思う(たぶん)。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/images/3980a.gif
こんな感じになっており、言うまでもなく90年代からの増加は女性選手のおかげであることは明らか。日本の男女平等は完全には程遠いが、宗教や経済的理由により女性がまともにスポーツをできない国はまだまだ多く、それらの国々に比べればまだマシであるおかげと言える。
80年代からお見合いが減ったといえ、今のスポーツ選手はその世代の子供にあたり、たかだか1世代しか経過していない。そのような少ない世代での効果などたかがしれている。さらにお見合いがなくなった80年代の価値観で言えば、男性の魅力は経済力という時代なのでスポーツ能力とは全く関係がない。スポーツができてモテるのはせいぜい中学生までくらいのものだろう。
品種改良をしようとするのなら優れた形質を持つもの同士を交配し、さらにその子孫もその形質で選抜しつつ交配を繰り返さなければならない。たかだか1世代経済力で選抜したところでスポーツ能力など上がりようもないのだ。(「最近の東大生は選抜されているから美男美女が増えた」というのも同レベルの寝言だろう)
人の意見に毀誉褒貶があるのは当然なので、反論したいわけではないですが、誤解は解いておきたいので追記します。
これはその通りで私の言葉足らずでした。ああいうのは優生思想そのものではなく、優生信仰とか優生信者とか優生陰謀論とかそういうのが正しいですね。
これもそのとおりです。増田は別に遺伝要素や環境が引き継がれる要素まで否定するつもりはないです。優生学にも科学的な要素はあると思っています。ただそんなにね、1,2世代ゆるふわな身体能力と関連性の薄いセレクションしたくらいで身体能力上がるわけ無いだろ!安直に優生思想で説明するな!遺伝学なめるな!と言いたかっただけです。
理論的には、特定集団を隔離して交配と選択を繰り返せば一定の形質をもった新たな品種を生み出せる、というのは育種学的に見れば当然の話だし、あるいは大集団でゆるい選択を長いあいだ続けることによって平均値を緩やかに変えていく、みたいな可能性はあり得ます。例えば木村資生博士はこの後者の可能性を提案しています。
という問題があって、具体的には2番めの点については木村先生はほぼ自明に賢いものを優遇しようと提案されていますが、目下の少子化で消滅がほぼ確定しつつある日本を見ると賢い人間よりマイルドヤンキーみたいな方が優れた形質なのでは無いかという気もします。家畜の場合「肉が多い方が良い」「産卵個数が多い」など具体的に目標を決めることができますが、人間の場合望ましい形質というのはそんなに簡単には決められないでしょう。(ただ木村先生の活躍された時代は少子化ではなく人口爆発が懸念されていた時代である、ということは背景にあります)
3点目もこれに関連していて、例えば「外見が優れている」価値観の中身などはすぐに変わり得るということです。平安美人は今の美人とかけ離れている…などと持ち出さなくても、イケメンの定義でも昭和と令和では全然違うという現実があります。石原裕次郎や高倉健は今の時代では顔の濃いおっさんフェイスだし、今風の顎が細く中性的なK-POPアイドル的容貌は昭和の時代では気持ち悪いカマホモ野郎扱いでしょう。高々30年(=1.5世代)程度あれば人の価値観はあっさり変わってしまうものなのです。
結局の所「優生学」にも科学的な部分はあるがその部分は「育種学」と呼ばれるものであり、このあたりの関係は「脳科学」と「脳神経学」みたいなものではないかと思っています。
簡潔に言うと: キィニチを強く使いたいなら引くべき。
冗長に言うと: まず、近々登場するエミリエは公開情報から分かるとおり、燃焼状態の敵に対して顕著なダメージを出せる草元素の設置型サブアタッカーである。燃焼反応をテーマにしたキャラは初なので、実装時点ではエミリエと明白なテーマ性合致を持つ既存キャラはいない。一般論として、このゲームは、庶民的な金銭感覚からかけ離れた課金をして――つまり凸やモチーフ武器によって強引に強くする方法以外だと、ビルドとチーム編成をしっかり噛み合わせることをしないと、例え新キャラであっても性能面でキャラを採用する意義を見いだしにくく、活躍させづらい。こうなるのは、性能の縦方向のインフレを抑えて、組み合わせによって戦術を横方向に拡張していく作風だからだ。いい事ではあるが、ガチャゲーとしてユーザーの「引きたい」という欲を手放しで後押しできなくなる副作用がある。そのため、キャラの取得や育成計画を立てるにあたって、現状で強編成が思い浮かびにくいキャラの場合、将来実装されるであろうキャラたちの性能を見据える必要があるのだが、公式による先出し情報はあまりにも乏しい。これがリークが盛り上がる理由である。こうしたやむを得ない理由により、リーク情報を扱う。以下、そうした情報を嫌う人のために文字を保護色にするので、読む場合はテキスト選択状態にして色反転されたし。
エミリエは燃焼自体のダメージを上げるような性能ではなく、燃焼状態の敵に対して最大36%の自己バフと設置物強化を利用して周期的な高DPSを発揮できる攻撃%スケールのサブアタッカー(オフフィールドDPS)である。元素スキルによる設置物は次のように強化される。近くの敵が燃焼状態でありつづける理想状態なら1.5秒間隔で約150%x2の単体追尾ダメージ、また別に固有天賦による4秒間隔の約600%中範囲追尾ダメージを放つようになる。この状態に育つまで前者に4秒、後者に8秒の準備期間がある。継続22秒のCT14秒。スナップショット非対応。元素爆発は50族のCT13.5秒で、設置しなおした上で約3秒の間に9hitのバウンド攻撃を行う。敵数によりダメージ出力が変わりそうだが、爆発もいい火力になる。凸効果は1凸と2凸が強力で、無凸からDPSが+40%→+30%くらい伸びていく。1凸はスキルの立ち上がりの遅さが改善され、固有天賦の600%追撃も1.6倍速で出るようになる。2凸で草耐性-30%デバフ、4凸で爆発が16hit化、6凸で通常or重撃を振るメインアタッカー化する。付着頻度はスキルが3秒おき、固有天賦600%が毎回、爆発が3hit/2.5秒。
同じく草サブアタッカーであるナヒーダと比べると、燃焼下の無凸エミリエは付着性能に劣り、反応を含めない純粋な草ダメージでは勝る可能性があるものの、非燃焼時は付着も火力も著しく劣る。またナヒーダが持つ熟知等のサポ性能も無凸エミリエは持たない。なので燃焼溶解のパーツとして見るとナヒーダ所持者にとっては優位性が低いものの、一応リオセスリや甘雨をメインとした燃焼溶解チームにナヒーダの代替として組み込むことは可能。ナヒーダと比べて多wave戦闘に強くはなる。だが最も輝くのは燃焼を絡めた新機軸のチームへの採用時だろう。新機軸を言語化するなら、燃焼状態の維持を前提とするためにそれを妨げるほど高頻度で水・雷・氷を付着しかねないキャラを排除したチームで、かつ炎メインアタッカーまたは草メインアタッカーとペアで運用し、かつそのメインアタッカーは炎なら蒸発溶解、草なら激化といった火力系の元素反応に依存しない(=付着弱めで熟知不要)、単純なゴリラ火力で殴っていくタイプの炎or草アタッカーである必要がある。実装時点でもっともはまり役となるチームは、アルレッキーノ/エミリエ/ベネット/鍾離or万葉、という編成になるだろう。
最適聖遺物は遂げられなかった想い4セットだが、その場合香菱・ベネット・ディシア・トーマ・鍾離などの炎付着・耐久要員の誰かに深林4をつけたい。エミリエ自身に深林4をつけても遂げ4の96-98%程度の個人DPSは出るので、利便性を重視するならば深林4でもいいかもしれない。とはいえチームDPSで見ると深林4は妥協になる。推奨メインステータスは攻撃%,草ダメ,会心系。前述のような新機軸チームで使うのであれば元素熟知は不要。元素チャージについては、50族で軽めではあるものの裏にいる時間が長いため、草1編成であれば160程度ほしい。後述のように草メインアタッカーと組む場合は130ほどで良くなる。劇団4はそこまで合致せず、2セット複合と程度になる。固有天賦による4秒毎の600%ダメージは元素スキル扱いではなく、そこそこダメージを出す爆発にも乗らないため、劇団4の性能をフルには発揮できない(5割ほど)。武器は星4ならば死闘の槍が良い。
ここが本題。5.0で追加されるキィニチが燃焼・烈開花シナジーのあるメインアタッカーになる。深林4の効果を2キャラで活用できる上、炎メインアタッカーの場合と違って翠緑4を挟みたくなる悩みも消える。キィニチを前提とすると、キィニチ/エミリエ/香菱/ディシアとなる。このチームの香菱は火力ではなく安定的な広域炎付着と深林4散布に期待するポジション。キィニチは5.0新遺物がどちらも使えて相当強力だが、勇者絵巻が自身のみならずエミリエ香菱にも50%ダメバフを配れるので有力。エミリエは遂げ4、ディシアは千岩4。キィニチはスキルの強化状態中に通常を振るのでディシア枠はトーマの方が良い可能性がある。炎を頻繁に消費する水雷氷キャラがいなければ燃焼自体は炎1人(香菱やトーマ)でも維持できるので、炎共鳴を捨ててラスト1枠に鍾離やシグウィンを入れられる可能性がある。シグウィンバフの対象となるのはエミリエの1.5秒毎2hitとグゥオパァーだが、1凸シグウィンは18秒毎に18hit分バフ提供できるのでエミリエだけでも理論上は使い切れる。香菱は西風持ってグゥオパァー封印もありかもしれない。ただしシグウィン採用の場合キィニチの中断耐性に不安が残る。なおキィニチはスキルでタゲった敵を中心に動き回るのでベネットとは相性が悪そう。
キィニチ/エミリエの炎枠はナタキャラで更新される可能性が極めて高い。炎神が有力候補だろう。勇者絵巻4はどちらかというとサポキャラ向けで、実質1チームに1人のみ制限があるが、これをナタ炎キャラに移して、キィニチはメインアタッカー向けの黒曜の秘典4にし、最後の1人が深林4を持つ、という形が終着点になりそうだ。
メーカーとか商社に勤めてる人は知ってると思うけど、今凄まじい勢いで海上コンテナの運賃が上がっていて、アジア域内でもわずか1ヶ月前から比べて4倍とか。北米向けは1本1万ドルが目前。
理由はコロナの時と同じで中国荷主が船会社を札束でぶん殴ってるから。具体的には某アパレルECとかが買い漁ってるらしい。船会社としてはコンテナ1本100ドルだろうが1万ドルだろうがやることは一緒なので当然多く金払ってくれる方にコンテナを回したい。
いついかなる時でも絶対にコスト交渉を欠かさない我が国はこういう事態に陥ると買い負けするわけです。船会社によっては1ヶ月先まで日本出しスペースありませ〜んなんてのもザラにある。
当然我ら日本企業にも言い分はあって、口を揃えて「昔から長年安定的に取引しているのになんたることだ!」と主張はしてみるんだけど、日本は業者に対して永遠に値下げ圧力をかけ続けて、業者に雀の涙ほどのマージンで「お仕事ください」と懇願させるのが「安定的な取引」になっちゃってるのでダメです。
コロナの巣篭もり需要の頃は家具業界良かったが今は苦戦している
特にhfaをやっていないところは酷い
オイルショックの頃と同じ位1970年代の様な50年に1回位の出来事。
我が社の家具事業が赤字になる事は初めてだが、他の事業が黒字なのでお金は減っていない状況。
世の中にはショット型とストック型のビジネス (サブスク型~携帯、Amazonプライムなど月次課金型)がある。
我が社のグループには、ストック型のビジネスを実施している会社があるが、家具事業も、住まいの分野で上手にストック型ビジネスを提供することが会社を強くする事になることにより、ショット型のビジネスがうまく行かないときに赤字にならない様に安定的な利益を得ることができる。(ウオーターサーバー、電力供給、サ高住)
次に50年に1回の不況が来ても、3年以内にやる事をガラッと変えていきましょう。
地方在住なのだが、今年の春ころから近くの地方市にAmazonの配送支援拠点(小規模なもの)が出来たらしく、Amazonの配送が基本Amazon直配になった。
これによって、近隣の倉庫から出荷の商品の場合、深夜3時ぐらいまでは当日着出荷の表示が発生するようになった。
が。
今履歴などを見てみたけど、23件ぐらい購入しているが、当日届いたものが3件ぐらいしかない。
後は結局翌日になっているし、なんなら翌々日以降の配達になっているものもあった。
配送状況を確認すると、確かに当日持出にはなるのだが、結局配達されないのである。そして持ち出されてから配達担当者の車で眠りにつくのか、忘れられるのか、さらに翌々日などに配達されるケースも続出した。
いいんだよ。多少配達に問題があっても(※)別に早くなくてもいいのだ。翌日配送だって十分に早いから。でもね、ただそうやって予定されるとこちらも予定通りに来るもんだと思ってるから、困ることもあった。
いい加減苦情いれないとかな、どうしたもんかなと思っていたのだが、6月に入ってからだろうか、再び配送がヤマト運輸に戻った。そして、安定的に配達されるようになった。
ありがたい事である。やっぱり体勢的に無理があるという事になったのだろうか。他でも似た事例が続発して苦情が来たのだろうか。
ただ、不思議なことに、深夜3時ぐらいまで当日配送表示になっているのは変わらずである。
これで注文するとヤマト運輸が持って来るけれどもちゃんと到着するようになった。
これが出来るなら、Amazon配送ってやっぱり消費者にメリット無いんじゃないか?
そう思いながら、シャーペンの芯とか配送料入れると絶対赤字になるものだけをAmazonで購入し、それ以外は基本ヨドバシで買うという生活を続けている。
当たり前だけど、虚偽予約などは輸送約款で禁止されている。それが確認されたら乗車拒否できる対象になっているから、制度上は許されてはいない。
しかし、客を減らしてまでそれ以上の対策をするメリットは少ないと判断されているわけだな。
解説しよう。
「相席ブロックやめて」高速バス隣り合う2席を予約して、出発直前に1席キャンセル コロナ禍後、高速バスの需要が高まり問題顕在化か
沿岸バス、“相席ブロック”行為に「絶対におやめください」と警告。「キャンセル料200%でよくない?」
鉄道の特急予約などは何気なく使っているが非常に良く出来ていて、スケジュールが流動的な場合でも利用しやすい。
なので、旅慣れたリーマンがよくやるのは、「何があってもこの時間より遅くは並んだろ」という便(場合によっては終電)を先に予約しておいて、早く終わったらさくさくっとスマホで便を変更すると言った使い方である。
これに対して、多くの高速バスは以下の様な困難さがある。
多少不便でも安いし直行便で乗り換えいらないし、ってことで利用されている高速バスだが、その「多少不便」が「かなり不便」になってしまうと競争力を失って客が減るのだ。
高速バス、特に路線バスとして昔から運営されているところを中心に、今でも電話予約システムが残っているところがかなりある。
鉄道は多く存在する鉄道駅で面的に予約受付をやっているので、例えば東京で青森の特急を予約することも出来る。しかしバスはそのような営業網はないので、電話予約が今でも有効だ。
しかしこの場合本人認証をする仕組みがないので、自由にキャンセル出来る予約ができてしまう。
もちろん、ネット予約システムを入れているところでは対策がされている場合がある。例えば決済期限を決めてあってその期限までに入金しないと自動キャンセルになる、と言った仕組みだ。
しかし、電話で予約する場合はその規約が適用されない場合が普通なのだ。それもあるので今でも電話予約を愛用する人が多くいて、そしてその人は意識的に電話予約を活用している年配のヘビーユーザでもあったりするのでなかなか無くすのが難しい様なのだった。
彼らは、乗車するときに社内で支払うか、大きなバス停に付属している発券所で直前に発券して乗車するというスタイルである。そしてその際に「ごめんね、ひとりキャンセルで」も出来てしまうことも。。。まぁ確実にマークされるけど。
直前に高額なキャンセル料を設定すると、安定的な顧客になりうる、仕事で利用する人を中心に使われにくくなってしまう。
業務都合ならキャンセル料会社が払うのでいいのでは?と思える人はたぶん幸せな人で、多くの場合キャンセル料は無駄な金として扱われて、支出してもらえたとしても経理や上司のお小言を頂戴することになる。
さらに、ワイの元々HEY!社などがそうなのだが、出張費は定額で設定されているので、キャンセル料もその中で賄え一切出んぞと言うケースも結構ある。
また、公務員の場合は確実に別稟議を上げて出資の許可を得ることになるのだが、監査で引っかかる事があるので上司は嫌がる。かなり嫌がるので自腹で払う事になるケースが多い。その状況で自腹ではらうにはちと辛く、暗黙的に自腹で払えビームを照射するには辛い金額までキャンセル料が高くなると、手続きを行っての請求が増える。
すると、実際の金の多寡よりも監査対応などに気を遣う公務員は庁内のルールで高速バスを禁止しかねない。
そんなこんなで、高額のキャンセル料を設定すると、多少高かろうが多少乗り換えが多かろうが最初から鉄道を選んだ方がいいやという事になって、バスの客が減る。
レアケースだと思うのでコストをかけて対策するのはあんま意味ないし、ほっとけばいいよ。
が本質だと思われる。特定個人の嫌がらせや犯罪なら警察に告発すればいいし、システムで対応したところで別の嫌がらせしてくるだろうし。
ただ、それだけではなんなので、すでにやられているものを含めて考えると
ちなみに対策は既に多く行われていて、オンライン予約だと座席指定ができるのは20年ぐらい前から行われてきた。
始発バス停の出発時間30分前とかまでなら柔軟に変更できるのはかなりできる所が増えている。さらに改札システムをタブレット端末などにする、予約変更があったら電話で乗務員に伝える、などの運用で予約変更時感をそのバス停に到着する10分前とかまで短縮できるところも増えている。
さらにできるだけ隣が同性になるように自動的に配慮される仕組みや、専用席もあるので、みんなも怖がらずに高速バスを活用してほしい。
多少時間は延びるけどちょっとだけ安いし、長距離便は途中の休憩も楽しいし、何より必ず座れて乗り換え無しと言うのは結構快適ですよ。
ゲノム編集に対して否定的な意見としては「人間という生物の多様性が失われる」とか「優性学思想をまねく」とかがよく語られている。
実際これはちゃんとした学者とかも言っていることで、マクロの視点で見たらおそらく『正しい』んだと俺だって思うよ。
たださあ、発達障害傾向があると診断されて、そういう自分の特性が災いして人生でたびたび辛い目・苦しい目にあってきた身からすると、俺達は、そして未来の子供達は、多様性とやらのために現世では99%不利な特性を抱え苦しみながら生きていかないといけないの? って暗澹たる気分になってくるのよ。
ってあったけど、こんなのもうド直球の全体主義じゃん。
社会のイノベーションのために個人に苦しみを負わせ続けろって言ってんだぜ?
まあ、現実的には技術的リスクとかもあるので、自分の子供の遺伝子編集しますか? とか言われても軽々には頷けないし、(もうリアルな遺伝子編集の域を越えている気はするけど)もし仮に今からでも俺自身の遺伝子をガラッと書き換えて発達障害特性を消し去ることができますよと言われても、やっぱりそれを受ける度胸があるかと言えば否だけどさ。
でも、将来そうしたことが安定的に可能にするための研究なら、俺はマクロ視点での悪影響があっても肯定するよ。
こんな苦しみないならないに越したことはないもん。
日本も安定的な大電力が必要な産業や鉄道、行政などには発電所の電気使って、他は再エネとかで各家庭で賄えばいいんだけどね
良内容だけど、この文章を読んで意味が分かるのは、たぶん読む意味があんまりない人達(こういう事情をある程度は理解済みの人達)で、一番読む意味がある人達(未だに再エネは割高だとかインチキだとか欧州や中国が自国優位になるルールメイキングしてるだけだとか原発は安定的なベースロード電源として不可欠だとかうるさい左翼を黙らせて既存原発を再稼働すれば電力は安価に潤沢に使えるようになるとか思ってる人達)は、読んでも書かれてることの意味がわからないと思う。
結局世の中の人の8割ぐらいは、原発は勝つのか負けるのか、再エネは善なのか悪なのか、俺たちは誰に向かって何を怒ればいいのか、そういうレベルの単純明快な話しかわからんのよ。
考えをまとめるために書いているので長くなってしまった。
投資マネーが再エネに集まり、既存電源に行かない状況が続いている模様。
再生可能エネルギーは、施設の製造・建設・設置、さらに運営のノウハウが溜まってきて再エネが安定した投資先と見做されてきており、潤沢な資金供給が続いている。
例えば、利回りなども、再エネ設備の耐用年数を従来は20年などで計算していた。これは公的補助が20年だったと言う前提だが、次々と公的補助が終了した結果、耐用年数を30年以上で計算するところが増えていて、それらをミックスした投資商品が登場、安定した資金調達に繋がっているようだ。
一方で、相対的に既存電源に対する投資が減っている。欧州でもエネルギー安全保障の観点から、イギリス、フランスなどで原発の新規計画が出てる。
今時、国の金だけでやると言う計画をイギリスが建てるはずも無く、資金を募集しているのだが、全然投資が集まらなくてかなり苦戦している。
これとは別の話として、エネルギー安全保障の観点だと言っているのに、当初目論みの建設費で手を上げたのが中国企業(中国"系"ですらない、中国の国営企業)しかないと言う状況で、これだとまずいと言う事で、新規設置の原発が生み出す電力の買取保証価格をつり上げたところ、なんと再生可能エネルギーの2倍から3倍の価格になってしまって問題化している。
エネルギーの安定供給・安全保障の観点という点では色々な電源をミックスするのは当然で、そういう点では単価の高い電力が混ざっても仕方が無い。
が、その国のエネルギー価格は、その国の国際競争力に直結する。製造業はもちろんのこと、ITのデータセンターの立地、研究施設の立地など情報系にも影響してくる。
国策である程度電力価格をコントロールできるからと言って、上げれば今度は国際投資が逃げていくということで、苦しい状況が続いている。
欧州と言うより主にフランスでの問題なのだが、フランスは原子力発電所で発電した電力を他の国に売ると言うビジネスを行っていた。
ところが、再生可能エネルギーが市場を荒らすようになってしまったため、もくろみが崩れてしまって採算性が悪化している。
既存電源と再生可能エネルギーの違いは何かと言うと、限界費用が全く違う。再生可能エネルギーは、燃料費がないと言うところが大きくて、0円以上で売却できれば利益になる。というか、勝手に発電されるので止める意味が無い。
そのため、他の電源では燃料費が上回って赤字になるケースでも電力を市場に流す事ができる。そんなものと価格競争しても意味が無いので、例えば火力発電所は再エネの供給が大きくなったら発電を止めて、採算より高くなったら稼働すると言う事を行っている。
特にLNGのガスタービンは即応性が高いため、再生可能エネルギーに追従して運転をするのに適している様だ。
一方、そんな器用なことができない電源がある。
それが原発。
原発は燃料を燃やしているにもかかわらず、再生可能エネルギーと似たような性質を持っている。発電を始めたら勝手に発電されるので止められない、出力調整が難しい、燃料費に比べて設備費・初期投資の割合が大きいといったことだ。
そのため思いっきり市場を食い合っている。再エネがピークで安い時は下手するとマイナスの金額(つまり、売買に関わる諸経費を発電側が持つというようなもの)で売却される電力に対して経済面で追従を迫られる。
それでも、再エネが担う割合が低いころは、それ以外の時間帯で収益を出すことが可能だった。しかし、段々と再エネだけで賄える時間帯が増えてしまい採算性が悪化しているのである。
また、原子力発電所など大規模電源は30年以上の耐用年数を見込んで採算が取れるように投資商品にするのが一般的で、原発の場合は40年以上も当たり前だ。その間当然リスクを見込んでるんだけど、変化が急激すぎてそのリスク範囲を超えてしまっていている模様。
これは時限爆弾みたいなもので、実はちょっとヤバいと思われる。
電源関係の投資ってかなり安定的な投資と見做されてる影響で、年金など公共性の高い投資商品に基礎的なものとして組み込まれていることが多く、吹っ飛んだら電力関係だけじゃ済まないと思われる。
そしてここが不安定なので、従来型の大規模電源開発に投資が集まらない状況が続いている。
環境 テロリスト 団体はESG投資の結果だとか宣伝するし、それに呼応するように原発 村の盲信者 関係者が陰謀論じみたことを言ってるけど、実際には経済的なリスクが大きい一方で、利益が少ないことが要因だと思われる。
もはや後戻りができないぐらい進んでしまっている。この流れは止まらないだろう。
ただ、各種のデータを見ると本当にこれで電力の安定性大丈夫なの?と心配になるんだが、進んでいる源が経済という祟り神なので止めらんない。すると安定化する方法はそれに対応する電源開発なり大規模蓄電なり水素・アンモニア製造するなりしかないと思われる。
実は、原子力発電所も、負荷変動に柔軟に対応するようなものは設計可能らしく、そういったものが出てくる可能性はある。が、投資基準は再生可能エネルギーに対してになるので、それより優位なものが作れるかはわからない。
日本は電力の自由市場の中にはいないので、急激な変革に巻き込まれてはいない。
また電力価格の決定が統括原価方式なので、例えば発電所を30年使うと設定して投資した場合、原則的に建設費などの初動費は30年間固定されて電力価格に転嫁することが認められている。
ある意味、再生可能エネルギーの固定価格買取制度によく似ているが、そちらとの違いは、稼働していない発電所の維持費も電力価格に転嫁できる仕組みであるということ。
例えば原子力発電所で再稼働出来てない発電所は多くあるが、発電して無くてもそれらの費用は電力価格に乗ってきているし、原発が稼働してない分だけ維持している旧式の火力の維持費なども当然ここに乗っかってくる。
これによって電力価格の上昇を抑え、安定化すると言う効果があるのだが、ここ15年ぐらいの急激な環境変化に対応できなくなってきているのも否めない。
ただ、制度を続けていけば、急激な市場の変化は発生しないと思われる
と、国内だけを見てればいいのだが。
既に書いたが、その国のエネルギーコストは、その国の競争力に直結する。国際競争に晒されている今、エネルギーコストが高いと企業立地などを逃すことになるので投資が集まらなくなる。
直近の動きでは原発を再稼働させようという取り組みが継続して行われている。
原発は燃料費よりも建設費・維持費がかかる。それらは再稼働しなくても電力料金に乗っかってる一方で、それに加えて燃料費の割合の大きい旧式火力を回さなければならない。これが電力料金を上げる要因になっているのは確かだ。
だから短期的には原発を再稼働させるということはあっているのだけれど、長期的に見ると、ライバルになり得る欧州が再生可能エネルギーという安いエネルギー源を苦しみながらも獲得しつつあると言う事には追従出来ていない。
さらに、欧州は環境対応を大義名分に、自分たちの有利な点を伸ばすような、再エネを使った製品では無いと追加の関税を課して保護政策を実行してくるのも間違い無い。自由貿易どこいったって思うが仕方が無い。
環境問題への対応はもちろんしていく必要があるが、今一度、エネルギーコストをどうやって下げていくのかと言う基本に立ち戻って電源の選択を考える時に来ていると思う。
その点では、洋上風力発電を巡る汚職が痛かった。かなり安い入札が行われていたのに、なんだかんだと理由を付けて不可とした。
その結果、国内の商社と組んでいた海外の電源開発会社が投資を引き上げちゃったんだよな。
せめてそういうことは二度と無いようにしたい。