「生命」はマーブルケーキ?
岩崎さんは、こんなふうにも言う。
「僕はよく『生命というコンセプトは非常に複合的であり、洋の東西古今問わず、歴史的・思想的にずっと積み上げられてきたもので、すごく複雑だ』という言いかたをするんですけど、逆に生命という概念が、僕らが意味するような意味での生命を意味するようになったのは、やっぱり近代の文脈だと思うんですよね」
「だから『生命観』と言ったときの生命が意味するものも、時代と文化圏によって相当ちがっていたんじゃないでしょうか。たとえば昔の生命観を言うときに、宗教観や神みたいなものとかと別個に生命観を語っても、あんまり意味がないかもしれない」
これを聞いて、ちょっと思い立って調べてみたことがある。『精選版 日本国語大辞典』によると、「生命」という言葉が初めて文献上に見つかるのは、1002年ごろのことらしい。つまり平安時代だ。「命」だともう少し古くて、712年成立の『古事記』に見つかる。
英語の「life」はどうかというと、調べた範囲では1580年代だとするのが最も新しい。だが資料によっては12世紀以前だとしていたり、900年以前だとしていたりする。これは古英語の「lif」も対象にするかどうかで変わってくるようだ。
いずれにせよ「生命」や「lif(e)」という言葉が生まれたのは、約20万年とされるホモ・サピエンスの歴史においては、つい最近のことなのかもしれない。ならば、それ以前の「生命観」が、いったいどんなものだったかというと、さっぱり見当がつかないわけだ。とはいえ我々は言語上の「生命の起源」以前の何かさえ、脳や心のどこかに受け継いでいる可能性はある。
ここまでの話をふまえつつ、あえて「生命」を視覚化してみるとしたら、たとえば「5層のケーキ」なんかは、どうだろう(写真8)。
いちばん下の層は、たぶん自然科学が対象としている化合物の集合体としての生命だ。その上には、人類の誕生時から脳に少しずつ刻まれてきた、言語化されていない生命のイメージが重ねられる。3番目の層は、歴史的に変遷しつつも積み重ねられてきた生命観、4番目は、地域的な多様性や文化的な背景から語られる生命、そして最も上の層は、対象との距離や関係性において感じられる生命だ。
3層くらいまでは普通だが、5層となると、結構ゴージャスなケーキではないだろうか。我々は時と場合によって、その食べかたを変える。「人工細胞・人工生命之塚」を建てようとしていた岩崎さんは、上から下まで、ぐさっとフォークを通してすくい取り、全部の層を頬張ろうとしていたのかもしれない。
一方で、日常の我々は、たぶん一番上の層だけを、ぺろぺろ舐めている。法事や墓参りなどのときは、上から2層くらいを味わっている感じだろうか。
3番目や4番目だけをくり抜いて食べるのは難しそうだが、哲学者や民俗学者などで、死生観について論じる文系の研究者は、そういうことをしているかもしれない。そして科学者は、最も下の層だけを、ぺろんと剥がし取って食べようとしている。
大事なのは、どの部分をとって食べようが、そこに最下層が含まれていようがいまいが、それは「生命」だということだ。フォークに載っているのが一部だけだからといって、ケーキの名前が変わるわけではあるまい。人形や道具は、もちろん生物学が対象にできる部分を持っていない。しかし少なくとも、所有者との関係性に宿る命は、持ちうるのである。実際、幼児たちの多くは、ぬいぐるみを「生き物」と同じように扱う。
一方で、実際に層をなしているケーキを食べたことがあればわかると思うが、食べたい層だけを食べるというのは案外難しい。なぜなら層と層との境界は、必ずしもはっきりしていないからだ。たとえばスポンジケーキの層を、その上の生クリームの層から完全に分離するのは不可能に近い。逆も真なりで、どうしても一方の一部が他方に混じってしまう。
しかも生命というケーキの場合、実はちゃんと層をなしておらず、マーブルケーキ(写真9)のように全体が複雑に混じり合っている可能性が高い。こうなったら、もう食べかたを選んだりはできないのである。
たぶん科学者の中には「いや、それでは困る」という人が多いだろう。あくまでも主観を排して客観的に生命を記述しなければならないとすれば、化合物の集合体としての生命層だけを、何としてでもほじくりださなければならない。田川さんが「生命体」と「生命」とを分けようとしていたように――。
しかし岩崎さんによれば、それは不可能だし、すでに失敗しているという。これは結構、衝撃的なことだ。
具体的にどういうことなのか、次回は、それをテーマにした切り絵やバイオアートなどを紹介しながら見ていこう。
ここで、またアンケートをとらせていただきたい。たぶん、この連載で最後のアンケートになるだろう。質問は「慰霊に値する生き物とは何か?」だ。下記のリンクにアクセスの上、ポチッとしていただければ幸いである。
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★第15回に続く