もし細胞が一軒の家だったら(2)

生命1.0への道 第6回
約46億年前に誕生した地球は、今から約50億年後、赤色巨星化した太陽に飲みこまれるという。つまり我々の惑星は、生涯の半ばにある。一方、そこに誕生した「生命」は、現在40億歳くらいだと言われている。

しかし太陽の明るさが今より10~15%増大する約10億年後、地球の海は干上がり、水蒸気の温室効果で気温は1000℃以上になってしまう。おそらくそこで、この惑星は不毛の世界となる。つまり地球の生命は、晩年にさしかかっているのだ。人間の一生に換算すれば、だいたい80歳くらいと言えよう。

それ故か生命は、我々人類の頭脳をもって、しきりと来し方を振り返るようになった。自分はどこから生まれ、どこへ消えていくのか?

絵・米田​絵理
その探求自体が近年、急速に進化しつつあり、場合によっては自ら生命を創造しかねない勢いだ――そう気づいた筆者も人生半ばをとうに過ぎた。置き去りとならないうちに、どこまでわかったのか、わかりつつあるのかを追いかけてみたい。

「細胞建築学」の胎動

前回に続いて生命(細胞)と家との間に、構造や進化などの面で、単なる譬え話以上の共通点があるかどうかを探ってみたい。今回は専門家の協力を仰ぐことにする。

国立遺伝学研究所は静岡県三島市にあって、僕が訪ねた日には雲間から頭を出した富士山が間近にそびえていた。この研究所で「細胞建築学」という聞きなれない看板を掲げているのは、木村暁(きむら・あかつき)さんである。

木村さんの研究室に入ると、人間工学の粋を集めましたというような高級チェアの脇に、大きなバランスボールが転がっていた(写真1)。この椅子とボール、そして隣の部屋との境界に置かれた衝立とが黄緑色に統一されていて、居間にいるような落ち着いた雰囲気をつくっている。そして木村さんも物静かというか、若くして国立研究機関の教授に抜擢された才人とは思えないほど控えめな方だった。

写真1 木村暁さんの研究室(左)と木村さん

聞いてみると20歳くらいまでは、あまり生物学に関心がなかったという。「高校時代はカエルの解剖とか、ゾウリムシの名前を覚えたりするのが嫌だなと」感じていたらしい。

一方で何かをつくるのは好きで、機械やロボットなどには興味があった。また科学雑誌に載っていた未来都市のイラストを眺めて、実際に「店や工場、住居や道路をどう配置すれば効率がよく住みよい街になるのか、自分で設計してみたいと思って」いたという。

とりあえず大学は理工系に入ったが、専門課程に移るまでの2年間は何をするか迷っていた。しかし都市の成り立ちを生物学的な観点から説いた本や、生命現象を分子レベルから理解しようとする分子生物学に出会って、だんだん生物学に興味を持ち始めた。

工学的なことへの関心は今でもあって、細胞に関しても「つくりながら仕組みを知る」研究が面白いという。ここで言う「つくりながら」というのは細胞の遺伝子に改変を加えて挙動を見たり、コンピュータでそれをシミュレーションしたり、ということだろうか。

いずれにしても木村さんは、細胞に対して都市工学的あるいは建築学的な見地からアプローチしている。広い意味で分子生物学であり、その中の細胞生物学に含まれる分野だが、あえて「細胞建築学」を標榜しているのは、どうしてだろうか。

従来の細胞生物学では「細胞がどういう材料(タンパク質や脂質、核酸など)からできあがっているか」に注目し、その材料の性質を知ることに重点を置いてきた。いわば「細胞材料学」で、ともすると材料さえ揃えば勝手に細胞ができあがるように考えてきた。

「タンパク質の鍵と鍵穴が組み合わさって、その連続でできていくように何となく信じられている」と木村さんは言う。「しかし、それだけではなく全体を通じた、もやっとした、細胞をつくる原動力のようなものを知りたい」。

タンパク質は表面に多数の凸凹があって、この形にぴったり一致するような凸凹をもつ別のタンパク質と強く結合するようになっている。つまり「鍵と鍵穴」で、この結合が次々に起きれば「勝手に」細胞のような構造ができあがるという考えもあるらしい。

つまりいろいろな形をしたレゴブロックを適当に混ぜておけば、うまく組み合わさりそうなブロックが勝手に積み上がって、1軒の家ができるという感じだろうか。この「自己組織化(注1)」によって細胞が形成されるのはまちがいないと、木村さんも考えている。しかし何かが足りない。

注1)この場合、厳密には自己組織化という現象の一種である「自己集合」と呼んだほうがいい。外部と物質やエネルギーのやりとりがない静的な場所(平衡系)で、分子がひとりでに秩序のある構造をとっていく現象である。しかし現実の生物は、もちろん外部と物質やエネルギーをやりとりする動的な存在(非平衡開放系)である。

レゴブロックは、やっぱり誰かが組み上げないと家にはならないだろう。では細胞の場合、組み上げるのは誰なのか。神様でなければ、ゲノム? もちろん、それも関わっている。ゲノムは「生命の設計図」とも呼ばれるが、どちらかというとコンピュータのプログラムに近い。

どんな材料を、いつ、どこで、どのくらいの量つくればいいかという「指令」が書かれている。しかし、それらの材料をどう組み合わせればいいかは(直接には)書かれていない。結局、大工さん的な存在が欲しくなってくる。それがいないのであれば、何らかの力や法則が介在していると考えるしかない。

レゴブロックでも、たとえば机の上にただばらまいておくのではなく、一定の大きさの箱に放りこんでおいたらどうだろう。その箱を、がさがさと前後左右に揺すっていれば、少なくとも部分的にはブロックの向きが揃ったり、凸凹が組み合わさったりして、何らかの「形」くらいはできそうだ。

譬え話(注2)として適当なのかわからないが、細胞の形成過程にも、この箱のような「制約条件」や「揺さぶり」みたいなものが働いているかもしれない。そういう隠れた法則や秩序、原動力のようなものを、木村さんは見つけたいと考えている。いわば「細胞自己組織化学」だ。

注2)第5回で話した「ミクロの岩陰」における生命0.1の誕生にも、同じ譬え話が使える。鉱物の表面に分子がくっつく、集まるというのは、水中を漂っている状態から箱の中に放りこまれるようなものだ。鉱物の結晶構造が、分子の向きを揃えるという見方もある。そこにエネルギーが供給され、揺さぶられれば、重合などの反応が起きやすくなるとイメージできる。

そして細胞といえども立体的な構造物であるからには、そこにさまざまな力学が働いていなければならない。実際の家だったら、それ自体の重さや家具などの重さ、また地震や台風などの影響を考えて、倒壊しないように構造計算をして建てなければならない。

細胞の場合も同様、さまざまな負荷に対してどのように変形し、それに耐えて一定の大きさと形を維持するには、どのような構造で、どの程度の強度を備えていればいいのか、そういった条件を知る必要がある。いわば「細胞力学」だ。

以上の「細胞材料学」「細胞自己組織化学」「細胞力学」の三本柱が揃って「細胞建築学」だと木村さんは考えている。とくに、これまでの細胞生物学では軽視されてきた「細胞自己組織化学」と「細胞力学」の視点を、積極に取り入れていきたいという。

たとえば細胞の核は、どんな顕微鏡写真や模式図などを見ても、だいたい細胞の真ん中に陣取っている。

「核なんだから当たり前でしょう」と思うかもしれないが、あらためて「じゃあ、どうして真ん中にあるんですか」と聞かれたら答えられるだろうか。あるいは「核には目がないのに、どうやって真ん中がわかるんですか」という問いでは? 箱の中に核やミトコンドリア、リボソーム、小胞体、ゴルジ体などを入れて、がしゃがしゃ揺すってみても、核が真ん中に来るとはかぎらない。何かほかに仕掛けがありそうだ。

実は細胞の中で、核はぷかぷかと浮かんでいるわけではない。通常は細胞内に張りめぐらされた「細胞骨格」と呼ばれる網目状の繊維によって、積極的につなぎとめられている。しかし動物の「受精卵」という「細胞」の場合、卵の外から入ってきた精子由来の核(雄性前核)は、細胞の端っこから中心まで移動して卵子の核(雌性前核)と合体しなければ、両者の遺伝子をもつ子供の核ができない。

この雄性前核が、どうやって移動するかがわかれば、そもそも細胞核が真ん中にいる理由もわかりそうだ。ウニや線虫の受精卵を使って、木村さんらはその解明を試みている(写真2と写真3)。


写真2 遺伝子に改変を加えた線虫の受精卵で、雄性前核が移動する様子を観察しているところ。左の顕微鏡で見ている画像が、右のモニターに映っている
写真3 線虫の雄性前核の移動

左列:雄性前核の移動のコンピュータ・シミュレーション。青い楕円球が受精卵、赤い球が雄性前核、黄色の棒が微小管
中列:実際の雄性前核の移動を顕微鏡で撮影した画像。最上段の画像のMが雄性前核、Fが雌性前核を示している
右列:顕微鏡撮影した画像中の核を、画像処理を使って検出した画像。受精卵の内部で核の領域が抽出されている(灰色の領域)
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20050503/zu1.html

すでに、いくつかの仮説はあった。代表的なのは「押しモデル」と「引きモデル」の2つだ(図1)。

前者の「押しモデル」は、雄性前核のまわりから放射状に伸びていく微小管(細胞骨格の一種)が、細胞膜の内側を押すことで中心方向へ移動するという仮説である。微小管はタンパク質がつながってできた細い管のようなもので、直径は髪の毛の2000分の1くらいしかない。細胞膜に近くて短いうちはいいが、中心に近づいていくにつれて長く伸びると、たわんで膜を押す力は弱くなってくる。

一方で反対側の壁に達した微小管からも、弱いながら押し返す力が働くようになる。結局、両者の力が釣り合ったところで、核の移動は止まらざるをえない。そこが中心というわけである。


図1「押しモデル」と「引きモデル」
左:押しモデル
微小管(―)が細胞膜の内側を「押す力(←)」により、核が細胞の中央へ移動する
右:引きモデル
微小管(―)の長さに比例した力で、モータータンパク質が核を「引く力(←)」により、核が細胞の中央へ移動する

後者の「引きモデル」は、細胞質中にある「モータータンパク質」が雄性前核を中心まで引っ張ってくるという仮説だ。

モータータンパク質は名前の通り運動を生みだす物質で、細胞が動きまわったりするのにも使われるが、細胞内でさまざまな物質の輸送も行っている。細胞質中にほぼ均等な濃度で存在しており、「引きモデル」の場合は微小管に沿ってウインチのように核を引っ張ると考えられている。均等な濃度なのだから、核が細胞膜の近くにいるうちは中心側のモータータンパク質のほうが多い。だから核は真ん中に引き寄せられていく。

しかし、いったん中心まで来れば前後左右上下、どこのモータータンパク質も同じ量なので引っ張る力が釣り合い、そこでとどまるというわけだ。

以上の「押し」「引き」どちらのモデルであっても、目のついていない核が細胞の真ん中に移動できることを説明できそうだ。では、どちらが正しいのか。木村さんらはコンピュータの中に仮想的な細胞をつくり、「押し」と「引き」では、それぞれどのように核が移動するかを「力学的」な計算でシミュレーションした。その結果「引きモデル」のほうが、実際の細胞での観察結果に近いことがわかった。

また、薬などでウインチ役のモータータンパク質ができないようにすると核の移動が起きないことや、レーザー光線で微小管を何本か切断すると核は切れていない微小管の方へ動くことなどから、おそらく「引きモデル」のほうが正しいのだろうと結論づけている。

核に限らず、どの細胞小器官もあるべき場所は決まっているという。つまり細胞にはちゃんと「インテリアデザイン」があるのだ。やはり細胞骨格やモータータンパク質が、家具を並べるように各小器官を配置しているらしい。ただし、どうしてその場所かという理由は、必ずしも明確ではない。少なくとも核に関しては、真ん中にないと細胞が分裂するときにゲノムを均等に分けられなくなってしまうことが理由の一つとされている(動画1と動画2)。

動画1 細胞分裂のコンピュータ・シミュレーション

動画2 実際に撮影された細胞分裂の様子

ほかにも「当たり前でしょう」と思っていることで、実際にはよくわかっていないことがいくつもある。

細胞小器官や細胞自体の大きさ、形にしても、どうやって決まっているのかは謎だ。大きな細胞の中には大きな核が、小さな細胞には小さな核がある。どちらにも目はないのに、ちょうどいいサイズに調節されている仕組みはまだ見つかっていない。また小さな細胞から大きな細胞ができたり、逆に大きな細胞から小さな細胞ができたりすることは基本的になく、いつも同じ大きさに分裂するメカニズムもわからないという。

木村さんは、そういったことが必ずしも遺伝子や特定の分子による複雑で厳密な制御ではなく、ここに隙間があったから埋めたとか、こっちから押されたからあっちへ動いたとか、場当たり的で単純なことだけでも細胞の秩序が生まれるのではないかと考え、そのような観点を大事にしながら研究を進めている。

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