もし細胞が一軒の家だったら(2)

生命1.0への道 第6回

細胞建築学から見た生命の起源

木村さんも、ある意味、生命の誕生を研究している。しかし、それは既存の細胞から別の細胞が生まれる過程で、何もないところから最初の生命が生まれる過程ではない。つまり進化学というよりは発生学だ。

とはいえ両者がまったく無縁というわけではないだろう。木村さんも「細胞分裂で新たな細胞ができる過程の細部まで知ることができれば、生命の誕生や進化についてもわかるのではないかと信じています。まだ何か非常に大切なことを、人類はつかんでいない気がする」と言っている。そこで専門外とは知りつつ、生命の起源(研究)についてどう思うかも聞いてみた。

「これまでの生命起源や進化の研究は、やっぱり材料がどうやってできてきたかという話が中心ではなかったかと感じています。しかし本当にダーウィン的な試行錯誤だけで、生命が生まれ進化してきたのかは疑問です。」

「ハチの巣の形にしても、実際に五角形や七角形が試されて六角形に行き着いたわけではなく、空間的・力学的な制約の中で自ずと決まっていった。何でも遺伝情報や進化で決まっていかなくてもいいと思います。もっと力学や自己組織化学的な観点を入れてもいいのではないでしょうか」

まずは、そういう答えが返ってきた。また「複雑なメカニズムばかりを考えなくてもいい。単純な規則(の連続)から構造や動きが現れてくるというのは、発生学にも進化学にも適用できる視点だと思います」とも言っている。

確かに生命の起源に対する考えで現在、最も人気のある「RNAワールド説」(第3回を参照)は、たぶんダーウィニズムにのっとった「材料学」の典型と言えるだろう(写真7)。

ここには極端な話、サルにタイプライターを叩かせ続けて、あるとき、たまたまシェイクスピアの戯曲が書き上がるのを待つような面がある。それでも気の遠くなるような時間があれば可能だと、『利己的な遺伝子』で有名な進化生物学者、リチャード・ドーキンスなどは言う(注3)。否定はできない。


写真7 国立遺伝学研究所に展示されている『種の起源』の初版本(1859年)。以前は普通に貸し出されており、「分子進化の中立説」で有名な木村資生(きむら・もとお)博士も熟読したという

注3)もう少し正確に言うと、1匹のサルに延々とタイプライターを叩かせるのではなく、無数のサルに叩かせて、少しでもシェイクスピア作品に近い文字列を打ったサルが子孫を残し、そうでないサルは淘汰されるというような仕組みは必要である。それを何世代にもわたってくり返していく。ドーキンスはこれを「累積淘汰」と呼ぶ。この場合「叩きかたの癖」みたいなものが、子供に遺伝しなければならない。

「ただ力学や自己組織化の観点を入れれば、そんなに時間まかせにしなくてもいいのではないでしょうか。最初からシェイクスピアが書けなくてもいい。短いフレーズでも挨拶でも何か文ができて、それが時間に耐えるものであればいい。生き続ける仕組みを持ったものが現れれば、あるとき、加速度的に自己組織化が進むこともありうる」と木村さんは言う。

この観点は、むしろ「がらくたワールド」説(これも第3回を参照)に近い気がする。

「生命とは何かの存在そのものではなく、関係性やつながり、相互の影響、流れといった現象の総体ではないでしょうか。生命に限らず自然というのは、材料のようなモノがあるかないかということではなく、そのモノがどういう関係でつながっているか、どういうふうに影響を与えているか、ということが本質ではないかと思っています」

という木村さんの立場――つまり生命を環境も含めたシステムとして捉えるという意味だと思うが――は近年、生命起源の研究者も重視しはじめている。第5回で話したように、生命の始まりを核酸やタンパク質の登場ではなく、鉱物表面で起きた「代謝」というシステムの登場に求める説も、そうした傾向の中から生まれたのだろう。

家は屋根があって柱があって壁があって床があって……というだけの「箱モノ」ではない。リビングやキッチン、寝室それぞれでの営みがあり、各小部屋の間での行き来があり、また里山や裏の畑、あるいは隣近所の家や商店などとの間で、人や物の流れがあってこその家である。それがなければ家は廃墟となり、街はゴーストタウンと化す。

生命もまた然り。細胞の中で、あるいは細胞どうしの間で、さらには周囲の環境との間で、モノやエネルギーのやり取りがなくなったとき、そこにはゴーストタウンに吹きすさぶ風のような「死」が訪れる。

というわけで何とかオチをつけられた。少なくとも「細胞と自動車」の譬えよりは「細胞と家」のほうが、はるかにリーズナブルで拡張性があることを示せたように思う。今後も何かと持ちだすかもしれない。

次回からはフラスコの中で、人工的に細胞を「建築」しようとする試みに迫ってみよう。今、注目の「合成生物学」を応用した、生命起源へのアプローチである。

ちなみに木村さんは、自分でやるつもりはないものの、そういう試みには肯定的だ

「現在の細胞は複雑ですが、赤血球のように核を持っていないものなども含めてさまざまな細胞があります。スタンダードな細胞というのは存在しません。多様な細胞のすべてに共通する特徴は、膜があって分裂で増えることくらいです。したがって、これを実現した人工細胞は、ほとんど生命だと言っていいのかもしれません」

とすら語っている。実際にどこまで進んでいるのか、楽しみである。

第7回に続く★

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