2024.06.11
# 鉄砲 # 財閥 # 彰義隊

一代にして財閥を築き上げた日本の武器商人・大倉喜八郎

江戸っ子が驚嘆したわけ

戦争の陰で暗躍する武器商人。鉄砲から核兵器まで売り捌き、巨万の富を得てきた彼らの実態とは何か。前記事に続き、ここでは日本を代表する武器商人を紹介しよう。『死の商人』(岡倉古志郎著、講談社学術文庫)から引用する。

大倉喜八郎の鉄砲商売

モルガン青年〔アメリカの財閥をつくったJ・P・モルガン〕がインチキなカービン銃を種にボロもうけをした数年後、日本でも鉄砲商売で大もうけをした男がいた。その名を大倉喜八郎といい、後の大倉財閥の始祖である。

大倉喜八郎

喜八郎は一八三七年、いまの新潟県の新発田藩の名主の子として生れた。伝記によると一七歳の時に父を、翌年には母を失い、姉から二〇両の餞別をもらって江戸に出た。一八歳の喜八郎は麻布飯倉の鰹節屋に奉公、三年後には主人から養子に見こまれたがこれをことわり、二一歳のとき上野で塩物店をひらいて独立した。

当時は、勤皇、佐幕両派の対立で世間は物情騒然だった。この時勢を炯けい眼がんにも見てとった喜八郎は「鉄砲商売」こそ致富の捷径であると考えた。そこで、神田に開店したのが大倉銃砲店である。そして、明治維新の動乱の時機に銃砲店をひらいたことが、「死の商人」としての喜八郎の成功のきっかけになったのである。

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