知識とは次から次へとつながるもの。『齋藤孝の大人の教養図鑑』では、齋藤孝先生の連想によって、一つの知識から次の知識へと、どんどんつながっていきます。そして、時には想像絶するとんでもないジャンプになることもあります。
前回の記事では、「フロイト」→「ユング」→「錬金術」→「ニュートン」→「ゲーテ」→「モネ」の大ジャンプのうち、錬金術がニュートンに飛ぶところまでご紹介しました。さて、錬金術とニュートンにはどんな「知的発見」が隠されているのでしょうか?
*本記事は、『齋藤孝の大人の教養図鑑』から、内容を再構成してお届けします。
錬金術師ニュートン
ニュートンは、早い時期から錬金術に没頭しており、死後、錬金術に関する膨大な資料も発見されている。錬金術は卑金属から金属を作り出すという非科学的な試みとされるが、ニュートンは科学的な手法で試行錯誤して研究を続けた。
では、ニュートンはなぜ錬金術の研究をしていたのか? それはやはり「知識」の探求であったとされる。万有引力の発見で知られるニュートンだが、その時代には、まだ物質が何からできているかはわかっていなかった。ドルトンが原子説を唱えるのは、ニュートンの死から約70年も後のことである。錬金術研究を通して、「物質の根源」「生命の本質」をニュートンは探求していたのかもしれない。
光の研究者ニュートン
ニュートンはプリズムを作成し、自然光を透過させる実験から、白色の太陽光は屈折性の異なる様々な色が混ざり合っていることを証明し、プリズムを通った光の帯をスペクトルと名づけた。
1704年には、光に関する精密な実験と研究成果の集大成である著書『光学』を刊行している。このなかで、光の直進性を説明できる光の粒子説も発表した。しかし、フック(1635-1703)等により、相反する「光の波動説」が提唱され、長く論争が続いた。
ニュートンは、ほかにも万有引力や運動の法則などいわゆるニュートン力学を体系づけ、微分積分学の基礎も築いた、まさに科学の巨人だった。
そして、「光」の研究と言えば、ニュートンとはまったく異なるアプローチで『色彩論』を著したのは、「知の巨人」ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749-1832)だ。