はてなキーワード: 横浜DeNAベイスターズとは
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ケーブルテレビSTBでは見られない場合があるようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・02 夏至 げし
・03 前島密 まえじまひそか
・04 テムズ 川
・05 [3択]1 番
・06 タイガー・ジェット・シン
・08 ビール(のむ
・13 横浜DeNAベイスターズ
・15 スペースインベーダー(の日
・18 扇状地 せんじょうち
・19 [計算]36(分
・21 モンテスキュー
・22 げた
・23 [ふるさとクイズ][鳥取県米子市]ドローンサッカー部
・26 エッシャー
・29 ヘロドトス
・30 [3択]テキーラ
・33 [2択]父 島
・34e 『ヒカルの碁』
コナン関係の自分のアクスタ手渡しイベント→中止&アニメイト分ブランドグッズキャンセル対応
カーグラフィックTV →すぐに古谷ナレBoschのCMがACのCMへ。6日放送では海外版CMに差替。製作は次回以降の放送の予定は回答せず
放送中アニメ HIGHSPEED Étoile→実況で「まだバレてない」「もうバレてる」が流行る
横浜DeNAベイスターズ→3月の始球式動画をこっそり削除
ネトフリ『範馬刃牙VSケンガンアシュラ』→そっと6日配信。実質古谷徹VS鈴木達央だと話題に
三ツ矢雄二→濡れ衣で怒り、古谷徹とは長い間関わりがないことを暴露
聖闘士星矢・ドラゴンボール脚本家→しっかり怒りながら「しっかり星矢!」というダジャレで〆る
若井おさむ→池田秀一と潘恵子と朝4時まで飲んだせいで次期アムロ候補の呼び声が高まる
感想→コナンファンの拒絶反応がすごい。交代する場合声質も変えてほしいという意見も多数。なおかなりのコンテンツが動いていて簡単に変えられないのでは?という意見も。
サボもなりきってたのにONE PIECEファンの声は少なめ。イワンコフの初代を降板させたのだから降板させろという声も。革命軍メンバー不倫し過ぎの声もあり。
きまぐれオレンジ☆ロードのファンがとても悲しんでいた。セーラームーン関係の売り飛ばしも目立つ。
オープン戦ではスタメン15試合連続ヒットを記録し、開幕から2試合連続でヒーローインタビューを受けたがここ数試合はヒットを打てておらず、特に4/24は他球団ファンなどから酷いバッシングを受けていた横浜DeNAベイスターズのルーキー度会隆輝が、打順が1番から8番に変わった今日4/26に、ヒット2本のあと満塁ホームランを打った。
テレビで観ていて、今日はやけに表情が固いな…と思っていたが、ヒットでもガッツポーズをすぐ引っ込めたり打席でニコニコしないようにしていたり、8回裏で満塁ホームランを打って泣き、9回表の守備では客席に向かって何度も何度も最敬礼をしてまた涙ぐんでいるのを見て、こちらも涙が止まらなくなってしまった。
ホームランの後は京田陽太と抱き合うのがパフォーマンス化している。京田は今までは仕方ないなあ、かわいいからいいけど、という雰囲気だったのが、今日は京田から強く抱きしめに行き、頭までを2回もヘルメットがずれるほどにポンポンしていた。
満塁ホームランという快挙に対してというより、ここまでよく踏ん張ったな、報われてよかったな、本当にえらかったな、という気持ちが見て取れた。
ヒーローインタビューでは、猛打賞どころか2アウトでの満塁ホームラン、それも球団史上初のルーキーのグランドスラムにも関わらず「今日はちょっとですけど打てたので」と発言したり、いつものサイコーでぇす!のパフォーマンスもなく声も小さく震えてビクビクしていて、バッシングした奴らに改めて心から腹が立った。今までの積み重ねで限界が来たのだろう。昨日の昼には、度会のお兄様も耐えかねたようにツイート(https://x.com/wataraimotoki/status/1783345163890565383?s=46&t=dDJMup9HBqfrkoBZ2-oYpQ)していた。
度会はとても繊細でよく周りを見ていて様々なことに気付くタイプで、バッシングすらもいち意見としてきちんと受け止めてしまう素直さがあるのだろうと確信した。
そういう人間だからこそ満塁で打席が回ってくる率が異常に高いのだろうと思えてしまう。
野球の神に愛されるだけの積み重ねがあり、そして実力で千載一遇のチャンスをものにするのだ。
紛れもない、ハマの一番星だ。
江川氏は94年スタートの前身番組「スポーツうるぐす」でメインキャスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説で選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。
巨人原辰徳監督(63)からはビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。
MCのくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。
上田はあきらめず「ひょっとしたら原監督から『ちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後は上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。
終盤には、今年まで巨人の場内アナウンスを担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川、背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者やスタッフに感謝の言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っています。ありがとうございました」と、意味深なコメントで締めた。
選手としての特徴
江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないかと推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川のストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之、西本聖、槙原寛己など多数の人物が異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ、好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日のGoing!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年の中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。
江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球はカーブしか投げられなかった。掛布や高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないかと高木は解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。
1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しかし2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレートは普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。
《なお、2021年のMLBでは、回転数が高いボールの効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》
1985年頃から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリが話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手のマスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代のライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。
阪神のランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年と1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打と連続試合打点記録更新中の最後の試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川の引退時、バースは江川を「日本、アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。
9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線の選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代にチームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。
江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリのコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川の場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川はボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手からの懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手はコントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。
被本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年はリーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打は通算で1.23本である[59]。
上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神戦通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁は阪神に移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。
打撃の優れた投手としても知られているが、初安打はデビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初の打席で、阪神の山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。
少年時代の写真に笑顔で写っているものはない。それは父親から「写真は真顔でとられろ」と言われたからである[62]。
裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親が財産の管理が上手かったことから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。
幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機嫌いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川が米国開催の日米大学野球選手権大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたことである)。かつて巨人の北海道遠征の取材で東京→盛岡→青森→函館→札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプの取材でも東京→博多→新八代→鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川が引退した翌年、1988年に青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲームを取材したときでも、松山→岡山→東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディングで江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナは松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄へキャンプ取材する際も、時間に余裕があるときは鹿児島から24時間かけてフェリーで沖縄に移動するほどである。横浜DeNAベイスターズの春季キャンプの取材で沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会のハワイでの取材時にも長嶋茂雄から「江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである。飛行機嫌いの一因には幼少時代の体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長も犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。
大学時代、後の夫人となる女性と交際していたときにデートと東京六大学の試合の登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から何時間後」というように時間を指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。
現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフ・アール・イー、2007年1月に破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社の役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名は桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。
現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンのきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。
本人曰く「成金趣味」に結構な金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。
テレビでの野球中継において選手を呼び捨てにしている解説者が多い中、江川は基本的に呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。
横浜DeNAベイスターズが試合に勝利してファンがその勝利を喜ぶときにTwitterなどで使われる言葉です。
もちろん優勝したわけではなくただ一勝しただけで使われるので、他球団ファンにはイラッとされることもあるようです。
もともとこの言葉は、ベイスターズが最下位の常連であったときに、開幕直後の4月には諦めてしまう優勝という言葉をどうしても使いたいというファン心理から、「相手より優れて勝ったから優勝と言える」というこじつけで使い始めたのが元々でした。
この経緯からわかるようにこの言葉はとても自虐的であり、どうやっても優勝できないという共通認識があるからこそ使われ始めた「優勝」という言葉なのです。
しかし今ではそのような自虐的な意味は忘れ去られ、多くの人は何も考えずに使っていますし、もはや公式ツイッターが率先して使っているくらいです。
元々自分たちを貶める言葉がいつの間にかその中での結束を深めるための言葉になり、いつしかネガティブな意味が忘れ去られるという一連の流れがとても興味深いものでした。
他にもこのようにネガティブな意味が忘れ去られ、むしろ誇りを持って使われているような言葉があれば是非知りたいのですが、どのようなものがあるでしょうか?
結果。
1位(1位) 読売ジャイアンツ
2位(2位) 阪神タイガース
3位(4位) 中日ドラゴンズ
4位(6位) 横浜DeNAベイスターズ
5位(3位) 広島東洋カープ
6位(5位) 東京ヤクルトスワローズ
1位(1位) 福岡ソフトバンクホークス
2位(3位) 千葉ロッテマリーンズ
3位(4位) 埼玉西武ライオンズ
5位(5位) 北海道日本ハムファイターズ
6位(6位) オリックス・バファローズ
楽天の渡辺選手が引退を表明し、さきほど引退試合をみたところで、
過去の思い出にふと浸ってしまい、大変個人的な思い入れではあるのだが、彼のキャリアへの経緯と感謝も込めて記録しておきたい。
2009年のイーグルス初のクライマックスシリーズ進出に大いに貢献した渡辺直人選手を特に贔屓にしていた。
(その頃はあまり「推し」という言葉は一般的ではなかったように思うが、まさしく「直人推し」だった)
渡辺選手が2011年から3シーズンだけ在籍していた横浜DeNAベイスターズのファンであった。
当時はtwitterが流行り始めの頃合いで、まだ"野球クラスタ"もある程度限られていた。
しかも当時のベイスターズはDeNAに買われる前で、万年最下位の暗黒状態でファンの数も少なく
twitterで横浜ファンをフォローしようとしても100人に届かないような状態だった。
そのため割と節操なく、横浜ファン以外の人も広く野球ファンという括りでフォローをしており、
私が彼女をフォローしたのも、そんな他球団ファンの1人として、たまたま野球に関するツイートをしていたからだった。
私はあまり負けて選手を批判したり罵ったりするのを見るのは苦手なほうだった。
そんな中で選手の推しである人というのは、比較的温かい目で応援するタイプの人が多く、
彼女のツイートにも別チームながら好感を持って読んでいて、ファンとしてのスタンスが合ったことから、
お互いにリプを飛ばし合ったとtwitter上で仲良くなった。その最中で事件は起こった。
チームメイトやファンに愛される主力選手の放出は、楽天ファンの方にとって大変ショックな出来事であり、
嶋が号泣したり岩隈が生放送に駆けつけたりしたことを覚えている方もいらっしゃるかと思う。
彼女は大変ショックを受け、放出を決断した楽天球団に少しの不信感を持つとともに、
当初は電撃トレードのショックに同情していたが、同じチームを応援する仲間になったことを嬉しく思い、
初めてリアル対面し、観戦デートを経てお付き合いすることになった。
メッセージでのやりとりで内面や趣味をある程度わかったところで会うというスタイルは向いていたようだ。
(今ならマッチングアプリでよりスムーズに事が運ぶのだろうが)
ただ、"それが今の奥さんです"みたいなことは全く無く、残念ながら1年経たないうちに別れてしまったのだけれども。
それでも初の彼女ということでその時は浮かれていたし、楽しいデートの思い出もあり、いい出会いだったと思っている。
この思い出も、渡辺直人が横浜ベイスターズに来ていなかったら無かったのだと思うと、かくも人の縁とは不思議なものだなと思う。
モトカノの思い出を妻に語るのも憚られるので、この感慨を残したく匿名ダイアリーに書かせてもらった。
渡辺選手の横浜での在籍期間は、彼のキャリアからすると短い期間ではあった。
その後の西武での活躍や、楽天に出戻ることも、当時は想像すらしていなかった。
ただ、その隙間には、応援するチームを変えてしまうくらい、惹きつけられた人がいて、
その魅力を語り合ってつながったファンがいた、というのは、すごいことだなと思う。
松坂世代の最後の野手として、長く野球をやり、移籍を経験した選手だから、
1位 読売ジャイアンツ
2位 阪神タイガース
3位 広島東洋カープ
4位 中日ドラゴンズ
5位 東京ヤクルトスワローズ
6位 横浜DeNAベイスターズ
1位 福岡ソフトバンクホークス
3位 千葉ロッテマリーンズ
4位 埼玉西武ライオンズ
6位 オリックス・バファローズ
イオンでは神奈川県内限定で「神奈川のイオングループは横浜DeNAベイスターズを応援しています!」という
コマーシャル中にはしつこいくらい神奈川という言葉を散りばめているのだが、神奈川県民は基本的に「神奈川」という
地名に対する思い入れが浅く、むしろ「横浜」「川崎」「湘南」というより細かい地域にアイデンティティを見出す場合が
ほとんどだから、イオンのそれは、そういった地域性をろくすぽ知らないよそ者がマニュアルに沿って作った愛情の欠片も
無いキャッチフレーズであると、神奈川県民のおおよそが見抜いている。
そして恐らく、イオングループは全国のプロ野球チームのある都道府県でこれと同じものを、地域名とチーム名だけを変えて
流している事と思われる。
実に姑息で、意地汚い愚行である。こんな事をしてまで地域住民に媚びへつらおうとする姿勢に唾棄せざるを得ない。
しかし、さはさりながら、このような姑息で卑怯な宣伝手法を繰り出すイオングループが全国各地を席巻する勢いであるのもまた事実だ。
かつて、まだ時代が昭和から平成に変わった位の時代であれば、企業がプロ野球チームの応援をしたり優勝セールをしたりするというのは
一途に一球団に絞って展開したものである。イトーヨーカドーは巨人のセールをやるために巨人のスポンサーになって巨人が優勝した時だけ
どこどこのチームが優勝したらどこどこがセールをやるという情報は野球に興味のない主婦の間でも当たり前のように共有されていたから
優勝しても名古屋以外ではセールが行われない中日が優勝すると主婦からブーイングが飛び交っていたのも、記憶に新しい。
だからつまり、かつて当たり前のように持っていたこのような日本人の矜持というものは、もはや消失して、なんでもありのいい加減な
国民性に成り果てたと言っても過言ではない。
民主党政権下の菅直人首相が言い出しっぺとなったTPPの参加協議に、当時野党だった自民党は猛反発していた筈だったが、今では180度転換して
全力で推進する立場になっている。しかしそれを咎める声は、自民党支持者の間からすらも聞かれなくなった。
民主党政権下で小沢一郎が中国の習主席を天皇陛下と会見させようとした時には「皇族の政治利用だ!」と猛反発していた自民党も、その後
秋篠宮殿下を加計学園のイベントに出席させて、恥ずかしげもなく皇族の政治利用をしている。
そこまでしても支持率が安定しているからと図に乗った自民党が、国有資産を次々と身内にバラ撒いて私腹を肥やすようになったのは、当然の帰結とも言えよう。
それでもまだ、自民党政権の支持率は底堅いのだから、これはもはや、ズルいやつに寛容な国民性が醸成されつつあると言えるのではないだろうか。
先日えとみほさん(@etomiho)が栃木SCに入社したツイートとnoteを拝見して、元Jクラブスタッフからのメッセージです。
個人的には、えとみほさんのような発信力を持った人がJクラブ内に入ってくれたことが嬉しいし、
Jクラブの内部から会社を発展・成長させていくことは、非常に大変で難しさも伴うことですが、頑張ってほしいなと思う。
物事をゴリゴリ進めていく推進力のある人が、そのクラブの成長とともにナレッジやノウハウを成功事例としてどんどん発信していくことがこれからの日本サッカー界には必要だと思うから。
実は私自身は、とある2つのJクラブで働いた(約4年と約2年)経験があるのですが、このまま5年〜10年Jクラブで働いたとしても私及びクラブの双方が幸せになる未来が見えず、1年前ほどにサッカー界から離れる決断をしました。
日本サッカー界をビジネスサイドの内側から変えていきたい、発展に貢献したいと志を持っていたとき(いまもその気持ちは捨ててないですが)に感じたことをシェアし、今後の栃木SCの発展に少しでも活かしていただければと思い、匿名ではありますがこの度ブログ記事を書かせていただきました。
(どうか、えとみほさんに届け!)
1. 残念ながら現在のJクラブの労働環境はスーパービジネスパーソンでない限りJクラブスタッフとしてビジネスサイドの発展に貢献することはまだ難しい状況であると私は考えているということ
2. そのような状況を打破するためにも、えとみほさん含む現在Jクラブで働いている人たちには頑張ってほしいということ
私は(これは私がサッカー界を離れた理由でもありますが、自身のビジネススキル不足もさることながら)現在のJクラブの労働環境がスーパービジネスパーソンでない限りJクラブスタッフとして、ビジネスサイドの発展に貢献することは、チャレンジングな仕事であるがまだまだ難しい状況にあると考えています。
私は、新卒入社から約6年間Jクラブで働きました。日本サッカー界をビジネスサイドの内側から変えていきたい、発展に貢献したいと志を持っていました。しかし、このまま5年〜10年Jクラブで働いたとしても、私及びクラブの双方が幸せになる未来が見えず、サッカー界から離れる決断をしました。
それが1年前。
サッカークラブで働き、内側から改革していくにはまだ難しい状況にある。そう思った理由としては、以下の2点からです。
(ⅰ)Jクラブは熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないため
(ⅱ)優秀なビジネスパーソンを受け入れる環境が整っていないため
※それぞれ(ⅰ)、(ⅱ)について中島涼輔さん(@nakaryo716)というSHC4?期生がブログに書かれていたことと重なるので、こちらもご参照ください。実際私は新卒としてJクラブに入社しましたが、中島さんが言う「新卒でJクラブに入るのはおすすめしない」に同意見です。
Jリーグができて25年が経ち、全国各地にJクラブやJリーグ百年構想クラブが誕生し、普及の意味では世界的に見ても大成功の歴史を作ってきたと思います。
ただし、普及ではなくJリーグ及びJクラブの事業と強化としては、これからが本番だと私は思っています。
J1のクラブであれば、これから本気で事業規模100億円を目指すクラブも出てくるでしょうし、プレーオフ圏内を目指すJ2のクラブであれば事業規模18億円から22億円かつ平均観客動員数1万人〜1万2千人、J3クラブであれば、J2ライセンス取得と事業規模10億円前後かつ平均観客動員数6千人がむこう5年の目標レンジでしょうか。
クラブによって現在の立ち位置や地域経済圏のことなどもあり、目標はそれぞれだと思いますが、Jクラブの事業サイドは基本的に「どうやって協賛金(スポンサー料)引っ張ってくるか」と「どうやって観客動員数増やしてチケット収入増やすか」の2つが最重要ポイントです。
(もちろんチームの成績やスター選手がいる等でもこれらの数字は変わってきますし、もっともっとJリーグ全体の事業規模が大きくなり魅力的なリーグになれば欧州リーグのように放映権もより大きな収益の柱となります)
その最重要ポイント収入2つを伸ばすためにより人材は必要になってくると思いますが、私の経験からするとJクラブに熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないと感じています。
まず私が実際に入社してから在職中に社内の状況でびっくりしたことを以下箇条書きしてみます。
※フォローしておくと、社員一人ひとりは本当にいい人ばかりですし、やっぱりクラブのことが好きなんだなと感じることも多々あります。ただ、それならクラブのファンでいればいいことですし、クラブの発展のために働く社員としてはどうなの!?ということでびっくりしたことを箇条書きさせていただきました。
もちろん、全てのクラブがこのような状況ではないと思いますし、有名な大企業でも上記のような状況は多々あると思います。
しかし、Jクラブはどこも中小企業であり、社員数も50人以下のクラブがほとんどです。
そのような中小企業で生産性のない人ばかりでがっかりした思いがいまでも蘇りますし、いつの間にか自分の中にあった「このクラブをよりよくしたい」という想いもしおれて、知らないうちに自身のビジネスパーソンとしての成長も阻害されてる状況になってる気がして泣けてきます。
なお、Jリーグも人材不足問題を認識しており、SHCというスポーツエグゼクティブ育成プログラムを2014?年からスタートさせ(それ以前にはJFA主催のSMC講座もあった)、Jクラブに優秀なビジネスパーソンを送り込むような動きも見せていますが、依然としてJクラブ現場に優秀なビジネスパーソンは極端に少ない印象です。
逆に優秀なビジネスパーソンがトップ層にいる(いた)クラブは着実にチーム成績も含めて事業規模を拡大しているイメージです。
具体的にクラブ名を出すと、札幌(野々村さん)、いわき(大倉さん)、鹿島(W鈴木さん)、川崎(天野さん)、湘南(眞壁さん)、岡山(木村さん、小川さん)、今治(岡田さん、矢野さん、中島さん)、長崎(髙田さん)などなど。
いま名前が出たある人と少しお話をさせていただいたこともありましたが、その人は「上に立つ人間の仕事は組織が自走するような雰囲気作りが全てだ」と話しており、やっぱり上に立つ人間でクラブも変わってくるのかなとそのとき思いました。
ズバリ言うとおカネのことです。Jクラブスタッフの給与水準はやりがい搾取レベルで低いです。
新卒のJクラブスタッフ給与について中島涼輔さんのブログにも記載されていますが、まず間違っていないと思います。大きな責任企業を持つクラブは、少し違うかもしれませんが、責任企業を持たない地方クラブの場合は、新卒の年収は200万〜250万くらい。5年から10年働いている35歳前後の人の年収が300万円に満たないことも多々あると思います。
※このことはFC今治の経営企画室長 中島啓太さん(@keitanakajiman)もTwitterで言及し、危惧していました。
選手に当てはめてもいえますが、いい人材には、高い給料がついてくるものです。
しかし、ことクラブスタッフに関しては、欠員が出たら募集は掛けるが、いい人材を自ら探して引っ張ってくるということはほぼないのではないでしょうか。
(役員以下の役職あるJクラブスタッフに800万〜1000万円級の給与を払っているクラブはまずないはずです。逆に800万〜1000万級の人材をガンガン入れたからこそ横浜DeNAベイスターズは急成長したのかなと。池田純さんは経歴見ただけでこの人すごい感あるし、東北楽天ゴールデンイーグルス立ち上げには小澤隆生さんがいた)
中途で入社してくる人も前職より給与アップして入社したというのはほぼないと思います。
例え給与が下がったとしてもクラブで働いてみたい人は多いので、会社のスタンスも人材におカネをかける意識が低いですし、人が辞めても安月給で働きたい人はたくさんいるから育てる意識がそもそもない。
このような意識になった要因としては、クラブスタッフは忙しく(担当部署にもよりますが)業務内容も生産性が求められるものより週次の試合に向けた日々のオペレーション業務がほとんどだったからではないかなと思います。
しかし、ここ数年はSNSも普及しましたし、スタジアムを中心としたまちづくりを目指すクラブも出てくるなど、仕事内容的にもより優秀な人材が求められてきていると思いますが、クラブスタッフが本気でそのことに気づいていない。もしくは業務に追われて人材(組織)強化まで手が回らないんだと思います。
事実、クラブの事業側のトップである社長の半数以上が在任3年未満となっており、現場チームのトップである監督が変わることが多々あるにも関わらず、その現場を支える事業側のトップもすぐ変わって、事業戦略がコロコロ変わることも残念ながら現状としてあります。クラブスタッフがスムーズに仕事が回るよう努力しても事業と現場のトップが変わることが何度も続いて、その度に事業方針や強化方針が変わるとせっかくやってきた業務効率化が役に立たなくなり、忙しさのループから抜け出せないクラブが少なくないと思います。
※なお、事業規模が成長したとしてもすぐにクラブスタッフの給与への反映はあまりされません。その分、チームの強化費や強化運営におカネがまわります。チームの強化費と成績はある程度の相関関係にあるからです。魅力的なチームを作り→成績が上がり→観客動員数が増え→売上を伸ばしまたいい選手を獲得して→魅力的なチームを作る好循環を狙いますが、強化費を上げた結果チームの成績が上がるとは限らないのがサッカークラブを経営していくうえでの難点(かつおもしろいところ)です。
また、クラブスタッフは日々忙しいあまり、他のことに手を出す余裕がありません。(私が在職中にきつかったことは、まさにこのことです)
J2/J3のクラブの場合は、担当部署を複数兼務することはごくごく普通にあります。
忙しいあまりに本を読む時間も取れませんし、(給与が低いため)本を買うこともほとんどなくなりました。代わりに月に1度図書館に行ったり一番大きい本屋で立ち読みできれば上出来なぐらいです。都市圏のクラブであれば違うかもしれませんが、地方クラブだとほとんど金銭的・時間的・地理的理由で他のことに手を出す余裕がありません。他スポーツを勉強として観戦することはもちろんできず、地方と都市では開催されるイベントの質と量ともに比べものにならないですし(これも担当部署にもよりますが)基本まとまった休みも取れないので家族旅行も難しいでしょう。
このようにおカネもない、休みもない環境だと、いくらやりがいを感じていても辞める人(もしくはより事業規模の大きく給与も高い他クラブにステップアップ移籍)が続くのも納得できると思います。
以上、ざーっと書かせていただきましたが、
Jクラブは熱を持った優秀なビジネスパーソンが圧倒的に足りないことと優秀なビジネスパーソンを受け入れる環境が整っていないため組織として弱い会社(クラブ)が多く、内部からの改革はめちゃめちゃ難しい状況にあると私は思います。
ただ、(無茶言うなと言われるかもしれませんが)難しい状況だからこそ、えほみほさんはじめ現在Jクラブスタッフとして一生懸命働いている人たちにはどうか頑張ってほしい。そしてこの状況を変えていってほしいです。
つらつらと在職中に感じていたことを書かせていただきましたが、仕事としては非常にチャレンジングでやりがいは間違いなくあります。
私も自身の金銭的余裕ができてビジネスパーソンとして「いまならお役に立てるかも」と思えたら再度挑戦したい気持ちはあります。
私自身は、引き続きサッカー界にアンテナを立て続ける予定ですので、「イニエスタがJリーグにくるかも!?」を超すような事業側のニュースが出てくることを楽しみにしています。今後のJリーグの成長を考えると村井さんや木村さんなら「外資オーナーOK!」ぐらいのことはやると思ってますし、アジアで一番のサッカーリーグになっておらが町のクラブとしてたくさんのクラブが町の誇りであり続けることを祈っています。
厳密に言えばTBS横浜ベイスターズが好きで、DeNAが親会社になっても横浜ベイスターズの名前があるのでそのまま好きという感じ。
DeNAベイスターズになってからは実生活が忙しく、アプリで買った負けたを知る程度になっていた。
転職をきっかけに少し暇ができたのでネット番組でDeNA戦を見るようになったのが今年の4月から。
びっくりしたのは観客が多いこと、男女比が6:4ぐらいで女性が多いこと、行儀が悪い事。
ヤジと言えば可愛くなるが罵詈雑言がひどい。
現巨人の山口選手に対するブーイングとか、エラーした人に対して煽るような発言をしたり。確かに山口選手のFAはゴタゴタがあった。最初の登板でブーイングがあったと聞いたがまぁ許容範囲。今でもしていると聞いてびっくりした。
とにかく行儀が悪い。
“野球ファン”をやめようかな。
いや、探せば一人くらいいるだろうし多分私が知らないだけなんだろうけど、ともかく私は知らない。それだけが今、私の眼前に漫然と横たわる事実である。
このことが浮かんだのは風呂場でシャワーを浴びている時だった。着衣の間もずっとモヤモヤしていた。
多くの人が知っているであろう通り、スポーツ観戦に観客の「歌」はつきものである。
有名なところだとマンUのリパブリック賛歌だろうか、サッカーなら日本の浦和レッズだって試合に勝つと合唱タイムがあったりする。
当然応援中にも応援歌が歌われるし、ファンが手っ取り早く一体感を得るにはそこに混じって歌を覚えればいいのである。
多くは自チームの攻撃中に歌われるもので、その選手固有のテーマが宛がわれたり、新人には右打者左打者ごとに汎用テーマが用意されていたりする。
私も贔屓のチームはもちろん、同一リーグの球団歌は一通り歌えたりする。
さて、選手個人に宛がわれる応援歌は、ほとんどの場合その球団で伝統的に使われてきたものであり、ある選手が引退したり移籍したりすれば、その選手のテーマは他の選手に流用されたりする。
しかしその選手が問題を起こしたり、逆にレジェンド級の活躍をするなどした場合、その歌はその選手の記憶と共に葬り去られる。
つまり、世代が進めば進むほど、応援歌の絶対数が少なくなっていくのだ。
その為どの球団でも、毎年1,2曲が「補充」される。
大体半分くらいの新曲は、勝手にそのへんの曲をパクってきたものだ。
横浜ではチャンスになるとパチスロ「獣王」の「サバンナチャンス」が流れ、
かつてロッテに在籍していた神戸が打席に立つと東方の「U.N.オーエンは彼女なのか?」が替え歌で歌われたり
といった具合だ。
もうすこし逸れる。
近年、多くの球団で、球場の最寄り駅の発車メロディーに球団歌を流すという試みがなされることが多い。
関内駅や日本大通駅ではベイスターズの「熱き星たちよ」が流れる。
海浜幕張駅ではロッテの「We Love Marines」が流れる。
つまり駅メロは、その球団をアピールするひとつの商材として考えられていることがわかる。
そこが贔屓のファンが行き帰りに球団歌を聴けるのはうれしいだろうし、考えても見れば、その駅を職場の最寄として使っているサラリーマンは、球団にとってこの上ない格好のターゲットなのだから、アピールするのは当然である。
日常の何気ない音楽で、ふとした拍子に野球をうまく意識させ、精神の根底に根付かせる。駅メロにはそういう効能があるのだろう。
さて。
それは「数小節で簡潔していて、ループさせても違和感がない」ことだ。
しかし前述の、球団歌を駅で流すというのは、それに使われる球団歌はどれも数小節でループしないし、試合中に連呼されるものでもない。
これはとても勿体無いと思う。
最寄り駅で週代わりで、上下線別々に特定の選手の応援歌をシンセにアレンジしたものを流せば、絶対にしっくりくる。
だが、逆にこう考えてみよう。
やっと本題に入る。
これをするためにはもうひとつ条件がある。
そしてこれは、つまり最初から歌詞がついている曲が駅メロとして採用されているものなら何の問題も無いということだ。
私が推したい駅メロが二曲ある。
品川駅の「鉄道唱歌」と、桜木町駅の「線路は続くよどこまでも」だ。
どちらもループがほどよい長さで、既に歌詞がついている。このまま球場で歌ってもなんの問題も無いし、替え歌しても誰も怒らない。
そしてこれらの曲を応援歌として用いるとなれば、品川と桜木町を訪れるたびに、プロ野球ファンは「あっ、あの選手の応援歌が流れてる」となる。
広告効果はそれなりにあるだろうし、何よりこの二曲は大昔のものだから著作権はない。
作曲する手間もパクるリスクもいらないし、どちらも日本人に馴染みのあるメロディーだからすぐに覚えられるだろう。
まだ応援歌のない野球選手がひとり、鉄ヲタを公言するだけでいい。それだけで、私のこのしょうもない妄想は実現させられるかもしれない。
・・・さて。
品川駅と桜木町駅は、どちらも京浜東北根岸線が縦に走っていて、関内駅まで直通している。
この私の案が一番「効く」のは、横浜DeNAベイスターズだろう、と勝手に思っている。
思い出話をしよう
勝利したあと監督が嬉しそうに活躍した選手を褒めるコメントをしていた
その監督の人間味に惹かれて横浜DeNAベイスターズの野球を見るようになったんだ
しかし交流戦で失速しそれからは動力を失った飛行機の如く落ちる一方
二週間ほど野球を見ないうちにDeNAベイスターズは最下位になっていた
ことしは監督が変わった
春先勝てない日々が続いたときは酷く自身のモチベーションが下がった
このチームは借金を返したのちまた借金をするが沈むことなく戦い続けた
きのうついに横浜DeNAベイスターズはCS進出を決めた
9月19日は奇しくも友人の誕生日だったが今の今まで忘れていた
これらは私の記憶に長く残るだろう
本当にありがとう
日頃プロ野球はみていないくせに沸き立つ町並みの映像をみているとこちらまで胸が高まるおもいでした。
ところで、リーグ優勝、リーグは・・・セ・リーグでの優勝。巨人に打ち勝った!
だいたい東のほうの球団。パシフィックというくらいだから太平洋側の球団が所属しているのかな。
あれ?でも巨人戦を東京ドームでやるしな・・・。巨人は東京だろ。なんで、セ・リーグ???
という頭の悪い人の日本地図みたいな混乱を経て、ちゃんとしらべたら特にチーム所在地は関係ないことがわかった。
まずセ・リーグしかなかったが新球団加盟で日本野球連盟が揉めて分裂したというプロレス団体的な経緯を経てリーグがわかれたという。
交流戦とか?
セ・リーグ、パ・リーグの優勝チーム同士が闘うのが日本選手権シリーズか。これは1試合だけなんだっけ。とにかくこれで日本一を決める仕組みか。
それが来月あたりにあって、セ・リーグからはカープが出場するのね。
調べればわかることだけどいまごろわかった。
横浜DeNAベイスターズ。親会社がDeNAになって4年の中畑清時代を経ての5年目にアレックス・ラミレスが監督になってペナントを戦っている。
何もベイスターズに限らず、過去現在を問わず采配、起用がどうしたという事に文句を言いたい人は多いらしい。
例えば今年新外国人としてJ.ロマックを獲得したが、獲得や起用に応えるような成績は見せることがなく、現在は2軍暮らしになっている。
シーズン途中に獲得したエリアン、最近1軍初登板で類を見ない鮮明なデビューをみせたブロードウェイ。
あるいは国内選手にしても、采配がおかしいという声はあちこちにある。
では、チーム監督やコーチというのはそれほど絶対的な権力を行使できるのか。与えられているのか。
Noだと思う。
ロマックは最終打席に四球を選んだが、3打数無安打。打率1割1分8厘。その姿に「我慢の限界にきている」と手厳しかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00000111-dal-base
今年の6月のデイリースポーツの記事だが、この我慢の限界はどこへの限界なのか。
ロマックに限らず野球選手としての成績や指標はそれぞれ一定のものは残してきているが、彼らは現場では求められた仕事とは遠い現状がある。
編成・スカウトといった裏方の人間にとって自分たちが探してきた人間が求められた役割を果たしていない、特に助っ人として獲得するにあたって国内選手より選手契約そのものにかかっているコストも少なくはない。
とすれば、そのような裏方からは「自分たちが工数を計上し、(国内選手に比べれば)難しい状況で、それなりに費用をかけて獲得したのだから、一定の期間は使い続けて様子を見てほしい」というようなリクエストが現場に飛ぶのは良し悪しを別にして、よくある事だ。
さて、冒頭の話に戻したい。
招聘され契約によって就任したチーム監督などの現場要職に就いて試合を戦う人間は試合に勝つことを求められるだろうが、このような裏方の要請を「勝ちにつながらないので断る」と拒絶できるだろうか。
特に契約している選手に信賞必罰であたっている球団であれば、そのような裏方の人間は本来相当首が涼しくなるはずだ。なんなら首が胴から離れてもおかしくはない。
チーム監督や、あるいはオーナー、球団社長等の名前という分かりやすい看板を叩きたくなる人は多いだろうが、そんなサンドバッグのような役目も抱き合わせにされ、契約社会よりも社内政治が勝るだろうチームを率いるのに、本当に充分な権利権力、待遇が用意されているのだろうか。
「アイーン」「ラミ茶」「ゲッツ」など、様々なパフォーマンスで人気のラミちゃんこと、アレックス・ラミレス選手(横浜DeNAベイスターズ)が昨日の試合で2000本安打を達成した。
外国人選手として初めての偉業であり、1695試合での達成は史上2番目の最速記録(1位は打撃の神様:川上哲治の1646試合)だ。ラミレスは他にも「9年連続150安打」(日本記録)、「右打者&外国人初の200本安打」、「史上初となる3球団(ヤクルト・巨人・横浜)での月間MVP受賞」など、これまで数多くの記録を打ち立てている。なぜラミレスは日本で成功したのか? その秘訣を自身の著書や過去のインタビューなどを振り返りながら探ってみたい