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2024-09-17

『チー扶余抄』より「異傳タケ記」

車は田ゐの道に重き轍刻みて、静かに旅の媼なむ揺らしける。

「などかは感謝しはべりぬべきや。歩みもままならぬ身に幸ひなる助けにて治療も給へける。さこそは全能の天帝の御わざなれば、慈悲深きあがきみをば遣はし給ふべかんめり。」

御者の翁、前ぞ見据えてなほ黙(もだ)せる。

「あがきみもぞ、天帝の信奉者におはしはべるや…かくの如く見受けはべり。」

媼の眼差し、もだしたる御者の背へ、さらには荷台にて古びたる聖典に止まりぬ。まさに御者との時をぞ映しためる。

御者静かに「然り…信じはべり」とて、さらに「されど、天帝はただ…人のさだめをば弄びたまひはべり。」媼の微笑み穏やかに「まさしく深遠なる御弁(わきま)へにはべらむ」。

車進み行くも道塞ぐ巨木現れ、はからずに停まりにけり。媼は「あなや、如何にしはべらむ。なまむつかし」と言ふものを、御者の降りて巨木に手おきつれば、巨木の姿消えにけり。

「たぐひまれなる奇跡かな。大木の忽然と去りぬ」とも、御者は「ただ除きたるのみ」と冷ややかなりき。媼感じては「為し難くはべり」とて続けるに、「若きとき、あがきみ冒険者にはべるべかめり。かくはべりぬべし。常よりかかる勘がふ外れざらんものなれば。」

今は昔、御者の翁なるタケなむ、悪辣なる徒党の一味にて後ろ暗き途にありたり。その中に、ハンブン、ミノル、コゲ、エンディといふ者なむありにける。

ある夜半、逆巻くせせらぎうち響く中にて、タケが天帝の御姿ぞ冒涜せしものから、どちの一人に目覚ましく、「タケ、何ぞしたるや。これ御姿にて神聖なり。」

タケの「もだせよ。などかは心にかける者あるべき」とて、エンディ怒れるに「わぎみのわざ、此方ぞ汚しつる」と言ひ初めけり。タケは「さあらば、天帝とこそ争へ」とあしらふ。さらエンディは「けしからず」と争ふ。他のどちの言ひけるに、「タケ、かかるわざによりて宛て行なひ給はらものなり。」タケは嘲りて「天罰など、あり得ぬ事なり」と答ひき。

「などかうは然様に言い閉ぢしや」と問はれければ、タケの顔苦々しく、「幼きときの友、祈りて粮料(れうれう)乞ひたるも、飢えにてこそはかなくなりにけれ。おはせしかば、かれをば救ひ給ふべかりしを」と言ひくくむ。「故に、天帝なむあらぬ。」タケの言い腹立ちやまず。

エンディは「されど、などて天帝とこそ争へと言ひしや」と惑ふ。嘲りて「天帝とあらざらば、誰と争ふべし」とて鼻まじろきをしたり。別のどち更に問ふ。

ミノル、わぎみの信ずる神が貶められたり。公腹(おほやけばら)ぞ示さむや」

「あれは我が信奉する神にはあらず。争ふなどよしなしごとなり」

また他のどち「はかなきことなり」と痴(をこ)がる。コゲ、ハンブンに向かひて「如何にせむ?」

「タケよ、いでや行かむ」「行かむや」

ハンブンのきもちやまず、「わぎみ、いつとなし、かかるわざぞ続けむ」とて聖典に添へおきつつ、「天帝祈りや崇拝をもって我らをば救ひ給はず」とぞ言いける。

驚きて「何と」と問い返されしものから、ハンブンは「天帝、見守れども助け給はず。相応の苦難を授け給ふばかりなり」と語る。タケは「などかくはするぞ」とて憤(むつか)るもまた、別のどちも「ハンブン、わぎみの信じたることなるのみや」と疑ふ。

「信ぜず。長きにわたり、さかしらなる大人天帝ぞ正しきとせむがための理(ことはり)なるも、をかし。民草を実(まめ)ならしむるためなれば、ひとへに侯(こう)がため。」

タケも心得ずして「無道なり」。タケを見据へ「いつとなく、かかる愚れ愚れしきわざ続けむや。虚仮なり。」とて言い募られたるものから随ひき。

驕れる一味、共に暗き世々を存(ながら)へ、つひに国王に背きつるも、久しからず、さだめのまへには闇の錦にて甲斐なし。はらからも勇敢なれど潰えて多く命を極め、ただタケの独りながらへり。

荒き風吹く夜、タケ、あばらやのやうなる塔の上にて立ち尽くす。「ああ、はらからは儚くなりにけり。かの激戦の只中にて残りたるは我が身なりけり。」

からずにかつてのはらから言葉胸にかすめる。「タケ、わぎみぞ儚くなり初めぬべき。」また他のどちも「かくの如き無謀をもって、ながらへらるるや」などといふ。息つかして去りにけり。

のちも浮かれ漂よひ続け、果てに綺麗なる殿に辿り着きけり。

宿直人は「何為むや。これホドギャ殿なり。よしなくしてえ立ち入られず」と問い詰めけり。タケは「ホドギャとはたそ。よそよそしきことなりけり」と鼻まじろきをする。宿直人をば斬り伏せ、殿の中に忍び込みけり。

いへのきみのホドギャはそれを見るに、郎従に「害せよ、害せよ!かのやじりきり誅せよ!」とげぢす。タケ、襲ひかかる者ども薙ぎ払いて、宝物手に入れるや去りぬ。

「若きとき冒険羇旅(きりょ)、けしゃうの物と戦ひもありけり。国王軍とも。人ともけしゃうの類ひともすずろなり。などかは戦ひのただ楽しかるべき。しかうして一人など甲斐なし。はらからのありてこそ、戦ひも人生も。」

自らの手中の宝物見るにうち捨て、虚ろにも「今、全て空し。同胞のなかりしかばあやなし」とて座り込みつつ、去りにし日々に禅定したり。

朝(あした)に起きれば、手の宝物をばうち溢(あぶ)し、またひとたび漕ぎ出だしけり。官軍が陣の前に立ちつつ、「これこそ別れ路、いざ華々しく行かめ。この戦ひもって死なば、黄泉にてはらからに会ひ得るか知らぬ」とぞ呟きし。林檎かじりつつ、陣への攻撃決めなむとも、にわかに腹痛に襲はれ、放りて蹲れば呻きたり。「腹ぞ…痛き…」

通りがけの田夫これを見て、恙なしやと寄りてみるに、「もだせよ」と返さるるも構はず。タケが傍にて宝物のありけるを覚える。「得難き宝なり。さりとも。」

車に乗らせ、町へと向かふ折、言ひけり。「憂ふなかれ。かの町に名医おはしはべり。犬の便秘さへ治したるほどにはべり。」タケは苦しみつつ、「なぜ宝もち去らざりぬや。やうれ、盗みつべかりしを……いづこにか連れて行かむとす」と尋ねけり。

田夫は笑ひつつ答へける、「臥したる者より銭(あし)盗みて去りぬと天帝に告げなば、さぞよろしからむや。然れど参る折、そのよしぞ聞こし召しせば、何をか仰せらるるや。」

さなるや…」

聖典出してタケに「わぎみにこそ必要なれ。これを誘へ。」

「何と」

田夫は微笑みて「誰によりてもわぎみにこそせんいちなれ」とて聖典渡しけり。

かくありて、そののちも、幾度となく官軍が陣落とさなむとすれど、天候や体調、あるいは人の干渉に憚られ、阻まれにたり。つひに絶たむとて木に縄吊るして佇むなどもありけり。

「くびる者の心もちなむ弁へ知らぬ。今こそ…」

くくらむとするや、崖より岩ぞ転がり落ちて木をば折りたる。驚き嘆けば咳き込み、「またしても阻まれるなど、などてならむや…」倒れたる木に目を懸け、田夫より授かりたる聖典に触れり。

天帝よ、みましは真におはし侍るや?などかうは此方をぞこの世にしばしとどめ給はむ!

聖典開けど徒らなれば、めくる音のうち響くのみなるかな。

ふと眼裏にハンブンが言葉(けとば)思い起こされにけり。「天帝、見守れども助け給はず。相応の苦難を授け給ふばかりなり。」また、田夫のはかなしごとも。「あれぞ試練なりし。天帝は見守り給ふのみなり」とも。タケは覚えたりけむか、「そよや…まことさなりけり…」と呟く。かくて聖典ぞ抱きて案じゐたりき。

「再びえあはれぬどちたち、今ここにあるべし…話しあたふべかめり」

かつてのはらからよりの教へぞ思ひ出さなむとて聖典や草子ぞ読み耽る。植物の覚え深きどちがため、植物抄、論文の類ひ尋ね取りけり。

はらからものに通じたりき。過ごしたる日々思ひ出さむとて、からく関はる草子尋ね取りては読み耽けなむ」

しかうして今、タケは御者の翁となりぬ。

はらからに再び会ひてしがな。それのみぞ生きる希望なるを、さあるべくしてほかに無し。されど、今や誰にもえ会はれず。生おぼえなるに、かんばせもえ思ひ出されず……夢にも。誰一人とて。死にても、憶えの中にても、もはやえかなはざるなり」と感じけり。

にわかに媼がタケに銃を差し付けり。かつてタケにより懸想人を害されし者なるなり。媼言ひけるに冷たく、「今なお日次ぎ思ひ出しはべり。わぎみらに害されたる懸想人。かんばせ、息通ひ、声などの覚え、昨日のやうなり。」

タケは「な外せそ。抗ふまじ。かかる暗き道閉ぢ給へ」と受けれど、媼の手震へより引金え引かれず、射られざりき。「今もなほ…」

媼は動じて見つめたり。

「わごぜのみならず。常なり。独りになりてより、かくのごとし。我をば害さなむ者、鞘よりつるぎ抜けず、弓のつる切り折れ、悉く阻まれたり。天帝さらにどうなきを、我が人生ぞ閉ぢ給ふまじ。」

媼打ちひしがれれば、タケはかく語りき。

「今もなほ、わぎみが報いより我への罰ぞ選び給ひたる。これ天帝の思し召しなるらむ…」

anond:20240917105647

はいはい、パワーブレックファーストでもランチでも勝手にやってくれ

ワイはそんなメシの味せえへんなるような食に対しての冒涜はごめんこうむるやで

2024-09-13

anond:20240621234827

生レバーを食べたなんて、君の判断力には驚かされる。

食中毒リスク無視するなんて、なんたる愚行だ。

僕なら、食事の前に食品の安全性を徹底的に調べる。

突発的な体調不良なんて、科学者としては許容できない。

親子の関係についての観察は面白いが、君の「子ガチャ」という表現には賛同できない。

遺伝学と環境要因の相互作用を軽視している。

かに遺伝的要因は確率的だが、それを「ガチャ」と呼ぶのは科学に対する冒涜だ。

独身生活についても言及するが、僕も長年独身だったのは意図的選択だ。

人間関係の複雑さを避け、科学研究に没頭するためだ。

しかし、ある女性との関係を通じて、パートナーシップ価値理解した。

君も、そんな女性出会可能性があるかもしれない。

ただし、その確率は...計算してみる価値はこれっぽっちもないな。

2024-09-09

anond:20240907225609

「きちょまん」

女の存在理由を最大限に冒涜しててとても好きな言葉だったのに最近使われなくなって哀しい

2024-09-06

とある害悪オタクによるオタク

🤓「レ●プもの最高だぜ♥」

🤓「痴漢系マジ抜ける♥」

🤓「幼女エロい♥」

🤓「盗撮系こそ至高♥」

👧「きも」

👤「レ●プしました」

👤「痴漢しました」

👤「幼女に手出しました」

👤「盗撮しました」

👧「きも」

🤓「ダメだろ」

🤓「人でなし」

🤓「許されざる冒涜

🤓「現実区別しろ

 

 

 

はあ?

オタクは性被害者セカンドレイプするのが趣味女性差別主義者集団だろ

違法買春レポや盗撮いいねしてブクマするようなカス倫理観ありますヅラすんなよチンカス

お前らが布教するから模倣犯が増えてんだろうが腐れポルノ脳は死ね

2024-09-04

エクソシストを堕とせない』のイムリマジで嫌い

間違った読み方であろうことは認める。

     

でもさあ

自分はさあ

頑張った順に報われるのが見たいわけ。ある程度は。フィクションの中では。

   

イムリって一番だらだら自分勝手に遊んでただけじゃん?

誰よりも甘い認識覚悟でふざけてるだけじゃん?

似たような手段の篭絡にしたって色欲魔王の方がよっぽどわが身を掛けて飛び込んで勝負したじゃん。

(まあ魔王達も完全にやられても地獄に戻って再生するだけのクソなんだけどさ)

  

それで色欲魔王が相討ちみたいになって斃れたあとで、

ろくな積極性もなく、恐怖に耐えて勝負したこともなく、何かを賭けて打って出たこともなく、

肝心な場面でも”待ち”を選んだ結果ポッと出の色欲魔王に出し抜かれたイムリ

なんか神父意識されるようになってるの。

 

なにこの漁夫の利

完全に選択を間違えて消極策を選んだことにすらなんのペナルティも無くて

色欲がズタボロになりながら作った成果を自分は無傷でもらっちゃってるわけ。

  

 

神父を騙して裏切ってそばにいる

・そういう間者存在なりに必死な使命感があるわけでもない

真剣任務に我が身を賭しきたわけでもない   

  

こんな、どのような価値尺度から見てもカスのもの存在

まんまと戦果を挙げて神父に食い込んでいたり

唐突チート能力に目覚めて魔王と対等以上にわたり合いだしたり

もう見ていてひたすら不快になるしどうしてもイムリのことが好きになれない。

 

 

ていうかなんなのこいつ?

なんかこれまで出てきたどんな残虐な魔王より不快なんだけど。

  

ちょっとメアリースー的な不快さに似てる気もする。  

一つしかない命を懸けてズタボロになって死んでいく人間戦士たち、

一つしかない命を懸けて得体のしれない何かに身を投じている元人間魔女たち、

何回でも復活できるズルだけど一応真剣勝負をしに来てる魔王たち、

それらを全部あざ笑うかのような存在というか。

 

それならそれでそういう嘲笑冒涜的な態度や内面キャラならまだしも

読んでる人ならわかるイムリ当人人格やノリが本当に無理。

2024-09-01

anond:20240901170140

専業兼業関係なく、冒涜してるのは作ってくれた人に感謝もできない豚だろ

カップ麺でも食ってろよマザコン

それでお前の承認欲求は満たされるんだろうから満足やろクソ豚

anond:20240901164536

日本母親無駄に頑張りすぎ

冷凍食品でいいんだよ

食えれば満足できる豚は適当な餌でいい

最初の二行は問題ない。

冷凍食品問題あるの?

わかってるのにわざわざ冷凍食品を餌呼ばわり?食べる人間を豚呼ばわり?

こういうことを平気で書くのは、働きながらお弁当作ったりごはん作ったりしてない専業の年金フリーライダーだろ?

結果ではなくて手間ひまかけること自体勝手価値見出しオナニー料理を出した挙句

認めてもらえないと暇に任せて承認要求丸出しで増田に書き込むとかダサすぎだろ。

一生懸命働きながら子供のためにごはん作ってる人たち全てへの冒涜だね。

2024-08-23

チー扶余書よりタケ記

1:1 田舎の道にて、重き車輪が轍を刻みつつ、老女を静かに揺り動かしける。

1:2 老女は声を上げて言ひける、「何と感謝すべきことか。歩くこともままならぬ我を、助けていただき、その上治療まで施してくださるとは。これも全能の主が、汝の如き慈悲深き方を、我がもとに遣わしたまへればこそ…」

1:3 老人は黙し、言葉を発することなく、ただ前を見据えける。

1:4 老女はなお問いける、「汝もまた、主を信じ奉る者なるか…そのようにお見受け致し候ふが」

1:5 老女の眼差しは、無言の老人の背に移り、さらには荷台に置かれし古びた聖書に止まりぬ。それは時の流れを刻む如く使ひ込まれけるものなり。

1:6 老人は静かに言葉を紡ぎける、「然り…信じておる」

1:7 彼はさらに続けて言ひける、「されど、主は唯…人の運命を弄びたまふのみ」

1:8 老女は穏やかに微笑み、「それは、まさしく深遠なる教理解釈に相違なし」と応じける。

2:1 馬車は進み行きける中、突如、道を塞ぐ巨木現れけり。老人は馬車を止めたり。

2:2 老女は言ひける、「あら、これは如何に。厄介なる事態なり」

2:3 老人は馬車より降り、黙して巨木に手をかけたり。

2:4 その時、巨木は静かにしかして確かにその姿を消し去りけり。

2:5 老女は驚きの声を上げ、「何たる奇跡ぞ、大木が忽然と消え失せり」と驚きけり。

2:6 老人は冷ややかに答へける、「ただ木を取り除きしのみなり」

2:7 老女は感嘆し、「我には到底、成し得ぬことと存ずる」と述べ、

2:8 さらには、「若き頃、汝は冒険者でありしに違ひなき事と存ずる。さなり。わが直感は、往々にして外れざるものなれば」と付け加えけり。

3:1 若かりし頃、タケと呼ばれしその老人は、邪悪なる徒党の中に身を置き、暗き道を歩みたり。

3:2 その仲間たちは、ハンブン、ミノル、コゲ、そしてエンディといふ者たちにてありける。

4:1 静まり返りし夜に、ただ水の流るる音のみ響き渡り

4:2 タケは、神の御姿に対し冒涜的なる行為を行ひたり。

4:3 仲間の一人驚きの声を上げ、「タケよ、何といふことを為すのぞ!これは神聖なる御姿にあらざるか!」

4:4 タケは厳しき口調にて、「黙れ、その如きことは構はぬ」と返しける。

4:5 エンディは怒りの声を上げ、「お前の行ひにより、この場は汚されしぞ!」と言ひける。

4:6 タケは冷たく、「然らば、主に抗議せよ」と言ひ放ちける。

4:7 エンディはさらに憤り、「何を言ふておるのぞ!」と反論しける。

4:8 仲間の一人言ひける、「タケよ、その如き行為は、天罰を招くものに候」

4:9 タケは嘲笑する如く答へける、「天罰など、あり得ぬ事なり」

4:10 仲間問いける、「なぜ、その如く断言するや?」

4:11 タケは苦々しげに語りける、「幼き日の友は、主に祈り、糧を乞ひ求めたり。されど、彼は飢えに苦しみ、命を落としけり。もし主が存在すれば、なぜ彼を救はざりしや?」

4:12 タケは激しく言葉を続けける、「故に、我は主を信じず」

4:13 エンディは困惑し、「然らば、なぜ主に抗議せよと言ひしぞ?」

4:14 タケは嘲る如く、「主が存在せぬならば、誰に抗議するや?」と応じける。

4:15 さらに仲間の一人声を上げ、「ミノルよ、汝の信ずる神が侮辱され候ているぞ。正義のために戦はざるや?」

4:16 ミノルは静かに言ひける、「あれは我が信ずる神とは異なり。戦ふ理由など無し」

4:17 仲間は嘲笑し、「つまらぬ事なり」と言ひ捨てけり。

4:18 コゲはハンブンに向かひ、「如何せむ?」と問いかけける。

4:19 ハンブンは悠然と答へける、「もう行かむ、タケよ」

4:20 タケは無念そうに、「もう行くや」と言ひける。

4:21 ハンブンは叱責する如く、「汝は何時までその如き行為を続けるつもりや!」と言ひ放ち、

4:22 ハンブンはさらに、聖書に手をかけながら言ひける、「タケ、その神は、祈りや崇拝にて救ひを与ふるものにあらず」

4:23 タケは驚き、「如何なる事ぞ?」と問い返しける。

4:24 ハンブンは静かに語りける、「神は、人を見守りつつも、助けを与へず。その者に応じた苦難を与ふるのみなり」

4:25 タケは憤然として言ひける、「何故ぞ!」

4:26 仲間の一人問いける、「ハンブン、それは信じていることや?」

4:27 ハンブンは嘲笑し、「信じざるなり。唯、賢き学者たちが長きにわたり、神を正当化するために編み出した理屈面白きのみなり。それにより、人々は真面目に生き、支配者は楽となるなり」

4:28 タケは納得しがたげに、「何と理不尽なる事ぞ!」と叫びける。

4:29 ハンブンはタケを見据へ言ひける、「タケよ、何時までその愚かな行為を続けるつもりぞ。無意味なる行ひに過ぎざるなり」

4:30 タケはなおも続けんとしたれど、ハンブンの言葉に従ひ、やがてその行為を止めたり。

4:31 その後、彼らは行動を共にし、暗き時代を生き抜きたり。然れど、彼の一団が国王軍に対し反乱を起こさんと企てしその時、運命は彼らに牙をむきぬ

4:32 タケを含む仲間たちは、勇敢に戦ひ抜きしが、一団は壊滅し、多くの者が命を落としけり。

4:33 唯一生き残りしは、タケただ一人なり。

5:1 風が激しく吹きつけし夜、タケは一人、廃墟となりし塔の上に立ち尽くしけり。

5:2 彼は静かに言ひける、「ああ、皆死に果てしや。あの激戦の中にて、ただ我一人が生き残りしとは…」

5:3 その時、かつての仲間の言葉脳裏をよぎりける。「タケ、汝が皆の中にて最初に命を落とすべし」と。

5:4 さらに別の仲間が言ひける、「その如き無茶を続けていては、長生きなどできぬぞ」と。

5:5 タケは嘆息し、塔を立ち去りけり。彼はあてもなく歩き続け、そしてある時、豪奢なる邸宅の前に辿り着きける。

5:6 邸宅の門の前に立ちし番人は、厳しく問い詰めける、「何用ぞ。この地はホドギャ様の邸宅にござ候。許し無くして立ち入ること許されざるなり」

5:7 タケは冷ややかに、「ホドギャとは誰なるぞ。そ奴が何者であれ、我には関係なし」と答へける。

5:8 そして、タケは躊躇することなく、番人を斬り伏せ、そのまま邸宅の中に入り込みける。

5:9 邸宅の主たるホドギャは、その状況を見て、家来たちに叫びける、「殺せ、殺せ!この侵入者を始末せよ!」

5:10 タケは冷静に、次々と襲ひかかる者たちを打ち倒し、

5:11 その後、邸宅の中の財宝を手に入れ、そして瞬く間に姿を消しける。

5:12 タケは独白しける、「若き頃、冒険の旅にては、怪物たちを相手に思ふ存分戦ひたり。国王軍との戦ひも同様なりし。彼らが人間であれ、怪物であれ、我には関係無き事。唯戦ひに身を投じること楽しきなり」

5:13 然れど、タケは寂しげに、「されど、一人で戦ふことには何の意味も無し。仲間たちが在りしゆゑ、戦ひも人生も楽しきなりし」と述べける。

5:14 その時、タケは自らの手の中に在る宝物を見つめ、そしてそれを地にばら撒きける。

5:15 彼は虚ろな目にて言ひける、「今、何もかも虚しきなり。仲間たちが無くば、我が生きる意味も無し」

5:16 彼はその場に座り込み孤独を感じつつ、過ぎ去りし日々を思ひ返しける。

6:1 翌朝、タケは再び立ち上がり、手にした宝物を見つめける。彼はこれを手放すことに決め、再び歩み出しける。

6:2 やがてタケは、国王軍の基地の前に立ち、つぶやきける、「最後は派手に行かむ。国王相手に死することで、あの世にて仲間たちに会ひ得るやも知れぬ」

6:3 彼はリンゴをかじりつつ、基地への攻撃を決意しける。

6:4 然れど、突如としてタケは腹痛に襲はれ、地に倒れ込みける。彼はリンゴを手放し、呻き声を上げける、「腹が…痛し…」

6:5 その時、近くを通りかかりし農夫がタケを見て、無事なるかと驚きて声をかけたり、

6:6 タケは弱々しく、「黙りけれ」と返しけれど、農夫は構はず近づききたり。

6:7 農夫はタケを見下ろし、そして近くに落ちし宝物に気付きける。「こ奴はすごきお宝なり!されど」

6:8 農夫はタケを車に乗せ、町へと向かひたり。

6:9 農夫は言ひける、「なに、心配するな。我が町には名医が居り。犬の便秘さへ治ししほどの腕前なり」

6:10 タケは苦しみつつ、「なぜ金を取って逃げざりしや?盗むべかりしものを…汝は一体、何処へ我を連れて行くぞ?」と尋ねける。

6:11 農夫は笑ひつつ答へける、「神の前にて、病人から金を盗みて逃げたりと言へたら、如何に良きか!然れど、神に会ひし時、その如き理由を聞かるるは困りしことなり」

6:12 タケはぼんやりと、「ああ、さうか…」と呟きける。

6:13 農夫は聖書を取り出し、タケに向かひて言ひける、「汝にはこれが必要なり。持ちいけ」

6:14 タケは驚きて言ひける、「何を言ふぞ?」

6:15 農夫は微笑みつつ、「汝よりも、我よりも、汝にこそ必要なるものなり」と言ひ、聖書をタケに渡しける。

7:1 その後、タケは幾度も国王軍の基地を襲撃せむと試みたりれど、天候や体調、あるいは人の干渉により、ことごとく阻まれたり。

7:2 タケはつひに自ら命を絶つことを決意し、木に縄を吊るし、その下に佇みたり。

7:3 彼は独り言の如く呟きける、「自らの首を吊る者の気持ちなど、今まで理解できざりしが、今ならば分かりぬ…」

7:4 然れど、タケは首を吊らむとしたその瞬間、崖の上より石が転がり落ち、木を折りきたり。

7:5 タケは驚きて息を飲み、咳き込みつつ呟きける、「何故、またしても我を阻むぞ…」

7:6 彼は倒れし木を見つめ、そして、かつて農夫より受け取りし聖書に手を伸ばしける。

7:7 タケは叫びける、「神よ、汝は真に存在するや?何故、我をこの世より解き放たざるぞ!」

7:8 彼は聖書を開きけれど、その中より何の答へも聞こえて来ざりき。

7:9 唯、頁をめくる音のみ響き渡りたり。

8:1 その時、タケの脳裏にハンブンの言葉蘇りける。「神は人を見守りつつも、助けを与へず。その者に応じた苦難を与ふるのみ」と。

8:2 また、農夫の言葉も浮かびたり。「あれは試練なりき。神は見守りたまへり」と。

8:3 タケは何かを悟りたる如く、「然り…さういふことか…」と呟きける。

8:4 彼は聖書を抱へつつ、しばし黙して考へ込むことありき。

8:5 タケは続けて言ひける、「再び会ふべからざりし仲間たちが、今ここに居る如き気がする…彼らと話すことができた如く思ひ候ふ」

8:6 タケはその後も聖書を読み続け、かつての仲間たちの教へを思ひ出さんと努めたり。

8:7 彼は植物に詳しき仲間のために、植物図鑑を手に入れ、学者たちの論文を読み漁りけり。

8:8 タケは言ひける、「皆、それぞれ何かに通じたりし。彼らと共に過ごせし日々を思ひ出すため、必死に関連するものを探し出し、読み耽りたり」

9:1 斯くして現在に至る。タケは老人となり、独り言の如く呟きける、「仲間たちに再び会ひたし。それのみが生きる希望なりきが、さうせざるほか無かりき」

9:2 然れど、タケは続けて言ひける、「されど、今や誰にも会ふことあたはず。記憶は薄れ、顔も思ひ出せず…夢にも出で来ず。誰一人として」

9:3 タケは嘆息し、「死して会ふことも、記憶の中にて会ふことも、もはや許されざるなり」と語りたり。

10:1 突如、老女がタケに銃を突きつけたり。彼女はかつて、タケにより恋人を殺されし者なりけり。

10:2 老女は冷たく言ひける、「我は今もなお、毎日思ひ出す。汝らに殺されし恋人のことを」

10:3 彼女は続けて言ひける、「顔の形も、息遣ひも、声も、昨日の如く覚え候ふ」

10:4 タケは静かに応じける、「確と行へ。我、抗ふことなし。この暗き人生を終らしめよ。」

10:5 老女は震へる手にて引き金を引きたりれど、銃は発砲されざりき。

10:6 タケは言ひける、「やはり、さうか…」

10:7 老女は驚愕し、タケを見つめたり。

10:8 タケは静かに語りける、「汝のみならず。常なり。我が一人になりてより、ずつとさうなりし」

10:9 タケは続けて言ひける、「我を殺さんとする者は、剣が鞘より抜けず、弓の弦が切れたり。すべてが阻まれたり」

10:10 彼は重々しく言ひける、「神はまだ我が人生を終はらせむ気なきや」

10:11 老女は絶望に打ちひしがれたり。

10:12 タケは締めくくる如く言ひける、「今もまた、汝の復讐よりも我への罰を選びたり。これが、神の思し召しなるか…」

2024-08-19

自分のズレてると思ってる部分を勇気出して口にしてみたら、案外共感を得られたりする。

ある場でそれを口にすれば、腫れ物に触るかのように軽く咎められつつ流されるかもしれない。嘲笑を受けるかもしれない。あるいは神を冒涜した者が如く非難されるかもしれない。

でもある場ではいやわかる〜〜〜って共感を得られるような。特にネット匿名環境なんかだと特にそれが多いかもしれない。

一つ目過ぎる例えだけど、それこそ飲み会ダルいよな〜とか。友達との誘いが近づくと、楽しみなはずなのなんかダルくて憂鬱になるとか。

マジで一切共感を得られず、シンプルに異常さを露呈するだけに終わるかもしれない。まあそれはそれで、ピエロを見て喜ぶが如くウケるかもしれないけど。

インターネットの人気者ってその辺のラインの見極めが上手いんだろうなって思う。物書きとかもそうなんだろうけど。

2024-08-16

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

2024-08-10

RTAという遊びはやはり下品

ゲームに対して敬意のある向き合い方をしていない。

結果だけを求めて過程目的冒涜している。

それこそ「かき氷早食いするためにお湯をかけてヌル砂糖水として飲み干す」のと同じような向き合い方だ。

こんな形で我が子が蹂躙されて行くことに対してメーカーは最も怒った方が良い

2024-08-06

anond:20240806022152

俺は現役自衛隊なので「やす子」みたいな古巣ネタにする芸で食ってる奴らが嫌いだわ。

アイツらって結局は「自衛隊ってマジでアホですよね。何が敬礼!だよwwwwwww」みたいなネタでメシ食ってるじゃないですか。

でもそれって失礼じゃないですか?

たとえば昔ラーメン屋バイトしてたと言ってラーメン屋コスプレしてる芸人が「ラーメン屋って本当に馬鹿なんですよね。何がウチはスープから味わってよ!(腕組みしながら)だよwwwwww」とかやってたら凄い失礼じゃないですか?

少なくとも一時期はお世話になってた場所に対してそこまで露悪的な態度で接する必要があるのかなって?

辞めたゲームに対して10年も20年も「そもそもコンプガチャみたいなのやり始めた時点で終わってんなと俺も思ったのよ。でもサークル友達ギルド組んでるのにそうそう辞められないじゃん?過去問とかも貰ってるしさ」みたいなことをネチネチずっと言ってる人みたいなキモさがあるなと。

つうかさ、結局の所は「俺もうコイツらとはやってけねーわ」と出てっておきながら、その格好を続けてキャラを立てるってなんか変じゃないですか?

ずっと「俺は香川出身だけどあそこのうどん狂いは本当にキモいよ。小麦の輸入規制でもかかって一度うどん依存を抜くべきだわ。白砂糖中毒とかだと思うんだよねもはや」と言いいつつ看板に「香川県出身先祖代々」と書いてるうどん屋さんみたいなもんじゃないのそれ?

マジでありえんと思うよあの態度。

性格の話じゃないのよね。

芸人としての姿勢社会人としてのスタイル、縁のある人に対しての礼儀、そういう所の問題なの。

自衛隊を半分コケにしながら自衛隊コスプレをして、その上で「元自衛官です」で売ってる。

その状況からマジメに「私が自衛隊を辞めてしまったのはこことここが駄目だったからです。これでは皆長く続けられませんよね」って真剣に語ってくれるならいいんだよ。

でもあの人って本当にただただ自分キャラ作りのために自衛官の格好してコスプレ芸で笑いを取ろうとしてるだけでしょ?

たとえば全然ドラゴンボールきじゃないのにフリーザやナッパのコスプレしてる芸人がいたらそれはただの冒涜じゃないですか?

そういう態度をね、国防っていう要るんだから要らないんだか分からないけど辞めたら中国ロシアがやってきて国が滅びはするってことだけはなんとなく分かるなんともモヤモヤするもののために働いてるナイーブかつエッセンシャルな我々にぶつけてくるのが本当にナンセンスだなって。

2024-08-01

若くして亡くなった友人の旦那結婚した友人

Aという友人がいた。

彼女美人聡明。周りに気遣いの出来る子で、優しくて、中学からの友人で親友だった。

その彼女が若くして亡くなった。癌だった。

彼女病気であるのを知った時には本当に悲しかったし、お葬式ではずっと泣いてしまった。

Aは最後まで健気で周りに当たることもなく、最後まで聖人のように優しい子だった。

Aと私の共通の友人でCという子がいる。

彼女中学からの友人で、私たちは三人でよく遊んだりしていて仲が良かった。

CもAのことが大好きだったし、だからAが亡くなった時には私と一緒にわんわん泣いた。

そんなCから最近、Aの夫と結婚したと言う報告を受けた。

は?って思った。

信じられない。いや、信じたくない。

私の親友が若くして亡くなって、まだ悲しみが癒えないのに、その旦那結婚したなんて。

しかもCは葬式ときかに泣いていたはずなのに。

泣きながらも、心の中では「このイケメン旦那自分のものにしよう」って考えてたの?そう思うと鳥肌が立つほど気持ち悪い。

あの涙の裏には何が隠されていたんだろうか?もう心の中で彼のことを狙っていたの?Aの死を利用して、自分欲望を満たす計画を立てていたの?

Cの報告を受けて、頭が真っ白になった。

なんで、どうして、そんなことができるの?私たち彼女を失って悲しんでいるのを見て、同じ痛みを共有していると思っていたのに、裏でそんなことを考えていたなんて信じられない。本当に裏切れた気分で居る。

まるで彼女の死が二人の出会いのためにあったみたいに、そんな風に見えるのが本当に嫌だ。

Aは本当に旦那さんを愛していたのでAが生きていたらそんなこと絶対に許さなかったはずだ。

今でも信じられない。彼女が亡くなってまだ二年も経っていないのに、もう再婚の準備をしていたのかと思うとAの思いを踏みにじっているとしか思えない。

Cの行為は本当に気持ち悪いし、嫌悪感で吐きそうになる。

Aが亡くなってから私たちは友人同士で彼女の思い出を大切にしようと集まることもあった。思い返せばそんな中でCが彼のことを話題に出すことがあって、なんだか違和感を感じていた。

ある日みんなで集まった時に、Cが「〇〇さん(Aの旦那)とこの前映画を見に行ったの」と言い出した。みんな一瞬、凍りついた。Aのことを忘れたかのように普通に彼とデートしてるなんて。Aは映画が好きだった。

彼女が愛した映画館で、彼女の席に座っているCを想像するだけで、本当に吐き気がした。

それだけじゃない。CはAの好きだったカフェにもAの旦那と一緒に行っていた。彼女が亡くなった後、Cはまるで彼と一緒にいることが自然であるかのように振る舞っていた。Aが大切にしていた場所が、今やCと彼のデートスポットになってしまったなんて、考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

最もショックだったのは、CがAの誕生日に彼と一緒に過ごしていたこと。私たちはAを偲んで集まり彼女の思い出を語り合っていたのに、Cは彼とディナーを楽しんでいたらしい。そのことを知ったとき、私は怒りで手が震えた。私たちがAのために用意した誕生日ケーキの前でAのことを偲んでいた時に、Cが彼とワインを飲んでいる光景想像すると、どれだけAのことを考えずに行動しているかがよくわかる。

他の友人たちとも話してみたけど、皆同じ気持ちだ。あの旦那イケメンからって、そんなことをしていいわけがない。Aがどれだけ彼を愛していたか私たちは知っている。Aの死をこんな形で利用するなんて本当に許せない。Cが何を考えているのか理解できないし、理解したくもない。

私はこの結婚絶対に祝福することなんてできない。

彼女が見ているかもしれない天国から、この状況をどう思っているのか考えるだけで胸が痛む。

友人として、私は彼女のために怒りを感じる。彼女の思い出を守るためにも、この結婚には反対の意を示したい。

Aの死を冒涜するような行動は、絶対に許されるべきではない。

2024-07-31

若くして亡くなった友人の旦那結婚した友人

Aという友人がいた。

彼女美人聡明。周りに気遣いの出来る子で、優しくて、中学からの友人で親友だった。

その彼女が若くして亡くなった。癌だった。

彼女病気であるのを知った時には本当に悲しかったし、お葬式ではずっと泣いてしまった。

Aは最後まで健気で周りに当たることもなく、最後まで聖人のように優しい子だった。

Aと私の共通の友人でCという子がいる。

彼女中学からの友人で、私たちは三人でよく遊んだりしていて仲が良かった。

CもAのことが大好きだったし、だからAが亡くなった時には私と一緒にわんわん泣いた。

そんなCから最近、Aの夫と結婚したと言う報告を受けた。

は?って思った。

信じられない。いや、信じたくない。

私の親友が若くして亡くなって、まだ悲しみが癒えないのに、その旦那結婚したなんて。

しかもCは葬式ときかに泣いていたはずなのに。

泣きながらも、心の中では「このイケメン旦那自分のものにしよう」って考えてたの?そう思うと鳥肌が立つほど気持ち悪い。

あの涙の裏には何が隠されていたんだろうか?もう心の中で彼のことを狙っていたの?Aの死を利用して、自分欲望を満たす計画を立てていたの?

Cの報告を受けて、頭が真っ白になった。

なんで、どうして、そんなことができるの?私たち彼女を失って悲しんでいるのを見て、同じ痛みを共有していると思っていたのに、裏でそんなことを考えていたなんて信じられない。本当に裏切れた気分で居る。

まるで彼女の死が二人の出会いのためにあったみたいに、そんな風に見えるのが本当に嫌だ。

Aは本当に旦那さんを愛していたのでAが生きていたらそんなこと絶対に許さなかったはずだ。

今でも信じられない。彼女が亡くなってまだ二年も経っていないのに、もう再婚の準備をしていたのかと思うとAの思いを踏みにじっているとしか思えない。

Cの行為は本当に気持ち悪いし、嫌悪感で吐きそうになる。

Aが亡くなってから私たちは友人同士で彼女の思い出を大切にしようと集まることもあった。思い返せばそんな中でCが彼のことを話題に出すことがあって、なんだか違和感を感じていた。

ある日みんなで集まった時に、Cが「〇〇さん(Aの旦那)とこの前映画を見に行ったの」と言い出した。みんな一瞬、凍りついた。Aのことを忘れたかのように普通に彼とデートしてるなんて。Aは映画が好きだった。

彼女が愛した映画館で、彼女の席に座っているCを想像するだけで、本当に吐き気がした。

それだけじゃない。CはAの好きだったカフェにもAの旦那と一緒に行っていた。彼女が亡くなった後、Cはまるで彼と一緒にいることが自然であるかのように振る舞っていた。Aが大切にしていた場所が、今やCと彼のデートスポットになってしまったなんて、考えるだけで胸が張り裂けそうになる。

最もショックだったのは、CがAの誕生日に彼と一緒に過ごしていたこと。私たちはAを偲んで集まり彼女の思い出を語り合っていたのに、Cは彼とディナーを楽しんでいたらしい。そのことを知ったとき、私は怒りで手が震えた。私たちがAのために用意した誕生日ケーキの前でAのことを偲んでいた時に、Cが彼とワインを飲んでいる光景想像すると、どれだけAのことを考えずに行動しているかがよくわかる。

他の友人たちとも話してみたけど、皆同じ気持ちだ。あの旦那イケメンからって、そんなことをしていいわけがない。Aがどれだけ彼を愛していたか私たちは知っている。Aの死をこんな形で利用するなんて本当に許せない。Cが何を考えているのか理解できないし、理解したくもない。

私はこの結婚絶対に祝福することなんてできない。

彼女が見ているかもしれない天国から、この状況をどう思っているのか考えるだけで胸が痛む。

友人として、私は彼女のために怒りを感じる。彼女の思い出を守るためにも、この結婚には反対の意を示したい。

Aの死を冒涜するような行動は、絶対に許されるべきではない。

2024-07-21

宮田笙子さんが如何にも酒とバイオレンスを好みそうな肉食女子の見た目してるからもっと悪いことしてるんだろうと馬鹿想像してる奴いるけど

宮田笙子さんの見た目が蓮舫さんだったら普段から弱い人のために活動してるんだろうから応援しようってなったのか?

結局女性を叩きたいだけなんだよな、五輪精神冒涜する厳罰派の皆さんはさ

2024-07-18

神を冒涜された感覚がどのようなものかを知りたいなあ

アブラハム宗教を信じていない人がその感覚を知るのは不可能なのかもしれない

クトゥルー神話について書かれた小説の作中で書かれた「涜神」……神聖ものを汚された感覚……がどのようなものかを知りたい

そういう肌感覚を知ることができればコーラン侮辱することがどれだけヤバいか心から理解できるだろうに

なんだろうな……墓を破壊されるとか

日本人なら祖霊信仰だろ、という発想からの墓破壊

ちょっと、いやかなり違う気がする

やっぱ唯一神って信じる人にとっては究極的関心なんだよな

そもそも神聖って何

とりあえずwikipedia見るか

神聖とは、神のように霊妙で尊い、厳かでおかしがたい、清浄で穢れがないなどを意味する言葉である

循環参照しちゃった

神聖とはすなわち「穢れ/汚れがないもの」「おかしがたいもの」、であれば冒涜とは「穢れ/汚れがないものを穢す/汚すこと」「おかしがたいものをおかすこと」になる

じゃあ仮に一般的日本人がいたとして、その人が汚されたくないと思う物って何かという話になるのか

うーん……親とか

でも親って「神聖」と呼ぶのはちょっと違う

天皇とか?いやー2024年を生きる日本人天皇を「神聖」と思っている人どのくらいいるか

少なくとも自分は思っていない、このぐだぐだとした思考の整理が目的文章は私が肌感覚で知ることを目的としているから、私が「おかしがたい」と思っていないと意味がない

なんだろうな、穢されたくない価値観とかそっち側で考えた方が筋がいいかもしれん

あーいや待て、ズレを感じた

日本語一般的語彙の「神聖」とキリスト教用語の「神聖」が指すものが違う気がしてきた

やっぱり異教徒だと肌感覚を知るのは難しいか

仮に近いものがあったとしてもあくまでそれは喩えでしかない

「神を信じるとはどのようなことか」を知るためだけにキリスト教に入信したい気持ちが少しある

逆だ逆

キリスト教に入信したので神を信じる、ではなく神を信じるからキリスト教に入信する、だろうに

飛行機墜落事故から奇跡生還とか、幼い我が子が不幸な出来事に巻き込まれ死ぬとか、そういった劇的な出来事が無いと神を信じるのは不可能なのだろうか

終わり

今日の昼はカレー

封筒を買う

2024-07-17

anond:20240716201743

このまま半導体の性能が向上していけばスチルカメラは滅んで常時6000*4000ピクセル動画を撮り続ける機械覇権を得るとおもうんだ。

一瞬を狙うシャッターチャンスに関する技量経験も工夫も不要になるのだ。

フォーカスポイント被写界深度けが課題になるが、それもF22ぐらいに絞ってカリカリ状態からレタッチでボカすとかの冒涜手法解決されていくだろう。

2024-06-29

底辺ボカロPだが、いい加減AI絵を使わせてくれ

最近オリジナル曲MVを作るために著作権フリーイラストを探してて

自分の曲にこれ以上ないぐらいドンピシャ作品を見つけて「これだ!!」って思ったんだけど

よくよく調べたら見てみたら、いわゆる「AI絵師」の作品だった・・・てことがあったの

いや、俺もAI絵の判別には多少自信あるつもりんだけど、それでも見誤ってしまった

正直このレベルになると、もはや手書きの神絵師と一切見分けがつかない

普段ココナラ有償イラスト発注もしてるんだけど、多分このレベルクオリティを求めたら数万円は軽く飛んでいく

でも、現時点でAI絵を使うことには抵抗がすご~くある

現状、ボカロMVAI絵を使うのはマイナスしかならんから

AI絵を使ったってだけで異常なレベル拒否反応を示すであろう人間が、この界隈では圧倒的に多いんだよな

単に「ダサい」と言われるだけでも音楽をやってる人間からしたら致命的なのに

クリエイティブへの冒涜」だの何だの、あらゆる言葉を尽くしてボロクソに叩かれる未来が目に見えている

同業者に言われるならまだしも、無産の人間にまで言われるのは意味が分かんねえよな

こちとらお前らより誇張抜きで数千、数万倍の時間を物を作る行為と向き合ってきてんのに

ネットで反AIだの、"反"反AIだの、生半可な知識議論にも満たない罵り合いをしている連中は見るに堪えんが

「いい加減AI絵使わせてくれ・・・」とは思うんだよ

自分クリエイティブの補助になるツールがそこに存在していて

しかもそれは法で認められていて

ただ使ったら使ったで、よくわからん人間いちゃもんを付けてきて

そこから更によくわからん罵倒合戦に発展して

誰も曲のことなんか気にしちゃいね

・・・結局のところ、これが言いたいだけなのかもしれない

「俺の曲を聴いてくれ」

2024-06-27

正語は人を強くする

汚い言葉を使っていると心が汚れていく気がする。

あのどうにもならなさ、地獄への導入。修羅道等活地獄に落とされるような感覚こちらが落ちてくるのを地獄の門番が手ぐすね引いて待っている。

やるせなさや無気力が、日々の心地よさや日常の楽しみを奪っていく。他者から奪うことでしか生きられないのか。ただそこにあればいいのか、何を感じたいのか。

一度にすべてを変えようとするとうまくいかない。一度で変えようとするのは自分人生への冒涜である現在の1秒の自分よりも、現在を形作った過去の蓄積の方がずっと自分だ。

どうして自分現在自分になったのか。なってしまったのかではなく、なったのかと考えたい。なってしまった自分を愛せないときに、自分自分になってしまったのだという。

誰も否定されたくないものだ。生きてきた日々を。正語はそれを変える一歩目である煉獄絶望怨嗟に包まれ状態では容易に己の手で脱出することはできまい。

からかに助けてもらいたいものだ。天は自ら助く者を助くという。天はどこにもないように見える。だが実は、そこここに溢れている。気がついていないのかもしれない。

もしも変えたいのなら気がつかなければならない。すると光が差しまれ、すでに輝き出している。

地獄の思い出は捨ててしまってもよい。生きていくには不要ものだ。捨てるという強い意志。前に行きたいというどこからともなく現れる渇望。

それ以前の、そういう意志や渇望を得ようとする戦い。そこに身を投げようとする決意。耐えることは美徳ではない。

耐えることが美徳とは、驕り堕落した者たちの自己防衛による詭弁である。耐えさせているのが彼らだ。何よりも逆襲を恐れている彼らなど恐るるに足らずである

そしてそもそもが、これは他人との戦いなどでは決してない。

人を愛せるのか。人から愛されたいから、愛されない恐怖が身を襲う。どれだけ人にやさしくできるか、どれだけ人を愛せるか、最後希望はそこかもしれない。

結末はここではない。闘志を得て突き進む者たちを人は応援し、誰よりも愛すものだ。捨ててしまえば手放してしまえばもう心は軽い。

軽やかなわんぱくライフがそこにある。

2024-06-26

未来からきました

皆さん、信じられないかもしれませんが、私は未来から来た者です。未来は大変なことになっています。リューボゥーヌスディウ帝国モズ共和国戦争を始めてしまいました。その原因は、ついさっき書いた通り、両国が少し前に行った出来事にあります

リューボゥーヌスディウ帝国古代からの強大な帝国であり、モズ共和国はかつてその属国でしたが、今は独立国家として繁栄していますしかし、両国の間には深い溝がありました。そしてついに、その溝が埋まらないまま戦争が勃発してしまったのです。

この戦争の発端は、モズ共和国がリューボゥーヌスディウ帝国神聖なるアルカニウム遺跡を発掘し、その中からクァルザスの秘宝を持ち去ったことにあります。リューボゥーヌスディウ帝国はこれをエルドラシア条約の重大な違反と見なし、国の誇りと信仰冒涜する行為として報復を決意しました。一方で、モズ共和国は発掘がイーサン協定に基づく合法的ものであり、国際法に則った行動であったと主張しています

さらに、両国間のルメンシウム交渉も失敗に終わり、戦争回避の最後のチャンスが消えました。現在ハルモニウム戦線での戦闘が激化しており、未来歴史に暗い影を落としています

私が未来から伝えたいのは、今この瞬間の行動が未来を大きく左右するということです。リューボゥーヌスディウ帝国モズ共和国の皆さん、どうか冷静になって、アストラル合意に基づいた対話を重ねてください。未来は変えられるのです。

この投稿が皆さんの目に留まることを願っています未来からの警告として、どうか受け取ってください。平和のために行動を起こしましょう。

2024-06-22

手塚プロって原作レイプしまくってるけど本当に愛とか責任とか持って対応してるんか?

神を本当に尊敬してるんかな?

手塚キャラ美少女ソシャゲみたいの出てきたときは全体的なクオリティの雑さにひっくり返ったぞ。

あとアトムスマホカードバトルとかもしょっぱさが半端なかった。

絵柄割れ厨伸ばしにしまくるどころか積極的に仲良くしてるのもだいぶ冒涜な感じが。

2024-06-16

anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

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