「明日朝、地震アル」と“地震予知”した科学少年がいたのをご存知か
ラボ・フェイク 第3回(これまでの記事はこちらから)
地震、雷、火事、ニセ科学
ハワイでキラウエア火山が活動を活発化させ、グアテマラのフエゴ山でも大きな噴火が起きた。ネットでは、すわ次は富士山か、いや南海トラフ巨大地震だと、無責任な戯れごとが飛び交っている。
そのうち、『月日神示』あたりを持ち出して、ついに「大峠」がやってくるなどと触れ回る輩も現れるだろう。『月日神示』とは、太平洋戦争末期に岡本天明なる人物が神の啓示を自動筆記したという、一種の予言書だ。
予言には、近い将来、「大峠」と呼ばれる地球規模の大変動が起きるとある。大地震と大噴火で天地がひっくり返るのだそうだ。地軸まで傾くというから、どこか「ポールシフト」を思わせるニセ科学風味があって、興味深い。
念のため断っておくと、火山学者のあいだでは、「地球上では常にどこかでいくつもの火山が噴火しており、今はたまたま目立つ火山が活発化しているだけ」という見解が一般的だ。
地震や噴火といった自然災害には、デマ、迷信、陰謀論が影のようにつきまとう。ニセ科学もまた然り。裏を返せば、この分野には、科学の光が行き届いていない部分がまだ多く残されているということだ。
仕方のない面もある。震源断層やマグマは地下深くにあり、スケールもときに数十キロメートルを超える。観測は容易ではない。大災害は起きる頻度が小さく、データもなかなか集まらない。大地震を人の手で引き起こすのは不可能だし、実験室で本物同様の火山噴火を発生させることもできない。
したがって、これらの事象に対しては、科学がその最大の拠りどころである「再現性」を十分吟味することができず、最強の武器となる「予測性」をいまだ発揮できないでいるわけだ。
というわけで、ここから2回にわたり、「地震予知」にまつわるニセ科学を中心に考えてみたい。その周辺には、『月日神示』の予言に類する非科学から、間違った科学、不完全な科学、未科学など、さまざまなバリエーションが見てとれる。
まずは、地震予知の歴史においてひと際妖しげな光を放つ事件、「椋平虹」(むくひらにじ)をめぐる騒動から見ていこう。
「アスアサ四ジ イヅ ジシンアル」
日本の地震学は、祈りにも似た地震予知への希求とともに始まった。東京大学地震研究所の玄関に掲げられた銘板には、冒頭に「明治廿十四(にじゅうよ)年濃尾地震の災害に鑑(かんが)みて震災豫防(よぼう)調査會が設立され、我邦(わがくに)における地震學の研究が漸(ようや)く其(その)緒に就いた」とある。震災予防調査会に課せられた最大の使命の一つは、予知の可能性の研究であった。
同じく濃尾地震の惨状を古雑誌で目にし、ほぼ独学で地震予知を志した少年が、京都府丹後地方の片田舎にもいた。その名を椋平広吉(むくひら・ひろきち)という。
椋平が17歳のときのこと。地元宮津で「日の粉」と呼ばれる短冊状の不思議な虹を見たあと、名古屋のほうで地震があった。それからも幾度となく同じ体験をした彼は、その虹が地震の予兆だと確信するにいたる。
椋平は、毎日のように虹を観察し、独自の予知技術を編み出した。虹の形、角度、色などから、地震の起きる日時、場所、規模を導き出すのだ。計算方法については不明だが、科学的に説明がつくものでないことはまず間違いない。そもそも「椋平虹」自体、他の人間には見えなかったという話もある。
椋平の名を世に知らしめたのが、1930年11月26日早朝に発生した北伊豆地震(M7.3)だ。驚くべきことに、彼はその前日25日のうちに、「アスアサ四ジ イヅ ジシンアル」という電報を京都帝国大学理学部長に宛てて送っていたのだ。この事実は新聞でも報じられ、椋平は一躍時の人となった。
椋平と同じ京都の丹後地方で生まれ育った地震学者、田中寅夫京都大学名誉教授によれば、地元では「明日大地震があると椋平さんが言った」という噂がよく流れてきたそうだ。田中氏は中学生の頃、地域の青年団が開いた椋平の講演会を聴きに行き、それがのちに地震予知研究に足を踏み入れるきっかけとなったというから、面白い。