5年以内に実現? 光合成をして分裂もする人工細胞〈前編〉

生命1.0への道 第8回

人工的な「セントラルドグマ」を組みこむ

もちろんプロの研究者が、細胞膜という袋をつくっただけで満足するわけがない。DNAを入れるのも、それだけではただの遊びだ。車さんは人工細胞を、限りなく本物に近づけていこうとしている。そこで次のステップでは、部分的に生命の歯車を回すことにした。ベシクルの中で、タンパク質をつくらせるのだ。

現在、おそらく地球上のすべての生物が持っている働きに「セントラルドグマ(中心原理)」がある。DNAの二重螺旋を発見した研究者のひとり、フランシス・クリック(1916~2004)が1958年に提唱した概念だが、ずいぶんといかめしい名前だ。

要するに細胞がタンパク質をつくる際、核のDNAに書かれている遺伝情報をmRNA(伝令RNA)に写し取り(転写)、そのmRNAの情報をできあがったタンパク質に反映させる(翻訳)という仕組みのことだ(図3)。

セントラルドグマのイメージ図
図3 セントラルドグマのイメージ図

車さんが所属していた東大の研究室では、このセントラルドグマを細胞の中ではなく、試験管の中で実現する方法を開発した。「PUREシステム(無細胞タンパク質合成系)」と名づけられたその方法は、研究者向けにキット化され「PURE frex」という商品名で販売されている(写真2)。

その箱を開けると、3種類の溶液が入っている。溶液Iには材料となるアミノ酸と翻訳に必要なtRNA(転移RNA)およびエネルギー源となるATP、溶液IIには転写に必要なRNAポリメラーゼという酵素と翻訳を行う36種類の酵素、溶液IIIにはタンパク質をつくるリボソームが入っている。tRNAやリボソームは大腸菌から抽出したもの、酵素は大腸菌から精製したものが使われている。

これらを混ぜて目的とするタンパク質のDNAを加えれば、PUREシステムが稼働する仕組みだ。37℃で数時間、反応させるとタンパク質ができてくる。

車さんは、この人工的なセントラルドグマを、人工的な細胞膜であるベシクルの中に入れてみた。つまり「エマルション沈降法」で、ぽちょんと垂らす水の代わりに、DNAとPUREシステムの混合液を落としたのである。

すると生きた細胞と同じように、ベシクルの中でタンパク質ができることを確認した。単なるハリボテではない「働く」人工細胞の誕生だ。とはいえ、それも数時間程度の命である。

PUREシステム写真
写真2 製品として販売されているPUREシステム

この段階の人工細胞には「口」がない。ベシクルは閉じた袋だから、物を食べられないのだ。つまり外から栄養を取りこめない。どんな工場でも原料や機械を動かす電気などは必要だが、タンパク質をつくる「工場」だって同じである。

PUREシステムには、あらかじめアミノ酸という原料と、ATPという生命共通のエネルギー源を加えてあるが、それを使い果たしてしまえば反応は止まってしまう。

であれば、とりあえずベシクルに穴を開けるしかない。しかし針などで刺しても、すぐに塞がってしまうだろう。ここで考えられるのは、車さんが東大で研究していたような「膜タンパク質」をくっつけることだ。

たとえば「αヘモリシン」という黄色ブドウ球菌の分泌するタンパク質がある。これが体内に入ると、赤血球の細胞膜が穴だらけになって壊れてしまうという恐ろしい毒だ。しかし、うまく使えばベシクルに口をつくることができる。

実際にアメリカのフィンセント・ノワロー(Vincent Noireaux)という合成生物学者らが、PUREシステムに似た無細胞タンパク質合成系をもつ人工細胞のベシクルに、このαヘモリシンをつけてみた。そして外からアミノ酸やATPを食べさせてやると、無細胞タンパク質合成系は数日間、稼働した。数時間程度だった命が、10倍以上に延びたのである(注4)(図4)。

注4)のちに日本でも大阪大学准教授の松浦友亮らが、PUREシステムにより人工細胞内でαヘモリシンを合成し、膜に組みこむという実験を行っている。

とはいえ、いずれは止まってしまう。αヘモリシンは単なる穴なので、選択的に物をやりとりすることはできない。つまり本物の口や肛門ではない。ただ穴の大きさと、ベシクル内外の濃度差で、入ってこられるものは勝手に入ってくるし、出ていけるものは勝手に出ていく。

アミノ酸やATPだけが入ってきて、老廃物だけが出ていけばいいのだが、そうはなっていない。もしかしたら捨て去るべき老廃物を、また取りこんだりしているかもしれない。するとベシクルの中が、だんだん「汚れて」いって、反応が落ちていくことも考えられる。このあたりは今後の課題なのだろう。

ベシクルの中でタンパク質をつくらせるしくみ
図4 ベシクルの中でタンパク質をつくらせる(概念図)。ノワローらの実験では、膜タンパク質が「口」となって、外からATPを取りこんだ(提供/車兪澈氏)
 
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