なぜ日本の学校から「いじめ」がなくならないのか「納得の理由」

「理不尽」を受け入れてしまう…

いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。

日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が8刷とヒット中、普段本を読まない人も「意外と知らなかった日本の論点・視点」を知るべく、読みはじめている。

全体主義が浸透した学校の罪と罰

学校は「教育」「学校らしさ」「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。

こういったことは、学校以外の集団でも起こる。

たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。

また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年にあさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。

そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。

学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」「宗教」「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。

このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。

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