わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。
※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
恋愛はいつでも悲劇的な結果に終わる喜劇である。
実らなかった恋愛は常に、目的に対して過大な手段の罠、目的と手段の転倒の罠、短期志向と近視眼の罠……といった経営の問題として説明できる。
魔の谷:理想の恋愛不可能性定理
たとえば意中の相手に「家庭的な人が好き」と言われ、その日のうちに料理教室に入会し、デートに手作り弁当を持っていくようになるが、その細菌培養液型弁当を食べた相手が案の定、食中毒にかかってしまい、相手から「君の/あなたのこと、もう擬人化した黄色ブドウ球菌としか思えなくて……」と、よくあるお決まりのセリフを吐かれ振られてしまう。
あるいは、気になっている人との細かい会話から相手の好きなお菓子を特定し、デートの約束もしていないのに「あっ、ちょっと、近くによったからさ。あ、これ、君が好きって言ってたやつ。このあいだ、たまたま新宿で見つけたから」などと矛盾だらけの供述をしながらお菓子を手渡して無事にストーカー扱いされたりする。
本当は超が付くインドア派なのに好きな相手と同じくスポーツ観戦が趣味だとアピールした結果、デートの内容がスポーツ観戦固定状態になり毎度毎度何の興味もない試合を見せられてゲンナリするということもある。
これら三つはすべて、「目的に対して過大すぎる手段によって、目的の実現そのものが妨げられてしまった、経営の失敗」の例として捉えられるだろう。