2024.07.11
# 肉食
# モース
# 日本史
日本人はいつから好んで肉を食べるようになったのか
肉食を普及させた福沢諭吉の本音と建前いつでも外国料理を食べられる現代とは異なり、洋の東西を問わず、昔は外国の食事に慣れるのは簡単ではなかった。日本を愛したイザベラ= バードやモースも、日本の食事は苦手だったらしい。他方で、米と野菜に慣れていた日本人が、肉を食べるようになったきっかけは、福沢諭吉の肉食の普及にあったという(ここでは原田信男『日本料理史』から一部編集のうえ引用する)。
イザベラ=バードやモースが告白
日本の食事は、外国人の口に合わないところが多く、とくに庶民レベルのものには閉口したようである。明治十一年(一八七八)に、北海道旅行を志した英国婦人・イザベラ= バードは、埼玉県春日部で塩魚と漬物に飯と味噌汁の昼食をとったが、このうち味噌汁については、『バード日本紀行』に、「ぞっとするほどいやなもののスープ」と記している。
さらに『日本奥地紀行』によれば、福島県西会津でも、野尻という宿で並べられた「貝類の佃煮・串刺しの干した鱒・海鼠の佃煮・根菜類のみそ和え・緑色をした海苔のせんべい」を「いずれも味の悪い不快な食物」と評している。
もちろんバードも東京などの都会では、「裕福な日本人の料理」を食し、これについては、「卑しむべきものではない」と綴つづりながらも、日本の食事に慣れるためには、「イギリス人ならだいぶ経験」を積む必要があると『バード日本紀行』に記している。
イザベラ゠バード
同じ時期に東京大学教授として北海道を訪れたアメリカ人・エドワード= モースは、『矢田部日記』によれば、函館滞在中「日ニ一度ヅヽ西洋料理」を出すことを条件としたほどであった。日本人のみならず、洋の東西を繫ぐ情報や物流が少なかった当時においては、食の相互理解はかなり難しい問題に属した。