2024.07.11

弁当箱の底に現金を忍ばせ…。「贈り物」という古代ギリシアの「美徳」は、なぜ「賄賂」という「罪」になったのか。

「贈り物」と、「賄賂」はどう違うのか。そもそも「賄賂」はなぜ「悪」なのか――。ここのところをよくわかっていない御仁が、現代日本の政財界にもたくさんいるのではないだろうか。新刊『賄賂と民主政 古代ギリシアの美徳と犯罪』(橋場弦著・講談社学術文庫)によれば、民主主義を生み出した古代ギリシアの人々も、「政治とカネ」の問題にはずいぶん悩み続けていたようなのである。

「悪いけれどもよい」伝統的な贈答慣行

今から約2500年前――。紀元前5世紀なかばに直接民主政の骨格を完成した都市国家アテナイ(アテネ)は、やがてペリクレスという優れた将軍の指導下で、国力の絶頂を迎える。その繁栄をしのばせる記念物が、アクロポリスにいまも輝くパルテノン神殿だ。

このペリクレスという将軍は、軍人・政治家として優秀なばかりか、非常に清廉潔白な人物だったという。同時代の歴史家トゥキュディデスはペリクレスの人格識見を高く評価し、「まったく賄賂になびかない」と記している。

〈ペリクレスは15年の間、国家の最高官職である将軍(ストラテゴス)に毎年選ばれたが、その間市内を出歩くときには自宅と役所を往復するのみで、友人から饗応を受けることを極度にきらい、宴会の招きに応じたことはほとんどなかったという。そのような席が、贈収賄の温床になることを恐れてのことであろう。〉(『賄賂と民主政』p.12より)

こうした話が伝えられているのは、逆に当時は私腹を肥やす将軍や有力者が多く、ペリクレスの政治スタイルがむしろ例外的だったことを示している。

ペリクレスの胸像

古代ギリシア社会では、何かモノを贈られれば、なんらかの返礼をすべきであるという価値観が、伝統的に強かった。こうした互酬性を重んじる社会では、贈り物を受け取らなかったり、受け取ったのに返礼をしなかったりするのは「敵対行為」と見なされかねない。

〈互酬性を規範としていたギリシア人が、賄賂について「悪いけれどもよい」という両価的な態度をとっていたことは、ある意味で当然の帰結であった。第三者から見れば言語道断の贈収賄行為でも、当事者にとっては伝統的な贈答慣行に従った、うるわしい美徳であり、あるいは少なくとも、それを装うことができた。〉(同書p.25)

では、具体的にどんな場面で、どのように賄賂が贈られたのだろうか。ローマ帝政期の歴史家、プルタルコスがこんなエピソードを伝えている。

ギリシア都市連合が大帝国ペルシアと戦った「ペルシア戦争」の時のことである。アテナイ海軍のなかに、ペルシア艦隊と戦うことに反対する軍船の船長がいた。このアルキテレスという男は、船長が乗組員に支払うべき賃金を十分に用意していなかったため、戦闘を避けて早く撤退したかったのである。

それに対し、アテナイの将軍テミストクレスが買収工作を仕掛ける。

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