意外と知らない、「お金を使わない人」が「一番の無駄遣い」とも言えるワケ

死ぬまでタンス預金をした人の末路

わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

コーヒーを飲んだ蜘蛛の糸:均衡と調和の崩壊が貧乏をもたらす

たとえ見た目には裕福に見えようと、あるいは実際に年収が高かろうと、出ていくお金がそれ以上に大きくて支出を抑制できないならば誰でも貧乏になる。

事実、私が学生起業していたときにも同じ理由で家計は火の車であった。毎日借金取りから空を飛んで逃げる夢をみて、羽ばたきながらベッドから落ちて目が覚めたほどだ。当時の私の見た目は根暗オランウータン的であったが、内実はお洒落ゴリラ営業的な人と似た状態だったのだ。

もちろん、こうした人は収入が極端に少ないわけではないため「貧困」の定義に含まれないという意見もある。だが、その人が常に借金に追われて生活苦の中にあるならば、やはり「貧乏」だとはいえるだろう。

ところが今度は貧乏を恐れるあまり吝嗇/ケチの極致に振れる人もいる。生存に必要なもの以外は何も買いたくないという人だ。そうした人は文化的な支出もしないし、病気が悪化するまで病院にもいかないし、教育にもお金をかけない。

しかし、ケチの極致は実は一番の無駄遣いである。

極端な話、死ぬまでタンス預金にお金を貯め続けて、そのお金の在処を誰にも告げなかった人がいたとすると、巨額の現金はその人の死とともに実質的に失われる。

すると巨額のお金を自分のためにも他者のためにも使わずに捨てたに等しい。これ以上の無駄遣いは考えづらい。一所懸命に掘った穴にお気に入りのエサをたくさん埋めておいてそのままエサの在処を忘れてしまう、おっちょこちょいな犬と類似している。

また極端にお金を貯めようとすると、時間の余裕がなくなったり、知識・情報の蓄積ができなかったり、人からの信頼をなくしたりする。お金の面での心配はなくなっても、常に忙しくて時間の余裕がなくなったり、生きるのに必要な知識・情報が貧弱になったり、人的ネットワークを失ったりするわけである。

このように貧乏とはお金、時間、知識、信頼といった資源の収入と支出のバランス(均衡と調和)が崩れた状態を指すと考えていいだろう。しかも、これらの資源のうちのどれかの収支のバランスを崩すことで他の資源の収支も狂う。

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