「のちの法務大臣」「弁護士会の重鎮」「犯罪のプロ」...伝説の踊り子のために結成された夢のタッグチーム

1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第53回

『『仁義なき戦い』誕生の秘話...悲しみに暮れる「伝説の踊り子」が知らぬ間に与えていた「まさかの影響」』より続く

一条VS検察の全面対決へ

中国との国交正常化を成し遂げた「実績」を背景に首相、田中角栄が打って出た総選挙(1972年12月)で自民党は安定多数を確保した。金脈問題で田中政権が揺れるのは2年後である。

総選挙の投開票から6日後、一条さゆりは1審の実刑判決を不服として大阪高裁に控訴している。検察側もその3日後、懲役1ヵ月(求刑は6ヵ月)の量刑を不当として控訴した。

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ここで一条は法廷戦略を180度、変える。1審では罪を認めて反省し、情状に訴え実刑を回避する戦術をとった。一方、控訴審ではわいせつ行為を否定する戦術に切り替えた。一条と検察が全面対決する構図ができあがる。