生きものについて知ることは、自分自身を知ることであり、私たちを取り巻く生きものや環境の成り立ちやかかわりあいを知ることといえます。ところが、世の中では「生物学は面白くない」と思っている人が、意外に多いようです。身近なテーマなのに、難しい専門用語が散りばめられた解説は、生物学という世界を疎遠にしてしまっているのかもしれません。
新型コロナウイルスCOVID-19はじめとした感染症の拡大、原発事故による拡散した放射性物質の挙動、地球温暖化、遺伝子組み換えによる作物や臓器提供のための動物など、現代の主要なトピックの多くが生物学と密接に関係しており、まさに現代人にとって必須の教養といえます。
そこで、生物学の基本から最新の話題まで、網羅的に解説した入門書『大人のための生物学の教科書』から、興味深いテーマ、読みどころをご紹介していきたいと思います。今回は、私たち人間にとって有益な生物の働き「発酵」を取り上げます。
※本記事は『大人のための生物学の教科書 最新の知識を本質的に理解する』を一部再編集の上、お送りいたします。
酸素を利用した呼吸だけではない
生きるには、エネルギーが必要である。すべての生きものはATPという物質を生命エネルギーとして用いている。食物やとして取り込んだ有機物を出発材料としてこのATPをつくりだす反応が、呼吸である。
呼吸の種類は複数あるが、なかでも酸素を利用した好気呼吸は高いエネルギー変換効率を誇り、生きものの多様性を生み出すきっかけともなった生命史上の大発明である。
いっぽう、微生物の呼吸の多くはエネルギー効率の点では好気呼吸に劣るが、その反応過程の一部を、私たちは古くから生活に役立ててきた。
微生物の視点から見た発酵と、人間から見た発酵
好気呼吸は、酸素を用いる呼吸である。実際に酸素が登場するのは反応の最後の最後(図「好気呼吸の全体像」)なのだが、その酸素がないと電子やプロトンが行き場を失うため、大量のATPを生産できる電子伝達系の反応全体がストップしてしまう。好気呼吸に、酸素は必要不可欠だ。
しかし地球上の生きものすべてが、酸素を利用できる環境で暮らしているわけではない。土の中や水の底、ヒトの腸の中など、酸素がほとんど手に入らない環境で暮らす微生物たちは、酸素を使わないでATPをつくる反応系をもっている。それらを総称して、嫌気呼吸という。
微生物の呼吸という意味で似たことばに発酵がある。
狭義の発酵は微生物の嫌気呼吸を意味するのだが、一般的に広く使われている広義の発酵は、微生物が有機物を分解することで人間にとって有益なものができる場合を指していて、その反応系が嫌気的か好気的かを問わないし、反応そのものがATPを得ることと直結していない場合もある。広義の発酵は、古くから私たちの生活に深く根付いて役立ってきた。