かつて北米の野生鳥類の3分の1はリョコウバトだった
先日、ある学会で一般公演を行った。講演者は2人で、私は化石など過去のことを話し、もうひと方は未来のことを話した。その方は、未来の話の中で、人類の絶滅についても少し触れられていた。その話を聴きながら、私はリョコウバトのことを思い出していた。
リョコウバトは絶滅種である。しかし、かつては北アメリカにいる野生の鳥類の3分の1はリョコウバトだったという見積もりがあるくらい繁栄していた種で、その数は19世紀の半ばには50億羽に達していたという。
1866年にはカナダのオンタリオ州南部で、空が暗くなるほどの巨大な群れが目撃された。その群れは、幅が1.5キロメートル、長さが500キロメートルに及び、通り過ぎるのに14時間もかかったと伝えられている。
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リョコウバトは胸の部分が赤い特徴的なハトで、時速100キロメートルで飛べたという。開けた場所だけでなく、森の中でも自由に飛べたらしい。リョコウバトの基本的な生息地は森林だったのである。そして、1本の木に、あまりにも多くのリョコウバトが止まったために、木が裂けて倒れることもあったらしい。
リョコウバトを激減させた理由とは
また、名前からもわかるように、リョコウバトは毎年大移動をした。夏は北アメリカ北部の五大湖周辺で繁殖して子どもを育て、冬は南部で過ごすのだが、そのときに通るルートは毎年同じではなかったらしい。リョコウバトの巨大な群れは、その通り道にある木の実や果実をすべて食べ尽くしてしまうので、それらの植物が回復するまで、数年間はそのルートを通らなかったのかもしれない。
そして、リョコウバトは人間の食料にもされた。栄養たっぷりで美味しくて、手軽な食料として人気があったらしい。しかし、19世紀の前半までは、それほど大量に狩られることはなかった。その理由の一つが、この、毎年移動ルートを変えることだったようだ。他の渡り鳥と違って、決まった移動ルートがなかったため、リョコウバトの群れがどこにいるかはわかりにくかった。そのため、待ち伏せされて大量に狩られることが少なかったのだろう。
しかし、電報と鉄道の発達によって、状況は変わった。電報が発達することによって、リョコウバトの群れの位置を遠くの人にも知らせることができるようになった。そして、鉄道が発達することによって、多くの狩猟者が列車に乗って、リョコウバトのもとへ向かったのである。
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リョコウバトを狩るのは簡単だったらしい。群れに向かって散弾銃を1回撃てば、何十羽ものリョコウバトを撃ち落とすことができた。ある記録では、1発で99羽を撃ち落としたという。
撃ち落としたリョコウバトは、羽毛を毟り取って樽に詰め、塩漬けにされた。そんな、リョコウバトの樽ばかりを積んだ列車が、都会に向けてたくさん走っていたらしい。とくに脂ののった仔鳩は人気があり、ニューヨークやシカゴのレストランにおける人気メニューだったという。
そうして、19世紀後半になると、リョコウバトは急激に数を減らしていった。