はてなキーワード: 斜陽とは
アメリカはビビりなので、それでも軍事は世界一でいたい。しかし、アメリカのモノづくりは死んでる。脱工業化してITと金融で食べていくことを決めたから、技術はボロボロ。Intelは大赤字、USスチールは身売り。医薬品は9割以上が中国とインドで、米国は錠剤に加工したりバイアルにつめるだけ。
近い将来、戦闘機の部品は半導体の一つ一つから、鉄板の一枚に至る前まで全部外国製になるわけだが、外国といっても、仮想敵の中国製は無理。儲からないモノづくりは日本韓国台湾に投げるしかない。そうなると、日本韓国台湾の企業は材料工学、機械工学、電気工学、応用化学を捨てられない。そのための人材育成が必要。基礎研究より応用研究と言ってるのはそのため。
モノづくりで中国と競っても勝ち目はないのだけど、アメリカの国防のために舎弟の日本としては国をあげて推すしかない。景気対策と雇用対策とめいうって、工場の国内回帰を推進して、企業が必要な人材を大学に養成させる。繰り返しになるけど、長期的にモノづくりで中国に勝ち目はない。
どの分野も研究分野で中国がトップなんだから、商業生産だって、いずれだ。半導体製造装置を禁輸したって、時間稼ぎにしかならない。リチウムが露地掘りできる国に、バッテリーEVで勝てるわけないだろう。
今は技術で日本が優位でも、なにかを禁輸すれば、中国共産党がメンツをかけて代替技術を開発するいつものパターン。
モノづくりを推進しても日本は豊かにならないし、そのために大学に金を落としても無駄だ。しかし、米軍に守ってもらうためには、必要経費として、国立大学も私学助成も必要。
大学はモノづくり関連を強化。卒業生は地方の工場で生産技術や生産管理をする。国立院卒のチー牛が地元枠の高卒とくっついて、25歳で35年ローンで家を買う。地方経済も回るし、一極集中も改善。
長期的には勝てないので会社は斜陽かもだけど、国が無限に援助する。といっても中国やアメリカみたいに莫大な予算ではなくて、延命措置が続くという感じ。もちろん原資は税金。
全ては東アジアの安定のため。
もう駄目だ。
本当ならとっくの昔に自衛隊から「いい加減イメージが悪くなりすぎるから勘弁してくれ」と三行半を突きつけられてもおかしくないような状態だ。
だが知っての通り自衛隊という組織もまた極限まで終わっているせいで「俺達はどうせ左翼に批判されるから、もう好き放題やるんだ。税金を川重に渡して宴会場でコッソリPS5を貰うんだ」と好き放題だ。
そんな両者は同じ方面に斜陽を転がり落ちているものとしてスッカリ意気投合。
お互いが腐れば腐る程に「この苦しみを分かってくれるのはキミだけだよ」と更に繋がりを濃くしていく。
そうして海上自衛隊お墨付きという旗印を手に艦これ民はいよいよ調子に乗り、そして繰り返す迷惑行為により社会からはいよいよ離れていく。
奴らはもはや誰も止めることの出来ない怪物になった。
もしも、もしもの話だが、もっと早くお前らが艦これ民に「駄目な所だけちゃんと直せば、皆君たちのことを嫌ってるわけじゃないからね」と優しい言葉をかけてやれば・・・。
目先の投石の気持ちよさばかり優先して奴らを全世界の敵として扱ったりしなければ。
本当にもう駄目だ。
というか、俺達が知らないだけでとっくにエミュ鯖プレイが当たり前になっているんだと思う。
そうでなかったら「こんなことしたら公式もいよいよビビってゲームを閉じちゃうかも」と踏みとどまらなきゃいけないラインを何度も超えられるはずがない。
止められないんだ。
今からでもまだ海上自衛隊が「コイツらはヤバすぎるので、流石に消えてもらうべきだと思いますね」と声明を出せば、ワンチャンはあったかもな。
だがもう無理だ。
おれらもたぶん、年寄りになった時に若者世代から責められるんだぜ。
日本の経済力が落ち、社会問題が噴出し、政治の腐敗が進んで、治安が悪くなり、若者の負担が増え続けているのが目に見える状態だったのに、何で何もしなかったの?って。
いや、変えようとしたけど何も変わらなかったんだよ、と言っても、こらだから斜陽世代の言うことは信頼できない、行動力がない、発言力も無かった、先見性なんてあるわけもないとか言われて。
悲しいね
日本は没落しまくってるんだけど、それは自民党に票を入れた奴ら及び投票を棄権した奴らのせいなんだよね
十年後、二十年後を見据えて俺は投票に行ってるんだが、俺は自民には入れてない。ちなみに民主党政権ができた時には民主にも入れずに共産に入れた
自民1強は好ましくなかったし、実際日本は没落したよね?でも俺は自民に入れてないので、いま日本が没落しているのは俺のせいではないです。
投票に行ってたら、こういうポジションが取れる。むしろ俺はそのためだけに投票に行ってる。
将来孫世代から「なんで日本ってこんな没落したの?当時の大人たちは何してたの?」って嘆かれたとして、お前って「投票行くのだるいから一度も投票したことないんだよねw」とかって答えるの?
単純にバカだと思われるだろうね
とはいえ投票に行ったとして、なんとなく自民に入れてるんじゃ意味ないんだよね。反日思想の統一教会とべったりの自民党に入れてたとして、日本が没落するってのは分かりきってるわけじゃん。つまり自民に入れてた奴らは当然日本没落の原因になってるわけ
だから、その時々で批判に耐えうる正しい政党に入れてないと後々「弱い」よね。実際民主党旋風が巻き起こった時も、俺は民主はどうにも信用ならんが自民は論外ということで、政権批判能力を強化させたいと思い共産に軟着陸したよね。
後々になって「民主に騙された」みたいなこと言ってる奴ら、アホみたいだなって思ってるよ。
なんか選挙って勝ち負けだけに注目してる奴いるんだけど、俺は全体のバランスを見て、勝ち負けで言うなら絶対勝つわけない共産を増やしたほうがいいだろうということで投票したんだよね。なんで、民主時代含めて日本の没落には寄与してないですね
こうやって、自分の投票行動を堂々と述べれるんだよ、俺は。若い人たちに対してもね
俺はこのときれいわに投票した、何故なら。俺はこのとき立憲に投票した、何故なら。
後世の人間に対して明確に言えるようにしときたいと、俺は思ってるんでね。
自民をディスってるけど、じゃあ民進だったら、立憲だったら、日本は没落しなかったのか?
そういう反応ありそうなんで答えとくけど、その質問自体がナンセンスなんだよね
歴史にifはないんだよ、今より良くなってるとも悪くなってるともなんとでも言えるし、それらは妄想でしかない
「日本人の多くは投票を棄権し、一部の組織票に勝る『統一教会と深いつながりのある自民党』や『創価学会と深いつながりのある公明党』が安定した政権を運営した結果、少子高齢化は全く改善せず、日本は没落した」
これが確定した歴史なんだよね。ちなみに大きな歴史の中の小さい点として、俺個人としては自民にも公明にも入れることはなかった、という事実も歴史として残る
それこそお前の大好きな「欧米の著名人」であるイーロンマスクなんかは「権力をスイングさせるべき」という風に考えているみたいだが
ならば俺が当時立憲やら野党系に投票していた理由が補強されるんだよね
「日本人はねじれ状態を作るチャンスもあったにもかかわらず政治に無頓着だったので結局ずっと自公政権が続き、日本は没落しました」
日本人は愚かで考えることが苦手だから選挙にはいかなかったのです。そうこうしている間に、韓国カルトの統一教会に日本は乗っ取られてしまいました。
その中で俺個人としては少しでも日本の没落を食い止めるために鼻をつまんで、勇気をもって野党系の政党に投票していました。
まあ、結局は「この国をよくするために選挙に行きましょう」みたいなのって道徳の話なんで、お前がそれでいいって言うんならそれでいいんだけどね。子孫残せてるのかどうかも知らないしさ
厚顔無恥なアホたちは、棄権した上で孫に投票は毎回行ってたみたいな嘘話をでっちあげてそうだけどね。まあ、そうしたとしても誰にもとがめられないんだが。
「我が国の防衛政策が世界に及ぼす影響を鑑みるに今、国防予算を減額することなど到底不可能です。」大統領が議会に向かって口角泡を飛ばす勢いで述べている。しかし、大統領の勢いに負けぬだけのヤジも頻繁に議会を飛び交っている。
確かに世界中で紛争が減り、一時期の勢いがどこに行ったのか不思議なくらい斜陽の我が国が世界一の国防費を維持し続けることに意味があるのかは長年議論されてきた。曰く、嫌われてまで頼まれもしない世界の警察たる必要があるのか?と。
俺の座る議会付きの記者席になんとはなしに緊張が漂う。今日は歴史が変わるかもしれない、そんな風に皆が思っているのだ。記者席は音声を元に手元で自動生成されるニュースを見守りながら今か今かとEnterを押すタイミングを待っている。このSociety7.0においてもいまだ速報に意味を見出す連中が会社上部には居座っている。
「お前はどう思うよ?サム?」
馴れ馴れしいタイムズの知り合いが俺に問いかける。俺は大統領とデバイスの双方に気を配りながら相手をしてやる。
「デイヴィッドは本気だよ。国防予算を下げることが国民の幸せに繋がると信じている。今は国防費よりスニッカーズすら買えない額の年金に投資した方が良いって思ってるよ。」
素人はこれだから、みたいなことを言いつつ奴がオーバーリアクションを取った瞬間のことだった。票決はなされた。我が国始まって以来の国防費の大幅減額が決まったのだ。記者席がにわかに慌ただしくなる。隣の記者が叫び声を上げた。
「正気かよ、国防費をGDPの2%から1%に減らすだと?世界一の軍隊を有する日本合衆国(ステイツ)が?100年前の9条改正以来の事件だぜこれは!」
俺がなにかにハマるときには、すでにそのジャンルは斜陽になってきていて、人も少なくなってて、過去のものをひたすら漁ることぐらいしかできない
現在絶賛流行中のものを追いかけようには、流れが速すぎるからなのか、どうにも熱量に追いつけなくて置いてけぼり感が強くて、毎回どうもトレンドに乗り切れずにただただ疲弊してしまう
かと言って、これから来るだろうという誰もまだ目に留めていないものを発掘できるようなスキルもやる気もなく、アーリーアダプターになることもできない
ライブでしか得られないものがあるのも当然分かっているし、これがアイドルとかの話なら、推しは推せるときに推せって言葉もハゲ上がるほど納得できるし、ただでさえ今はコンテンツが溢れすぎてて記録やアーカイブに残らないものが多すぎる
俺はただ、みんなでワイワイ騒いで楽しんだ人たちが去った後の、残飯処理をひたすら繰り返しているだけのような存在なんだろうなと思うと、ときおり悲しくなる
趣味にそんなものないよ、本人が楽しければいいじゃん、ってのもその通りなんだけど、たとえば仮にこれを投資とかの話に転じると、途端にただのバカな搾取されるだけの存在でしかないことが分かる
一番熱いときに順張り出来ずに、ほぼほぼ全員が逃げ切った後に拾って、ただただその価値が下がっていくのを見ながら、自分の好きなものだからと誤魔化し続けて、沈み続けて時間というリソースを塩漬け状態にしているだけ
本来ならその拘束された時間は、次の今熱いコンテンツに注ぐべきものであって、ただそういう風に上手く波に乗ることがいつまで経ってもできない自分が悲しくて、どうすればタイミングよくそのときにホットな話題に全力で乗っかれるんだろうといつも不思議でならない
これもまた才能という言葉で片付けられてしまうのであれば、その逆もまたしかりで、何事も全力で楽しめないことだってまたその人の才能であって、そういう生き方そのものが運命なのかとも思ってしまうと情けなくなるんだ
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
どうやったら予算を取ってこれるかの風呂敷を広げ、予算を消化しては次年度も同じことを繰り返す。
建前上は、会社の役に立ってるようにアピールするけど、正直わからない。
コストカットや業務改善を本気でやってみたいけど、頑張るほど、仕事がし難くなるだけだと思う。
社内褒賞だってたった数万円だし。
そもそも会社の事業が社会的に役立ってるのか、俺は斜陽ながら役に立つ商品とサービスと信じちゃいるけど、役員連中はどんだけ延命できるか、波風立てずに自分の任期を終えるかしか考えてなさそうだし。
また今年も、いかにも難題そうなその実易しい目標を掲げて、簡単に達成しながら困難に立ち向かったふうにアピールして、査定100%を貰うんだろう。