はてなキーワード: 山師とは
“女性起業家の半数がセクハラ被害” スタートアップ業界で何が - 性暴力を考える - NHK みんなでプラス
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nhk.or.jp/minplus/0026/topic132.html
本件、一部ブコメの知らないっぷりが割とすごくてで驚いたので、知ってることだけだけど注釈を。
【追記があります→https://anond.hatelabo.jp/20240830160254】
会社を新しく作ってその運転資金の一部を銀行などの金融機関から借りるというのは一般的で、最低限のお金なら今時はどこの銀行も貸してくれる。しかし一方で、幅広く新規開発をしたい、広く実証実験したい、事業を拡大したいなど、そこそこ大きい資金が必要になった時に、担保もなしに新しい会社にノンリコースローン付けてくれる金融機関はあんまりほとんどない。
これは一つには、都市銀行などには「その新規事業の事業計画が成功を期待できるものかどうか」を判断する能力がないから、という理由が大きい。銀行は30年間で事業の質や領域がシュリンクし続けていて「これまで取引のある企業へ手堅い資金融資しかできない」状態が長く続いている。不動産などの分かり易い担保があれば別だがスタートアップに億を超える融資はまずしてくれない。失われた20年はデカかった。
ryun_ryun なんで謎の投資家にみんな頼るのだろう?金融機関に頼ればいいのに。博打にリスクは当然では
tikuwa_ore 真っ当なトコからお金を借りられない人が、個人投資家の懐を当てにしたら代価を要求されたってだけの話。そも借りた後で要求されたのならセクハラだが、借りる前ならセクハラ成立してねえだろ。アホか。 繊細チンピラ これはひどい 社会 企業 うーん
上の2つのブコメ(代表して目についた2つだけ、ごめんね)は、この辺の資金調達の基本的なところが見えてない感じがある。まぁ調達や銀行との折衝なんて、それなりの会社でサラリーマンでお勤めだと全然見えないところなので、まぁ仕方ない。悪くないよ君たちは!知らなかっただけ!あ、でもid:tikuwa_ore さんのやつはちょっとあれだなセクハラは借りる前でもセクハラじゃないかな?「黙ってサせないと金出せないよ」って脅されるケースも有り得るわけで。
doroyamada 「○○業界のスタートアップ」はあっても「スタートアップ業界」というのはないのでは(金融業界内のサブ業界としてはあるかも)
miscmisc 正直どうでもいい。辞めて正解。おっさんに頼らなければいいだけの話。それにしても「スタートアップ業界」って何だよ。何の業界のスタートアップなんだよ。
2010年代までは孫さんや、ホリエモンさんや、ZOZO澤さんや、そういう「ひと財産築いた人」が投資家として、お気に入りの起業家や気になる業界好きな界隈などに投資していた時代。その流れを汲んで色んなスタートアップ企業が生まれたりジュっと消えたりしていったのだが、その波の中から「新しい事業を作る人や会社をサポートする」というショーバイが生まれた。銀行が不良債権をひーひー言いながら貸し剥がしたり税金で補填したり、貸し先に困って投資信託や保険商品を売らされて疲弊してた間に、「新しい事業が成功するかどうかを見極めつつ金を出す」仕事をする人は別の場所で別のショーバイクラスタ「スタートアップ業界」を作っていたというわけだ。
その人たちの内訳は、「成功した元スタートアップの実業家」だったり「コンサルファーム出身のやり手」 「コンサルファームのスタートアップ部門」だったり「大企業で何やら良く仕事ができていて独立したおじさん」だったり「元経産省の官僚」だったり「大企業の新規事業部門」だったり、まぁそういう人や企業たちだ。
id:miscmiscさんの「何の業界のスタートアップなんだよ」という問いはちょっと外れていて、どんな業界にもその業界から生まれるスタートアップがあるのだ。多くの場合、彼らは自分たちにとって明るい業界(孫さんならイットやDX、とか)の周りで、新しいビジネスを思いついた人に、お金を貸したり、事業がうまく行くように人脈を使って有益な会社を紹介したりといった「伴走業務」をする。金を貸したからには成功してもらわないと困るので「伴走業務」をする。この「金を貸しつつ事業成功に向けて伴走もする」ビジネスが要するにベンチャーキャピタル(VC)業である。本当は銀行の仕事のはずなのだが、前述のとおり銀行にもうそんな人材はいない。銀行に事業計画書を出しても収支表の足し算引き算が合ってるか確認する程度しかできない行員がほとんどなんだよね…。
id:doroyamadaさんの「金融業界のサブ業界」というのは割と合っているんだけど、今やもう少し複雑になっていて「ベンチャーキャピタルに金を出すファンド」があるのが一般的。銀行はスタートアップには直接の融資はせず、ベンチャーキャピタルに金を貸すわけでもなく、「ベンチャーキャピタルの資金をプールしてるファンド」に出資をする。銀行→ファンド→ベンチャーキャピタル→スタートアップ、という順番で金を調達するケースが増えている。
VCには、まぁ基本は専門色の強い人や成功者がいたり協力体制があったりするので、銀行は金を貸しやすい(実績があると稟議が通りやすいから)。またこの「VCの資金プールファンド」には銀行以外にも「そのギョーカイの老舗企業の新規事業部門が出資」とか、「その事業が成功すると潤う自治体が出資」ということも起こる。だからこそ「資金プールファンド」を作る意義があるとも言える。多様な人がステークホルダーになれるから。あとファンドを作っとくと資金使途の透明性が担保されやすくなるというメリットもある。
「スタートアップ業界」はこの5、6年で政策にもすっかり取り込まれていて「スタートアップを支援する場を作りました!」みたいなことを国や自治体や大学や大企業がやっている。
例えばこんなの
「内閣官房 スタートアップ育成ポータルサイト https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/su-portal/index.html」
「東京都スタートアップ・国際金融都市戦略室 https://www.startupandglobalfinancialcity.metro.tokyo.lg.jp/」
「起業・大学発ベンチャー支援 - 東京大学 産学協創推進本部 https://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/activity/venture/index.html」」
このように、ベンチャーキャピタルは銀行などから金を調達し、「どのスタートアップに金を貸そうかな」というセレクションを行う。この辺でハラスメントが発生しやすくなるんじゃないかと思う。選ぶvs選ばれるの構図でスタートアップ側からしたら生殺与奪権を握られてるから。あとは、「新しいことに金を出す余裕があるのはおっさんだけ、それも過剰にバイタリティが有り余ってる(結果セクハラする人も混じっている)おっさんしかいない」というのも、まぁ遠因ではあるかもしれない。社会の構造はそんな簡単に変わらない。おっさんに頼らなきゃいいじゃんと言うが、おっさんしか金持ってる人間がいないのが現代の日本なのだから仕方ない。おっさんからは調達しなきゃいいというなら、おばはんに金を預けてくれよな!おばはんも人によってはセクハラするかもしれんけどな!
SanadaSatoshi スタートアップ界隈に顔を出す自称投資家は山師ペテン師も紛れてる。投資家ヅラしてるけど金持ってない奴もいる。そういう様子がおかしい奴の目的なんか分かったもんじゃないし、残念ながら排除する仕組みもない。
sionsou 陽キャがバンドマンやるのは女にモテてセックスしたいからって理由が9割と一緒で、陰キャもそうなれる可能性があるスタートアップも結局金儲けて権力と金でマウントしたいだけっていう。世の中のためなんて嘘だよ
この辺は、まぁ中にはそういう人はいるかなぁ…というのは正直あるけど、そんな屑ばっかりでも全然ない。多くのスタートアップは理系分野における新しい発見などがシーズになっていることも多く、そのシーズの研究の確実さや「稼げそうさ」をスーパーバイズしたり伴走したりできるのは、かなり深めの専門家、大学の先生や企業の研究所をあちこち渡り歩いてるスーパーマンだったりもする。更に「金勘定もできる人」なのだからもう頭が下がる。そういうデキオジたちはめっちゃ面白い人だらけだし、私の知ってる限りだけど皆さん愛妻家だったりすることが多いね。
knzm_img 意識の高そうなスタートアップやリベラルの連中も、金と権力を持った途端に性欲と支配欲に抗えないのは人間って感じがする。
これまで述べた通りで、スタートアップ界隈は「賢くて生臭い(稼ぎたい)」人たちの集まりなのは確かなので、むしろリベラルとは真逆な人がほとんど。
スタートアップ側がゆるふわSDGsな題目を唱えてたら鼻で笑いつつ「まぁゆるふわな方が話題にはなるかもねhahaha」って感じである。そしてスタートアップ側も意識の高さよりは稼ぎたさの方が大きい人の方が多いです。そりゃそうだよリスク取って稼ぎたいんだから。
■じゃあ起業家はどうしたらいいのか
一つは、上に上げたような、比較的公的セクターに近かったり堅そうな大企業が参画してるような「スタートアップコミュニティ」にコミットする、というのは大事だと思う。変なのにあたる確率を少しは下げられる。前述した通りシゴデキすぎて愉快おじさんたちもいるし、女性の伴走者も少数ながらいる。なによりも「コミュニティ」なので、それが大きいコミュニティなほど周囲の視線が気になるものなので。
あとはシンプルに「一人で誰かに会いに行かない」のも実は大事。たった一人でやってるんです、ということであれば、スタートアップコミュニティにはだいたいマネジャーなどの相談できる人がいるので、そういう悩みごと相談してもいいと思う。あとはたった一人ではできることは限られるから仲間を作ろう。
「変なのに近寄るから悪いんだ」的なブコメは完全なセカンドレイプで本当なら許せる発言ではないのだけれど、起業するというのは危険やリスクを取ってでもやりたいことがある・稼ぎたいネタがあるからなので、その勇気やパワーをセカンドレイプを糾弾に向けるなんてもったいないから、若い人はああいうのは無視しよう。
子供の頃、生き物が大好きで将来は生き物博士になるんだ~とか無邪気に言ってたけど、
「お前は博士になれる人間じゃない、博士なんて稼げない、穀潰しになる為にお前を生んだんじゃない」って言われ始めて、
最終的には大学進学すら絶対反対されて断念、地元でちょっと有名な企業に高卒枠で入社した。
その当時は随分恨んでいたけど、
今となっては日本で成功できる知識職はアメリカの最高学府レベルで実績を残せるようなトップエリートの理工系か、
人々に適切な攻撃対象を提案し続けられる山師みたいな左翼人権派社会学者だけってのが分かってしまった。
政治的にも生物学なんて実益のない分野は選択も集中もしてくれないっての理解している。
貴重な資料を収集して博物館に収めたところで、維持管理費の無駄として破棄される。
働きだして分かったが、そもそも私はまっとうに四大に進めるような人に比べて頭が悪すぎるし、
働き始めないとそのことにも気付かない程度には無能だった。
例えそれがどんなに好きな分野であっても一端の者になることはできなかっただろう。
大学に進学せず、競争倍率の低い地元企業の高卒枠を使っての就職は、
私が人生で選択しうる最上最高にして唯一の選択肢であったと今は強く確信しているし、
当時の私の未熟な思い込みによる間違った選択肢を取り除いてくれた親には感謝しいている。
ネットでは親の意見にさからって我道を突き進むことが褒めそやされるけど、
コロンブスのアメリカ大陸500周年を記念した映画は1992年当時、すくなくとも2本公開されている。
1本は、元増田が書いてるリドリー・スコット監督の『1492 コロンブス』。(原題 “1492: Conquest of Paradise)”)
もう1本はジョン・グレン監督の『コロンブス』(原題 “Christopher Columbus: The Discovery”)。
ジョン・グレン監督というのは馴染みのない名前かもしれないが、1980年代から90年代の007シリーズを手掛けている人。
自分は見たのは前者(以下『1492』と略記)だけだが、後者(以下『コロンブス』)についてもいろいろ悪い意味で話題になってたよなあと思い出したので、wikipediaの英語版その他を手がかりに書いていく。正確性は必ずしも保証しない。
元増田は『1492』を“盛大にコケた”と評してたが、もっと目も当てられないコケ方というか、製作時点からトラブル続きだったのは後者の方。興行成績も『1492』のほうがよほどマシだったはず。
『コロンブス』は米・英・スペイン合作の、アメリカ大陸到達500周年記念大作として、スーパーマン・シリーズでも有名なサルキンド親子のプロデュースで動き出した企画だった。
実はリドスコ、こっちの監督としてオファーされていたのだが蹴ったあげく、ライバル作品である『1942』を監督を受けてしまう。
こっちのプロデューサーは当時は若手のフランス人で、脚本はその人の奥さんが書いてるのだが、たしか脚本に惚れ込んだとかいう話だった記憶が、うっすらあるような、ないような。
これが訴訟沙汰になってリドスコは訴えられてしまい『コロンブス』サイドによればリドスコ側が脚本のアイデアを盗んだとかなんとか。
脚本は似てないってことで損害賠償は認められなかったようだが、リドスコ版の原題が“Conquest of Paradise”となっていてコロンブスのコの字もないのは、そういう大人の事情が働いていたようだ。
『コロンブス』は大作にふさわしく、原案と脚本にマリオ・プーゾ(あのゴッド・ファーザーの)、キャストにはマーロン・ブランドも名を連ね、リドスコに蹴られた監督のオファーをまず受けたのは、イタリア出身のギリシャ人監督ジョージ・P・コスマトス。
っていわれても知らねえよってのが普通の反応だが、『カサンドラ・クロス』『ランボー怒りの脱出』『コブラ』等々の作品は知ってる人もそこそこいるか。
ところがこの人も、「創作上の相違」を理由に降板した上、製作サイドに訴訟を起こしており、あとを続くようにティモシー・ダルトン(4代目ジェームズ・ボンド)やイザベラ・ロッセリーニ(あのロッセリーニとイングリット・バーグマンの娘)も降板。
マーロン・ブランド(異端審問官役だったらしい)はクレジットの削除を要求したらしい。
詳細は不明だが、勝手に推測するに、“とにかく500周年に合せてデッカイ映画を!”が先走って、いろいろグチャグチャだったことがうかがえる。
映画自体は観てないから内容は知らないが、あらすじをみる限り、こちらはあくまで“アメリカ大陸到達まで”を描く娯楽大作だったようだ。
『1492』の方も見るには見たのだが記憶は曖昧だ。元増田同様、長くてつまんなかったというのは良く覚えてるけど。
ネットでいくつか感想や評のようなものを見かけたが、わりと人によって違う印象で、これはつまり、ダラダラ長い割に焦点の定まらない映画だったということかも。
ネットの情報を参考にしつつ自分の記憶とあわせて再構成してみると、
みたいな感じか。
で、当時たしか“なんだかコロさんがどういう人なのかも、監督がなにを言いたいのかよく分からん”と思った記憶がある。
山師なのか夢見がちなロマンチストなのか。結局は儲けたくて航海やってんのか。
いやまあ色んな面を持ってるのが人間だよねーで納得できる感じでもなかったと思う。
で、最後になんか取ってつけたように“人生にはロマンが必要だよね”みたいなこと言い出して、いや、これそういう映画だったっけ?みたいな。
コロンブスがきたせいで南米大変なことになっちゃったねー、それまで楽園みたいだったのに、ってのはかろうじて伝わったが。
もしかしたら当時、コロンブス像の転換というのが行われている最中で、それを反映していろいろ多面的な捉え方をしようとした脚本だったのかもしれないが、それが作品には投影されてなかったのだろう。多分。
まあ配信もされないってことは、もう歴史の闇に葬り去られていく映画なんだろうけど、あの年にコロンブス映画が失敗したことで、その後のエンタメのテーマとしてはとりあげにくくなったのかなぁ?という気はするな。
結論 コロンブスは鬼門なので安意にエンタメで扱わないほうが良い。
え?違う?
例のコロンブスのやつ。
こんな思い出話をすると年がバレるってやつだが。
コロンブスの評価がかつての“新大陸を発見した冒険家”から大きく変わっているという話は、コロンブスのアメリカ到達から500周年、つまり1992年の頃には、わりとメディアでもそれなりに論じられていたように記憶する。
で、この年、リドリー・スコットが満を持して監督した大作『1492 コロンブス』が公開されているのである。
リドリー・スコットといえば、あの『ブレード・ランナー』や『エイリアン』をはじめ『グラディエーター』や『ハンニバル』などヒット作も多い大監督だ。
松田優作の遺作となった『ブラック・レイン』なんて作品もあるし、個人的には『ブラックホーク・ダウン』なんかも忘れがたい映画だ。
だが、『1492 コロンブス』という作品を覚えている人はあまりおるまい。
“長いうえに、つまんなかった”という記憶だけは、ハッキリしてるのだが。
断片的な記憶を無理やり掘り起こしてみると、たしか、コロンブスはかなり山師みたいにも見える男で、ようやくスペイン女王から援助を得て航海に出てついにアメリカに到達!というところまでは早々に話がすすんで、その後の植民地建設とかのゴタゴタとそれに翻弄されるコロンブスの苦悩とか没落とかが描かれてた…と思う。
多分。
ネットにもあんまり情報ないのだが、断片的にでてくるのはこんな感じである。
これはさっき検索して再認識したことだが、スペイン女王役は、あの『エイリアン』のシガニー・ウィーバーだった。
邦題は『1492 コロンブス』となっているが、原題が『1492: Conquest of Paradise 』ってあたりにも、まあ創り手の意図はうかがえる。
何故かよく覚えているのは、スペインにタバコを持ち帰ったコロンブスが宴会みたいな席で、“新大陸にはこんな嗜好品があるんだせ!”なんて吹かしてみせ、周りの女性にも吸わせるのだが、当然ながら始めてタバコ吸った人は盛大にむせてしまう、というシーン…なのだが、もしかしたらこれも記憶違いかもしれない。
もし配信あったら見直してみようかな?と思ったが、主だった配信サービスどこもやってないようだ。
実はこの年、この映画に先駆けて『ブレードランナー ディレクターズカット版』が公開されていた。
なんとなく“ブレードランナーはスゴイ!”と聞いていた自分は、初めて映画館で観て、大層な衝撃を受けたのである。
当時、映画館は“入れ替え制”と銘打っていても、毎回全員を一旦退席させるだけで今のシネコンのように座席指定制ではなかったのをいいことに、上映後一旦トイレにこもって、次の回に入ってくる客に紛れ込んでもう一回見てしまったくらいだ。
で、そんな映画をつくった監督が、アメリカ大陸到達500周年を記念して放つ超大作!というから期待したのである。
もしあの映画がアカデミー賞◯部門制覇!とかなってたら、もうちっとコロンブスに関する世間の知識もあの時点でアップデートされて、中学から音楽ばっかやってたバンド野郎でも“偉人として単純に取り上げちゃヤバイ奴”って知ってたんじゃないのかな?と思うのだ。
リドリー・スコットじゃなくてスピルバーグあたりがもっと分かりやすくコロンブスの負の側面を入れ込んで作ってヒットさせてたら良かったのかもしれない。
ま、あの人も案外コケた作品ないわけじゃないから、題材自体が難しいのかもしれないが。
あえてネトフリあたり、この題材、もう一度挑戦してみたらどうだろうか?
【追記】
ブコメ見て思ったのだが、コロンブス個人はそんな悪人には描かれてなかったかもと思い始めた。
ただ、コロンブスがアメリカ行ったのを発端に南米がぐちゃぐちゃになったという話にはなってたような。原題も“楽園の征服”だし。
ま、おぼろげな記憶であれこれ言っても詮無い話なんだが。
そんなの知らないよお前と違って暇空の発言なんかロクに見てないし
もう十分儲けただろ?慎重じゃなかったのは山師に騙された連中だろ
コミュニティに配慮したガイドラインだとネットで評判なのだが、よく読むと内容が酷い。
観客から取れる観戦料は安い金額に制限され、大会を動画化して得られる収益も制限され、スポンサーを付けることも禁止されている。
これは海外の例だが、1年間て提供できる賞金総額が1万ドル(約150万円)以下に制限された。少なすぎる。
つまり金が稼ぎづらくなってるわけ。
プレイヤーが賞金を稼げれば、大会参加のモチベーションにつながり、プロ化の道も開かれる。
大会主催者が儲かれば、大会開催のモチベーションにつながり、よりクオリティの高い大会を開ける。
人・金の回りが良くなり興行が盛んになれば、スポンサーも付きやすくなる。
荒野行動が良い見本だ。あのゲームはコミュニティ大会が活発な上に、バンバン賞金が出る。
公式から高額賞金大会が開かれるし、コミュニティ大会での賞金も許されてるから、eスポーツの発展に必要な土壌がしっかりできてる。
運営会社(NetEase)がプレイヤーの自主性を重んじることで、良いサイクルが回っているわけ。
それに比べて任天堂は何だ? ギチギチに制限したら盛り上がるものも盛り上がらない。
海外のスマブラプレイヤーからは不満が出ている。「よけいなお世話だ」と。
興行ってのは、賞金稼ぎや山師が出てくるくらい派手な方がいい。
海外でeスポーツが発達したのは賞金稼ぎが可能になるほど景気が良かったのが大きい。
現在のプロゲーマーはスポンサー収入を主としているとはいえ、賞金額を抑えられたら少なからず悪影響が出るだろう。
https://anond.hatelabo.jp/20231021204144
支持者側が「表3」」「実際」の事を割と意図的に無視しているってのは話半分なんだけど
(トラバのnoteも見たけど、専門家では無い&かなり強烈な暇アンチポストを連投してる人だからこちらもバイアスあるだろうし話半分)
「赤字事業で超過分は全て持ち出しだから問題無い」というのがColabo(及び擁護派の)ざっくりした主張という訳。
一見一理はあるけどでもよくよく追ってくと、そもそもの支出の中身自体にも
「会計がいい加減過ぎて報告内容もあまり信用性が無いんだけど大丈夫?」
という異議が出ている以上、超過してるから無問題にはならないと思うんだよね。
例えば家の家計で年間240万の予算でやり繰りしてとお願いした。
でも不審な支出があり問い正したら「実は家計は赤字で400万使ってた!残りは自分の貯金から出したから問題無いよね!」
と言われて、「はいそうですか分かりました」にはならないと思うんだよね。お前その辺野古旅行誰と行ったんだよ、とかさ。
Colaboの話に戻すと、パソコン代がエアコン代として計上されてたり(普通間違えないと思うしパソコン代にしては高すぎない…?とか)
タイヤやドラレコ購入費も実際には購入してないのに予算として計上されてたりして
https://note.com/clean_daphne896/n/n26f911ef8b7f
こういったガバガバ会計があると、実際には4300万使ってました!って言われても本当に使ってるのか内訳出してよとか
予算超過してるから何も問題無いだろってのは余りにも無理筋だと思うんだよね。
普通の会社だとこんな経理してたら、普通担当は外されるし最悪クビになるでしょ。(実際Colaboは今年度から外された訳だけど)
例えば辺野古基地反対運動等の「政治活動」の為の旅行(合宿)費用とか、お高いオーガニック購入費が計上されてるとか、高額の交際費(飲食店)があるとか
色々ある訳だけど、個人的な感覚で言ったら政治活動の為の費用なんて完全にアウトでしょ。
これは政治活動自体の是非じゃなくて、政治活動を主体とする団体はそもそも事業に関われないし主体としてなくても政治活動には使うなってのは法律で明記されてるから。
一般的に考えても、被保護者を基地反対運動みたいな暴力的排除も有り得るし逮捕される可能性もある、かなり危険な活動に連れ出すなんて完全にアウトでしょ。
例え被保護者の少女が本当に心から参加したいって言っても全力で止めるべきなんだよ。せっかく保護した少女を危険に晒してどーすんの?
(若い女性という人間の盾に使っていた、という見方はさすがに酷すぎるので考えたくない)
これはマジで自費でやれよだし、事業の経費に混ぜてるのならこれも返金しろって話だし。
お高いオーガニックだって普通に考えれば自分で買えよって話だし(保護事業にもさすがに不用だと思う、オーガニック必要な時点で「支援が必要な困難女性」では無い)
飲食費だってまあ保護女性+事業に関わった大人達の面々で行って飲み食いして本来であれば分けなければいけない所を全額計上したんだなーありがちーとは思うが
突っ込まれた以上はこれもきちんと分けた方が良いんでない?とは思う訳で。
結局色んな所で支援事業だからってガバガバでやってたんだから「実際」とかいう代物だって正直完全に信用には足らないし
Colabo側が用意したものだから好き様に出来るでしょ、ってのもあるから、この辺の是非は裁判できっちり決着つけては欲しい。
どっちが勝てよ負けろって言う話じゃなく、こういった非営利法人特有のガバ経理がどこまで認められるか?というのは純粋に興味がある。
後さ、これは去年の段階からずーーーーーーーーーっと言われてる事だと思うんだけど
社団法人やNPOの会計がガバガバなんてのはColaboに限った話では無いんだよね。
昔その手の団体をちょっと手伝った事があるけど、ひでーモンだったよ。
代表が家族で旅行行った時の費用や自分家のテレビの購入費用を経費として申請してんじゃねーよって思ったね。
ハッキリ言ってそこらの中小ですら多少のガバさはある訳だし(下っ端はともかく部長クラスになると怪しい領収書出してきたりする)
ましてや非営利社団法人とかNPOなんてのは学生サークル上がりみたいな所や出自の怪しい山師みたいなのがやってる様な所も多く
良くも悪くも一般的な社会人とは乖離した人達が集まる所なんだから、そこにまともな会計やれって言う方が野暮というか酷な訳。
小さい所だと代表やその関係者の奥さんが主婦感覚でやってる様な所の方が多い訳だし。(Colaboはプロの会計士ついてたらしいけど…)
まあそこら辺は出す方も分かっててある程度ガバってるの承知でそれでも予算の消化とか行政じゃ出来ない範囲での活動を期待して出してる訳だし
多少のお目溢しは必要悪だと個人的には思うよ。すごく思う。まともにきっちりやったら多分半数以上の団体がアウト食らうんじゃねえかな。知らんけど。
Colaboに落ち度があるとしたら、団体というか代表?顔役?前面タンク担当?の言動がとにかく悪目立ちし過ぎて
特に草津町長冤罪事件や温泉むすめ騒動なんかで関係者や諸団体に結構な迷惑かけてたりもあって、敵を作ってしまった事だよね。
ついでに言えばフェミニスト寄りの人やColabo擁護派ですら「活動は擁護するけどあの人の全部を支持してる訳じゃない」とか苦言呈されるぐらいには
言動が過激かつ先鋭的になっていて敵どころか味方すら削ってる刹那的な活動が結果的に目をつけられる「きっかけ」を作ってしまった事だろうね。
後政治活動臭をちょっと隠せてないというか寧ろ隠す気無かった様な所も迂闊過ぎたよね。
結構な予算が出てる訳だけど、それを当たり前だと思ってる様な発言も反感を買うよね。
100円ショップを使う事で少ない経費をやり繰りしています凄く大変です、なんてアピールされても
いや普通の家庭は当然でそれなりの企業ですら物買う時は100円ショップ普通に使うけどねって思うよ、一般的にはさ。
自分だって団体の活動自体には特に反対も無いし行政じゃ出来ない事をやってるとは思うけど
じゃあその為に色々ガバい会計見逃せって言われたら「じゃあ他の似たような団体に変えたら?」ってなるし
公金が出ている以上、お金の使い途に口出されるのは当たり前を超えた当たり前。
自分らが政府や県・市の金の使い方に口出したりするのと一緒じゃん?
なんかそこら辺「自分達は素晴らしい正義の活動をしているんだから見逃せ」という様な態度(これは支持者が多いかな?)も
結局の所、悪目立ちしたが故に本来は見逃されてたガバくて痛い腹を探られてるのだから、これはもうしょうがないよねって思わなくも無い。
まあ、この問題の大正解は初手で「誤りがありましたある程度返金しますすいませんでした」って謝っちゃえば
税務調査と同じ様に許されてたし暇だって大義名分を無くして失速してたと思うんだけど
初手でやったのが議員会館でのリーガルハラスメント会見だからね……
多分あの時点でColaboも自分らも暇の人がどういう人間かまるでさっぱり分かってなかったからだと思うんだけど
ちょっと調べれば、良くも悪くも一昔前のネットユーザーで喧嘩も売るし売られた喧嘩は絶対に買う様な類の相手で
しかも資金力もありFIREした独身一般人だから(それは一般人というのか?という疑問ああるけど)継戦能力も高いという
喧嘩かましたらやべー相手だってのは分かったと思うんだけど、まあその辺りの迂闊さとか
第三者のサイレントマジョリティからどう見られるかという視点がマジで欠けているという活動化特有の性分が
本来であれば頭下げて済む話をここまでの大事にしたのかなって個人的には考えてるよ。
ってかマジで何で謝れねーのかなー。頭下げれば済んだ事も多かっただろうに。
昭和のある時期まで、文学全集、図鑑、画集、百科事典が流行ってたと思う。名画のレプリカとかも。
自分の世代ではすっかり下火だったが、それでも幼き日の新聞広告には全集やけっこう載ってた。
今でも田舎の家にはけっこうあるんじゃないかな。木彫りの熊やペナントとかと並んで飾られてるモナリザとか。
紙の質も印刷も最悪で、今じゃ見るに堪えないけど、カラーページが作れなかったのか、カラーページにだけ石版や木版で作ってたりして技術的に面白い。レプリカとしての質は総じて悪く、昭和を味わうためのものという感じ。
ちなみに、昭和前期の画集とかになると滅茶苦茶な超絶技術でレベルが違う。中期以降のそれは、成金向けを騙すために粗製濫造というやつだと思う。
山師が新聞社に企画を持ち込んで、新聞社の名前で予約をとり、何重もの下請けの果てに、西洋絵画も日本画も知らないが手先は器用な印刷職人が、模写して印刷したんだろうなと。
でもな、それが昭和だったんだ。
山一證券に内定が決まってた同級生がいた世代。なので、記憶がちょっと曖昧なところもあるかもしれないが許してほしい。
山一廃業のニュースが流れた日、内定をもらっていたその人は大学に姿を見せなかった。翌日青白い顔をして現れ就職相談課へ向かったが、状況はどうにもならないようだった。
10人に内定を出していた企業は、2月になって1人を除いて内定取り消しを知らせてきた。そんなことがあちこちで起こった。
内定を取り消された者への補償など、誰も何も言わなかった。だってそれは仕方がないことだから、不況だからね。山一が倒れるくらいだから他の企業も潰れてもおかしくないだろう? そういうリスクがあるのはわかってるんだから、なんで公務員試験を受けなかった? そんな空気だった。もっとも公務員試験も教員採用試験も受けたところで採用される確率はとても低く、強いコネでもないと決まらない時代でもあった。
当時の空気感は今と全く違うし、知らない世代には通じないものがあると思う。そんな話をしていきたい。
まず、当時はインターネットがそんなに普及してなかった。地方に行くほどその傾向は高く、他所で何が起きているかを把握するまでに少し時間がかかった。一番早くてテレビ、それから翌日届く朝刊。口コミの伝播も遅かった。東京で流行っているファッションやアイテムが地方に届くまでにも、半年くらいかかっていた。
就職のための情報収集もとにかくアナログで、ホームページのある企業はまだ少なかったし、あっても用を成さないものと見做されていた。だからリクルートがくれる分厚いカタログについてくるハガキで資料請求。
そんなことをしてると部屋中企業案内のカタログだらけ…になると思うだろ? 企業はハガキにある大学名を見て送ってこなかったりもしたから、そんなに増えないのだ。そして応募しても当たり前のように落ちるし、酷いところは結果も知らされない。絶対電話で結果は連絡しますといっても、かけてこない企業の方が圧倒的に多かった。電話代もいちいちかけるには高いもんな。当然封書での不採用通知もほとんどくることはなかった。履歴書も戻ってくることはほとんどなかった。
パソコンよりワープロのほうが普及していたけど、増田のいたゼミは卒論を手書きで出してた割合の方が高かった。そして履歴書は当然手書き。当時はそんなソフトもない。(頑張れば履歴書も作れたかもしれないが、当時の手書き文化の前で認められることはなかっただろう)そんな手書きの履歴書を何十、何百枚と書いて各企業に郵送していた。当然、コピーなど許されなかった。ペンだこができるまでボールペンを握り続けた。ちなみにボールペンも昔はたいして種類がなくてソフトグリップなんてものはまだ多くなかった。だから履歴書も手を真っ黒にして書き続けるしかなく、その多くが徒労に終わった。
ちなみにあの頃ケータイは高すぎて、学生は皆ピッチ(PHS)かポケベルを持ってた。田舎住まいだと実家に帰ると電波が入らなくて、履歴書にも家電の番号を書いていた。
しかしながら増田の周りの女子大生、特に短大生の内定率は高かった。まだ腰掛けが当然の時代で、30歳前、早ければ25歳くらいで女性社員は結婚を理由にどんどん退社していく。つまり常に会社には若い女性が入れる隙間があった。そして企業がそんな若い女性に求めるのは、「将来的にいいお嫁さんとして最適な時代に辞めていくこと」でしかなく、学生側もそれを良しとしていた。総合職を目指す女子大生は求められていなかったのだ。そこは厳選された男子学生の席だった。
男女雇用均等法はまだ、あってないようなものだった。インターネットが普及していないかったから、今のように誰でも気軽に告発するようなこともできなかった。そういったことは共産党に相談するしかなく、それはとても高いハードルだった。
氷河期世代を理由に今も不遇をかこっているのがおじさんばかりなのもそこに理由がある。あの当時、女子大生、短大生はサクッと内定を獲得し、数年働き、そのほとんどが結婚を機に職場を去っている。そして家を建て、車を買い子供を産んだ。
もちろん、そうはいかなかった女もいる。これを書いている増田だ。中学生の頃から母がフルタイムで働いていて、自分でもそうするのが当たり前だと思っていた。だから分不相応にも就職活動ではキャリアを目指したいなどと言ってしまった。
結果、どこにも決まらなかった。そんなものはまだ必要とされていない時代だったのだ。
内定先を見つけられないまま卒業式を迎えた。求人誌で見つけた大手企業のアルバイトに応募したら案外あっさりと決まった。社員登用もありなんて書かれると人は弱い。そんなことは結局起きなかったが。
アルバイトながら4月1日に勤務開始。仕事は主に伝票計算。社保も厚生年金も入れず自分で払うと最低時給の給料は吹き飛んだ。そしてその職場には、同じく就職できなかった女子がいた。卒業した大学は増田よりはるかに上のランクだった。こんな人でも決まらなかったのか。彼女はやはり25歳になる前にお見合いをして職場を去った。
増田も30前にしてやっと手に職をつけることができた。アルバイト先を辞めて実家を出て、なんとか就職できた。
数年働いた後、昔のバイト先が消滅したとバイト仲間から知らせを受けた。紙と手でチェックしていた伝票計算の仕事が無事にすべてIT化され、施設自体が閉鎖、アルバイトも全員解雇されたのだ。
だが昔の仲間を労っている暇はなかった。キャリアも何もないアラサーの女は多少のことで辞めはしないだろうという激務につぐ激務で、体を壊した。
転職しようと就職支援の会社に行くと「年齢とキャリアがミスマッチですね」と言われ、紹介できる会社はないと遠回しに言われた。ずっとこの言葉はついて回るのかと思いながら、別の会社を経由して無事に転職した。このときにはもう、履歴書を手書きで出す必要はないと言われた。いつのまにか時代は変わっていた。ネットに落ちているExcelの履歴書をダウンロードして入力して、プリントアウトして提出した。あっさりしたものだった。
無事に転職した直後に、リーマンショックがきた。暮れのテレビでは派遣村のニュースをやっていて、自分もいつそこへ行ってもおかしくないと痛感した。当時付き合っていた人は不況の煽りを受けて職場が倒産し、その後変な山師みたいなおっさんについてベトナムに行くと言って連絡が取れなくなった。風の噂で今は日本にいると聞いたが、どうしているのかまでは知らない。
それから震災やら大コケするビッグプロジェクトやら家族との別れなど、色々なことに遭遇しながら、今も一人で生きている。会社は辞めたが、仕事はしている。久しぶりに自分で健康保険と国民年金を払ったら、思った以上に高くなっていた。この先もずっとこんな感じで生きていくと思う。職をつけてよかった。
増田には今、大学の同級生たちとのつながりがほとんどない。世の中にSNSが普及したころ、彼女たちは子育ての真っ最中でそれどころではなかったのだ。Facebookで卒大のグループを見てもそれらしいアカウントは見つからなかった。かろうじて繋がっている数少ない友人たちもLINEをやるくらいで、SNSで積極的に発信することはない。特に言うべきこともないからだ。