アルカディア (ゲーム機)
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メーカー | |
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種別 | 据置型ゲーム機 |
世代 | 第2世代 |
発売日 | |
CPU | Signetics 2650AN[3] |
GPU | Signetics 2637N[3] |
対応メディア | ロムカセット |
互換ハードウェア | 多数[3] |
「アルカディア」(Arcadia)は、日本で1983年に発売されたバンダイの家庭用ビデオゲーム機[2]。あるいは、米国で1982年に発売されたエマーソンラジオの家庭用ビデオゲーム機「Arcadia 2001」[1]。
アルカディアには内部的にほぼ同一仕様のゲーム機が複数存在しており、世界各地で様々な企業から別々の名前を付けられて販売されていた[3][4][5]。バンダイのアルカディアとエマーソンラジオのArcadia 2001についてはカートリッジ形状を含めて互換性があり、カートリッジの相互利用が可能なことが判明している[3]。
また、内部的には同一バイナリのプログラムが動作するが、アルカディアとカートリッジ形状が異なる機種も存在する[3]。日本で発売されたものの中では、朝日通商[6][7]あるいはヤマギワ[8]が発売した「ダイナビジョン[6][7][注 1]」や、PICの「エクセラ[7]」がこれに該当している[3]。これらの機種で採用されたカートリッジ形状は数種類に分類することができ、別々のカートリッジ形状を採用した機種とのカートリッジの相互利用は通常は不可能となっている[3]。
当記事では、これらの機種の中から日本でバンダイが発売した「アルカディア」を項目名として用いている。
アルカディア (バンダイ)
[編集]「アルカディア」は、バンダイが1983年3月25日に日本で発売した家庭用ビデオゲーム機である[2][9]。アルカディアは香港からの輸入機種であり[8][9][10][11]、生産を香港のユニバーサル社に委託していた[2][12][注 2]。
発売経緯
[編集]1980年から続いたLSIゲームのブームが落ち着きつつあった1982年の日本の玩具業界では、ポストLSIゲームとして家庭用ビデオゲームに大きな期待が掛けられていた[20][21]。それ以前の日本の玩具市場では、1981年夏に発売されたエポック社の「カセットビジョン」のみがカートリッジ交換型の家庭用ビデオゲーム機として存在感を示した製品であったが[21]、1982年夏以降、各社から複数の家庭用ビデオゲーム機の新製品が発売され、それぞれ多額の予算を投じてTV媒体や雑誌媒体を使った積極的な宣伝活動が展開された[20][21][22]。
しかし、『トイズマガジン』の調査によると、1982年の家庭用ビデオゲーム機本体の販売台数は全体で約15万台、ゲームカートリッジを含めた市場規模は約70億円に留まったという[20]。当時の玩具業界の間では、1982年の日本の家庭用ビデオゲーム市場が不振に終わった理由として、市場が未成熟であったこと、ゲーム機本体があまりにも高価格であったこと、何でもできるパソコンとしての側面を強調したためにかえって中途半端な印象を与えてしまったことなどが取り沙汰されていた[23][24][注 3]。製販三層は本体だけで数万台とみられる相当数の在庫を抱え[20][26]、翌1983年の夏休み商戦に入っても前年に抱えた在庫が捌ききれない状態となっていた[20]。
日本の玩具メーカーであるバンダイも、提携関係にあるマテル社の16ビットCPUを採用した家庭用ビデオゲーム機「インテレビジョン」を香港経由[注 4]で輸入し1982年夏から49,800円で販売していたが、1982年の家庭用ビデオゲーム市場においては期待していたほどの成果を得られなかった[12][注 5]。インテレビジョンは若者から大人世代を主な対象とした製品であったが、当時子供世代から人気のあったタレントのビートたけしをTVCMに起用するなど多額の広告宣伝費を投入したことも功を奏して、1982年夏の発売当初は幅広い年齢層から支持を得て好調な出足となっていた[12][21]。1983年5月の『日経産業新聞』の記事では、日本のビデオゲームブームの火付け役になったとも評価されている[8]。しかし、1982年末までには49,800円という価格面が主なネックとなって、特に子供世代からの需要が減少し、売れ行きが鈍化してしまうこととなった[21]。そこでバンダイは、より低価格で子供世代を狙った新製品として「アルカディア」を展開することを決めた[12][21][25]。
当初、アルカディアは1983年2月のニューバンダイフェアでの発表時点においては、29,800円の価格を付けて売り出す予定としていた[2][8][12][20]。しかし、低価格帯の家庭用ビデオゲーム市場の競争の激化が予想されたことや[2][12]、1982年末から日本の家庭用ビデオゲーム市場への進出が報道されていた[22][29]、米国の家庭用ビデオゲーム最大手であるアタリへの対抗から[8][30]、生産を委託する香港のユニバーサル社と協議を行い[2]、先手を打つ形で1983年3月17日[30]に急遽予定価格を大幅に下回る19,800円に標準小売価格を設定したことを発表し、1983年3月25日の発売に至ることとなる[2][8][12][30][注 6][注 7]。その結果、アルカディアは8ビットCPUを採用する家庭用ビデオゲーム機としては日本で初めて2万円を切る低価格で発売されることとなった[2][8][12]。バンダイはTV媒体や少年漫画誌を中心に広告を投じて、子供世代からの需要を呼び起こそうとしていた[21]。
しかし、アルカディアの発売後にも、任天堂が「ファミリーコンピュータ」を15,000円[注 8]で発売することを発表するなど、競合各社による低価格帯の家庭用ビデオゲーム機の発表や、既存機種の価格改定が相次いだ[20]。アルカディアもその情勢に大きく影響を受け[20][38]、キャラクターソフトの発売を機に1983年7月1日から定価は据え置きのままカートリッジを1本同梱する措置を取り[39]、1983年7月18日[38]には更なる仕様変更が行われ、定価を19,800円(カートリッジ1本同梱)から9,800円(本体・コントローラ等付属品のみ[40])に値下げするまでに至った[20][38]。
また、バンダイが従来から販売していたインテレビジョンに関してはアルカディアの上位機種と位置づけた上で[2][12][注 9]、アルカディアの発売後も販売が続けられた[2][8][42]。バンダイはインテレビジョンの販売計画を再検討し、周辺機器を充実させる計画を立てるなど、アルカディアとの差別化を図ろうとしていた[12]。なお、アルカディアの9,800円への価格改定と同時期である1983年夏には、インテレビジョンについても大幅な値下げが行われている[20][注 10]。
1983年5月の『日経産業新聞』の記事によると、玩具業界の間では、インテレビジョンとアルカディアはバンダイの本命商品ではなく、自社開発の製品を発売するまでのつなぎ商品との見方がなされていた[8]。『週刊ファミ通』2008年12月5・12日合併号に掲載された、1980年代当時電子ゲーム全般のプロデュースを担当していたバンダイの石上幹雄へのインタビューによると、家庭用ビデオゲームビジネスは低価格競争の結果、「小さく生んで大きく育てる」といった玩具業界の商慣習とは似て非なるハイリスクなものと化しており、アルカディアという既存のビデオゲーム機を輸入販売したのはそのリスクを減らす側面があったと述べている[25]。
バンダイは1983年3月の発売当初、アルカディアの初年度の販売台数を約20万台と見込んでいた[2]。1983年9月の『日経産業新聞』に掲載された1983年4月から8月までの家庭用ビデオゲーム機の生産状況を伝える記事によると、アルカディアは約4万台を生産し、任天堂のファミリーコンピュータ、セガ・エンタープライゼスの「SG-1000」、エポック社の「カセットビジョンJr.」に次いで3位に並んだという[44][45]。しかし記事中では、9,800円への強引な値下げによって販売を支えたのが実態であり、発売が1983年3月ということもあって夏休み商戦では苦戦したと評価している[44]。
1983年にバンダイはアルカディアの他にも、同じく海外からの輸入製品でディスプレイ一体型のゲーム機「光速船」や、シャープと共同開発したホビーパソコン「RX-78 GUNDAM」を発売したが、いずれの機種も赤字を計上した[25]。バンダイは最終的に家庭用ビデオゲーム機事業から撤退し、ソフトメーカーとしてファミリーコンピュータに参入することとなった[25][注 11]。
ハードウェアの特徴
[編集]アルカディアの本体は木目調の筐体に2つのコントローラーが接続されたものとなっていた[25]。コントローラはカールケーブルで接続された数字キー付きの縦長コントローラとなっており[11][25]、方向パッドはネジ式のレバーを取り付けることにより、ジョイスティックとしても使用することができた[11]。
ソフトウェアの特徴
[編集]アルカディア用のゲームカートリッジとして、全19本がバンダイから発売された[46]。
バンダイが展開したアルカディアのソフトウェアの特徴としては、既存のアニメや漫画などを題材にしたキャラクターソフトがラインナップとして加わっていたことが挙げられる[11][25]。家庭用ビデオゲームにおけるキャラクターソフトは日本では初とも言える試みであり、開発にはバンダイと株式会社科学技研が共同で携わった[25]。
その一方で、キャラクターソフト以外のラインナップは海外からの輸入ソフトとなっていた[40]。カートリッジの価格は輸入ソフトは2,980円から4,800円、キャラクターソフトは3,800円に設定された[40]。
カートリッジの発売時期については、輸入ソフトは全15本が1983年3月にアルカディア本体と同時発売されたとされている[2][9]。キャラクターソフトは『月刊コロコロコミック』1983年10月号の記事によると、その時点で『機動戦士ガンダム』『ドラえもん』の2本が先行して発売されており、『超時空要塞マクロス』『Dr.スランプ アラレちゃん』の2本が1983年9月発売予定と記載されていた[47]。
評価
[編集]『月刊コロコロコミック』1983年10月号に掲載された家庭用ビデオゲーム機6機種の比較記事では、アルカディアのコントローラは数字キーやカールケーブルを理由に最高評価を獲得している[47]。しかし、グラフィックについては画面解像度や色数などを理由に、画面が荒く動作もぎこちないと評され、ゲーム内の効果音についても単調と書かれている[47]。総合評価としてはファミリーコンピュータ、アタリ2800、SG-1000に次いで、6機種中4位と評価された[47]。
発売されたタイトル
[編集]- サイドアタック
- スペースミッション
- エイリアンインベーダー
- スペースバルチュア
- ミサイルウォー
- スーパーガブラー
- スペーススクワードロン
- キャットトラックス
- エスケープマン
- ロボットキラー
- R2Dタンク
- ホッピーバグ
- ジャングラー
- スペースパイレーツ
- アストロインベーダー
※ 『パーマン』や『科学戦隊ダイナマン』を題材にしたキャラクターソフトも計画されていた[40][42]。
Arcadia 2001 (Emerson Radio)
[編集]「Arcadia 2001」は、エマーソンラジオが米国で1982年に発売した家庭用ビデオゲーム機である[1][5][注 12]。
Arcadia 2001は、「インテレビジョン」や「オデッセイ2」などの競合製品と同等のグラフィックを持っていた[1]。しかし、同年にグラフィック性能に優れる「コレコビジョン」が発売されていたために市場で存在感を全く示せず、商業的に失敗した[5]。また、『パックマン』などの人気のある業務用ビデオゲームを家庭用で出版する権利は主にアタリが確保していたため、Arcadia 2001のソフトラインナップはゲーマーにとって貧弱に映るものでしかなかった[1]。
エマーソンラジオからArcadia 2001用として発売されたゲームソフトの本数は全22本[52]あるいは、全24本[53][54]とされている。
- 発売されたタイトル[52]
- 3D Bowling
- Alien Invaders
- American Football
- Baseball
- Brain Quiz
- Breakaway
- Capture
- Cat Trax
- Escape
- Grand Slam Tennis
- Jungler
- Missile War
- Ocean Battle
- Red Clash
- Soccer
- Space Attack
- Space Mission
- Space Raiders
- Space Vultures
- Spiders
- Star Chess
- Tanks a Lot
類似機種の一覧
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脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1983年5月の『日経産業新聞』の記事によると、ダイナビジョンは、ヤマギワがビデオゲームブームを動機に、香港の中堅電機メーカーであるサウンディック社から輸入し、1982年末から49,800円で販売したものと記載されている[8]。ダイナビジョンは、その知名度の低さから1982年の年末商戦で苦戦し、翌年には低価格機種の台頭により全く売れなくなったため、ヤマギワは早々に輸入停止を決めたとされている[8]。
- ^ アルカディアの複数のソフトウェアには「UA LTD.」という権利表示がタイトル画面あるいはパッケージに存在している[13][14][15][16]。また、1982年には『CAT TRAX』や『ROBOT KILLER』などのアルカディアで発売された複数のソフトウェアの名前が、香港の企業「Universal Appliances Limited」の手によって、米国で商標出願されている[17][18][19]。
- ^ 『週刊ファミ通』2008年12月5・12日合併号に掲載された記事で、ライターの武層新木朗は、当時の子供世代の立場から以下のような別の視点を提示している[25]。子どもにとって家庭用ビデオゲーム機は、頻繁に買い替えることが困難なぜいたく品であり、購入した機種の商品展開が長続きすることが、ゲーム機を選ぶ際の最も重要な要素であった[25]。そのため、次々と新機種が発売されていく状況はメーカーの自信のなさに映り、それらを買い控える動機となったと分析している[25]。
- ^ 1982年当時、一部のビデオゲームメーカーは生産ラインの一部を香港に移管していた[27]。そのことやビデオゲーム人気などを背景に、当時の香港では、欧米向けを中心として家庭用ビデオゲーム機およびカートリッジの輸出産業が好調となっていた[27]。1982年の香港からの輸出額は、家庭用ビデオゲーム機本体が16億2250万香港ドル(当時のレートで約560億円)、カートリッジが11億3050万香港ドル(当時のレートで約390億円)を記録していた[27]。
- ^ 矢野経済研究所の調査によるとインテレビジョンは1982年夏の発売から2週間で約5千台を販売し、1982年を通じて約3万台を出荷したとしており[12]、1983年5月の『日経産業新聞』の記事では、1983年3月末の時点でインテレビジョンは16ビットCPUを採用した家庭用ビデオゲーム機の中ではトミーの「ぴゅう太」に次いで業界第2位の約2万5千台を出荷したと報じている[8][28]。
- ^ 1983年3月17日の発表当日にバンダイから配布されたアルカディアのパンフレットの中には、29,800円と記載された価格欄を黒く塗りつぶして慌てて訂正したような痕跡が残っていたという[8][30]。
- ^ 一方のアタリも、当初は39,800円の販売価格を検討していた「アタリ2800」を日本市場でのシェア獲得への強い意欲や問屋からの意見などを受けて、価格を29,800円に設定して1983年5月に売り出そうとしていた[30][31][32]。しかし、バンダイがアルカディアを1983年3月に19,800円で発売したことを受けて販売価格の変更を再度検討することとなる[30][32]。その結果、1983年4月に当初の予定価格から大幅に引き下げた、24,800円でアタリ2800を発売すると問屋などに通告し[30][33]、1983年5月10日の発売日からは価格を据え置いたまま、本体と4,900円相当のゲームカートリッジをセット販売する施策も実施した[20][30][34]。しかし、その後も家庭用ビデオゲーム機の価格競争は熾烈さを増したため、1983年8月4日出荷分からはカートリッジ2本とアタリ2800本体を価格を据え置いたままセット販売する措置を取り[35]、1983年11月1日出荷分からは更なる仕様変更が行われ、アタリ2800を本体のみで15,000円で販売するまでに至っている[36]。
- ^ その後、セガ・エンタープライゼスが家庭用ビデオゲーム機「SG-1000」をファミリーコンピュータと同一価格の15,000円で売り出すことを発表したことなどを受けて、ファミリーコンピュータは更に14,800円に価格を下げて発売に至っている[20][37]。
- ^ 『アミューズメントライフ』第8・9号に掲載された紹介記事において、アルカディアは「インテレビジョンの弟分」として紹介されている[41]。
- ^ 『トイズマガジン』1983年8月号のビデオゲーム特集記事では、1983年の夏休み商戦直前に19,800円に値下げしたと記載しているが[20]、同号のカタログ記事ではインテレビジョンの価格を24,800円としており[43]、『トイジャーナル』1983年9月号の記事でも価格を24,800円と記載している[42]。なお、それ以前から、一部の小売店によってはインテレビジョンを2万円台で値引き販売していた事例も確認されている[8][30]。
- ^ なお、バンダイはその後も家庭用ビデオゲーム機事業への意欲を持ち続けており、1994年に「プレイディア」、1996年にアップルコンピュータとの共同開発で「ピピンアットマーク」、1998年には「ワンダースワン」を発売している[4]。ワンダースワンは任天堂の「ゲームボーイ」シリーズを相手にある程度の健闘を見せたものの、それ以外の機種は商業的な失敗に終わっている[4]。
- ^ 「Arcadia 2001」は、1982年5月にEmerson Radioの手によって、米国で商標出願されている[3][50][51]。
出典
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