私たちの細胞を包んでいる細胞膜は「リン脂質」という分子が2層にぎっしりと並んでできた袋です。もし内部や表面にDNAのような核酸もタンパク質も何もない、ただの膜だったら、水中を漂うシャボン玉のようなものです。ところが、ちょっとした化学反応のしかけをほどこすと、それだけでも勝手に複雑な構造になったり、分裂して子供をつくったりします。前回(〈無生命でも増殖する"人工原始細胞"の誕生〉)はそのことについて、詳しくお話ししました。
最近の研究で、そのリン脂質の膜には、さらに驚くべき性質が秘められているとわかりました。もしかしたら、その性質があったからこそ、生命は誕生したのかもしれません。そして研究に使われた手作りの装置は、約40億年前に始まった「化学進化」の舞台を再現している可能性もあります。一方で、その装置は将来、生物に似たロボットやAI(人工知能)をつくるのにも役立てられそうです。
生命は海底の温泉地帯で誕生した?
木枯らしの吹く寒い日は、温泉が恋しくなります。そうでなくても時間とお金さえあれば(そして感染症の流行がなければ)、湯治場を訪ねたくなる人は多いでしょう。それは必ずしも日本人ばかりではないようです。私たちは、どうして温泉が好きなのでしょうか。
開放的な場所でお湯に浸かれば、それだけで気持ちがいいのは確かです。加えて地の底から運ばれてくる熱や温泉の成分が、元気にしてくれるように感じたりはしないでしょうか。感じるとすれば、それは私たちの細胞に刻まれた約40億年前の記憶によるものかもしれません。
地球上の生命は、どこで誕生したのか? 彗星の上から地の底まで諸説ありますが、有力な候補は温泉です。主な理由としては、まずエネルギー(熱)があります。それが化学反応を進めてくれます。また湧きだしてくるお湯には、有機物の材料となる物質や、生命に必要な金属などが豊富に含まれています。
ただ温泉で誕生したと考える研究者も、一枚岩とは限りません。しばしば「陸上」派と「海底」派とに分かれます。それは温泉が陸上ばかりでなく、海底にも出ているからです。海底の温泉は「熱水」、噴きだし口は「熱水噴出孔」、あちこちから熱水が噴きだしている場所は「熱水噴出域」と呼ばれます。
現在の熱水噴出域は、しばしば太陽光も届かない深海に広がり、そこには微生物から大きな魚まで、様々な生物が集まって暮らしています。筆者も一度「しんかい6500」という潜水調査船で海底火山のカルデラに潜り、そこかしこで噴きだす透明な熱水と、その周辺に群がる真っ白なカニや眼のないエビなどを見たことがあります。それ以外の場所は岩ばかりなので、まるでオアシスのように思えました。
「生命は海で誕生した」と聞くことは多いように思います。それは旧ソ連の生化学者アレクサンドル・オパーリン(1894〜1980)の「化学進化説」や、それを実験で補強したアメリカの化学者ハロルド・ユーリー(1893〜1981)とスタンリー・ミラー(1930〜2007)の影響が、いまだに強いためでしょう。
オパーリンは原始の海が濃密な「スープ」のようなもので、その中に様々な有機物の集合体である小さな液滴「コアセルベート」が生まれ、それが化学的な進化をへて生命に至ったという説を立てました。ユーリーとミラーは、1950年代当時の知識で考えられていた「原始大気」を模したガスと水蒸気をフラスコに詰め、そこに雷の代わりである電気火花を散らして、アミノ酸ができることを示しました。これが海に溶けこんでスープ状態になっていたというわけです。
オパーリンやユーリー=ミラーの説を全くそのまま受け入れている人は、もういないと言っていいでしょう。とはいえ生命が「化学進化」という過程を経て誕生したという考え自体は、今も多くの研究者に受け継がれています。また海全体が濃密なスープだったという説も廃れましたが、特定の場所に生命の材料が豊富だった可能性は多くの人が認めています。その1つが熱水噴出域です。そこでは雷(電気)の代わりに、熱が化学反応を進めてくれるというわけです。