中国を代表する竜脚類といえば、全長約22~26メートルの巨体と長い首を持つマメンチサウルス(Mamenchisaurus:馬門溪龍)だ。
ジュラ紀中期~後期に生息したこの恐竜は、中華人民共和国の建国から間もない時期に労働者によって発見されたという政治的な宣伝効果も持っていた。そのためか国際的にも有名である。たとえば日本でも、中国の恐竜が多数登場する『ドラえもん』31巻の「恐竜さん日本へどうぞ」(1984年)にマメンチサウルスが登場しており、恐竜ファン以外からも広く名前を知られている。
いっぽう、実はマメンチサウルスよりも早い時期に発見されているものの海外での知名度はイマイチなのが、同じ竜脚類のオメイサウルス(Omeisaurus:峨眉龍)だ。
マメンチサウルスと近い仲間でジュラ紀中期に生息した、全長12~14メートルほどの恐竜である。全長のなかで首が占める割合はマメンチサウルス以上にながく、背骨部分の約3倍、尾の約1.5倍に及んだという。
実はオメイサウルスは、種レベルでの仲間が多数見つかっているほか、最近になっても新種が報告されるなど、なかなか話題が豊富である。今回は、マメンチサウルスの陰に隠れがちな月見草恐竜、オメイサウルスについて詳しく見ていくことにしよう。
自貢一帯で最初の恐竜化石、1915年に発見
オメイサウルスの名前は、その漢字名からもわかるように四川省の名山・峨眉山(がびさん/Mount Omei)にちなむ。これまでに6~7種が報告されている仲間の多くは、四川省自貢市(現地名)の一帯で見つかることが多い。
この自貢付近で、研究者によって最初に恐竜の化石が確認されたのは、なんと辛亥革命からほどない1915年だ(余談ながら、中国で最初に発見されて学術的な考察がなされた恐竜化石は、1902年に見つかったマンチュロサウルスである。詳しくは過去の本連載を参考にしてほしい)。
当時中華民国中央資源委員会には、アメリカの地質学者ジョージ・ラウダーバック(George Davis Louderback、1874-1957)が招聘されていた。その際に彼は四川省中南部で石油や天然ガス資源を調査した。そして、栄県付近の川原で獣脚類とみられる歯と大腿骨の化石を発見したのだ。
もっとも、この時点でラウダーバックは化石をそれほど重視しなかったらしく、標本はアメリカに持ち帰られてカリフォルニア大学の古生物博物館に眠ることになった。
やがて約20年が経ってから、アメリカの古生物学者C・L・キャンプ(Charles Lewis Camp、1893-1975)がこの標本を見つけ、恐竜の歯の化石であることに驚いた。そこで、キャンプはさらなる調査のために四川省に飛んだのである。
「スイカ山」で竜脚類を発見
1936年春、四川省に到着したキャンプは、ラウダーバックが調査したルートをなぞりながら化石探しの旅をはじめた。彼に同行したのは、今では「中国古生物学の父」としても知られる生物学者の楊鍾健(Chung Chien Young、1897-1979)である。