明治以降のニッポンを支えた工業遺産
これまで何度も探検隊が訪れているつくば市の産業技術総合研究所の一角に、明治以降の工業技術の発展を担ってきた“遺産”が眠っている施設があると聞いて、訪ねてみた。
過去100年の歴史を伝える“遺産”とは、いったいどのようなものなのか?
その施設はふだん、ひっそりとしていて人っ子一人いないのだという。目の前に立ってみると、他の研究棟と変わらない煉瓦色の落ち着いた外観だが、常時公開している「地質標本館」のような標識もない。
出迎えてくれた、科学コミュニケーショングループの河村幸男さんに鍵を開けてもらって中に入った。天窓から入る陽射しが、強いコントラストとなってたくさんの工業機械たちを照らしている。
「建築当初は、公開を考えていたようです。大きな展示物が多いので、天井はかなり高くなっています。
ここには、約50種類の産業遺産が集められています。なかには、かつて各地に点在していた前身の研究所がつくばに引っ越してくるときに一部欠損したような機械もあり、完全な資料が残っているわけではありません。
そういう事情もあって、常設の展示ではなく、年に数回の特別見学会のかたちでみなさんにご覧いただいています」(河村さん)
1970年代の電気自動車プロジェクト
まず、目につくのは2台の車だ。
なぜ国の研究所に車が? と疑問に思っていると、河村さんがすかさず、「電気自動車の試作車です」と説明してくれる。
「1971年から76年まで、当時の通産省工業技術研究院(産総研の前身の一つ)が主導して、自動車メーカー、電池メーカー、電気メーカーが参加した一大プロジェクトが遂行されました」
1960年代に入り、車の排気ガスが都市環境の悪化を招き、排ガス規制が始まった。アメリカでは70年に「マスキー法」という排ガス規制が強化され、日本もそれに倣って、さらなる規制強化がされる、という時代だった。
そこで、官民を挙げて、排気ガスが出ない電気自動車を開発しようという気運が高まった。6年間の総予算が57億円(現在の貨幣価値に換算して170億円超)というから、じつに巨大なプロジェクトだったのだ。
参加した自動車メーカーは、トヨタ、日産、ダイハツ、東洋工業(マツダ)、三菱。これに日立や松下、東芝などの電機メーカーも加わり、バッテリーや駆動機関、制動装置などの基礎研究がおこなわれ、試験車両がつくられた。
展示されているのは、そのうちの2台だ。