RNAだけでできた生物がいた?
このように変わった人工細胞(分子ロボット)をつくっている野村さんだが、40億年前に「生命0.5」がいた可能性については、どのように考えているだろう。
「生命もどきみたいなものですね? それはもう、まちがいなくいたと思います」
まずは、そういう答えが返ってきた。
「今の僕らのように、DNAやRNA、タンパク質がぐるぐる回っていて、膜の中に包まれていて、ときどき分裂してという、そういう生命を決勝で優勝したやつだとすると、生存競争でそいつらに負けたようなやつがいたはずです」
実際に野村さんは、そういう「負けたやつ」を、つくろうとしたことがある。
第3回で詳しく触れたが、生命はRNAから始まったとする有力な説がある。タンパク質がなくてもRNAだけで、代謝や自己複製が可能だからだ。しかし濃縮されなければならないので、何か袋に入れるといったことは必要になる。普通は現在の細胞と同じリン脂質の小胞が想定される。だが野村さんは、それもRNAで、できてしまうのではないかと考えた。
「RNAも分子じゃないですか。形があって構造があって、それが膜をつくってもいい。できてしかるべきだと、面白がって研究者仲間と設計しました。そして実際につくってみたら、なんか膜っぽい謎の構造ができた」
つまりRNAベシクルである。RNAでできた袋の中にRNAが入っていれば、それだけですべてが完結してしまいそうな感じだ。しかし現在の地球に、それらしき生物の影はない。もし誕生していたとしても何か弱点があって、脂質二重膜をもつ生物に負けてしまったのだろう。
「『生命0.1』とか『0.5』というところに、すべてRNAでできている生物があっていいんじゃないかなと思う。全部ペプチド(タンパク質の部品)でできるんでも、いいんですけどね。そういう1成分にうんと偏ったバランスの悪い分子の生き物っていうのは、あってもいい。ここまでくると全部、糖鎖でできているやつも、ちょっと楽しいかなと思いますね」
そういうバランスが悪い連中の寄せ集めで、今の生物につながるようなものができた可能性はないだろうか?
「あると思います。たぶんリン・マーギュリスさんたちが言ってるのは、わりとそれに近いんだと思う。できそこないは自分だけでは生きられないけれども、たまたま食われてみたら居心地がよくって、食ったほうも居心地がよかったという話になると、細胞内共生説のようになるでしょう」
細胞内共生説――これは第12回で触れた。ミトコンドリアや葉緑体は、もともと独立した細菌や藍藻だったものが、真核生物の祖先に飲みこまれて、その一部になったとする考えだ。それと似たことが生命誕生の過程でも起きた可能性はある、ということだろう。
前回ご登場いただいた海洋研究開発機構・高知コア研究所の特任主任研究員、鈴木志野(すずき・しの)さんも、現在の生物に比べると部分的な機能しか持っていない「生命0.5」が集まって、共生しながら1つの生命体になった可能性を示唆している。基本的に同じ考えではないだろうか。
世界が生命で埋め尽くされる日
では「生命2.0」のイメージは、というと「1つは、たぶんもう発明されている」と答えた。「インターネットとか、そうですよね。今はぜんぜん回線速度が遅くて、わりと情報が個体から離れているんだけれども、つながれるみたいな。その走りだと思うんですよね。それで大きい個体として、全体的に振る舞うようになる」
「大きい個体」というのは、一種の「集合知性」ということだろうか。今はまだ、パソコンやスマホなどネットへのインタフェースは、個体(人体)から離れている。しかし、それが脳の中に組みこまれるような時代が来たら、すべての人間がダイレクトにつながり合って、もはや自他の区別さえ薄れていくかもしれない。
「そうなったら別の生命というのが見つかってこないと、たぶん我々は衰退していくんですよね。別の刺激しあえるような生命、完全にはリンクできない生命っていうのが現れないと、地球上の生命として、どんどん袋小路に入っていくんだと思う。なのでインターネットは、やばいなと思っています。ただ、そっちのほうは僕らが手を出すところじゃない。だから、せめてできるだけ外れ値でいようとしています」
では、どういうところなら手を出すのか。野村さんが関わるような「生命2.0」とは?
「生命って物質転換装置なんですよね。生き物でも何でもない分子を集めてきて、それを生命に変えるという装置なんです。それで増えていくという話で、基本的には、この世を生命で埋め尽くしてしまいたいという、ただそれだけの存在です。それを僕らがつくりだせるとしたときに、何をつくるかっていうと、最初のうちは、プログラムしたものを生みだしてくれる生命だと思うんですよ。それは普通のモノづくりと一緒です。でも勝手に増えていくものができたとしたら、そのうちに何が起きるかというと、僕らが考えるより先に何かいいものも、よくないものも、いっぱいつくり始めてしまうでしょう」
確かに生命は本来、人間の都合などおかまいなしに増えて、さまざまな物質を生みだしていく。
「世の中に自己複製するようなものが満ち溢れているところっていうのは、もうありとあらゆるものがあるんですよ。その中から僕らは要るものだけを選択して、それ以外を削っていくという、そういう暮らしになるんじゃないかと思っています」
たとえば目の前にコップ型生命がいたとすると、そいつは勝手に増えながら進化(分化)して、取っ手のあるやつやら、ないやつやら、背の高いの低いの、さまざまな種類が生まれていく。その中から我々は、その時々に欲しいコップ、必要なコップを選んで、あとは捨てる(殺す)という生活だ。スプーンから机から椅子から、すべてにおいてそういう状況が生まれる。
つまり、今までのように「ない」から手に入れて揃える、というのではなくて、「あり余っている」ところから不要なものを排除する世界が来る、というわけだ。そういう環境自体が「生命2.0」的だと野村さんは考えている。まさしくノーベル賞学者に呪われた人らしいイメージだ。ちょっと百鬼夜行絵図に出てくるような付喪神(つくもがみ:古ぼけて捨てられた道具が化けた妖怪)を思いだしてしまう(図3)。
しかし、いらないやつを、いちいち殺すのは面倒だし胸も痛む。もし取っ手つきのコップを選んだら、それ以外のやつは勝手に死んでほしい。そして次はスプーン型生命になって生まれ変わってくれると、なお都合がいい。とはいえ、そううまく制御できるものだろうか。
第12回で触れたが、人間の細胞も多くは一定の回数、分裂をくり返すと、アポトーシス(自死)といって自己崩壊するよう遺伝的にプログラムされている。これによって病気を引き起こしそうな老化した細胞は排除される。また個体発生の過程では、まさに「あり余っている」部分から不要なものを削るためにアポトーシスは起きる。胎児の手は最初のうち1枚の板みたいな状態だが、そのうち指と指との間にある「水かき」部分の細胞が勝手に死んでいって、手らしい形になる(写真3)。
生命だらけの世界でも、そういうふうにコントロールされていればいいが、がん細胞のように死ぬことなく、ものすごい勢いで増えていく生命も出てきそうだ。野村さんには役に立つ分子ロボットや人工細胞と一緒に、地球全体を治療できる抗がん剤も開発していただきたい。