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「水」、その神聖なるもの
このたびの西日本豪雨には、もはや言葉もない。まだ被害が拡大する前のニュースでは、避難した住民が「はやく止んでくれるよう、天に祈るしかない」と滝のような雨を見つめていたが、残念ながら祈りは通じなかった。
一方で、関東甲信地方では、統計開始後初めて7月を待たずに梅雨が明けている。そこで農業を営む人々は、猛暑と水不足を心配しつつ、やるせない思いで西日本豪雨の報道を見ているのではないだろうか。
このまま地球温暖化が進めば、大雨と猛暑の頻度はますます高まっていくと考えられている。古の人々のように、皆で天に祈りを捧げなければならないような時代が、すぐそこまで来ているのかもしれない。それが近代化のしっぺ返しとは、皮肉なものだ。
雨とはすなわち、生命にとって本質的に重要な「水」である。水は古来、崇拝の対象であり、世界を構成する"元素"であった。古代メソポタミア人もバビロニア人もエジプト人も、実体あるこの世界は「混沌の水」から創造されたと考えていたという。
水がことさら神聖視されてきた理由は、おそらくその特異な物理化学的性質にもある。とくに注目したいのが、水のもつ極めて高い溶解力だ。水は、量を問わなければ、ありとあらゆる気体、液体、固体を中に溶かし込むことができる。
事実、海水には地球上に存在するほとんどすべての元素が含まれているし、いくら純度の高い水を用意しても、空気に触れるやいなや酸素や二酸化炭素を取り込んでしまう。無色透明の水には、目に見えない物質が何かしら溶け込んでいるものなのだ。
だから、人々がこう考えても無理はない。水には、物質だけでなく、特別な"力"や"作用"も溶かし込めるだろう、と。だが残念ながら、そうした言説のほとんどは、オカルトかニセ科学だ。
神秘の水といえばまず思い浮かぶのが、明治時代の霊能者、長南年恵(おさなみ・としえ。時期によって苗字は「ちょうなん」とも読まれた)の「霊水」である。生水と少量のサツマイモしか口にしなかったというこの女性が10分ばかり祈りを捧げると、神棚に供えたいくつもの空きビンが色とりどりの水で満たされたという。
どんな病も治すというこの霊水はたちまち評判になり、長南のもとには連日大勢の人々が押し寄せた。やがて彼女は、人心を惑わし、詐欺的行為をはたらいたということで逮捕されてしまう。
明治33年に神戸地方裁判所でおこなわれた尋問で、長南はその力を"実証"することになる。身体をくまなく調べられたあと、裁判長によって厳封された空きビンを持ち、法廷にしつらえられた小部屋に一人で入ったのだ。
数分後、姿を現した彼女の手には、液体で満たされたビンが握られていた――。
全豪騒然、「カルロス事件」
くだらないと思われた方にも、もう一例だけお付き合いいただきたい。今度は海外の霊水、「カルロスの水」である。
1988年、"全米で話題"のチャネラー(霊媒)がオーストラリアにやってきた。19歳の青年、ホセ・アルバレスの肉体が、「カルロス」という齢2000年の霊に乗っ取られているというのである。
アルバレス青年の脈が止まって仮死状態になると、声も口調もまるで違うもう一つの人格、カルロスが現れる。オーストラリア中のマスコミがその様子をカメラにおさめ、カルロスはニュース番組やワイドショーに次々と出演した。カルロスが口にする抽象的な言葉や予言は、"教え"として熱狂的な信者を生む。
さらにカルロス財団は、「カルロスの水」なるものを売り出すと宣伝した。聖なる"クリスタル"をひたし、カルロスが24時間かけて霊的エネルギーを注ぎ込んだ水である。その容器を手に持ち、傷や病に意識を集中するだけで、それが癒えるという。
シドニーのオペラハウスでおこなわれたイベントで、満員の観客を前にカルロスが現れると、人々の熱狂は最高潮に達した。だがその直後、人気番組「シックスティ・ミニッツ」の中で驚きの種明かしがなされたのである。