膜が増えれば分裂する
一方で膜の複製は、さらにハードルが高い。だが方向性は決まっている。膜を増やすためには当然、その材料であるリン脂質をベシクルの中でつくらせなければならない。それにはタンパク質をつくらせるときと同様、必要な原料と酵素などを集めて反応させる必要がある。つまりPUREシステムの脂質版を組みこむわけだ。
車さんの命名ではないが、便宜的にこれを「LIPUREシステム」と呼ぶことにしよう。「LIPID(脂質)」と「PURE」を混ぜただけだ(図3)。
とりあえず車さんは試験管の中にLIPUREシステムの材料を集めて、人肌に温めてみた。すると確かに脂質はできるのだが、まだ量は少ない。仮に100個の脂質を使っているベシクルから同じ大きさのベシクルを分裂させるには、単純計算で100個の脂質をつくらせる必要がある。しかし今のシステムの能力では、まったく足りないのだ。そのため車さんは使う酵素の量を調節したり、反応条件を変えたりして試行錯誤を繰り返している。
いずれLIPUREシステムの効率は上がって、100個の脂質をつくりだせるようになるだろう。しかし、それで本当にベシクルは分裂するだろうか。200個の脂質で倍の大きさに膨れるだけだったり、あるいは入れ子状の多重膜ベシクルになってしまったりすることはないのか。
「そういう可能性もありますが、実際のところはまだわかりません。誰も試していないから」と車さんは言う。
ただ外から100個の脂質を注入して、どうなるかを観察した例はある。それによると生きた細胞のように真ん中からパカッと2つに分かれたりはしないが、倍に膨れ上がることもなく分裂はするようだ。
その様子を見ていると、膜の表面積が増えるにつれて何やらヒゲのようなものが生えてくる。
それはどうやら母ベシクルから飛びだしたチューブ状の膜で、長くなると粒状の小さな娘ベシクルになる。しかし完全には分離せずに、母ベシクルとへその緒のようなものでつながっているらしい。それはそれで面白い現象だ。
とにかく体積が変わらないのに膜の表面積が増えれば、ぶよぶよと形が不安定になって、最終的には一部が千切れてしまうらしい(動画1)。
実は似たような現象が、生きた細胞でも見られる。通常の細菌は細胞膜の外側に丈夫な細胞壁があって、分裂するときには高度で複雑なメカニズムが働いている。しかし、こうした細菌の中に、どういうわけか細胞壁を失ってしまった変異体が存在する。これは「L型菌」と呼ばれており、大腸菌や枯草菌といったポピュラーな菌の中にも存在する。
このL型菌が分裂する様子は脂質を注入したベシクルにそっくりで、非常に不規則なのだ。やっぱり細胞膜からヒゲのような管が生えてきて、それがさまざまな大きさの娘細胞に分かれたり、突起が出たり入ったりしながら、ポコンポコンと娘細胞を放出したりする(図4、写真1、動画2)。L型菌は一種の先祖返りで、細胞壁を獲得する前の原始的な細胞の姿を示していると、多くの研究者は考えている。
というわけで車さんがつくりだす分裂する人工細胞も、おそらく最初はL型菌と似たようなものになるだろう。しかも、それは原始的な光合成を行い、自らのセントラルドグマも複製できるのだ。
「危ないな」と思ったら、それが生命
人工細胞が自己複製したら、車さんにとってそれはもう「生命」である。「いつごろ実現しそうですか」と聞いたところ、にやりとして「5年以内には……と、5年前から言っています」と答えた。5年後もそう言っているかもしれないが、いずれにしてもそれくらいのタイムスケールらしい。実際、素人が話を聞いた限りでは、来年にもできてしまいそうな気がする。
車さんは人類初の造物主になるのだろうか。しかし、やったらやったで、こんな批判をする人は出てきそうだ――
「生命をつくったと言ったって、もととなる材料のほとんどは大腸菌から取ってきたり、大腸菌につくらせたりしたものばかりじゃないか。無生物的に合成されたものだけを使うならともかく、これでは生き物をバラして、また組み立てただけだ。いわば『フランケンシュタインの怪物』であって、『人工生命』とは呼べない。」
まあ、そう言われたら言われたで、かまわないのかもしれない。ローマ第3大学のピエール・ルイージ教授から託された研究も、実は生命の「創造」ではなく「再構築」だったわけだし、それ自体が最終的なゴールでもなかったはずだ。
合成生物学がリバースエンジニアリングだとすれば、大事なのは再構築の過程から生命の本質について学ぶことなのだろう。ただ、それに関しても批判的な人はいる。
とある「伝統的」な生命起源の研究者は「自分の知っている合成生物学に限っての話だが」と断った上で、
「あの研究は『どうできる』までは言えるが、『どうできた』かについては何も言えない。今と同じ生き物をもう1個つくって、何がうれしいのか? できたらできたで、すごいかもしれないが、何も新しいことはない。生命の起源とは関係がない。実験室でできたからといって、自然界で同じことが起きたことの証明にはならない」
と語っていた。
これに対しては必ずしも「今と同じ生き物をもう1個」ではないと反論はできる。車さんを含む多くの合成生物学者が目指しているのは、現在の高度に進化した生物の再構築というよりは、生命誕生時にありえたであろう原始的な生命の再現だからだ。
従って遺伝子の数にしろ、使われるタンパク質の種類にしろ、なるべく最小限に絞って、シンプルな姿にしようとしている。このへんに関しては、次回以降でも触れることになるだろう。
人工生命をつくることに関しては、もう1つ避けられそうにない批判がありうる。倫理的な問題だ。
今も一般向けの講演などをすると「『人工細胞いいじゃんやりなよ』という人もいれば『倫理的にはどうなんですか』と聞いてくる人も必ずいる」らしい(注2)。
だから車さんのホームページには
私たちの人工細胞研究も目指すところは生物の再構築であるため、倫理面に気をつけて研究を行うことには変わりがありませんが、現時点では非生物である分子を対象として研究しているため、法令やガイドラインに抵触するものではありません。
との断り書きがある。
注2) 第7回で行ったアンケートは、回答数が42件となった。
「キッチンで(生きた)人工細胞ができるとしたら」という問いに対して、「つくっては、いけないと思う」は相変わらず1件もない。
一方「ぜひ、つくってみたい」が53.7%と、単独で過半数を占めた。「暇があれば、やってみてもいい」は36.6%で、合わせると「やりたい派」は9割を超える。「その他」としてプロらしき人のコメントもあった。回答者の多くは「一般」ではないのかもしれない。
だが人工細胞が自己複製を始めたら、この文章は書き換えなければならないはずだ。今は実験を終えたらジャーッと流してしまえる人工細胞も、廃棄の方法を考える必要が出てくるかもしれない。
一方で車さんは、そこが生命の定義につながってもいいかなと考えている。
「いつか誰かが人工細胞を見て『危ないなこれ』と思ってくれたら、それは生物と言えるんじゃないか。」
「たとえ僕が今の人工細胞を見せて面白おかしく発表したとしても、それを生命だと思う人はほとんどいないでしょう。ただ何とか中で脂質ができて、エネルギーもつくれて、タンパクもつくれて、1個が100個くらいに増えましたという、ボコボコボコというムービーを見せたら『ああ、やべえこれ』と思ってくれるかもしれない。そう思ってくれたら、それは生物でいいんじゃないか」
というわけだ。
これは文化的な要素も含む非常に面白い視点なので、この連載の最終回あたりに、じっくり検討してみたいと思っている。頭の片隅に留めておいてほしい。
★第10回に続く★