生命のベータバージョンは生命か?
最近は「××××2.0」といった表現を、よく見かけるようになった。もともとはソフトウェアやプロトコルなどの名前に、その新バージョンを示す数字をつけたIT用語だったと思うが、今は何にでも使われる。次世代のインターネット概念を意味する「Web 2.0」あたりから始まったのだろうか。
書籍のタイトルからちょっと拾っただけでも「一般意志2.0」「超高齢化社会2.0」「日本2.0」「地方創生2.0」「女子会2.0」など、いろいろと出てくる。これらは「2.0」を「新しい」とか「革新的な」という言葉に置き換えて頭に持ってきても、おそらく意味は変わらないはずだ。とくに小数点以下は、まったく不要だろう。
さて、ここで同じように「生命1.0」と言ってみる。これは、もちろん今の地球に暮らしている、我々のような生命を意味するはずだ。では「生命0.5」とか「生命0.1」は、ありうるだろうか? ソフトウェアなどの場合、バージョンを示す数字が1.0より小さいと、それはたいてい、まだ開発中のベータバージョンだ。バグが多くて、ちゃんと動くかどうかわからない。
そういう「できそこない」の生命が、かつて(たとえば40億年ほど前の地球に)存在したことはあったか、という問いである。
ちょっと生物に詳しい人だと「ウイルスはどうなの?」という疑問が浮かぶかもしれない。確かにウイルスは専門家の間でも、生物なのかどうか意見が分かれているようだ。ウイルスは物を食べたり、排泄したりはしない。何かの細胞に寄生しなければ、自分たちの子孫を残すこともできない。そんな半端者は「生命0.5」と言ってもいいのではないか。
しかしウイルスの出自は、いまだにはっきりとしていない。現在、生物は大きく「細菌」「古細菌」「真核生物(人間はここに含まれる)」と分類されており、まず細菌と古細菌が共通する祖先から枝分かれし、そのあとに古細菌と真核生物が分かれたとされている。
これに対してウイルスは、細菌や古細菌が登場する前に存在したという説がある。しかし中には、かつて真核生物だったものが寄生生活に特化して、不要なものを捨てていった成れの果てかもしれないというウイルスもいる。これは、むしろ「生命1.5」とでも呼ぶべきものかもしれない。ややこしいので、とりあえずウイルスについては脇に置いておくことにしよう。
生命にベータバージョンはありうるか――この問いに東京薬科大学教授の山岸明彦(やまぎし・あきひこ)さん(写真7)は、迷うことなく首を振った。
山岸さんは生命の起源に関する日本の代表的な研究者の一人で、2006年から国際宇宙ステーションを利用した「たんぽぽ計画」という実験を推進している(これについてはのちの回で触れる)。一方でタンパク質工学の専門家という顔もあり、今は「タンパク質コンピュータ」なるものを開発しようとしているらしい。
取材に訪れた私を柔和な笑顔で迎えてくれたが、質問に対する山岸さんの答えは常に歯切れがよく、時に容赦がなかった。
「原始地球に生命機能の一部だけを持っている、半分生きているみたいな存在があったとは考えられませんか?」とうかがっても、「そんなものは、ただの高分子です」と、にべもない。
つまり生命は「0」か「1」かであって、小数点は不要という考えなのだろう。
山岸さんにとって、どこからが「1」なのかについては次回で述べるが、それ以前は単なる物質なのである。非常に明快で気持ちがいいし、いかにも科学者らしい感じがする。ただ一抹の寂しさを覚えたのは、私が情緒と曖昧さに流されやすい典型的な日本人だからだろうか。