2024.07.11

ギリシア文明の起源はエジプトにあり? ペルシア辺境の「小文明」が、「ヨーロッパの源流」と尊重された理由。

「ヨーロッパ文明の源流」といわれる古代ギリシア。しかし、そうした見方は、いまや単純にすぎる。そもそもギリシア文明は、アジア・アフリカの強い影響下に誕生した文明だったというのだ。メソポタミア、エジプトからローマ帝国にいたる古代文明史「地中海世界の歴史〈全8巻〉」の最新第3巻では、ギリシア文明の特異性とともに、その成り立ちの意外な側面を紹介している。

ギリシア人自身も知っていた?

古代ローマ史の研究者で東京大学名誉教授の本村凌二氏が、4000年の古代文明史を一人の視点で見直していくシリーズ「地中海世界の歴史〈全8巻〉」。すでにオリエント文明を扱う第1巻・第2巻が刊行され、好調な売れ行きを見せている。

そして第3巻『白熱する人間たちの都市』では、エーゲ海とギリシアの文明を取り上げる。

従来は、「地中海世界」といえば「ギリシア・ローマ世界」のことだった。また、「ヨーロッパ史」とは、ギリシア・ローマを起点として、キリスト教世界とヨーロッパ文明の発展を語ることだったのである。そこにはメソポタミアやエジプト、シリアやペルシアなどの「オリエント文明」の出番はなかった。しかし――、

「ギリシア・ローマをオリエントと切り離して考えるのは、古代ギリシアを自らの祖先と考えるヨーロッパ人の、願望も含んだ捉え方なので、私たちユーラシアの東の人間がそこにこだわる必要はないわけです。むしろ東側から素直に見れば、オリエント文明とギリシア・ローマはつながっているんじゃないでしょうか。」(本村氏)

右はデロス島出土の女性像、BC650頃。左はアテネ近郊出土の男性像、BC530頃。エジプトの影響がみられる。

実は欧米の歴史学者のあいだでも、20世紀の終盤以来、そうした歴史観への疑念が示されている。とりわけ、イギリス出身の歴史学者マーティン・バナールが1987年に発表した『ブラック・アテナ』は、激しい議論を巻き起こした。

〈彼の主張するところでは、ギリシア古典文明は、その深層において、アジアとアフリカの文明に起源をもっているという。なかでも、レヴァント(フェニキア)とエジプトの影響は著しいものがあった。(中略)エジプトについても、その長く豊かな伝統をもつ先進文化が「未開な」ギリシアに多大の影響をもたらしたことは想像に難くない。〉(『白熱する人間たちの都市』p.72)

たとえば、ギリシア・アルファベットは、フェニキア文字のアルファベットを素地として開発されている。また、石造彫刻などを見れば、先進文明のエジプトからその技法を学んでいたことは歴然としているという。

さらに驚くべきことに、〈このオリエントの優越性や先進性については、古代のギリシア人にはまったく周知のことであった〉(同書p.72)というのだ。

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