アインシュタイン方程式のある厳密解
18世紀の科学者たちが推測した「光で観測できない天体」は正しかったのでしょうか?
答えは、半分正しく、半分は正しくありませんでした。
まず、18世紀には一般相対性理論は登場していません。やむを得ないことですが、ミッチェルとラプラスはニュートンの万有引力の法則を用いて、暗い天体に関する推論を行いました。現代的な視点では、重力の計算には一般相対性理論を用いるべきです。この点で彼らの計算過程は正しくありませんでした。
しかし、とても興味深いことに、彼らの推論の結果は正しかったのです。光が脱出できない天体という定性的な性質のみならず、その脱出できる限界を与える天体の半径を表す数式までが、実は正解だったことが後世に判明します。
それでは、一般相対性理論を用いた「光で観測できない天体」に関する研究を振り返りましょう。
天文学者 カール・シュバルツシルト
1873年、天文学者カール・シュバルツシルトは、ドイツのフランクフルトに生まれました。
彼は神童とよばれ、天体力学に関する論文2編をわずか16歳のときに発表するほどでした。
20代後半にして、名門ゲッチンゲン大学天文台の教授をつとめ、のちにゲッチンゲン大学の天文台長にも選出されました。当時のゲッチンゲン大学では、ヒルベルトやヘルマン・ミンコフスキーなどの世界一流の大数学者たちが活躍しており、彼らと交流をもつ機会に恵まれました。
1915年、アインシュタインが一般相対性理論を発表した当時、ドイツは第一次世界大戦の真っ只中です。すでに40歳を過ぎていたにもかかわらず、シュバルツシルトは志願兵として戦争に参加してしまいます。
当時の天文学者が無視した「シュバルツシルト解」
ロシア戦線に滞在中、彼はアインシュタイン方程式を厳密に解くことに成功し、それを論文として発表しました。
しかし、彼は従軍中にかかった病気のため、その論文の驚くべき成果(彼自身さえ認識していなかったであろう結論)とその成果が天文学に及ぼした強烈なインパクトを見ることなく、その論文発表と同じ1916年、論文発表の4ヵ月後に42歳の若さで亡くなってしまいます。
彼の発見した解は「シュバルツシルト解」の名前でよばれ、その解において特殊なサイズを与える半径は「シュバルツシルト半径」とよばれます。これは、ある質量の星から光が脱出できなくなる大きさを表し、ブラックホールの大きさの目安を与える便利な量です。
このように、現在の天文学では頻繁にシュバルツシルトの名前が登場するのですが、驚くことに、彼の発見した厳密解は当時の天文学者からは完全に無視されてしまいました。