2024.05.24

愛の鞭=パワハラ時代に、プロの技は伝わらない?働き方改革の今、考える「師匠と弟子」論

舞踊、茶道、華道、絵画、落語、芝居、楽器演奏・・・そうした「芸の道」は、昔は師匠について、コツコツと知識や技術を教わるものでした。

広く言えば芸道だけではなく、仕事も、学問も、師匠や先生から、様々なプロのテクニックや作法、ルールを人は受け継ぎ、次世代の後輩達へと伝えるのが常だったはずです。厳しく叱られたからこそ、必死で覚えたーーかつての美談は、今はパワハラ案件に。対面どころか、オンライン講座は増え、YouTubeで独学も当たり前。

そんな時代に、「師から学ぶ」というスタイルは、もはやなくなりつつあるのでしょうか。

武道家にして思想家の内田樹さんによる、芸の醍醐味と、教える・教わるーー師匠と弟子の関係の考察を、ご紹介します。

(この記事は、西山松之助『芸 秘伝伝授の世界』(講談社学術文庫)の解説「芸における弟子の効用」をそのまま掲載したものです)

批評家よりも弟子が愉しい!

玄人の芸談はどんな分野の人のものでも面白い。私自身は武道と能楽とふたつの「芸事」を稽古している身なので、どんな芸談もわが身に引き寄せて読む。ずいぶんたくさんの芸談を読んで来たが、「それは違う」と思ったことはない。どんな話を聞いても、どんな奇妙な経験やどんな意外な教訓を示されても「なるほど、そういうものなのか」と素直に受け入れる。芸道においては、斯道(しどう)の名人達者を「師」とみなし、つねに自分を「弟子」の立ち位置に置くことにしているからである。

ふだんの私をご存じの方ならすぐに同意してくださると思うが、私はそれほど素直な気象の人間ではないし、簡単に人の話を信じる人間でもない。しかし、こと芸については、ためらわず「弟子」の立ち位置を取る。芸においては、鑑賞者や批評家であるより、弟子である方が、会得するものも、引き出し得る愉悦も圧倒的に多いからである。この点において私は「病的な合理主義者」である。

もちろん、これは私の個人的意見であって、一般性を要求できないことは百も承知である。それでも、西山松之助著『芸 ―秘伝伝授の世界―』に「解説」の一文を求められたことを奇貨として、西山先生の知見を私がどう読んだかを書き記しておきたい(こういう文章で敬称を用いるのは異例であるが、私はその人の知見を傾聴するときには師礼をとることにしている)。

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