「地球最初の生命はRNAワールドから生まれた」
圧倒的人気を誇るこのシナリオには、困った問題があります。生命が存在しない原始の地球でRNAの材料が正しくつながり「完成品」となる確率は、かぎりなくゼロに近いのです。ならば、生命はなぜできたのでしょうか?
この難題を「神の仕業」とせず合理的に考えるために、著者が提唱するのが「生命起源」のセカンド・オピニオン。そのスリリングな解釈をわかりやすくまとめたのが、アストロバイオロジーの第一人者として知られる小林憲正氏の『生命と非生命のあいだ』です。本書刊行を記念して、その読みどころを、数回にわたってご紹介しています。今回は、生命誕生の時期と場所を考察するにあたり、地球が誕生してから、生命が誕生しうるまでの地球環境を考察してみます。
*本記事は、『生命と非生命のあいだ 地球で「奇跡」は起きたのか』(ブルーバックス)を再構成・再編集したものです。
「後期隕石重爆撃期」の洗礼
地球には38億年よりも前にできた岩石が少ないことがわかっています。それはなぜでしょうか。
地球などの太陽系惑星は、微惑星の衝突により成長しました。微惑星の数は、45億7千万年前に太陽系が生成してからは減少してきたはずですから、地球への隕石衝突の頻度も、時間とともに減少するはずです。
ところが1970年代に、アポロ計画を受けて行われた月のクレーターの研究から、41億〜38億年前に月が激しい隕石衝突に見舞われた可能性があることが指摘されました。
ならば当然、月の隣の地球も、隕石衝突の激しい洗礼を受けたはずだという考えから、地球史におけるこの時期は「後期隕石重爆撃期」とよばれるようになりました。その間、地球の表面は衝突のエネルギーによって融けてしまっていて、地球に38億年前よりも古い岩石が少ないのはこのためであろうと考えられているのです。
太陽系が生成していったん隕石衝突が収まったにもかかわらず、なぜこの時期にまた活発化したのかについては、諸説があります。有力とされているのは、2005年にフランスのニースにあるコートダジュール天文台のグループが発表した「ニースモデル」です。このモデルは、太陽系の生成後、木星・土星・天王星・海王星といった巨大惑星の軌道が大きく変わり、その影響で小惑星の軌道が乱されたため、隕石衝突が激化したというものです。
太陽系が生成するまでのモデルも、1970年代までは太陽の周りの塵が徐々に集まって惑星になったとする静的なモデルが考えられていたのが、いまでは微惑星どうしの激しい衝突により惑星が生成したという、より動的な「京都モデル」が主流となっていますが、その後もさらに、太陽系が生成したあとも惑星はかなり動いたとする激しいモデルへと、どんどん変わっているようです。
生まれたばかりの地球の環境
では、生まれたばかりの地球ーー今日では、地球ができてから41億〜38億年前の後期隕石重爆撃期までの期間は「冥王代(めいおうだい)」ともよばれていますーーは、どんな環境だったのでしょうか。
かつては、冥王代の地球は非常に高温で、表面がどろどろに融けていたとされていました。
ところが米国ウィスコンシン大学のグループは、西オーストラリアのジャック・ヒル地域を調査して、約44億年前に生成したジルコン粒子(ジルコニウムを含む鉱物)を発見し、2001年に『ネイチャー』誌に報告しました。その炭素安定同位体比からは、マグマが海水と反応したことで、この鉱物ができたことが示されました。
つまり、44億年前にはすでに「海」があったことになるわけです。
以上のことをつなぎ合わせると、最初の生命が誕生した時期について、どんなことが考えられるでしょうか。