2023.08.21
# 解剖学 # がん

なんとヒトの体は「バウムクーヘン」からできていた…!?「むく」か「切る」か、メスが冴える「手術」の選択

「バウムクーヘン」と聞いてすぐに形をイメージできるでしょうか? 「……フジファブリック!」と叫んだあなた、ぜひ今度一緒にカラオケに行きましょう! でも今回取り上げるのは、曲のタイトルではなく、「スイーツ(お菓子)」のほうです。

バウムクーヘンとは、薄いカステラ状の生地が木の年輪のようにくるくる巻かれたドイツのお菓子です。表紙の写真を見ていだければ、「ああ、アレね!」とイメージできますね。まだイメージが浮かばない方は、「ミルクレープ(図1)」ではいかがですか?

どちらも、大手カフェチェーンで販売しているようですので、ここまででヨダレが出てしまったあなたは、本編が始まる前にまず駅前までひとっ走り買いに行って、お腹を満たしておくことをオススメします。

【写真】ミルクレープ図1 ミルクレープ

さて、このバウムクーヘン、あるいはミルクレープを食べるとき、あなたは「剥がす派(カステラとカステラの間をペリペリめくって食べる)」ですか、あるいは「切る派(カステラの層をストンとタテに切り分けて食べる)」でしょうか? 

「剥がす派」のあなた……、もし外科医になったら、出血が少ないきれいな手術をしそうです。「切る派」のみなさんは、がんを大胆に切除する手術に向いているかもしれません。今回は、スイーツを題材に、「上手に手術をするためのマナー」をみなさんに伝えられるか、チャレンジしてみます。

私たちの体は、いくつものバウムクーヘンでできている?

いろいろな意味でボーダーレスな時代に突入していますが、生物の体には頑然とした「外」と「内」の区別があり、あらゆるレベルで外から内(あるいは内から外)に向かう層状の構造をしている、と言えるでしょう。

例えば、人間の腹壁(胴体の外側)をバウムクーヘンに見立てるなら、一番外側のカステラは皮膚、次に皮下脂肪、筋膜・腱膜とこれらに包まれた筋肉、再び脂肪(腹膜前脂肪)……と積み重なり、一番内側の一枚が腹膜、その下に広がる空洞が腹腔(内臓を格納するスペース)になります。

ですので、手術で「開腹」する場合、まずメスで皮膚をタテにまっすぐに切り、電気メスで皮下脂肪と腱膜を同じ長さだけ切開して腹膜前脂肪の「層」に到達し、その下にある腹膜をつまみ上げてチョンと切ると、「プワッ」と腹腔に空気が入って内臓を含む大きなスペースにたどり着きます。

このときいつも私は、なぜか(風の谷の)ナウシカが腐海の底の空洞に落ちて「私たち、マスクをしてない!!」と驚くシーンを思い出すのですが……、私の精神鑑定は別として、バウムクーヘンに戻れば「開腹」とは外側の茶色いスポンジをスパッとタテに切開するイメージですね。

なお、私の母校である千葉大学のレジェンド中山恒明先生は、「一刀開腹」と言って、1回のメスさばきで皮膚から腹膜下ギリギリまでをスパッと切開することができたそうです。全身麻酔が不安定な時代、1分でも時間が短いことが手術の成否に直結したのだと思います。私にはそれを再現する技術(と勇気)はありません……。

さて、この腐海の底でうごめく胃や腸の壁も「層」でできています。今度はバウムクーヘンを内側から剥がすように腸壁の解剖を説明すると、粘膜、粘膜下層、固有筋層、漿膜下層と積み重なり、一番外側の茶色いカステラが漿膜です。一般的に、胃や大腸の癌は粘膜、つまり一番内側から発生し、次第に外側の層に「浸潤」、最終的には茶色いカステラから顔を出すことになります。

粘膜下層から先の深い「層」には血管やリンパ管が豊富に走っていますので、腫瘍が一層越えるごとに、癌細胞が血流やリンパ流に乗って他の臓器に転移する確率が高くなります。したがって、治療方針を決めるうえで、「どの層まで癌が進展しているか」を見極めることは極めて重要です。

例えば、悪性度の低い癌が粘膜の層にとどまっていれば、お腹を開けなくても、胃カメラや大腸カメラを使って「内側から癌ごと」粘膜を剥ぎ取ることで治癒が期待できます(EMR[内視鏡的粘膜切除術]、ESD [内視鏡的粘膜下層剥離術]と呼ばれます)。この時、「粘膜下層」に生理食塩水などの液体を注入して癌を「浮かせる」テクニックも使われます(図2)。まさに、バウムクーヘンを「剥いて食べる」スタイルです。

【図】内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)の方法図2 内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)の方法

「上手い手術」のマナーは「層」を意識すること

 消化器外科医になりたての頃、いやある程度経験を積んでも、手術中に上司から「この層で進みなさい(関東地方)」と指示を受けたり、「層がちゃうねん!(関西地方)」と叱責されたりすることがとても多くあります。私は学会の役務として若手の手術ビデオを審査する係も担当していますが、アドバイスの50%以上は「層に関すること」と言えるのではないでしょうか。

先ほど紹介した胃カメラ・大腸カメラの手術でなく、開腹手術や腹腔鏡手術で外科医が意識している「層」とは何なのでしょう?

これはバウムクーヘンモデルでは説明しにくいので、三角形の「クレープ(図3)」を考えてください。非常にシンプルに考えると、動物の腸は、クレープの外側のヒラヒラの部分を縁取るように食道から肛門まで連なっていて、クレープの「皮」の中には腸を養う血管が「高校野球のトーナメント表」のように大動脈から伸びています(図4A)。

そしてこの血管を包む皮(腸間膜、と呼びます)が、まさに紙袋に包まれたクレープ(テイクアウトで「はいどうぞ!」と渡された時の形)のように(実際にはもっと複雑怪奇に)折りたたまれてお腹の中に収納されているのです(図4B)。

【写真】腸間膜をクレープに例えると図3 腸間膜をクレープに例えると……
【図】1枚の腸間膜が回転し、重ね合わさることで「層」ができる図4 1枚の腸間膜が回転し、重ね合わさることで「層」ができる

人間の腹腔内の構造が焼きたてのクレープと違うのは、折り重なった腸間膜や腹壁との間には生理的な癒着が発生して、「皮と皮」との境界が分かりにくくなっていることです。このような状況で、出血させないように、つまりクレープの皮の中にある血管を損傷させないで手術を進めるにはどうしたらよいでしょうか?

「剥く派」のあなたならもうお分かりですね、本来あるべきクレープの皮と皮の間の「層」を見つけて、これを見失わないように、広く剥がしていけばよいのです(手術では「剥離」と呼びます)。

通常、「良い層」に入ると綿アメのような白くて細い繊維だけの世界が広がっているので、シャバシャバと気持ちよく手術を進めることができます。結果的に、驚くほど出血量が少なく、時間も早く終わるので、層の解剖に沿って手術を進めることができる外科医は仲間から「上手な先生」の口コミを得ることになりますし、麻酔科医や看護師からも「あの先生の手術はきれいだね」と一目置かれるようになります。

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