はてなキーワード: 真人間とは
人間が生物である以上その最大目標は子孫を残すことであるから、だから父は私を作った。が、私は、生物以前に私でありたいと思う。
そもそも他者の存在すら不確かなこの不可解な世界で生物としての自己を認識できない。生物としての意識はわかないむしろ子孫を残さないという非生物的な選択によって人間としての感覚を強めたい。だからとっとと自殺したい。しかしそうできない。私は母が好きだからだ。
大学に行くのも、就職について考えるのも、誰かを刺さないのも、全て母がそう望むからだ。落胆させたくないからだ。
母に支配されているとは思わない。
私は母の一部であった過去がありだから彼女は世界中のあらゆる他者よりも強い関係にある他者だ。私は母の大切な娘を殺してはいけないからで、私という存在は私の自由意志でどうこうして良い対象では無い。と、私は私の意思で考えている。
だから、私はこの生を母の望む形で完遂する。就職をして、結婚をして、股から可哀想な人間を出してその人に残りの人生を捧げなければいけない。
とはいえ現状の私はそういう人生設計に抵抗がある。私は子供でいたい。母の子でありたい。だから、この体はいやだ、この扱われ方は嫌だ、結局全部母に帰る。しかし私の身体は母になれる、そう望まれる、それが耐え難い苦痛だ。
若いから、思春期だから、まだそういう愛せる人に出会っていないから、というのは言葉を否定したくない。私の手が私のものになって腕が目が背中が私のもとに帰ってきて、社会と肉体と精神を正しい形にはめ込める日を待っている。待ち続けている。だが、私はもう私の体で20年いきている。スカートを履きたかった時などなかった。誰々君誰々ちゃんと付き合いたいと思ったことはなかった。私の体で誰々君誰々ちゃんと性交渉したいと思ったことは無かった。
別に男になりたいとは思わない。もちろん殴って強い方が、面白い方が、飾らない方が、たくさん食べる方が、羨ましいこともある。だが、子孫を残すかどうかという究極の選択が己の手にあるというただ一点で女でもいいと思う。心に性別などないとおもっているから、自分の体が女であるというそれだけを認識している。
私は、男になりたいのでは無い。ずっと女になりたいと考えている。今もそう考えている。
性的なものはなべて気持ち悪い。性交渉という常軌を逸した行いが社会の根幹を支えるのは何故か。何をどうしたら好きな人間に素っ裸で抱きつきたいと思うのか。耳に小さな穴を開けることも怖いだの痛いだのいう人間が何故股に異物を突っ込める?ゴキブリも触れないのに粘膜接触をロマンチックにカウントする?
大体人を作り出す行為が何の規制もなされないで人を殺すことが最大の禁忌であるそのアンバランスがどうして有史以来続くのか。
何もかも理解ができなくてその不可解な構造に自分が組み込まれることが恐ろしい。だから私は性的な冗談を繰り返す。記号化された性を手玉に取って自分から切り離そうとする。見苦しい足掻きで人を不快にさせる。
私を恋愛対象として見るな。
私はネクラだからネクラとしか話せないがそれを簡単に勘違いするのは私が悪いのか?私が女の身体で女の一般的な格好をしているからいけないのか?体を傷つけたり飾り立てることで、おのが身体を支配している気持ちになる。それに後者に関しては綺麗でいることで随分真人間に見えてくる。私はこんな性格だから、それを取り繕うことも出来ないから、見た目を社会に迎合させないと関係の浅い他者と関わることが難しい。
好意の発露を恐れないその自信が理解できない。自分が愛される対象であるとその足で立てる姿が羨ましくて仕方ない。私は興味のある人間のことは全て調べ尽くすがその過程を飛ばして簡単に他者に近づく人間が大嫌いだ。けれど私は私が嫌いだから私のことが好きな人間のことは嫌いだ、とも言えない。だって私の相手をしてくれる人は優しいから。
と、うだうだと己をこねあげたところで私の体の曲線は直線にはならない。
みながそれぞれ敵としての体を生きる中で私はどうか殺さずにありたい。
無内容な糞祭り。 いつも客観的に犯罪者出現率が高い赤羽ゴルフ場の暗やみは、8月3日の19時30分以降は、偽善者が大量に座り込んで花火を見ることになる。
若者と糞女は、8月2日の夜に長谷川にしごかれる夢を見て、当日だけ真人間になるし、少年の方も、花火大会のときだけ、あそこにブルーシートを敷いて苦しい顔をしている。
オーベル川口並木で爆発した中国人とか裁判官の44歳で、一日中、リヴァージュシティにいる不審な男は、そもそも、見に行かない。
ときわ台メリーガーデンの1200名も、決まっていないから行かない。
出て来るのは、蓮根駅と浮間舟渡駅と、もう1つの駅に行くことができる東京、さいたま近辺の人間と、新河岸の公共団地の人間だけ。
次回の華大さんと千鳥くんで取り上げられるテーマに「学校で新しい教科の授業を作るなら何がベスト」っていうのがあるけど
自分は
「生涯スポーツ」
だと思う
体育の授業に於ける、技巧や忍苦を強いられるスポーツではなく
「好きなスポーツを選んでやっていきましょう」っていうスタンス
(※「eSPORT」は含まない)
まあ、基本的に「一人でやれる」やつが良いだろうけど。ずっと続けるんだから仲間が居ないと出来ないスポーツは難しい。そうすっと自ずと種目が限られてくるだろうけど
(でも生涯スポーツを行うことが当然になればチーム制のスポーツもみんな延々とやるだろうから、仲間に困らないとかあるかもしれないな)
健康維持・成人病予防・メンタルの安定・頭脳の活性化・その他諸々の為、生涯スポーツを義務化するべき
今現在自分は全然運動してないんだけども。そして並外れた運動音痴だけども。それでも継続的に走ってる時とか筋トレしてる時とかって「真人間」になった感じがして良かった
義務にでもならないと誰も運動しない。自分の様に「仕事で疲れ切ってるから」とか言ってさ
それじゃだめなんだ
社会が求める「真人間のハードル」は昨今ますます伸び上がりを見せている。
平成に入るまでは「毎日風呂に入る」ということを達成できない社会人もそこそこにいたが、現代においてはそんな人間は精神疾患を疑われて病院を紹介される。
そんな中でもオタク達は未だに「毎日風呂に入っているのに臭いと言われるのはおかしい」と言いながら、漂白剤を使わずに洗濯して部屋干しした服を着て、汗や雨の臭いが染み付いたリュックを背負って出勤してしまっている。
生活における常識のアップデートをする機会がオタクにはないのだ。
社会で普通に生活をしていれば、他人ときちんとコミュニケーションしていれば少しずつ求められるハードルが上がっていっていることに気づく機会もあるだろうが、オタクにはそれも難しい。
オタクが生活というものについて情報を仕入れる最大の機会はインターネットとなるが、そのインターネットでさえも「コミケの前には風呂に入ろう!入ってきた!ヨシ!」を未だに繰り返していて周回遅れも良い所だ。
アニメを通じてオタクに「ちゃんと殺菌されてない生乾きの服を着てはいけないし、汗をかきやすかったりワキガ体質ならデオドラント製品を使うべきだし、靴は二足を使いまわして毎日脱臭処置をするべきなんだ」と伝えてやる必要があるんだ。
オタクが未だに「野原ひろしの足が臭いのは外回りのサラリーマンだから仕方ないとクレヨンしんちゃんに書いてあった。つまり、オッサンの足が臭いことについて文句を言うやつは働いたことのない子供かニートなので無視していいんだ」という感覚で生きているのは、オタクの周囲に新しい感覚を教えてくれるコンテンツがないからだ。
無臭もしくは素晴らしい体臭を設定された美少女たちを描いた作品ではオタクを啓蒙できない。
特別に体臭を描くときでさえ「アポクリン汗腺!」と冗談めかしているようでは、オタク達に正しい社会人生活というものを教えることも出来ない。
小学校で習ったはずの裁縫さえまともに出来ない自分を「俺はママ属性のキャラじゃないからなあ」で済ませている彼らに、生活力を身につける機会を与えてあげなければいけない。
そういった使命感を持った作品が社会に求められているのではないだろうか?
・洗濯
・入浴
・掃除
・整理整頓
・契約
・金銭管理
・筋トレ
・勉強
・教科書で習う科目
・音楽
・美術
・戦史
・性教育
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私はこの1、2年定期的にゲームをするネットで知り合った友人がいました。
知り合った経緯は本当にたまたまなのですが、話していると昔好きだったもの、やったことあるゲーム、最近興味のあることなど様々なジャンルが似ていて
会ったことはありません。しかし会話を通してお互いの生活をなんとなく知っていました。
相手にもちょっとなと思うことがありましたが、悪人というほどでもなくわたしとて真人間と言うわけでもないのでお互い様と思って付き合っていました
最近お互いタイミングが合わず、さらにはわたしの不運が重なってイライラすることが多くストレスが溜まっていました。
その最高潮のタイミングでなぜそこでやってしまったのか今でも後悔しているのですが、彼に今後の予定で使用する打ち合わせの内容を一方的に喧嘩腰で送ってしまいました。
次の日それについて私は謝罪文を送り、イライラしていたことと私が悪かったこと、本当に申しわけなかった旨を送ったのですがそれについては向こうは触れないまま打ち合わせは終わりました。
しかし数日たって彼のプライベートのことで打ち合わせ内容のイベントが流れることになりました。
ここまでまとめると私がトンチキな行動をしたせいだね、不運だったね、私のせいだね。
と言う総評で終わるのですが、自分の人生がずっとこんな感じなのかなぁと…
もともと人付き合いが多い方ではない上、仕事もほぼほぼ人と合うことはない仕事なので
たまに知り合った人と仲良くなってもこんな事を繰り返していくのかな、となんだかずっと虚しさでいっぱいになってしまいました。
ここまでまとめても私が悪いことしか出てこず、じゃあ自分が変わるのか、変われるのかと聞かれればそれもまた難しいのかな
昔から比べればだいぶまともになったと思っていたけど自分はこうやって友だちもできず一人で生きていくのかな……
具体的なことを思い出そうとすると細々した嫌なことしか思い出せない
結構我慢して通り過ぎたと思ってたのにと忘れられなかったのかとずっと自己嫌悪中です
ずっとそんな事が頭の中をグルグルしてる