おーこれは久々に面白かったです。(最近、著者の新しい本て前の奴と中身いっしょじゃなない?みたいのが多かった気がするのでいうと。)
P6
私は”リベラル”を「自分らしく生きたい」という価値観と定義している。そんなのは 当たり前だと思うかもしれないが、人類史の大半において「自由に生きる」ことなど想像 すらできず、生まれたときに身分や職業、結婚相手までが決まっているのがふつうだった。 「自分らしさ」を追求できるようになったのは近代の成立以降、それも第二次世界大戦が終わり、「とてつもなくゆたかで平和な時代」が到来した1960年代末からのことだ。
P7
その影響は現代まで続いているだけでなく、ますます強まってお り、もはや誰も(右翼・保守派ですら) 「自分らしく生きる」ことを否定できないだろう。 「自分らしく生きたい」という価値観が社会をリベラル化させる理由は、自由の相互性から説明できる。
わたしが自分らしく生きるのなら、あなたにも同じ権利が保障されなくてはならない。そうでなければ、わたしとあなたは人間として対等でなくなってしまう。それで構わないと主張するのは、奴隷制や身分制を擁護する者だけだろう。
このようにして、人種や民族、性別や性的指向など、本人には選べない「しるし」に基づいて他者(マイノリティ)を差別することはものすごく嫌われるようになった。わたしと同じ自由をあなたがもっていないのなら、あなたにはそれを要求する正当な権利がある し、先行して自由を手にした者(マジョリティ)は、マイノリティが自由を獲得する運動 を支援する道徳的な責務を負っている。
「社会正義(ソーシャルジャスティス)」をあえてひと言で表わすなら、「誰もが自分らし く生きられる社会をつくろう」という運動のことだ。そしてこれは、疑問の余地なくよいことである。誰だって、自分らしく生きることを許されない社会(たとえば北朝鮮)で暮 らしたいとは思わないだろう。
ここまではきわめてわかりやすいし、自分を「差別主義者」だと公言するごく少数を除けば、異論はほとんどないはずだ。世界も日本も、このリベラル化の巨大な潮流のなかにある。誰もが「自分らしく生きたい」と願う社会では、「自分らしく生きられない」ひと たちの存在はものすごく居心地が悪いのだ。
光が強ければ強いほど、影もまた濃くなる。社会がますますリベラルになるのはよいことだが、これによってすべての問題が解決するわけではない。
P9
1) リベラル化によって格差が拡大する
行動遺伝学の多くの研究によって、社会がリベラルになるにしたがって遺伝の影響が強 まり、男女の性差が大きくなることが一貫して示されている。
これは考えてみれば当たり前で、「自分らしく生きられる」社会では、もって生まれた才能を誰もが開花させられるようになるが、知識社会に適応する能力にはかなりの個人差がある。その結果、社会がゆたかで公平になればなるほど、環境(子育てなど)の影響が 減って遺伝による影響が大きくなるのだ。
リベラル化で男女の性差が拡大するのは、男と女で好きなこと・得意なことに生得的な ちがいが(一定程度)あるからだ。男女の知能の平均は同じだが、男は論理・数学的知能 が高く、女は言語的知能が高い。その結果、経済的に発展した国の方が共通テストの平均 点が高くなると同時に、男は数学の成績が、女は国語の成績がよいという傾向が見られ、 男女の性差は拡大している。
性差だけでなく個人のレベルでも、知能や性格、才能など、わたしたちはかなりの遺伝 的多様性をもって生まれてきて、そのちがいは自由でゆたかな環境によって増幅される。
P10
誰もが自分の才能を活かすことができるリベラルな社会でこそ、経済格差は拡大するのだ。 逆に、独裁者が国民の職業を決めるような専制国家では、(一部の特権層以外の)経済格差は縮小するだろう。
(2) リベラル化によって社会がより複雑になる
前近代的な社会では、個人はイエやムラ、同業組合などの共同体に所属していたから、 社会を統制するには何人かの有力者に話をつければよかった。だが「自分らしく生きられ る」社会では、個人はこうした中間共同体のくびきから解放され、一人ひとりが固有の利 害をもつようになる。その結果、従来の仕組みで利害調整することが困難になり、政治は 機能不全を起こすだろう。
(3) リベラル化によってわたしたちは孤独になる
自由は無条件でよいものではないし、共同体の拘束は無条件に悪ではない。あることを 自由意志で選択すれば、当然、その結果に責任を負うことになる。逆にいえば、自分で選択したわけではないことに責任をもつ必要はない。
(4) リベラル化によって自分らしさが衝突する
P12
リベラルを自称するひとたちは多くの基本的なことを間違えているが、そのなかでもも っとも大きな勘ちがいは、「リベラルな政策によって格差や生きづらさを解消できる」だろう。なぜなら、そのリベラル化によって格差が拡大し、社会が複雑化して生きづらくなっているのだから。
P78
日本語の複雑な尊敬語や謙譲語は、お互いの身分をつねに気にしていなければならなかった時代の産物だ。それが身分のちがいのない現代まで残ってしまったため、命令形は全 人格を否定する。上から目線になってしまった。日本語は、フラットな人間関係には向異常に丁寧な言葉づかいが氾濫する理由は、日本人が日本語に混乱しているからだ。
P145
毎日、殴るけるの暴力にさらされていたら、とうてい健康に過ごすことはできないだろう。周囲から批判されたり、仲間外れにされたりして、ステイタスが低いことを意識させられ宇のは、脳のレベルではこれと同じ体験なのだ。
人類が進化の大半を過ごした旧石器時代では、ステイタスが下がる(共同体から排除さ れる)ことは文字通り死を意味した。こうして脳は、ステイタスが下がると「このままでは死んでしまう」という警報を全力で鳴らすようになった。
その結果わたしたちは、ささいな批判や噂を過剰に意識して動揺し、ストレスホルモン を大量に分泌させ、交感神経がつねに亢進している状態になってしまう。現代社会では、 この不都合な仕組みが、身体的・精神的なさまざまな不調を引き起こしているのだ。
P161
わたしたちはステイタスの高い者に憧れながら、ステイタスの高い者を引きずり下ろそ うとし、他者からの批判を過剰に気にして身を守りながら、ライバルの足を引っ張って自分のステイタスをすこしでも高めようとあがいているのだ。
ところがステイタスゲームでは、理由もわからないままソシオメーターに振り回されるだけで、どこまでいってもゴールは見えない。この残酷なゲームを、ものごころついてから死ぬまでプレイし続けなくてはならないのだ(高齢者施設では、入居者同士のステイタ ス争いを調停するのが大きな負担になっているという)。
P165
地方の平凡な高卒の女の子は、スーパーなどで非正規の仕事に就き、同級生の男の子と 結婚して子どもをつくるという退屈な未来しか想像できないかもしれない。だがそんな女の子でも、エロス資本を活用することで、数万人や数十万人のフォロワーを獲得できる。 AV会社が「フォロワー100万人でAVデビュー」などのプロモーションを盛んに行なって いるからで、ハッシュタグをつけて写真や動画を投稿するだけで、多くのフォロワー(AVファン)が集まってくる。 それ以外の方法で彼女が同じ数のフォロワーを集めようとすれば、アイドルや歌手、あるいはYouTuberとして有名になるなど、かなりの才能と幸運が必要だろう。そう考えれば、これは評判を獲得する魔法の薬(劇薬)のようなもので、“夢”を目指す女の子が次々と 現われるのも不思議ではない。いまや若い女性にとって、AV女優は「汚れ仕事」ではな く芸能活動と見なされているという。
P168
自分のステイタスが低いと感じたとき、劣等感を覚え自己肯定感が下がる。その意味でわたしたちはみな、ある状況では自尊心が高く、別の状況では自尊心が低い。
自尊心が危機に瀕したとき、どのような対応をとるかは、個人によって異なるだろう。 あるひとは、劣等感を感じさせる集団から離れ、高いステイタスを確保できる(マウンテ イングできる)集団に移るかもしれない。一方、その集団にとどまり、ステイタスを上げようと努力するひともいるだろう。
これは、どちらが正しいとはいえない。
自己肯定感をもてる環境に移れば精神的には楽になるが(主観的なステイタスが健康に 及ぼす影響を考えればこれはきわめて重要だ)、競争を放棄して低い社会的地位に甘んじ ることになりかねない。その一方で、自分を高める努力をすることは成功への条件だが、無理矢理ステイタスを高めようとすると、燃え尽きてしまうかもしれない。ステイタスゲームはきわめて複雑で、唯一の攻略法はないのだ。