中央大学について

開学当初から旧制時代の学則、規則類

中央大学の前身である英吉利法律学校の開学当初から旧制時代の学則や規則類を公開いたします。大学史資料課が所蔵しているものが中心です。

1885(明治18)年に開学した英吉利法律学校は法制度上の「各種の学校」として東京府から認可を受けました。

その後、1886(明治19)年12月に私立法律学校特別監督条規により帝国大学総長の監督下に置かれ、1888(明治21)年7月には特別認可学校となりました。1889(明治22)年10月に東京法学院と改称、1903年(明治36)年8月には社団法人東京法学院大学学則が認可されました。

1905年(明治38)年8月に校名を中央大学と改称します。今日にいたる本学の名称はこのときに始まります。制度上は社団法人でした。同年中央高等予備校を設置しています。1913(大正2)年8月には、本科を大学部、専門科を専門部、法律学科を法科、経済学科を経済科、商業学科を商科と改称します。 1919(大正8)年07月には財団法人中央大学を設立します。

1920(大正9)年4月に大学令による中央大学が認可されます。当時は法・経・商3学部、大学院、大学予科1部・2部という構成でした。同年中央高等予備校を廃止しています。1944(昭和19)年4月に中央工業専門学校が開校します。

中等教育関係では1928(昭和3)年4月に中央大学商業学校を開設します。

以下には発行された年代順に学則、規則類を掲げました。

学則に関連して『タイムトラベル中大125』(第2版に修正を加えたもの)、『中央大学史資料集』に収録した公文書(認可、届など)/学内記録(法学新報記事)を参考として掲げました。公文書/学内記録については、「正誤表」(pdfファイル390KB)も併せてご利用ください。

史料名 発行年月日 内容
英吉利法律学校規則(6.2MB) 1887(明治20)年3月改定 創立の翌々年の発行です。

内容は、規則、校外生月謝納付手続、教場心得、事務掌程、講師姓名、事務員姓名、卒業生姓名(第1回卒業生4名)からなります。
巻頭には、この年から毎年司法省から5,000円下賜されることになったこと、創立旨趣(建学の精神「実地応用ノ素ヲ養フ」が現れている)、私立法律学校特別監督条規が掲げられている。

規則第2条には第一科(邦語科=邦語ヲ以テ法律ヲ教授)、第二科(原書科=英米ノ原書ヲ以テ法律ヲ教授)を置くことを定めています。

所蔵本は本学が所蔵する最古の規則です。
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教科書(374KB) 開校式(352KB) 運動会(524KB)    
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 英吉利法律学校設置(291KB) 私立法律学校特別監督条規(116KB)     正誤表(390KB)
英吉利法律学校規則(8.4MB) 1887(明治20)年8月改定 構成は上記に掲げた1887年3月改定の規則と同様です。卒業生姓名には第1回卒業生に加え第2回卒業生18名が列記されています。
裏表紙には、広告として入学試験科目の説明が掲げられています。

所蔵本には"第四十条 出版日"として紙片(印刷1枚)が挟み込まれています;内容は講義録の発行曜日の変更で、規則の内容を訂正したものと推測することができます。
英吉利法律学校規則(8.1MB) 1888(明治21)年7月改定 内容は、規則、校内生月謝納付手続、教場心得、事務掌程、講師姓名、卒業生姓名(第1回、第2回卒業生)、監督試験及第者姓名からなります。

この年特別認可学校となります。巻頭には、英吉利法律学校沿革紀要、文部省告示第4号(1888年7月12日付で特別認可学校規則により英吉利法律学校学則を認可するとするもの)、文部省令第3号(特別認可学校規則)が掲げられています。

表紙に"特別認可私立英吉利法律学校"と表示されています。奥付の日付は1888(明治21)年7月26日です。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 卒業証書(323KB) 卒業記念写真(350KB) 校友会(現在の学員会)(255KB)    
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 特別認可学校規則による認可(73KB)       正誤表(390KB)
東京法学院学則 : 明治二十三年八月(8.9MB) 1890(明治23)年9月14日 1889(明治22)年に英吉利法律学校から東京法学院と改称しました。

内容は、学則、在院生月謝納付手続、教場心得、事務章程、講師姓名、卒業生姓名、監督試験及第者姓名からなります。

巻頭には、東京法学院沿革紀要、文部省告示第4号(1888年7月12日付で特別認可学校規則により英吉利法律学校学則を認可するとするもの)、文部省令第3号(特別認可学校規則)が掲げられています。

表紙に"特別認可私立東京法学院"と表示されています。奥付の日付は1890(明治23)年9月14日です。

所蔵本は中央大学図書館からの移管本です。
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東京法学院学則 : 明治二十三年八月(10.4MB) 1891(明治24)年2月10日 内容は、学則、在院生月謝納付手続、教場心得、事務章程、講師姓名一覧、卒業生姓名一覧です。

内容のうえでは1890年9月14日の学則と異同はほとんどありません。
ただし、1890年に民事訴訟法、刑事訴訟法が制定されたのを受けて、日本訴訟法、日本治罪法から科目名を改めています(前に掲げた1890年9月の学則では日本訴訟法、日本治罪法としています)。
また、1890年から1891年にかけて卒業生の呼び方を"学友"から"院友"と変更しています(第15条、第24条)。

巻頭には、東京法学院沿革紀要、文部省告示第4号(1888年7月12日付で特別認可学校規則により英吉利法律学校学則を認可するとするもの)、文部省令第3号(特別認可学校規則/1890年3月25日改正)が掲げられています。

表紙に"特別認可私立東京法学院"と表示しています。奥付の日付は1891(明治24)年2月10日です。
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東京法学院学制一覧(2MB) 1899(明治32)年8月 片面印刷の1枚ものです。

内容は、学則のほかに、高等法学科[規則]、東京法学院法学会議[規則]、在外員規則、課程表からなります。

上部には"東京法学院学制一覧"と大きく表示しています。学校名には"司法省指定私立学校"と表示しています。当時、司法省は判事検事登用試験受験資格を、関西法律学校(現・関西大学)、日本法律学校(現・日本大学)、東京法学院(現・中央大学)、独逸学協会学校(廃止)、東京専門学校(現・早稲田大学)、明治法律学校(現・明治大学)、慶應義塾(現・慶應義塾大学)、専修学校(現・専修大学)、和仏法律学校(現・法政大学)の9校の卒業生に与えていました。これを"司法省指定"と表現しています。

高等法学科は、1896年に設置されたもので東京法学院卒業生の中で優秀な者に限って入学を許可し、卒業試験に合格すれば「東京法学院学士」の称号を与えるとされ、1904年まで存続しました。

明治32年8月改正と表示されています。
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 司法省指定私立学校(32KB) 高等法学科生徒心得(39KB) 最後の高等法学科卒業生(61KB) 生徒・職員・予算・支出調査(257KB) 正誤表(390KB)
東京法学院学制一覧(3MB) 1902(明治35)年8月 両面印刷の1枚ものです。

内容は、学則のほかに、高等法学科[規則]、東京法学院法学会議[規則]、在外員規則、課程表からなります。

学校名には上記に掲げた1899年8月の東京法学院学制一覧と同様、"司法省指定私立学校"と表示しています。

明治35年8月と表示されています。
東京法学院大学学制一覧(8MB) 1903(明治36)年8年22日 法学新報の臨時増刊第13巻第9号(第150号)です。

内容は、学制大要、沿革略、学則、職員[一覧]、講師[一覧]、雑報、在外員と講義録、在外員規則からなります。
この学則により大学部(本科、予科)、専門科を設置しています。大学部本科、専門科の学期は、9月に始まり7月に終わる3学年制とし、予科は4月に始まり翌年の7月までの約1年半としています。

1903(明治36)年8月5日に社団法人東京法学院大学定款が認可、また学則が8月12日に認可されました。その直後に発行されたものです。"沿革略"には校名について東京大学に改称することを申請したが"東京帝国大学"(現在の東京大学)と似ているという理由で容れられず"東京法学院大学"としたとあります。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 大学への改称(336KB) 教科書(371KB) 制服/制帽(477KB) 学費(311KB)  
中央高等予備校学則(166KB) 1905(明治38)年 ここに掲げたのは東京府に提出した設置認可申請関係の公文書で、そのなかに学則が収録されています。

高等の諸学校への入学志望者に予備の学科を教授することを目的に東京府から認可を受け予備校を設立しました。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 中央高等予備校(296KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 予備校の盛況(107KB) 予備校の好成績(24KB) 予備校の好成績(21KB)   正誤表(390KB)
中央大学学制一覧(8.3MB) 1908(明治41)年8月 内容は、大学紀要、沿革略、学則、職員[一覧]、講師[一覧]、在外員と講義録、在外員規則からなります。

1905年に本科、専門科に経済学科を新設しました。

所蔵本は、巻頭の1枚、巻末の"在外員と講義録"と"在外員規則"との間の数枚が欠落しています。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 経済学科の新設(348KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 経済学科の新設(44KB)       正誤表(390KB)
中央大学学制一覧(12.7MB) 1911(明治44)年8月 内容は、中央大学新学年(45年度)の施設[冒頭に折込製本]、記要/沿革/総則/本科/専門科/予科/研究科/選科聴講/外国語専修科/給費生、特待性、貸費生及ひ留学生/学制心得/図書館規則/学友会規則/[職員一覧]/[校外教育の沿革、講義録の実質、教授の特色、在外員の成績]、(附録)在外員規則からなります。職員一覧の後に中央高等予備校の広告(赤紙1枚)が製本されています。

法科について「中央大学新学年(45年度)の施設」中で1912年から夜間授業を開始する旨案内しています。

1908年に経済学科から分置するかたちで商業学科を新設しました。

開設後間もなく閉鎖に至った新聞研究科に関して「中央大学新学年(45年度)の施設」中で1912年から経済科に併合とあります。

所蔵本には、入学試験日、入学資格について説明した赤紙1枚(片面刷り)が挟まれています。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 商業学科の新設(329KB) 新聞研究科(338KB) 学友会(366KB)    
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 商業学科新設(社団法人定款の改正)(59KB)       正誤表(390KB)
中央大学学制一覧(13.7MB) 1912(大正1)年8月 内容は、記要、沿革、総則、本科、専門科、予科、研究科、選科聴講、外国語専修科、給費生/特待生/貸費生及び留学生、学生心得、図書館規則、学友会規則、(附録)在外員規則からなり、そのほか職員、講師名簿、在外員制度の説明(沿革、講義録、教授の特色、成績、在外員規則)からなります。

巻頭口絵として奥田学長、岡野理事、伊藤理事の肖像写真、校舎写真1枚、運動場写真1枚があります。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 教科書(334KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 教職員数・学生数(32KB)       正誤表(390KB)
中央大学学制便覧(9.8MB) 1914(大正3)年8月 内容は、中央大学の新学年(大正4年度)[冒頭に折込製本]、記要、総則、学則、職員一覧、社員一覧、講師一覧、学友会役員、附録(図書館、中央大学予備校、学友会、学員会、実業同窓会)からなります。

1913年に、本科を大学部、法律学科を法科、経済学科を経済科、商学科を商科、専門科を専門部と改称します。
中央大学予科学則(2.7MB) 1915(大正4)年8月 表裏印刷の1枚ものです。

学則の中から予科に適用される条項を抽出して列記しています。大正4年8月と表示。

末尾に中央高等予備校生徒募集広告があります。
中央高等予備校学則(1.3MB) 1915(大正4)年8月 片面印刷の1枚ものです。

大正4年8月と表示。末尾に中央大学予科広告があります。
中央大学学制便覧(9.8MB) 1915(大正4)年8月 内容は、記要、総則、学則、職員[一覧]、社員[一覧]、講師[一覧]、学友会役員、附録(図書館、中央高等予備校、学友会、学員会、実業同窓会)からなります。裏表紙裏に在外員募集の広告があります。
中央大学学制便覧(9.7MB) 1917(大正6)年11月 内容は、中央大学の新学年(大正7年度)[折込製本]、紀要、総則、学則、職員[一覧]、社員[一覧]、講師[一覧]、学友会役員、附録(図書館、中央高等予備校、学友会、学員会、実業同窓会)からなります。

裏表紙に中央大学の所在地として"東京市麹町区元衛町(神田橋内)仮校舎"と表示されています。同年6月の失火による火災があり、9月に仮校舎に移転しました。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 中央大学の罹災(254KB)        
中央高等予備校学則(1.1MB) 1918(大正7)年1月 片面印刷の1枚ものです。

内容は、学則、講師[一覧]、職員[一覧]からなります。1918(大正7)年1月と表示。

入学希望者が多数であったにもかかわらず、1920年3月を以て廃止としました。
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 予備校の廃止(1.6MB)       正誤表(390KB)
中央大学学制便覧(9.9MB) 1918(大正7)年8月 内容は、記要、総則、学則、職員[一覧]、講師[一覧]、学友会役員、附録(図書館、中央高等予備校、学友会、学員会、実業同窓会)からなります。

この学則の発行が1918年8月と表示されていることから、翌年の1919年から適用される学則ということであり、大学部、専門部、予科がそろって4月入学とされるはじめての学則です。上記に掲げた1917年11月の学制便覧の学則では、大学部、専門部は9月入学の3年制、予科は4月入学で翌年の9月までの1年半制とされています。

所蔵本には、「稟告(錦町新校舎建築落成・元衛町校舎引き払い移転に付)」(1918(大正7)年8月付/朱字印刷)1枚が挟み込まれています。稟告には9月1日より神田錦町新校舎にて新学年の授業を開始するとあります。前年1917年に失火による火災の後、元の錦町に校舎を新築したことをうけての案内です。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 4月新学期制への移行(255KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 校舎改築・授業開始(173KB) 授業料の増額認可(72KB)     正誤表(390KB)
中央大学学制便覧(5.5MB) 1919(大正8)年3月 内容は、総則、学則(大学部、専門部、大学予科、研究部、選科聴講)からなります。

所蔵本の表紙には"専門部学則 大学部ハ新学則二依ル"と押印されています。大学令に基づく大学が認可(1920年4月)された後、この冊子は専門部だけに適用するという意味でこの印を押したものと推測します。

大学令による私立大学の認可は、1920年2月認可の慶應義塾大学、早稲田大学の2大学、4月認可の中央大学、日本大学、法政大学、明治大学、国学院大学、同志社大学の6大学と続きました。
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公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 大学令による設置認可(328KB) 6大学の認可(1.1MB) 設置認可(30KB) 学位規程(107KB) 正誤表(390KB)
中央大学学則(4.2MB) 1925(大正14)年2月 内容は、総則、学則(学部、大学院、大学予科)からなります。

所蔵本には"資格及特典"(印刷1枚もの)が挟まれています。

1920年に大学令による大学として認可されるに従い大学に関する規則だけを収録した冊子を作成したものと推測できます。

裏表紙に所在地として"東京市神田区錦町2丁目2番地"と表示されています。
中央大学専門部学則(3MB) 1925(大正14)年2月 専門学校令に基づいて設置された専門部に限定した冊子です。

裏表紙に所在地として"東京市神田区錦町2丁目2番地"と表示されています。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 専門部の成立(277KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 大学令による専門部学則改正(325KB)       正誤表(390KB)
中央大学商業学校規則(440KB) 1928(昭和3)年 1928(昭和3)年4月に大学所在地内に商業学校を開設します。

ここに掲げたのは文部省に提出した設置認可申請関係の公文書で、そのなかに学校規則が収録されています。

所在地は"東京市神田区駿河台南甲賀町6、7、8番地"と記載されています。関東大震災の後、1926年8月に神田区錦町2丁目2番地からこの地に移転しました。この後、約半世紀にわたって中央大学の本拠となりました。

中央大学商業学校は後に中央大学高等学校に改組されます。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 中央大学商業学校の設立(346KB) 中央大学高等学校の開設(247KB)      
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 校舎新築と移転(931KB)       正誤表(390KB)
中央大学学則(5.8MB) 1929(昭和4)年1月 内容は、学部、予科、専門部の学則からなります。

巻頭には、口絵写真4枚:校舎正面、中庭、運動場、校舎全景があります。

裏表紙に所在地として"東京市神田区駿河台南甲賀町6番地"と表示されています。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 学費(大正期)(296KB) 学費(昭和期1)(301KB)      
中央大学学則(8.2MB) 1930(昭和5)年1月 内容は、学部、予科、専門部の学則からなります。1929年に予科夜間部を開設しました。

巻頭には、口絵写真4枚:校舎正面、中庭、運動場、校舎全景があります。

裏表紙に所在地として"東京市神田区駿河台南甲賀町6番地"と表示されています。

所蔵本には本体のほかに、1)中央大学入学者心得(裏面は中央大学記要)(予科、専門部を内容とする;1930年3月付)、2)入学願書(裏面は履歴書)(予科、専門部用)、3)講道館会員証の3点が添付されています。
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 予科夜間部開設(207KB)       正誤表(390KB)
中央大学学則(6.5MB) 1931(昭和6)年3月 内容は、中央大学学則、中央大学専門部学則からなります。双方とも1931(昭和6)年4月1日施行とあります。

1931年度から学部に昼間部、夜間部を設けました。成績区分を優/良/可/不可から甲/乙/丙とし、丙を不合格としました。また同年度から聴講券から学生証に移行しました。

この学則から大学記念日(創立記念日)を7月8日としました。それまでは11月11日としていました。

裏表紙に昭和6年3月と表示されています。
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公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 大学記念日変更(1.4MB) 成績区分の変更(51KB)     正誤表(390KB)
中央大学学則 : 大学部 大学予科 専門部(10.8MB) 1939(昭和14)年2月 学則の施行日は大学部、予科、専門部ともに1937年4月1日と表示されています。

学則裏表紙に所在地として"東京市神田区駿河台3丁目9番地ノ4"と表示されています。駿河台南甲賀町は1932年に駿河台と名称変更されました。

巻頭には、口絵写真2枚:校舎、50周年記念講堂があります。

所蔵本には本体のほかに、1)入学願書(裏面は履歴書)(学部、専門部、予科用)(1枚)、2)昭和11、12、13年高等試験合格出身校別(1枚)、3)入学志願者心得(昭和14年度)(裏面は中央大学記要)(予科、大学部、専門部)(1枚)の3点が添付されています。
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中央工業専門学校規則(1MB) 1944(昭和19)年 1944(昭和19)年4月に大学所在地内に中央工業専門学校を開設します。

ここに掲げたのは文部省に提出した設置認可申請関係の公文書で、そのなかに学校規則が収録されています。
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中央大学学則 : 大学部 大学予科 専門部(13.6MB) 1944(昭和19)年8月 学則の施行日は大学部、予科、専門部ともに1943年2月1日と表示されています。

所蔵本は本学が所蔵する学則のうち、アジア太平洋戦争終結時に最も近いものです。

この史料は、もとは、表紙に"自二十年四月至二十二年三月 往復文書 教務課"と記された簿冊(内容はその間の文部省との往復文書)に綴られていた文書のひとつです。文部省学校教育局専門教育課発信、官公私立専門学校長あての「学校長履歴書及び学則について」と題された照会(1946年12月13日付)に対する回答の一部と推測します。照会文書には専門学校資料整備のため必要であるので、学校長の履歴書および1946年11月末日現在の学則を提出するようにと記されています。

1944年当時の学則に1946年当時の規則などを朱書きしています。学科目中廃止した「教練」、「共栄圏情勢概論」、「軍事学」、「兵器学」などを朱棒線で消し、学科目表の欄外に"学科課程ニ付キテハ研究中ニテ現在ハ多少変更シテ実施ス"と朱書きしています。また、入学試験受験料、入学金、授業料などの金額を朱書きで改めています。たとえば、学部(昼間部)の授業料は180円を消して600円としています。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 学費(昭和期2)(304KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 授業料の増額認可(1943年3月)(1.5MB) 授業料の増額認可(1946年3月)(1.3MB)     正誤表(390KB)
中央大学学則(旧制)(3.3MB) [1949年前後] 謄写版印刷の冊子です。

内容は、学部、予科の学則からなります。附則に1942(昭和17)年4月1日より適用とあります。

標題に"旧制"とあることから新制大学設置認可前後に作成されたもので、大学の業務用として使用したものと推測できます。

旧制学部等のの廃校は、学部が1953年3月、予科が1949年3月、専門部が1951年3月、工業専門学校が1949年3月でした。
関連記事(『タイムトラベル中大125』から) 旧制中央大学の廃止(372KB)        
公文書/学内記録など(『中央大学史資料集』から) 旧制大学の廃止(100KB) 旧制専門部の廃止(184KB) 新制大学の認可(254KB)   正誤表(390KB)