サンドラがみる女の生き方

「無痛分娩を選ぶ自由」あるようでないのはなぜ?海外の状況は

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近年SNSでは、女性の「選択」や「生き方」に関連するキーワードに注目が集まることが多いです。先日は「無痛分娩」という言葉がSNSでトレンドに。ある男性タレントが、インスタグラムのストーリーズで「今日で妊娠9か月です 出産こわいよー」とコメントしてきたファンに「旦那様に無痛おねだりするか」と回答し、炎上してしまったことがきっかけでした。

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子供を産むのは女性なのに、なぜ無痛分娩という選択肢を男性に「おねだり」しなければいけないのか――。これが、多くの女性の怒りのポイントでした。「出産の大変さがわかっていない」「モラハラ」「女を下に見ている」といった批判が続出した一方で、「近くにいる頼れるパートナーと不安が和らぐ方法を話し合ってね、という意味だと思った」などと理解する声も。男性タレントはその後、発言について謝罪をしています。

いちタレントによる一言が大きな騒ぎを引き起こした背景には、女性に対する、「出産はこうあるべきだ」という社会全体からの一方的な価値観の押し付けがあります。今回は、無痛分娩について海外とも比べながら考えます。

日本に根強い「自然分娩信仰」

写真はイメージです
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麻酔薬によって陣痛を和らげる無痛分娩。自然分娩よりも10~15万円ほど多く費用がかかるものの、実施しているクリニックは日本にもありますから、女性が無痛分娩を選択することはできます。

しかし、厚生労働省の調査(2020年)によると、日本ではわずか8.6%。その最大の理由は、「無痛分娩をコントロールする麻酔科医の数が不足している」ためですが、他にも日本特有の事情があります。

無痛分娩を希望する女性は年々増えているのに、誰もが堂々と「自分は無痛分娩を選択した」と言えるわけではありません。というのも、日本には今なお「自然分娩信仰」、すなわち「お (なか) を痛めて産んだ子供だからこそ、母親は愛情を感じることができる」という考え方が根強く残っているからです。

現在、この言説は専門家によって「科学的な根拠はない」と否定されています。それでも、出産をひかえた女性が無痛分娩を選択すると、身内、例えば実の親や夫、果ては夫の両親から「茶々が入る」ことがあります。母親や (しゅうとめ) が、直球または遠回しに「私は自然分娩でよかったと思っている。無痛分娩で子供に愛情を持てるの?」、あるいは「出産で楽をしようなんて考えで、いい母親になれるのか」といった横やりを入れてくる可能性があるのです。

だから、「無痛分娩という選択をしようとしていること」または「無痛分娩を選択したこと」を、家族のごく一部にしか伝えないケースもあります。読売新聞の記事(2022年12月6日付「関心アリ!」)では、「無痛分娩をしたことを『家族に内緒にして』と言う妊婦も少なくない」とする、医療関係者の話が紹介されています。そこから見えてくるのは、「自由な選択」とはほど遠いところで、他人の価値観に縛られている妊婦さんたちの現実です。

フィンランドは9割が無痛分娩

海外に目を向けてみると、男女格差が小さい国ほど無痛分娩の比率が高くなると言われています。無痛分娩率はフィンランドで約9割、フランスで約8割、アメリカは約7割です。筆者が出身のドイツで、無痛分娩はPeriduralanaesthesie(略してPDA)と言いますが、分娩施設のある病院には麻酔科医が常駐しているため、いつでもPDAに対応できます。

日本では、無痛分娩を希望する妊婦さんは、まず「無痛分娩ができる病院」を選び、分娩の日取りを決めて入院するケースが多いようですが、ドイツにおいては、「自然に陣痛が始まるのを待ち、分娩が進行していく中で、必要であればPDAを用いて痛みを緩和する」方式が主流です。(日本にも、自然に陣痛が始まってから無痛分娩ができる施設があります)

ドイツで出産した筆者の知人たちに「日本では無痛分娩をする女性の一部がうしろめたさを感じている」と話すと、あるドイツ人女性はこう言いました。「歯の治療を受ける時も麻酔を使うでしょう? そこでうしろめたさを感じる人はいない。それと同じよ」と。

実は、筆者もこのことについて昔から思うところがあり、著書「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)の中で次のように書いています。

「出産の際に痛みを感じたほうが子供に愛情を注ぐことができる」という論理でいけば、「歯の治療の際に痛みを感じたほうが、今後は入念に歯磨きし歯を大事にすることができる」という声が上がってもよさそうなものです。でも「歯の治療」は「出産」とは違い、男性も当事者になりうるのでそういった声が出ないのだろう……。

これは、筆者の推測に基づいた「持論」です。

「痛みを乗り越えてこそ」といった、出産にまつわる“精神論”には、なかなか根深いものがあります。「昔から多くの妊婦が体験してきたことだから」と、女性だけが強いられる痛みにあまり関心を持たないことが、いわば日本社会のスタンダードでした。山王バースセンター(東京)の名誉院長である北川道弘氏によると、実際には「陣痛は指の切断と同じぐらいの痛み」(読売新聞の2022年12月6日付同記事)があるとされています。

ドイツで自然分娩したケースとは…

ドイツの知人女性たちに話を聞くと、全員が無痛分娩を「当然のこと」と考えていましたが、その中に「希望したのに (かな) わなかった」という女性が何人かいました。ここでは、ドイツのシステムの問題点が浮き彫りになっています。

前述のように、ドイツの場合、分娩施設のある病院であれば24時間麻酔科医が常駐しています。だから、「理論上はいつでも無痛分娩ができる」はず。ところが、「実際の状況」は少し異なります。

麻酔科医が救急患者を優先せざるを得なかった、休日で麻酔科医の人数が通常より少なく他の分娩の対応が重なってしまった、などの理由から、結局は「麻酔科医を待っているうちに分娩が進行しそのまま出産した」という女性も多いのです。話を聞かせてくれた女性もそのケースでした。

「無痛分娩がスムーズに行くか」は病院の規模や体制によって、かなり違いがあるようなのです。事前に病院からは「何かあったらPDAを使用する」と言われていたのに、結局痛みを伴う出産をしたことがトラウマになっている女性もいます。知人女性は苦笑いしながら「無痛分娩が叶うのはタイミングと運次第。ドイツの医療システムも改善が必要だと思う」と語りました。

ただ、ドイツで「無痛分娩を希望していたけれど結果として自然分娩になった」ケースの全てが、「現場の人員不足やバタバタ」に原因があるわけではありません。陣痛が始まり、PDAの準備が整うまでに通常2時間ほどかかりますが、進行が早い場合は、準備が完了する前に赤ちゃんが生まれることがあります。これは、ポジティブにとらえられるでしょう。

「楽をすること」は悪ではない

「自然分娩」であっても「無痛分娩」であっても、女性は妊娠中の約10か月間、生ものを食べないようにしたり、アルコールや激しいスポーツをひかえたりと「制限のある生活」を送っています。つわりがひどい女性もいるでしょう。出産後、昼夜の別なく続く育児に備えて、「痛みによるダメージをなるべく軽くしたい」と考えるのは自然な感情です。周囲の人たちは、出産の当事者である妊婦さんの選択をもっと応援しても良いのではないかと思います。

妊婦さんに限らないことですが、そもそも「楽をする」イコール「悪」ではありません。ところが、日本では女性が楽をしようとすると、なんだかんだと理由をつけて、苦労する方向に持っていこうとする人が今でもいます。

でも、古い価値観を引きずって、「子供のために耐える母親」を美談にする必要はありません。「痛いのは嫌だから無痛分娩にする」と言う女性をちゃんと受け止められる社会こそが、成熟した社会なのではないでしょうか。(コラムニスト サンドラ・ヘフェリン)

プロフィル

サンドラ・ヘフェリン
サンドラ・ヘフェリン
コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住20年以上。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」。著書に「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」(中央公論新社)、「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)など。新著は「ドイツの女性はヒールを履かない――無理しない、ストレスから自由になる生き方」(自由国民社)。
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5561945 0 大手小町 2024/07/12 06:00:00 2024/07/18 12:19:01 /media/2024/07/20240709-OYT8I50046-T.jpg?type=thumbnail

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