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囲炉裏囲んで
人口約4700人の福島県飯舘村。2011年の東京電力福島第一原発事故で一時全村避難を余儀なくされた山村だ。
「気まぐれ茶屋ちえこ」は、JR福島駅から車で約1時間の山の上にある。店を切り盛りするのは佐々木千栄子さん(77)。初任地が福島支局だった記者は、実は10年以上前に少しだけ話したことがある。そう言ったら、「昨日の夕食だって覚えてねぇのに、10年前なんてわがんねよ~」と笑われてしまった。
囲炉裏を囲み、高い天井を不思議に思って見回していたら、「この建物は昔、葉タバコの乾燥小屋だったの」と、教えてくれた。村に多かった葉タバコ農家に18歳で嫁いだ。「お嫁に来た、じゃねぇ。嫁に『くれられた』っていうんだ」。父を早くに亡くし、頼れる身内のない母を支えるためだった。「だから、なんでも自分でやんなくちゃって気持ちが強かったんだな」
「私も自立」
そんな気概は、飯舘村の精神にも重なる。村は2004年、合併しない自主自立の道を宣言。佐々木さんは共感し、「私も自立を」とこの店を始めた。山菜や、自分で育てた野菜を使った田舎料理を出す、当時東北では珍しかった農家レストランだ。
59歳。村の同級生たちには「これから悠々自適の年金生活なのに、なぜ」と笑われたが、「これまで長いこと嫁をやってきたんだ。今度は私が楽しむ番」と言い返した。
夫の勝男さんと乾燥小屋を改築した。季節野菜や山菜の天ぷら、煮物、あえ物やおひたし――。品数豊富なおかずは店名の通り「気まぐれ」、つまり日替わりだ。素朴な田舎料理が評判となり、県外からも客が来るように。村に掛け合ってどぶろく特区を申請してもらい、造り始めたどぶろくを村の名物に育てた。乳がんを患っても店に立ち続け、商売を軌道に乗せた。
原発事故が、古里を、店を、全てを奪った。村に高線量の放射性物質が降り、「もう戻れない」と避難先の福島市に住宅を構えた。追い打ちをかけるように12年、勝男さんが亡くなった。「お父さんに置いて行かれたような、追いかけないといけないような気になって」。ふさぎ込む日々が数年、続いた。
救ってくれたのは、同じく避難生活を送る村の仲間たちの存在だ。誘われたカラオケで近況を報告し合い、冗談を言い合うだけで、前向きになった。「また村にこんな場を作ろう」。小さな希望を胸に、税務署を説得して、まずは避難先でどぶろく造りを再開。店を含む地区の避難指示は17年に解除され、令和初日にあたる19年5月1日、再開にこぎ着けた。
生きがい求め
村民の帰還率は、まだ3割程度。動物に荒らされるため、野菜の自家栽培はせず、村の山菜の使用も自粛している。お品書きは震災前と同じとはいかない。営業は予約限定で、冬季は営業しない年もある。
今、店を支えているのは、村に根付く保存食文化だ。ある日の定食(1300円)には、冷凍保存した手作りの「しそ巻き」、梅を氷砂糖で漬けた甘梅、カブの酢漬け、いちじくの甘露煮などが並んだ。「みそは『ヤマブキ咲く頃』って教わった。つまり今の時期に仕込むんだ」。客の隣に腰掛けて説明する佐々木さんは、どこか誇らしげだ。
全国から観光客を受け入れる機会も増え、復興の旗印として期待される一方、自身が描く未来像は冷静だ。「村民は皆、それぞれの仕事先や学校で新しい生活を始めている。早く村に戻ってほしいとか、そんなことは思ってないんだ。ただ私は、ここでもう一度、自分なりの楽しみを見つけていくだけ」
再開からちょうど4年にあたる5月1日、村の帰還困難区域の一部が解除された。でも焦らず、先を急がず、ただ楽しく、生きがいを求める。そんな佐々木さんに会いに、今日も全国から予約が入る。(東京本社社会部 福元理央)