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『氷結の森』の舞台となった極東シベリアの最も寒い時期に、熊谷さんと出会い、数日間同じ空間と時間を共有した。私は日本人のやって来た道を辿る「新グレートジャーニー・北方ルート」の途中で、厳冬期には凍結する間宮海峡を歩いて渡ることにした。熊谷さんは『氷結の森』執筆の取材のために、作品の舞台と決めた樺太(からふと)と尼港(にこう)に来るというので、当地で落ち合ったのだ。 南樺太が日本領だった20世紀前半、東北のマタギが旅マタギとなって樺太までやって来た。そういう想定で話が進むと聞いていた。『相剋の森』『邂逅の森』を書いた時とは違う。モデルがいない。資料が少ない。それだけに想像力を存分に膨らませることができる。どういう物語を紡ぐのか楽しみにしていた。 私はマタギ三部作ということで、当然巨大なヒグマが出てくると思っていた。ところが私の予想は大きく裏切られた。主役はやはりマタギだが、野生動物や自然との格闘ではなく、過酷な土地での、人間同士の確執、愛憎、宿命がつづられる。最後は革命とシベリア出兵という歴史の流れの中で、戦争に翻弄される人間模様を描いていく。改めて著者の関心の幅に目を瞠った。これはシベリアを舞台にした冒険小説ではないだろうか。 一年前、私が勤める美術大学の学生30数名を連れ、鷹匠松原英俊さんの訓練風景を見学させてもらうために山形を訪れた。その時に熊谷さんも同席してくれた。その後熊谷さんが出版社の小冊子に一文を書いた。生きたウサギ、鶏を松原さんの腕に止まったイヌワシに襲わせる実践的訓練だ。熊谷さんは訓練風景は何回も見ていたので、関心は学生の反応にあった。その一文には訓練時の学生たちの反応が事細かに書かれていた。それを読んだ学生たちはその観察力の正確さ、緻密さに舌を巻いていた。彼らとしては、ウサギや鶏が襲われ絶命する瞬間の、自分たちの内面の微妙な動きまで観察されているとは夢にも思っていなかった。学生たちは熊谷さんが直木賞作家だということを知っていたし、著作を読んでいる者もいた。しかし、参加者の中で熊谷さんが一番ぼんやりとしていたと感じた学生が多かったから、その驚きは大きかったようだ。 私もロシアでお会いする前に、何回かマタギのクマ狩りや、松原さんのインタビューなどに同席させてもらったが、メモも取らないし、静かに話を聞いている。しかし書かれたものを読むと、彼の観察力と描写力に脱帽する。この作品にも、私が見逃してしまって気付かない、極寒の風景や人々の動き、思いが見事に描かれている。 |
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(せきの・よしはる/探検家) |
【熊谷達也さんの本】
単行本 集英社刊 1月26日発売 定価:1、995円(税込) |
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