[本を読む]
複雑な現代、心が乗っ取られない
ようにするために
認知科学における「プロジェクション」についての本である。と書いても、2015年に提唱され始めた新しい概念なので、ほとんどの人はご存じないだろう。その定義は「作り出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界を重ね合わせる心の働き」だという。う~ん、こう言われてもまだわかりにくいぞ。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という言葉がある。言うまでもなく、幽霊に見えていたものがじつは枯れたススキであったという意味だ。現実に存在しているものに、ありもしないものを見てしまう。これがプロジェクションの一種、「異投射」である。それに対して、「目の前の世界を見たままにとらえる」のが「通常の投射」、そして、実際には何もないのにあるように思えてしまうのが「虚投射」だ。なんとなくわかる。
たとえば、知り合い二人が話をしているところに出くわしたと考えてみよう。自分についての噂話をしているのが実際に耳に入れば通常の投射、聞こえないのに自分の噂話をしていると思ってしまうのが異投射。さらに、何も目にしていないのにあの二人は私の悪口を言っているに違いないと思い込んでしまうのが虚投射ということになる。
我々の日常生活は、リアルな通常の投射だけで成り立っている訳ではない。多かれ少なかれ、異投射や虚投射にも彩られている。通常の投射だけしかない状況を考えてみると、シンプルではあるけれど、きっと面白くない日常だ。かといって、異投射や虚投射が強すぎると良からぬ状況を招きかねない。ポジティブな投射ならいいけれど、ネガティブなものは陰謀論、被害妄想、霊感商法やオレオレ詐欺の被害など困ったことに繫がってしまいかねない。
はたしてネガティブなプロジェクション、すなわち『イマジナリー・ネガティブ』に操られて不幸に陥ってしまってはいないだろうか。それを判断するには、プロジェクションの概念を頭に入れ、悪しき投射に心が乗っ取られないようにすることが肝要だ。複雑な現代、ありもしない枯れ尾花に騙されないために。
仲野徹
なかの・とおる●生命科学者、大阪大学大学院名誉教授