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ピアノを尋ねて

クオ・チャンシェン/著 、倉本知明/訳

2,145円(税込)

発売日:2024/08/29

  • 書籍

音楽への夢と情熱、別れと喪失――台湾の文学賞を総なめにした話題作!

天賦の才能を持ちながらピアニストの夢破れた調律師のわたしと、再婚した若い音楽家の妻に先立たれた初老の実業家。中古ピアノ販売の起業を目指してニューヨークを訪れたふたりが求めていたものとは――。作中にシューベルト、リヒテル、グールド、ラフマニノフといった巨匠の孤独が語られ、「聴覚小説」とも評された台湾のベストセラー。

書誌情報

読み仮名 ピアノヲタズネテ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Fukiko Tamura/Illustration、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-590196-7
C-CODE 0397
ジャンル 文学・評論
定価 2,145円

書評

あきらめの音

東山彰良

 ピアノの調律師が主人公ということで、真っ先に宮下奈都氏の『羊と鋼の森』を思い浮かべた。たぶん調律という仕事をつうじて主人公の青年が真っ直ぐ成長していくような、そんなきらきらしたお仕事小説に違いないと。台湾が舞台ということでも、いくつかの先入観に囚われた。ノスタルジー、人情、自己陶酔型の絆。
 読み始めてすぐ、そんなものはまったくの見当違いだとわかった。台湾が舞台なのはただたんに著者が台湾人で、それ以上の意味はない。主人公は自分が信じた道を邁進する若者などではなく、頭の禿げあがった、うだつの上がらない中年男だ。仕事をつうじて成長するには、彼の自我はすでに確立されすぎている。彼は繊細で内省的ではあるけれど、人並みの卑劣さも持ち合わせている。調律の天才だというわけでもない。若いころは「天才音楽家」と自任していたものの、いまは調律師としてくすぶっているだけのちっぽけな存在だ。ピアノを「羊と鋼の森」と呼ぶような感性とは無縁で、「一台の機械に過ぎない」「そこには、何ら深い原理は存在しない」と喝破するような、ようするにあなたや私と何ら変わるところのない凡人なのだ。もちろん、過ちや後悔とも無縁ではない。物語は、若かりし日の彼の後悔が刻印された一台のピアノをめぐって展開される。その後悔が彼をニューヨークへと導くのだが……
 なんともポリフォニックな中篇作品だった。主軸としてはひとりの調律師が自分の過去と向き合うという、ただそれだけの物語だと言える。しかしそこに到るまでに、いくつもの主題が多声的に立ち現われては消え、互いに角逐してはせめぎ合い、やがて「機械に過ぎない」はずのピアノに同情を寄せるまでに主人公の魂を修復していく。次々に提起される魂と肉体、形式と自由、美と醜といった抽象的な二元論的主題を、著者はクラシック音楽界の巨匠たちの人生になぞらえて読者の眼前に並べて見せる。リヒテルとグールドの対比が好例だ。レコーディングを拒み、コンサートを開くことにこだわったリヒテル。逆に、最もよい音楽とはレコーディングされたものであり、ゆえにコンサート嫌いだったグールド。活きた音にこだわるリヒテルの音楽を生の象徴と見なすなら、グールドの音楽は必然的に死ということになる。味わい深いのは、すでに歴史が証明しているように、たとえ死と定義されようとも、そこには生の音楽と同等の普遍性が宿るということだ。両巨匠の音楽はまったく同じように私たちの胸を打つ。
 つまり、こういうことだ。生と死が不即不離ならば、魂と肉体、形式と自由、美と醜もまた同じなのではないか。著者のそんな眼差しが孤独な調律師を救う。そのしなやかな筆致は、目に見える表層の理由と、その裏に隠された本当の理由が、さながら白鍵と黒鍵のように分かち難いことに気づかせてくれる。「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」と言ったのはニーチェだが、けっきょくのところ人生にまつわるすべての問題は、純然たる主観の問題にすぎない。正答がないのだから、どうあっても間違いではない。
 それでも、後悔はつきまとう。人間の魂はつねに完璧を志向するが、肉体という軛によって後悔は避け難く生まれ落ちる。魂の領域に属する芸術は美しいけれど、だからと言って血肉を持つ芸術家まで美しいとはかぎらない。ちびで醜く、ツキにも見放されていた楽聖シューベルトの生涯に調律師は同情を寄せつつ、それでも彼には音楽があったことに慰めを見出す。そのうえで、返す刀でこう問いかけるのだ――しかし、音楽があればそれで十分だったのか?
 もちろん、十分ではない。だけど、天与のものに対して私たちになにができるだろう。シューベルトにしてみれば、音楽があるだけまだましと諦めて、とっとと前へ進むしかないではないか。陰と陽が不可分であるように、良いことも悪いこともすべてはつながっている。その連環を受け入れないかぎり、私たちの調律は狂い始める。巨匠たちに導かれて調律師が最後にたどり着く諦観の沃野は、こんなにも豊かでやさしい。読者が目の当たりにするのは、彼の内部でようやく音階が調う瞬間だ。その静かな共鳴は、諦めを知る者の耳にきっと届く。後悔が同情に昇華する瞬間でもある。

(ひがしやま・あきら 小説家)

波 2024年9月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼Higashiyama Akira 東山彰良

文学におけるポリフォニーとは何か? この本を読んで、曖昧模糊としていたその精神的な薄暗がりに、光が射し込んだような気がした。主人公の調律師は屈託にまみれ、正しくも美しくもなく、おまけに若かりし日の後悔が刻印された一台のピアノに縛られて自由にすらなれない。それでも巨匠たちの音楽と人生は、ポリフォニックに彼を導く。正解などない。人の数だけ価値観があり、価値観の数だけ声がある。最良の選択は、たぶん、いくつもの声が指し示すその先にある。肉体という足枷をつけられた魂は、そうやってゆるやかに解き放たれてゆく。


▼甘耀明 カン・ヤオミン

猫の足跡が作った音符のような軽やかな言葉で、魅力的な物語を奏でつつ、人と音楽、そして感情の間で魂の帰する所を包み隠さず吐露する。蒼茫たる雪景色と波瀾万丈の人生は、このように互いを映し出し、ただ郭強生の本作だけがその重みに耐え得ることができるのだ。これは読む者が心惹かれる小説である。

著者プロフィール

クオ・チャンシェン

Kuo,Chiang-Sheng

1964年生まれ、劇作家、エッセイスト、小説家。国立台湾大学外国語文学学科卒業、ニューヨーク大学で演劇学の博士号を取得、2018年から国立台北教育大学言語創作学科教授。1987年に短編小説集『作伴(仲間)』でデビュー。1989年に渡米し、アメリカ在住の台湾人劇作家として活躍する。2000年台湾へ帰国、劇団「有戯制作館」を設立。2012年発表の初の長編小説『惑郷之人(惑郷の人)』で第37回金鼎賞を受賞した。2020年に発表された『ピアノを尋ねて』は、台湾文学金典奨、Open Book2020度好書賞、2020金石堂年度十大影響力好書賞、2021台北国際書展大賞、第8回聯合文学大賞など、主要文学賞を総なめにした。

倉本知明

クラモト・トモアキ

1982年、香川県生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科修了、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に呉明益『眠りの航路』、王聡威『ここにいる』、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(いずれも白水社)、張渝歌『ブラックノイズ 荒聞』(文藝春秋)、游珮芸・周見信『台湾の少年1~4』(岩波書店)などがある。

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