転生王女の看病。
医者ではないから無理だと何度言っても、のらりくらりと躱され、結局は聞き入れてもらえなかった。
重い足取りで階段を上がる私を、先に行くオネエさんが急かす。
「う……」
甲板につくと、日差しの強さに思わず目を細めた。
手で庇をつくっても、大した効果はない。閉じた瞼の裏で、焼き付いた太陽の影がチカチカと閃く。
甲板は想像以上に暑く、部屋に外套を置き去りにしてきてしまった事を即座に後悔した。
「大丈夫か」
「うん、平気」
背後に立つクラウスは、心配そうに私を見下ろす。自分の外套の中に私を入れてくれようとしたが、固辞した。
「マリーちゃんの白い肌が焼けてしまうわね」
「ビアンカさんも」
「私は良いのよ」
隣に並んだビアンカ姐さんは私を気遣ってくれるが、自分の事は無頓着だった。
ビアンカ姐さんは陶器のように滑らかな美肌なので、保つ秘訣を教えて欲しいと思っていたんだけど……もしかして特にケアはしてない感じですか。羨ましい。
「こっちよ」
手招くオネエさんに従って、そちらへと近付く。
柱の陰に隠れるようにして覗き込むオネエさんに首を傾げながら、指で示された方向を見る。すると、そこに居たのはフローラ嬢一行だった。
げ、とクラウスが小さく呻く。
具合が悪いのって、もしかしてフローラ嬢だろうか。
デッキチェアに寝そべるフローラ嬢は、侍従の差すパラソルの下。その上、大きな扇で扇がれている。
しかし寛いだ表情を見る限り、不調を訴えているようには見えない。
完全に船旅を満喫しているセレブだ。
「快適そうに見えますけど……」
「馬鹿ね、そっちじゃないわよ。隣」
となり?
オネエさんは、首を傾げる私の顔に手を添えて、向きを変える。
少し右にずらされた視界には、フローラ嬢から少し離れた場所で待機する侍女の姿が映った。
濃いグレーの襟の詰まったドレスを着た侍女は、強い日差しの下、日傘もささずに直立している。
顔色は遠目にも悪く、時折、額や口元を手で押さえていた。
「侍女の方ですか。確かに顔色が優れないようですね」
「でしょ。でも、休めばって言っても聞かないのよ」
休もうにも、休めないんじゃないかな。
快適に寛ぐフローラ嬢を眺めながら、胸中で呟いた。
「取り敢えず、水分だけでも摂ってもらった方がいいですね。私、厨房に戻って……」
「ちょっと、ミア!」
「は、はいっ」
厨房に戻って、水を貰ってきますね。そう続ける筈だった言葉は、苛立った声によってかき消された。
ミア、と呼ばれた侍女は、顔を強張らせる。
「貴方、弛んでいるんじゃないの」
「そんな……私は」
「フラフラして、落ち着きのない。それに貴方、さっきは欠伸していたじゃない」
「申し訳ありません……。昨夜は旅の支度が終わらず、あまり眠れなかったもので」
「言い訳は結構よ!」
「はいっ」
フローラ嬢に叱りつけられたミアさんは、肩をすくめた。
「酷いわね……」
ビアンカ姐さんの眉間に、深くシワが刻まれる。
「強引にでも連れてきちゃいたいところだけど、あの子にも立場ってものがあるでしょうし。どうしたものかしら、可愛こちゃん」
「……そんな悠長なことを言っている場合では、ないかもしれません」
「……それは、どういうことだい? マリー」
私が小さく呟いた言葉を拾って、クラウスが問う。
答えようとして、躊躇した。
この世界で、熱中症って認識されてるの?
寝不足で体調不良の時に、炎天下で立ちっぱなしなんて、熱中症まっしぐらだと思うんだけど……どう説明したらいいか分からない。
それに、説明している時間がもったいない。
ミアさんの形の良い額には汗が浮かんでいるのに、顔色が悪い。
それに頭や口を押さえる仕草から察するに、頭痛や吐き気もあるんじゃないだろうか。
オネエさんが言ったように船酔いの可能性もあるけれど、すでに熱中症の症状が出はじめているという恐れもある。
「兄さん」
「なんだ」
「厨房に行って、水を持ってきてもらえる?」
クラウスを見上げて言うと、彼は軽く目を瞠る。
暫し黙り込んでから、真剣な目で私を見た。
「……必要なことなんだな?」
「うん」
頷くと、クラウスはあっさりと了承した。
それを意外に思いつつも、注文を付け足す。
「さっきのレモン水に、ひとつまみの塩と砂糖を入れてきて。それから、桶にも水を汲んで、何枚か布もお願い」
「塩と砂糖を入れたレモン水と、水を入れた桶と布だな。早目に戻るから、無茶は……するよな、お前は」
踵を返したクラウスは、一度足を止めて振り返る。私に釘を刺そうとして、言葉を途切れさせた。
苦笑を浮かべる彼に、私も苦笑いを返した。
「ごめんなさい」
落ち着きのない護衛対象で誠に申し訳ないが、病人を見て見ぬふりをする選択肢はない。
「訂正する。なるべく無茶はしないでくれ」
「分かった。ありがとう」
遠ざかっていくクラウスの足音を聞きながら、私は深く息を吸い込み、表情を引き締めた。
さて。どう声をかけるか。
ミアさんの方へ向かい歩きだすと、ビアンカ姐さんとオネエさんも後に続く。
私達に気付いたフローラ嬢は、怪訝そうな目を向けてきた。しかし、近付いてきたのが私だと分かるとすぐに、眼差しは剣呑なものへと変わる。
「なぁに、貴方。懲りずにまた来たの」
睨み付けられて、一瞬怯む。
なんか物凄く嫌われてるな……。
「あの、少しお話があるのですが」
「私はないわ。あっちへ行って」
取り付く島もないとは、正にこの事だろう。
どうしたものかと、考えつつミアさんへ視線を移す。ミアさんは相変わらず顔色が悪く、口元を押さえたまま俯いている。
事を荒らげるべきではないと分かっているが、このままじゃ倒れてしまいそうだ。
「聞いて下さい。事態は急を要します」
「しつこいわね!」
「お付の方の具合が悪そうなので、手当てしても宜しいですか」
「……は?」
私の言葉を聞いたフローラ嬢は、不可解そうに片眉を跳ね上げた。ミアさんと私を、交互に見る。
「ミアの事? なら放って置いて頂戴。この子はただの寝不足よ」
「ただの寝不足でも、こんな暑い中、日傘もささずに立ちっぱなしでは倒れかねません。せめて日陰に移動を」
「だから! 放って置いてと言っているのが聞こえないのかしら!?」
全く聞き入れようとしないフローラ嬢に、私は苛立ちが込み上げる。
ああ、もう! どうすりゃ納得してくれるのよ!?
「無駄よ、可愛こちゃん。ちょっと、これ以上は不味そうだから、強引に連れて行っちゃいましょ」
堂々巡りな私達の遣り取りを見守っていたオネエさんは、苦笑を浮かべてミアさんへと向き直る。
虚ろな目で床を眺めていたミアさんは、伸びてきた手を見て我に返り、弾かれたように顔を上げた。
「い、いえっ! 私なら大丈夫です! どうかお気に、……」
「!」
なさらず、と言い終える前に、ミアさんの体がグラリと揺れた。
傾いだ体を、オネエさんの逞しい腕が受け止める。
「もう! 言わんこっちゃない!」
オネエさんは愚痴をこぼしながら、ミアさんを抱き上げた。
.