ちゃぶ台

えんぞうです。アニメの話と書いた小説など

ウィッグじゃねえのかよ:夏の終わりと最後の魔法

8月26日

萌ちゃん(涼花萌)が神木みかみに扮するどころの話ではなく、もはやその身に降ろす、いや降ろすというと両者の間に上下のニュアンスが生まれてしまう。宿す。成る。そういった、存在のより根本からそのものに近づくようなものだったことは驚きだった。萌ちゃんは髪をピンク色に染めた姿で現れた。8月25日、萌ちゃんの卒コンまで一週間を切った日のことである。

 

秋元プロデュースのグループ所属のアイドルが髪を明るい色に染めることは難しい。それは日本の学校の雰囲気に倣っているからだと思うが、そういうイメージを用いて商売をしている以上、契約に近い性格をもった約束事のはずで、おそらく、校則を破ることよりも難しい。

少なくとも許可なく染められないはずで、だから萌ちゃんが「勝手に染めた」らしいことを知ってまた驚いた。許可が出ないと思ったのか、出なかったのか。どっちでもいいけど、これって「卒業前だからはっちゃけて髪を派手に染める」やつそのものだ。意図していないとしても、完璧に学校という雰囲気を、卒業を演出してみせる。

 

ピンク髪の難しさも非常に効果的だ。普通人間がやっていい髪色ではないのだが、その常識を越えて……これは萌ちゃんに対しての好感度が一定以上ないとそう思わないかもしれないが、俺はすでに正常な判断が下せる段階にない……ピンク髪がこんなに似合う人間がいたのだと知る。ここの驚きがシンプルであればあるほど、これがどれだけ奇跡的なことなのかということを思わずにはいられない。

 

まさに魔法という他ない……身体の一部、しかも触媒としての利用が多い髪を使って虚構の存在を召喚する……奇しくも名前は「神木みかみ」だ。神じゃなくて妖精だけど。妖精ならばこういうことも可能なんだろうな。もともと不思議な雰囲気を纏っていたひとだったが、こうやって実際に魔法が使われているところを目の当たりにしてしまったのでは。

 

夏が終わる。嵐が来ている。

 

 

8月27日

いや、ウィッグか~~~~~~~い!

 

涼花萌のもえぴよWonderland♡』内で明らかに。昨日今日ずっと萌ちゃんが髪を染めたことを考えていたのに? 

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ありもしない物語が組みあがっていく……いえ、そういうことなんて日々しょっちゅう起きていますが、今回はとんでもなかった。なんとも貴重な時間でした。上の文章のアホらしさが素晴らしい。台風が来ていることにすら感動していました。妖精が人界から解放されるという日に、嵐はぴったりですから。

 

8月30日

だまされておしまい、というのも、僕も萌ちゃんも誤解されやしないだろうか、と思ったので続きを。どう頑張っても言い訳っぽくなるからウィッグだったことの話はもうしません。でも萌ちゃんに騙されるってすごく気持ちの良いことだから……。

 

嵐の話はしたけど、そういえば夏の終わりの話をしていなかった。

自分が夏生まれということもあったり、蒸し暑さに思考も身体も溶けそうになる感じが好きだったり、夏は特別な季節だ。

 

ところで、天城サリー西條和涼花萌は『気の抜けたサイダー』というユニットを組んでいて、その最初のユニットソングは『ソフトクリーム落としちゃった』という曲だった。

ソフトクリーム落としちゃった ちょっと僕の気が緩んだんだ

君が買って来てくれたのに 手渡される瞬間に キャッチしそこなって落下した

アスファルトの上 無残にも 潰れた真っ白な涙

ソフトクリームが落下する、溶けるという変化になぞらえて、人生の不可逆性が歌われている。そして天城、西條、涼花は、現在残っている初期メンバーの最後の3人でもある。メンバーの卒業を見送り続けながらも22/7に残り続けてくれた3人、その結成するユニットが、一番最初の曲で不可逆性を歌っていたこと。できるだけ時間を留めて、ゆるっとふわっと、アイドルをやってきたこと。特にこの3人には永遠を信じてしまっていたなぁと、そうでないことを知ってようやく気付く。

西條和の『時をかける少女』のカバーでは、ソフトクリームを落としてしまったことをきっかけに過去にタイムリープする。形を決定的に変えてしまうソフトクリーム。西條の誕生日(7/25)に公開されたという背景もあるだろうが、ソフトクリームが溶けてしまう、というのも夏っぽいイメージだ。

 

夏は幻とか夢とか、そういうものに満たされていて、しかも9月1日を前にそれらすべてがパッタリと急に消える。そういう夏休みのイメージに囚われるというのもなんかそれっぽい。

 

そんなわけで、萌ちゃんが8月31日を卒業する日に選んでくれたのは、僕がそれを受け入れるためにはかなり良い方に働いていると思う。妖精も、夏も、嵐も、そして嘘も。そういった今揃っている要素が並んでいって、物語として綺麗にパッケージされていくのを眺めている。

覚めたくないなぁ。

 

8月31日

ゆるふわユニットの4人目のメンバー、織原純佳役の椎名桜月は、あの3人の特別さを最も近くで見ていたメンバーだったはずだ。ゆるふわの内側にいながら、形が変わってしまう様を外から見るというのはきっとすごく大変なことで。あの日自分が一番共感したのは、君はMoonで見せた椎名の涙だったように思う。


バラエティ番組で見る椎名は器用な優等生という風で、よく他メンバーのボケを拾ってくれる。人をよく観察できているんだなぁと思うが、その観察に立脚する共感、冷たさの中のオタクっぽい熱は、織原/椎名の独特な雰囲気……これが岸田メルの透明感とメチャメチャ合ってて良いよね……に見ることができる。
萌ちゃんは最後の手紙で、椎名の「繊細さ」について触れていた。そういう人があのポジションにいて、ユニットの決定的な変化を見届けていたということ、そのタフさを今は信じたい。


萌ちゃんはありたい自分、見せたい自分で居続けてくれたアイドルだったが、そういうマイペースにやっていく強さを持っていた存在が椎名の先輩にいてくれたことの幸運は並のものではない。椎名桜月も、「焦らない焦らない一休み一休み」と織原純佳と一緒にマイペースに歩んでいってほしい。そうは言ってもられない職業だろうけど……

 

8月31日(追記)

ということで、涼花萌ちゃんの最後のライブでした。普通に感想も残しとこうかな。

act.2では、やっぱり『君はMoon』の話をしたくなりますね。ペアを組んでクルクル回る、惑星と衛星の運動を表現した振り付けは、シンプルながらとても詩的で綺麗な瞬間です。メンバー全員で踊っているところから、それぞれペアに分かれて2体間の重力の話になり、離れて、また全体へ…を繰り返す。今回の『君はMoon』の主役だった「サリ萌」は通常はない組み合わせで、この特別なサリ萌を実現するために天体の運行に干渉したことは、まさにサマーライブのキーワードである「魔法」そのものです。
はじめの椎名桜月の話でもちょっと話したのですが、クルクル回るとこの最初の組み合わせが萌ちゃんと椎名で、ここで椎名は堪えきれずに涙を流しちゃうんですよね。そして萌ちゃんから離れた椎名は、次の、そのまた次のペアを組むメンバーたちに励まされながら、君はMoonを踊りきります。萌ちゃんの重力から離れた椎名は、他のメンバーたちとの相互作用の中で安定していく。椎名ひとりを見ていてもグループ全体がお互いに及ぼし合うものについて想像できる、素晴らしいパフォーマンスでした。

 

いよいよ迎えた涼花萌ちゃんの卒コン、もえぴよ♡ぴよぴよWonderland♡のtea party♡は予告通り渾身の可愛さに満ちたライブで……まさしく、萌ちゃんが法を布く国というような雰囲気でした。歴代衣装のファッションショーは圧巻で、詳しい感想は注釈に投げますが*1、これを着て循環バスをやるというアイディア、あの輪になってグルグルまわるとこの絵の美しさですよね。アイドルにとって衣装、制服というのはあの頃が形になったもので、それが輪に連なって循環する……なんか今日ぐるぐる回るとこばかり褒めている気がするな。

それでも、この日のベストパフォーマンスは、天城、西條、涼花、椎名による『悲しみの半分』以外にはないでしょう。ゆるふわメンバーによる最後のパフォーマンス。フレーズひとつひとつが連なっていくたびに「気の抜けたサイダー」が完成していく美しさ、あるいは、完成してしまう寂しさを募らせながら終わりに向かっていく。天城がMCで「最高のユニットだった」と言っていましたが、これは全くその通りで、あの4人の最も美しい瞬間が集まってできていた、奇跡の時間だったと思います。

 

みかみんラップ、あれで最後なのか。本当に全然実感がありません。

実感として自分の身に萌ちゃんの卒業が訪れたとき、一体どうなってしまうんだろう。

 

 

*1:

椎名:2ndシングル 『シャンプーの匂いがした』

MVも合わさってナナニジ曲の中で一番百合な曲と(俺の中で)名高いシャンプー。かの海乃氏もオタク解釈記事を公式ブログに載っけていたほどで、そんなシングルの衣装はやっぱりオタクが着ないとな!っていう思いが自分にあったらしい。それに気づかせたのは他でもない、シャンプー衣装に袖を通した椎名です。雰囲気的にもすこしお堅めの衣装が似合いますよね(それでいてふざけるのがね!)。

 

相川:3rdシングル 『理解者』

これはマジで天才だな、と思った組み合わせでした。一番「少女」感の強い衣装だと個人的に思ってますが、相川の天真爛漫さに本当に良く馴染んでいて。髪も短くしたのも、これに合わせるためなのでしょうか…愛らしさをさらに強くしていたので神でした。ありがとうございました。

 

月城:4thシングル 『何もしてあげられない』

これはね~、似合う、という大前提はさておき、はしゃぐ月城がめちゃめちゃ可愛かったんですよね。たぶん、いまナナニジで一番かわいいのって月城なんですよ。アフター配信の「ばか」を言い慣れてない月城とか。いま関係ないか。メンカラがどうこうじゃなくて、赤が似合うんですよ。しかも濃い赤。この赤とシンプルなシルエットがしっかりとした存在感を与えてます。半袖なのもいいですよね。肘と膝が見えるというところにある小年ぽさ。カッコいいが即ちカワイイでもあるから、100:100で両立してしまう。

 

河瀬:5thシングル 『ムズイ』

アニメ化直前にグループから離れた花川に代わって入ってくれた河瀬詩。レッスン期間もほとんどないままにアニメでニコルを演じ、そして今は先輩として立ち続けている彼女は、萌ちゃんの手紙でも読まれたように、ナナニジの「救世主」です。アニメのオープニングを飾ったシングルの衣装を河瀬に当てたのは、そういうメッセージも込めてのことかもしれません。色味やフリルなど可愛らしい要素が多い衣装ですが、その分アシンメトリーなデザインの不安定な印象が強く出ます。それに袖を通すしっかり者河瀬のお姉さんぽい魅力を見せてくれた萌ちゃんに、そしてあの頃からさらに頼もしくなった河瀬に、大感謝!

 

望月:6thシングル 『風は吹いてるか?』

六番町学院の制服としてデザインされたこの衣装は正直「固い」「重たい」という印象がありましたが、そんな印象も望月エナジー由来の熱があれば融けてしまう。重たさが身近さに変わったというか。チアフルなあの子が隣にいる、みたいな。グッとくる可愛さがありますよね。

 

四条:7thシングル 『僕が持っているものなら』

完成度の高さに驚かされました。四条のビジュアルを活かすとなると、旅人算衣装や後でわかること衣装など、歌劇の役っぽい装飾がカッコいいものを選びたいところですが、後輩加入前の衣装となると……7th衣装のどことなくアニメチックな仕上がりと四条の濃さとで、ちょっとラノベアニメっぽくなるんですね。完全に盲点でした。直線で構成されたデザインがクールな雰囲気と馴染むんですが、シンプルなので重たくならない。

 

涼花:1stアルバム『11という名の永遠の素数

体調不良でツアーを休んでいた背景を知っているとグッとくるチョイスですが、素数衣装は生地の色合いとかの品がすごく良くて、形もまた働く女性、音楽の先生とか、そういうピシッとした仕上がりになっているから、萌ちゃんの雰囲気にしっかりした感じが足されてなんかドキドキしてしまいますね。「う~ん、今日の音はあんまりワクワクせんなぁ。ちょっとお外に出てお歌でも歌おうか?」みたいな。いや全然萌ちゃんが勝ってしまってメルヘンになっちゃったな。

 

麻丘:8thシングル 『覚醒』

シックな色合いと胸元の大きなリボンが特徴の覚醒衣装は、麻丘のほにゃら〜っとした雰囲気をそのままに、ビシッとしたシルエットで包んでくれて、まさにアイドル剣士然とした装いでした。この格好で剣持って殺陣、やって欲しいな…!

 

西條:2ndシングル 『旅人算

西條のダンスの良さは、不純物の少なさにあると思っていて、ポーズもですが無駄がなく綺麗なんですよね。旅人算の衣装はお姫様のドレスかというくらいひらひらしてるんですが、西條のその綺麗な動きが作る布の軌跡が本当に理想的です。あと西條も西條でかなり非現実的な雰囲気の存在なので相性がいい。

 

天城:12thシングル 『後でわかること』

本人もかなり気に入っている衣装らしく、これを着て出てきた時は「やっぱりな」と思いました。衣装のダークな雰囲気と、天城のウキウキした様子と混じって立ち上る「天城サリー」というキャラの愛おしさがあります。天城の可愛さとしてここを持ってくるというのが本当にサリ萌で…萌えですよ。

あとこれの真骨頂がサリなごで、お姫様と魔女というビジュアル的にすごい美味しい瞬間が「YesとNoの間に」で来たのがハッピーでした。このペアの、お互いがお互いの色に絶対に染まらないという個性の対立、それでもこれまでずっと共に歩んできたことで作られてきた距離感って稀有だなあと。その間を媒介していたのが萌ちゃんでもあるのですが……萌ちゃん……

感想まんにゃ~

そろそろおばあちゃんだね~という具合のヨボヨボした動きが目立っていた実家の猫が去年の11月に死んでしまった。猫アレルギー持ちのためにあんまりかまえてなかった自分だったが、それでもかなり落ち込んだ。

飼い始めたときからこの猫が死ぬときのことを考えていたから、成長してそして弱っていく姿を見つつ、2本目のしっぽが生えてきてないかな~とか、そういう想像をしてあんまり深刻に考えないようにしていたけど、やっぱり死は絶対で、どうしようもなかった。

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あんずちゃんは化け猫なので死なない。そういう不死ゆえの余裕の大きさが、無職37歳男性みたいな形で存在している。久野遥子によるウルトラスーパーナイスなデザインの不機嫌美少女かりんちゃんの隣にいる。妖怪と人間、その両者を繋げているのは「ロトスコープ」という手法だ。

久野監督のロトで自分が特に気に入っているのが、その「軽やかさ」。現実の人間の動きを下敷きに作画するという性質上、キャラクターはその動きが持っている情報を多分に取り込むことになる。普通にトレースしてしまうだけではブレのような「動きのノイズ」が多く、印象としてはとても重たくなる(『惡の華』を観た人は共感してくれるかもしれない)。

石舘さんの一連のツイートがよく説明されているけれど、根気よく「拾う」ことによるアニメート、動きのデフォルメが極めて重要だった。役者たちの動きは完璧に濃縮されてキャラクター化し、情報の重力から解き放たれて軽くなり、人の動きの面白さとアニメーションの快感の調和が達成されている。つまり、無職で中年で寺で飼われている猫でいいやつというこれらすべての要素が調和している理由が、森山未來の演技と着ぐるみのようなあんずちゃんのフォルムと久野監督のロトで描かれていることにある。

 

ということなので、原作『化け猫あんずちゃん』からの脚色を支えているのもアニメーションのパワーに拠る。

ましろかたし先生が仰っていたらしいが、「お寺で育って化け猫になったということは、なにかしら人を助けるとか、そういう役割がある」*1ことは、漫画を読み返してみると確かにそのように描かれていることが分かる。

「母を亡くした少女 かりん」が原作には出てこないことにびっくりしがちだが、それを救うあんずちゃんの在り方というのは原作と地続きのところにある。もちろんそれはいましろたかしのカラッとした性質を持っていなければならないが、これは先ほど話した森山未來と久野監督のコンビネーションが作る不死性と無職のおじさん性と猫性のバランスが持っている。人の持つしがらみから離れつつも、人のそばにいることができるという部分に。

しかもずっと。これは生物にとってあり得ないことだが、でもあの映画を見て何か極めて生命に対する侮辱を感じたものはいないのではないだろうか。むしろはちきれんばかりの生命を感じることはあっても*2

 

特に気に入っているシーンは、やっぱり自転車が盗まれてから障子の穴を破りまくる一連のシーンだ。自転車を盗まれたときのリアクションのリアルさに笑わされたかと思えば、その直後に凄まじい形相で包丁を棒の先に取り付けるあんずちゃん(このときの包丁の反射光の迫力が良い)の走り回る姿(見事に猫らしさを演じてみせた森山未來が本当に素晴らしい)が映される、ここの密度。幸福そのもの。

冒頭、バイクに乗ってやってくるあんずちゃん初登場シーンの、あんずちゃんというキャラクターの魅力を語るところも見事。ここのあんずちゃんがかりんちゃんから、そして周りの空間から浮いていないというのが、この映画全体に働くバランス感覚を示している。

あと、一番大事な、ロトスコープという手法の魅力が詰まったラストカットの美しさ。

 

*1:映画のパンフレット、脚本いまおかしんじのインタビューにある

*2:ここではずっと久野監督を褒めてきたが、もちろん山下監督作品としても良かった。というか、久野監督のロトの魅力を強く生かしたのが山下監督のカメラだったといっていいかもしれない。山下監督の演技を主役に置く撮影の特徴が、役者の演技を真ん中に据えた、尺長めの実写素材をつくり、これが動きを拾うロトという手法にとっては相性が良かった。

『逃げ君』前に『曇晴れ』の話をしようよ

メンバーの卒業が相次ぎ、最もつらい時期にあったナナニジの2022年。ソシャゲの『22/7 音楽の時間(ナナオン)』もサービスが終了し、このままゆるやかに死んでいくのだろうという予感の中で新メンバーたちは加入しました。しかしながら、この新メンバーの加入というニュースはわたしにとってこの閉塞感の中から助け出してくれるようなものではなく、むしろ死体が増えるだけではないか……と悲観させるものですらあったと思います。

 

youtu.be

 

9thシングルが発表されたのはそんな頃でした。『曇り空の向こうは晴れている』というタイトル、「死にたかった 死ななくてよかった」という歌詞、あまりにも真っ直ぐすぎるメッセージですが、堀口悠紀子氏が作画を監督する手描きアニメと一緒にぶつけられてしまうと、希望いっぱいの眩しい方についつい目を向けてしまって……

実は22/7のガッツリ手描き作画アニメーションMVとしては初だったりする今作、監督は『あの日』のday6、8のコンテ演出を担当していた山崎雄太。『あの日』監督の若林信の後輩である彼が、新しく加入した後輩たちを主役にしたMVを作るということ。決まりすぎているほどに決まっているスタッフィングです。

そういう背景もあり、ナナニジのMV群に並べるよりはやはり『あの日の彼女たち』と一緒に語るのがしっくりくる。ところが『あの日』と比べてアニメファンに語られることが少ないのが前々からちょっと残念に思っています。今回は2024年夏クールから放送開始の『逃げ上手の若君』監督、山崎雄太の、とくに時間への意識について喋りたいと思います。

 

 

1.若林信と山崎雄太のフェチズム

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そもそもこれ書こ~ってなったのがこのド長いコメンタリーなんですが、終盤の質問コーナーで、若林監督が山崎監督の演出の魅力について喋っていくれています。(4:50:21~)

まとめると、山崎雄太の演出の魅力とは、「映像的な快感によってエモーショナルさを出すこと」、いわばドライさにあり、そして「時間への意識、フェチズム」のようなものがあると語ります。

対照的に、若林監督は自身の演出、フェチズムをよりウェットなもの――人物に接近し、その感情をよく映すことでエモさを出すものと評しています。この演出では主役である人物の感情は時間に押し流されず、その瞬間が映されるまでカメラは待つものであり、この意味で時間の流れは止まっている。

『あの日』の作りが上記の若林監督のフェチズムを見事に表していることは、改めて書くまでもないでしょう。あの日の彼女たちのある瞬間を切り取り、瞬間であるために永遠とするフィルム。そこにはBGMすら流れない*1

 

 

2.映像的快感

音楽が流れることで生まれる時間がある。細かくはテンポのことであり、大きくは始まりと終わりがあること、曲が進行することです。

ミュージックビデオである今回は当然音楽が主役であり、この点でまず『あの日』とは大きく異なる。前回が彼女たちのいる瞬間に潜り込む作りであるならば、今回は時間を俯瞰した作りとなっています。

まず、今作のテンポ、映像的快感については……喋りたいことが多いので大事なところをいくつか。

「バラバラの個性をもったキャラクターたちが、全員同じところをめざして、ひとつになっている」という、このMVでいちばん最初に浮かんだ画なのですが、「ドラゴンボール」のコミックスの背表紙みたいな雰囲気にしたかったんですよ。敵も味方もいろおんな種族がいっしょになっていて、なんかシュールだけど多幸感がある、というか。

『曇り空の向こうは晴れている THE ANIMATOIN NOTE』山崎雄太 スペシャルインタビューより

「死にたかった 死ななくてよかった 窓から射す陽の光にそう思った」

「死にたかった」ことなんて一度もないという顔をしながら、溌溂とした後輩メンバーたちが走り出す1サビ目。動き出す瞬間の彼女たちをこぼすことなく映す、エネルギーに満ちたリッチさのあるスローモーション。走り方の芝居付けの良さとともに、身体よりも心の方が先行してある動きの、ある種の滑稽さのようなものがスローによる浮遊感で描かれています。ナナニジの再出発を描くMVを象徴するカットです。

前話したようなコマ数の表現。前半、八神叶愛が実際に体験した瞬間(サングラスをかける方)は強い風圧を感じさせる3コマで描かれている一方で、映画内のシーンで織原純佳が演じて再現するときは2コマでスロー気味。未知との遭遇という衝撃的なイベントを目の当たりにしてる八神は、同時に友人である西浦そらとの別れの瞬間にいて、情報の多さのために時間に置き去りにされている。その瞬間を振り返り再構成された映画内のシーンでは、八神のポジションを演じる織原は涙を流していて、"映画的に演出された瞬間"であることを強く表しています。1サビ目のスローのカットとあわせて、どちらも時間分解能を効果的に使うことで映像的快感、エモさを出しています。

 

 

3.俯瞰される時間

今作の2つ目の時間、曲の進行とストーリーについて。

当初は歌詞がなかったため、曲の印象を手掛かりに制作が進められた本作。山崎監督はまず、どのタイミングでメンバーの卒業があったか、メンバーのブログに何が書かれていたか、その時のファンの反応などをまとめた年表を作ったと語っています。そしてこの年表からMVのストーリーが練られているため、ナナニジの歴史を俯瞰した内容になっています。

グループが大きな変革を迎えると、「過去と現在が断絶されてしまうのではないか」とか、「何か大事なものが上書きされてしまうのではないか」みたいな不安を覚えるファンの方もいらっしゃると思うのですが、そうではなく「つながっているんだよ」と示すことがこのMVの目的でもありました。

『曇り空の向こうは晴れている THE ANIMATOIN NOTE』山崎雄太 スペシャルインタビューより

2サビで西浦が去った後、ラストのサビで、先輩メンバーたちも合流し、文化祭へ向けて2回目の映画撮影が始まります。変えられない過去、文化祭という締切というような、どうしようもなく流れていく時間と一緒に進行する曲。1回目の撮影であった出来事を元にストーリーを仕立てて2回目の撮影で繰り返し、文化祭で完成品を観た八神はそこでようやく涙を流すことができること。ワンダーエッグ2話のコメンタリーで「時間のうつろいとかそういうものにすごい感動しいなんだと思う」「もう戻ってこない時間とか、あの時ああしていればとか」と若林監督が語っていましたが、まさにこの時間についてのフェチズムが表れているように思います。

「希望っていうのは 人から人へ繋げていくものなんだ」の歌詞とともに
飛び立つ6機(=この時点での卒業メンバーの人数)のUFO

先輩メンバーが辿ってきた歴史を、後輩メンバーたちが辿りながら映画を作っていく。作中作も織り交ぜたこの重層的な演じる構造によって、過去と現在が繋がっていることを示すというのは、キャストとキャラクターが二人三脚で立つナナニジというグループに相応しい。

映画部の設定にしたのも、外側から見たら滑稽に映るかもしれないことに一生懸命に取り組んでいるという雰囲気を作りたかったからです。世間の価値観とはどこかズレがありながらも、自分たちの譲れないものを大事にしているというのがナナニジのキャラクターに似合うなと思いました。

『曇り空の向こうは晴れている THE ANIMATOIN NOTE』山崎雄太 スペシャルインタビューより

山崎監督のフェチズムと俯瞰する視点が、ここまでナナニジというグループの的確な洞察を与え、5分にも満たない時間で演出されている、驚異的な作品です。

TVシリーズ初監督を務める『逃げ君』もまた歴史を扱った作品であり、山崎監督の強みが最も良い形で発揮されることを期待します。

 

 

 

 .他

このMVが公開されたわずか1年後に、MVの主人公である八神叶愛役の雨夜音が、その3か月後に永峰楓役の清井美那が活動を終了し、希望の曲が一転、自分にとっては聴くだけで辛い思いになってくる呪いの曲になってしまいました。先輩メンバーたち、立川役宮瀬や丸山役の白沢の卒業は覚悟はできていたものの、後輩を送ることになるとは全く予想しておらず、今でも引きずっています。 

最初に、叶愛を中心にすることを考えました。一人ひとりキャラクターデザイン原案のクリエイターが異なる中で堀口悠紀子さんが手掛けているメンバーということもありますが、一番、変化をしていきそうな子に見えたんです。

『曇り空の向こうは晴れている THE ANIMATOIN NOTE』山崎雄太 スペシャルインタビューより

特に八神は計算中での狂犬キャラは、アグレッシブになった滝川という感じで新メンバーのナナニジの核になっていって欲しい……という期待もありました。

滝川が八神に花束を渡すカットに悲しすぎる文脈が生まれてしまった

そう、計算中。バラエティのなかでふと、彼女たちが見せる新しい姿が出てくるたびにこのMVの味わいが深くなるんですよね。例えば地理研究会と模型部に所属していた八神のいかにもオタク気質な趣味は映画制作に通じるところがありますし、西浦ちゃんが少女漫画好きでロマンチストなところは地球にきて映画・フィクションにハマる宇宙人という役にピッタリですよね。あと告白クイーンのときの織原純佳さんの女優っぷりときたらそれはもう……まだキャラクターとしての活動も日が浅い中でこのような部分まで作れるものなのかと、まあどちらにせよ、かなり奇跡的な作りであることには間違いがない。そうやって度々観返しては辛くなっていたのですが、計算中も終わったのでそんな機会も減り今ではすっかり健康なのでした。

 

いや計算中が終わったのはホントに辛い…………

 

*1:唯一、day5ではほぼ全編にわたりBGMが使用されている。

MY NAME IS(任意のアニメの台詞):2023

これの2023年版です。もう2024年も夏ですがやっていきます。

イーロンマスクのアレやコレやのせいでアカウント名が変えづらくなったせいであんまり回収できませんでした。これ読んでたら諸々反省してくれよな。

 

以下収穫物

「波の音に慣れてください」氷属性男子とクールな同僚女子 2話

 詩的な感じが気に入っての選出です。2023年は穏やかな入りとなりました。


「ドカーーーーーーーン!」イジらないで、長瀞さん 2nd Attack    2話

 打って変わって長瀞さんからアグレッシブな台詞を選出。2nd「Attack」ですからね。


「なぜなら僕らが初めて会ったのは僕のママが毎年夏に開くスーパーセレブお茶会だったからだ」不滅のあなたへ シーズン2    12話

 この年の子安武人ベストアクトはボンだったかもしれない。こういう台詞を言う浮世離れしたキャラだけど、根元を支える確かな真人間らしさが良いキャラでした。


「ヌー」    吸血鬼すぐ死ぬ2    2話

 2期もすごく笑ったアニメでした。アルマジロのジョンの鳴き声がセリフとしての扱いを受けていて、事実セリフとしての強度を保っていて良かったです。


「おねえちゃん……」    お兄ちゃんはおしまい!    3話

 放送前から、これはとんでもないな、と思っていたアニメでしたが、色々ととんでもなかったですね。そんな俺の呆然とする感じが出ていた台詞で、高いシンクロ率を認めての選出。


にゃ、にゃんこちゃん!?」    デリシャスパーティープリキュア    44話

 子供向けアニメの、妙な方向に発揮されるお行儀の良さ?が好きなんですよね。そういうセリフでした。


「散髪されるのがそんなに嫌か」    ノケモノたちの夜    3話

 嫌いというわけではないんですが、面倒だし緊張もする、だけど頭が軽くなるのは好き。そんな人間は割と多いのではないのでしょうか。俺もそうです。


「そのきれいな服、ブルジョワだな?」    スパイ教室    4話

 たしかに身だしなみってかなりハッキリ表れますよね。いまブルジョアというと(このアニメのノリも強く作用していますが)おもしろが勝ってしまうのだけど、まだこの言葉が広く民の間で使われていた時代では結構真面目な台詞に受け取られたりするんだろうか。


「火力の上げ方しか教えてくれなかったもんな」    僕のヒーローアカデミア 6期 17話

 自身の個性で上がり続ける熱により、身体をボロボロにしながら父親に向ける台詞。非常に苦しいシーンでしたが、色々なものがもう戻れない状態にあることを端的に表していていいです。


「あ~んにゃろ!」    お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件    4話

 コレは流石に化石。「〜」の位置がまた良いですね。

 

「姉瀞!?」    イジらないで、長瀞さん 2nd Attack    4話

 オタクみたいな略し方で気に入りました。じゃあ長瀞さんは妹瀞ってこと? とろろ芋みたいで可愛いね。


「映せないところが多くて 何が何だかって感じですよね」    しょうたいむ!2    番外編

 もう5年以上もえっちアニメを地上波に流し続ける僧侶枠の、えっちなシーンを見せられないことに対する気遣いがふと見えて感動。

 

「あま…」    お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件    5話

 このアニメの、セリフでないセリフの存在感がかなり好きです。これは割と台詞よりではあるんですが。

 

「はよっすみすず~」    トモちゃんは女の子!    6話

 音の良さのある台詞がひらがなになった時もまた形として良い、ということに幸福を感じます。「は、よ、み、す」のくるんと囲まれた部分の、丸みを帯びた「〆」みたいな形の多さ、ここのよさに出てますよね、音の雰囲気の良さが。


「キッツい…」    お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件    6話

 思わず漏れたキツさの感。


「ナナメ左上!」    デジモンゴーストゲーム    63話

 上だ!とか右だ!とかはよく聞くんですがナナメ左上はなかなか聞かない。

 

「いい人で~す!」    ヴィンランド・サガ season2    7話

 あまりに良い人が少なすぎるこのアニメの、良い人の立場の低さみたいなのがよく出ていて良い。

 

「お兄ぃは来んな!」    氷属性男子とクールな同僚女子    8話

 オープニングで映っているのに全然登場してくれずお預けをくらっていた状態で、ようやく妹キャラが出てきたときのテンションの勢いのまま採取したもの。まあ実際いい妹キャラだったよな?

 

「静観だ」    閃の軌跡    8話

 渋い演技なんですが、この一言だけだというところにどうしても頼りなさがある。もちろんこれは明らかに意図された頼りなさで、タカ派には日和っていると受け止められるのですが、慎重さでもある。セリフと演技をぶつけたところに出てくる二面性の効果を思うし、まああと普通に面白くて笑ったというところでの選出です。

 

「つかみどころのない、てへ」 英雄王、武を極めるため転生す そして、世界最強の見習い騎士♀    8話

 地の文が地の文らしさをそのままに、しかし声に出した時の可笑しさも持っていて、良い解説?だなと思いました。ひらがなの可愛さが好きで、そういうところも気に入っていたセリフでした。

 

ハラホロヒレハレ~彗星」    ニンジャラ    58話

 ハラホロヒレハレ〜が視聴者層に刺さるわけがないだろ、と思わせつつ、ハレー彗星と続く。古いギャグを75年周期で接近する彗星になぞらえて復活させとるわけですな。

 

「なまあしは良くないよ!」    お兄ちゃんはおしまい!    10話

 なまあしという音が好きなんですけど、散々連呼されてしまうとどうにも逆ばってしまう。そんならじゃあ、良くないよ!というこのセリフならいっか。みたいな、そいういう理由だったんじゃないかなと思います。

 

「さかな!」    不滅のあなたへ シーズン2    20話

 リコリコじゃないほうのさかな。

 

「地上破砕力特化!」   ノケモノたちの夜    11話

 特化するものはニッチであればあるほど良い。今回は地上破砕力で、実際の運用上期待される効果もあながち馬鹿にはできんだろうという地に足ついた感じが良く、なによりコレが女性向けファンタジー作品から出てきたのも面白かったです。

 

「銃弾の峰ってどこだぁ!?」    虚構推理    23話

 ウケ狙いの台詞を選ぶのは本当に癪なんですが、でもこれはすごい面白いじゃんか。

 

「ええ感じや!」    氷属性男子とクールな同僚女子    12話

 このアニメの関西弁がかなりツボで、これは特にエセ感がええ感じだったので選出されました。

 

「いつか、あの海で。」    艦これ いつかあの海で  8話

 様子のおかしさに定評のあった艦これいつ海ですが、普通のタイトル回収すらも妙な雰囲気があり、選出。いろいろありましたが、制作が完走出来て良かったですね。

 

「待ちきれた~!」    転生貴族の異世界冒険録    1話

 待ち切れないかもしれない!からの待ち切れた!のテンポ。そのテンポにドンピシャで間に合う直球のセリフ。玄人です。

 

「わたしもきづいたらお兄ちゃんがいたの」    ぐんまちゃん2    1話

 下のきょうだいについて考えるときに割とクリティカルな台詞だなという印象があり選出。兄や姉と違って妹は最初から妹ではあるのですが、それでも兄は「気付いたらいるもの」で、そこにようやく妹としての自分に気付く、という。

 

「自分会議に失敗しましたわ」    遊戯王ゴーラッシュ    54話

 失敗することあるんだ、と一瞬思って可笑しいなと笑うんです。だけど、自分会議をやってみることって割と誰でもあると思うんですけど、都合よく望みの結論が出てくるわけではなくて、失敗することもある。台詞としてはギャグなんですが、そういう当たり前のことを改めて示しているのが良いです。

 

「カメーッ!」    痛いのは嫌なので防御力に極振りしました。2    12話

 亀はカメと鳴くし蛇はヘビと鳴く。こういうギャグにずっと弱い。


「聞いてて」 痛いのは嫌なので防御力に極振りしました。2    12話

 そしてたまにくるこういう真摯な台詞が胸を打ちます。あと言う機会がなかったのでここで言っておきますが、タイトルの「に!」がいいですよね。

 
「あ~お腹痛~い」    転生貴族の異世界冒険録    5話

 抱腹絶倒をこんなにまろやかに表現した例はあんまりない。直前の「この国最大の圧力」がムチャクチャ笑えるんですが、その大笑いの後にあってその面白さを損なわせることなくEDまで緩やかにつなげる仕事が見事でした。玄人です。

 

「臭いし胸が痛いよ~」    アリスギアアイギス    5話

 踏んだり蹴ったりという様子を、嗅覚と痛覚に分けて表現しているのが良い。

 

コリアンダー効かせすぎ~!」    絆のアリル    5話

 ナイス注意。


「もうちょっと近くないとラッキースケベ出来ない!」    山田くんとLV.999の恋をする    6話

 小林彩さん演出回ですが、思えばこの頃から最強伝説が始まっている気がする。いますごく脂ののっている演出家の一人ですね。

 さておき。このセリフは本編ではガヤのような背景の音として入っていて、セリフ自体の味の濃さとバランスされてるのが上手いなと思います。このアニメはこういう情報の配置の仕方が視覚聴覚どちらもべらぼうに上手い。

 あとまあ、妹キャラの台詞なんですよ。


「妹とアイドルやってくれ」    【推しの子】    5話

 俺がお兄ちゃんだったらまず妹をアイドルにすることなんてないんですが、その遠さがなんとなく効いた。主体が妹にあるのが良いです。


「好きだから ちゃんと妹やりなさい」    私の百合はお仕事です!    6話

 妹という言葉が入ると選出しがちなんだよなあ……まあ、これは妹をやるという動詞が結構面白いのは有りますよね。「好きだから」という理由が文字を読むだけでは遠くて繋がっていないように見えるのも良いです。


「うしだよ」    おとなりに銀河    6話

 焼肉屋の店名だった気がする。これを久我ふみお(長縄まりあ)が読み上げるのがちゃんとある。

 久我まち・ふみお姉弟がメッチャグレートなことを説明してなかった気がするのでしますが、久我まちは遠藤璃奈さん、遠藤璃奈さんの妹キャラと言えば清水明日海ですよ。RE-MAINの。媚びるんじゃなくて甘えるという感じの、妹というポジションの勘所をつかむのが上手い。これが長縄まりあ演じる弟のお姉ちゃんとして張り切る所もまた見所です。


「このはいっぱい!」    ポケットモンスター    19話

 新しいアニポケメッチャいいんですよね~。リコのサトシ的な要素、機転が利くという部分が自由度の高い技の指示に出てるのですが、響きの可愛さがあり、リコらしさとなってあるのが良いです。


「善良の方向性が 違うんじゃないですか? 」   SHIRANAMI5    9話

 あんまり正気ではないコンテンツの中から冷静な批判が飛んできて笑ってしまった。


「忍者の時代にしちゃいましょう」    ぐんまちゃん2    9話

 ぐんまちゃん、なんでもできる自由なシリーズにしようというのがあると思うんですが、こういう思い切った提案の台詞がその作り、雰囲気に合っていて良い。


「邪?」   異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~    10話

 極端な略し方が良い。


「ウマァーッ!?」    勇者が死んだ!    10話

 深夜テンションかなんかで笑ってしまったんだと思います。


「笑って終わるのいいですね」    ぐんまちゃん2    11話

 じわ~~っとくるこの、じわ~~っと感そのものの良さ。


「ご視聴ありがとうございました」    マイホームヒーロー    12話

 よくできたサスペンスで毎週面白いように転がされていたわけですが、どう着地するんだという俺の心配をよそにしっかりオチをつけてみせたこのアニメが、最後にこの挨拶をするんですよね。やり切った感がすごく気持ちいいです。


「天気いいかも」    異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する ~レベルアップは人生を変えた~    12話

 かもってなんだよ。


「おはようから次のおはようまで、毎日」    おとなりに銀河    12話

 おやすみではなくて、おはようからおはようを繋がるところに強いこだわりを見ます。この繋げ方には明示されていないけど必然的に夜が含まれていて、その夜に銀河を感じるのが良いです。

 

「先輩特製、人の字です。」    うちの会社の小さい先輩の話    1話

 手のひらに人と書いただけのものに先輩特製とわざわざ付けるこの大仰さこそ、世界一受けたいパワハラと言わしめる可愛さの所以。

 

「俺は、その子のことが… 俺は、その子のことが…  俺は、その子のことが。」    好きな子がめがねを忘れた    1話

 この長さの台詞を三回も!?という衝撃。


「この落下傘、エプロンになる。」    名探偵コナン    1089話

 全体的に狂っていた脚本でしたが蘭ねーちゃんのこのコメントが一番変だなと思いました。

 

「コーンスープどうぞ」    ヴァンガードwill+Dress season3    2話

 たぶんシンフォギアの「あったかいもの、どうぞ」を感じての選出だったような。

 

「ほら、地球の方も日が暮れちゃったから」    ヴァンガードwill+Dress season3    3話

 人間の常識や地球の外に立つ壮大なセリフがポンと置かれるやつに弱すぎる。


「これはゆり江の仕事でございます」    わたしの幸せな結婚    4話

 この、わかりますか? ゆり江さんの可愛さなんですよ。

 

「めいっぱい!このは!」    ポケットモンスター    16話

 このはいっぱいの強化版。倒置していることによって出ている勢いがめっちゃいいです。

 

「もしかして…羽根山ウララ!?」    ヴァンガードwill+Dress season3    6話

 萌えキャラに萌えた時にフルネームで呼びがちな俺としてもな。また別に羽根山ウララという名前自体にフルネームで呼びたくなる魔力があります。

 

「あ、おめめを足すんでした~」    レベル1だけどユニークスキルで最強です    6話

 絵描き歌の歌詞なんですが、ここ以外の部分もかなり良くて、でもやっぱり抜き出すならここですよね。「あ、」「おめめ」でリズムをうまくとりつつ、「でした〜」でぜんぶ流す脱力感。

 

「うんうん!すごさがほどよいね!」    ひろがるスカイ!プリキュア    30話

 アゲハさん結構馬鹿にしてない? と感じることが度々ある。


「お父さんの麦が まだ生きてるよ~!」    はたらく魔王さま!!    20話

 田舎の道路を車で走っているとき、綺麗な畑を見ると嬉しくなるし、逆に荒れ果てた畑を見るのが結構辛いんですよね。人の営みの美しさを素直に受け取れるというか……自分が感じているそういう善さと、父親の跡を見つけたエミリアさんの感じている温かさが少し重なっていたりしたのかも。しみじみといいセリフでした。

 
「しょや~! しょや~!」    魔王学院の不適合者Ⅱ    9話

 しょやとは、初夜のことです。


「筋肉を鍛えております。プリキュアを倒すために!」    ひろがるスカイ!プリキュア    31話

 筋肉ネタ嫌いなんですよね。面白くないので。なんで選んだんだっけ……イーロンのせいかな……


「すみません、ハムカツを」    夫婦交歓~戻れない夜~    8話

 メニューの肉欲感が良いですよね。これがトンカツでもコロッケでもダメなんですよ。ハムでもダメ。「ハムカツ」なんです。


「急に責任も義務も押し付けられて…」    ライアーライアー    10話

 責任や義務から逃げがちな俺は超共感してしまって非常にツラい台詞でした。


「あらしまへんのんや…!」    政宗くんのリベンジR    11話

 急に挿まれる京都弁(?)がかなり面白くて、の選出。


「白くプルプルして味はあまりしなくて」    はたらく魔王さま!!    22話

 ひややっこの説明。エミリアさんて醤油とかかけなくてシンプルに豆腐で行くのか?

 

「仕上げの このはいっぱ~い!」    ポケットモンスター    23話

 このはいっぱいのバリエーション、全部好きなんでいちいち拾っていきたい気持ちがあり、でも頑張って抑えてるんですが、流石に仕上がったコレを無視することはできなかった。

 
「それはガだよ 」   ひろがるスカイ!プリキュア    34話

 別に揚げ足取りみたいないやらしさのある指摘では全然ないんですが、まあアゲハさんのなんというか、こう、ありますよね。


「禁術の数々をね! 」   贄姫と獣の王    24話

 12話で生まれの呪いについてデッケェ物語の軸が立ち上がってからグングン面白くなった贄姫も最終話、2023年の五本指には入るだろうこのアニメからセリフを拝借しないわけにはいかないなぁと選んだわけですが、なんでこのセリフなのかというと、なんでだろ……セトの自慢のコレクションを見せびらかすような演技にやられたのはありますね。まあイーロンのせいかな。


「これは、現実なのだ…!」    聖者無双〜サラリーマン、異世界で生き残るために歩む道〜   12話

 OPの賑やかさを気に入っていたところから、このクールでも屈指のお気に入りアニメになっていました。地道な努力が出来る人間のガッツに弱いんだよな、凡剣ちゃんとか。

 なぜ主人公は地道な努力をせねばならないのかというと、それはこのアニメの世界がそういう積み重ねを要求しているからで、でもそういう真面目さを軸にギャグを回していくから窮屈な感じがしない。もちろん真面目さを茶化すわけでもない。そういう不思議なバランスが貴重で良いアニメでした。


「草をおごるよ」    万聖街    SP

 贄姫、聖者無双と重ためなのが続いたので、ここらでいっちょ軽めのやついっとくか、という理由での選出。クールの変わり目なこともあり、特番扱いのコレから拝借するのもオシャレ(?)だなと思ったりしていた気もする。「草タダだろw」「いや、良い草なのかもしれない…」「そもそも飼料はタダじゃないな」とささっと流された割には味わいのあるセリフでよかったです。2期やんないかな。というか異常生物見聞録の2期をな。


「臨場感に重厚さ!SLの魅力が詰まってる~!」    レヱル・ロマネスク2    1話

 レヱル・ロマネスク1期の仕立てかたが好きで2期もめちゃめちゃ楽しみにしてたのが、なんか全然雰囲気を変えてきてて、バキバキに撮処理乗っけるしストレートに音声作品の話するし。でも望外の2期ですからテンションはアガってるんですよ。という俺のこの空虚なテンションの高さに見事に足並みを合わせてくれた台詞でナイスでした。


「二拍子。」    青のオーケストラ    24話

 久保帯人みたいなセンスを感じますね? 感じたのだろうと思いますこの時の俺は。


「でも あくびはかわいいです」    ポケットモンスター    24話

 リコさんの素朴なコメントが大好きなんです。


「俺のメンタルの広告かな…」    新しい上司はど天然    2話

 結構シリアスなシーンでこれをボソッと呟くんですね。パワハラでメンタルが限界になってた人間から出てくるコメントのつまんなさとしてリアルなのかそうでないのかの判断がつかず、なんかその受け止めづらさがイイな、と思っての選出でした。


「現場監督さんだよ」    アイドルマスター ミリオンライブ!    3話

 あんまりフィーチャーされることがない現場監督という役職だから成立するギャグで良かったです。


「6.8秒という差はデカいと言えばデカいぞ」    MFゴースト    5話

 小さいと言えば小さいのかよ。こういうちょっと逃げ道残しときますみたいな台詞が好き。


「この世でポケモンの次に素敵なのがカレーなんだよ!?」    ポケットモンスター    27話

 この回は全体的にリコさんのテンションの高さが異様で、しかもそこにはちゃんと理由があり、やられました。テンションが高い自分を演じようとするときの変さをよく捉えていたと思います。選出理由はカレー褒めてたからです。


「演出<健康」    陰の実力者になりたくて! 2nd season    6話

 最近負けたって思うアニメは?って聞かれると中西和也監督の質も量もえげつない仕事に圧倒されるばかりだった陰実になるんですが、仕込まれていたことごとくに笑ってしまって非常に悔しいです。


「雑過ぎる演技だからだよ!」    ダークギャザリング    19話

 オバケさん迫真の誘惑を一蹴するひとこと。意味合いとしては幼馴染の立場からのセリフだと思うんですが、勢いやら何やらに役者の演技を罵倒する演出家っぽさを見てしまって、勝手に「そこ!?」みたいなウケかたをしてました。怖さも楽しさも良い塩梅で博史池畠監督のワザを感じるいいアニメでした。

 

「答えはA!「きれい」だ」    ポケットモンスター    29話

 博士のビジュアルと声も相まって、そういう気取ったプロポーズみたいだなと思いました。


「一生買えないんだぞ!」    MFゴースト    8話

 モータースポーツという場の中でこそ眩く光る緒方さんの庶民感覚。緒方さん、良いですよね……ムチャクチャおっさんの見た目から畠中祐の若すぎる声が出てくるというデザインの、趣味に首ったけすぎて終わってるオタク感。この話数ではその趣味でいじっていた車を見事に操って見せる片桐夏向にひたすらビビっている表情がいっぱいあり良いです。緒方さんのボイスカウントを頼りに霧の中を爆走する夏向、シチュ的にもアツい。ヘッドセットというアイテムのおかげで、緒方さんのボイスカウントが夏向の耳にダイレクトにいってる感じが、萌えますね。


「鍵+接着剤の二重密室だ!」    鴨乃橋ロンの禁断推理    8話

 二重密室を思い浮かべた時に出てくるトリックではなくて好きでした。


「って 面体の中涙で水増やしてどうする…」    め組の大吾 救国のオレンジ    9話

 斧田のみっともなさとカッコよさと、そういうキャラクターについての説明として良いセリフというだけじゃなくて、とてもひっ迫した状況の中にある人間の、無力さを思いながら頭も身体も動かさないといけないという心の動きを表すものとしていいなぁと思いました。


「沿線の音、全て。」    レヱル・ロマネスク2    9話

 音はこのアニメの世界を構成する最も重要な元素で、それらを包括するということの重たさがあり、かなりカッコいいセリフです。


「むんず」    川越ボーイズ・シング    9話

 古さにやられたシリーズ。こういうときの響先生の軽やかさが本当にカッコいい。

 9話は絵コンテ・演出・作監・一人原画(2原あり)を武内宣之さんが担当されている2023年でもピカイチにイカした回でした。雨とか影とかで映される孤独がとにかくカッコよくて、その中を言葉や歌が伝わっていくんですが、それすらも届かなくなる。そうやって届かなくなったときに、残されたものが顔を出してくる、そういうコントラストがすごく刺さりました。


「玉置!玉置!玉置!玉置!」   川越ボーイズ・シング    10話

 目立ってイカした回があったとしてもこのアニメはその他の回が埋もれてしまうことがなくて非常に良い。『田園』という曲の、遠そうに見えて全然ド直球のチョイスに川越ボーイズ・シングのセンスの良さがメキメキ出とるんですな。そしてこのセリフも妹のセリフなのでした。


「輝く意思の力」    ラグナクリムゾン    12話

 シンプルに姫の気高さにやられました。


「星々の瞬く全ての宇宙で遊ぶという夢を」    遊☆戯☆王ゴーラッシュ!!    90話

 まさしく俺の夢です。近藤信宏と同じ宇宙を共有していると強く感じる。


「カレーはバクハツだ!」    ポケットモンスター    34話

 カレーシリーズです。


「やれやれのやれですわ」    シャドウバースF    75話

 古さシリーズで選んだ覚えがあります。ていうかセリフとかどうでもよくて、このシーズンはなんといってもサイゲームスさんが作る最強のコンテンツ、その筆頭であるシャドウバースFのアーク編ED『シェケナーレ』の話になってしまう。シャドバFといえばやる気MAXのギャル描写ですが、その期待に100%応えてくれる素晴らしいEDでした。OPEDカットしがちな癖が後ろあたりになると頻発していたのが許せません。


「エッジの効いたいい名前ね」    ミギとダリ    13話

 去年のやつにもある、名前についての言及があるセリフを名前にするという構造自体に気持ちよさを感じてしまう癖により選出。とはいえミギとダリ、名作でした……ひとりではなく、ミギとダリそれぞれに名前があり、園山夫妻がその二人を個として確かに認めるシーンでの「エッジの効いた」という感想。本作の特徴的な台詞回しというだけでない、イイシーンに相応しい格のある台詞で素晴らしかったです。佐野菜見先生、ただただ惜しい……。

 

おしまい

 振り返ってみて、やっぱ名前変えづらくなったことでヒョイヒョイ変えてくわけにもいかず、そうこうしてたら一週間が経ってしまって……みたいなところで苦労していた感じがありました。イーロン、反省してるか?

 でもこういうのに屈するのがマジで嫌なので続けます。最近はやや改善があるので以前のペースを取り戻しつつあるのでひと安心。

 2024年もいっぱいアニメ観(て)るぞ~!

最近見たアニメの話:ユニークな時間の流れの表現

アニメの本質とは、結局作画——絵が動くこと、もっと一般的にいうと時間軸方向に絵を並べること——と無関係ではいられないはず。ここで、「だからアニメは時間のメディアだ」って言いたいときに、例えば編集のテンポだとかそういうことを褒めたくなってしまうが、それはべつに実写だって同じことだな……とたまに冷静になる。

ここでは一旦ちょっと視野を狭めて、アニメならではの時間の表れ方、それが作る運動の形態について見つめてみたいな~という、そういう記事です。

 

 

その着せ替え人形は恋をする OP

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最近じゃねーじゃねーか、とお思いかもしれませんが、これくらいの最近感でやっていきます。

取り上げたいのはOPラストです。

4コマで走る五条くんと3コマで走る喜多川さん? 最初追いつこうと急いでいる五条君は、喜多川さんと比べ大きな歩幅=遅いピッチになっています。喜多川さんと近くなるにつれてピッチがあっていき、やがて並んだ位置で同じピッチになる。

位置だけじゃなくピッチのずれを使うことで、2人がピッタリ並ぶとこの気持ちよさが、意味合いが強化されています。

 

 

ギャビーのドールハウス

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なんかGIFだと上手いこと変さが出なかったので、動画を観てください。

どのキャラクターも基本的にはなめらかに動いてるのだが、8:30~登場の箱製の猫、ベビーボックスの動きだけコマ落ちした感じでカクカクしている。ついでにベビーボックスの掴んでいるチェーンもカクカクした動きになるのもそういう能力みたいで面白い。

これは箱型なのでカクカク動くだろうという遊び心なんですかね? カクカクしたりしなかったりしてるので、わざとだとは思うんですが、カクカクしているから動きもカクカクだという感覚は自分にあんまりなかった。向こうだと普遍的にあるんでしょうか。

 

 

花の詩女 ゴティックメード

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ベビーボックスからメカつながりという事でGTMの話。起動シーケンスは異常な快感ですよ。

パーツごとに動いている感じがね、そうそう巨大なメカというのはこういう巨大なパーツの集合体なんだよ!とテンションが上がります。

それぞれパーツ単体は変形しないので固体的な印象が強い。パーツごとの動きや動作は割と細かくて、あんまり動きたくないという物体の性格が見えます。

そんな重たくて固いものがこうやって高速で体当たりしてくる。巨大メカの一番の武器って巨大質量だから。慣性を殺してるのかな? 腰の部分が伸びてるのが良いですね。

絵の動かすところと動かさないところを個別に設定できるからこそ描ける挙動という気がします。

 

 

英雄王、武を極めるため転生す 〜そして、世界最強の見習い騎士♀〜 3話

16:15~の部分。今回の記事ってこれについて話したかったみたいなとこあります。

異常ですね~。

前でパクパク食ってる2人、後ろで皿洗ってる女将さん、積みあがってく皿、交わされる会話(字幕に注目してください)、全部の時間の流れがバラバラです。というか前で食ってる2人も微妙に運動のモードが異なっている。

なんの表現なのかというと……それぞれの作業の集中度合いでしょうか。クリス(白髪)はずっと同じ動きを繰り返している=食事に夢中になっていて、返事も食べながら。皿洗いをしている女将さんは話しかけるときは二人の方を向く。この女将さんに流れる時間は一定だ。一方でラニ(黒髪)は喋る時と比べて食べる時はものすごい勢いで食べていく。おお、よく観てみるとちゃんとそのキャラクターぽいモードになってるもんですね。だからといって異常さが消えるわけではないですが。

この賑やかな構成でしか出せない、2人のガツガツした感じが良いですし、何よりその揺るがない固有の時間を持っていることに強者感を見ます。

 

 

おわり~

ピッチの表現。動く部分、動かない部分のコントラスト。アニメならではの運動の形態はやっぱり拾ってて楽しいです。組み合わせると結構変なことが出来るなぁと並べながら感動してました。

動きこそがアニメの中のモノたちに独特の質感を付与するというか……絵から脱して欲しいし、新しい物質を生みだして欲しい。もっと、もっと変なアニメを……

計算中:アイドルバラエティと作画の白身魚風

 計算中作画派です。

 TOKYO MX他毎週土曜23時に放送していた『22/7 計算中』、毎週楽しみにみてたんですが、終わっちゃいました。なんかまあわりと結構かなり弩級のショックきて、弩ショックついでになんか書くか、と出来たものいっこめです。与太です。

 滝川みうを始めとする個性的なメンバーについて書きたいことも多いけれど、まずは『計算中』という変な番組の、もう少し根っこのところの変さについて考えてみたい。番組制作側としても手探りで作ってきたところが大きく、そのため以下で語ることは制作側が意図せず生まれているもの、その無意識こそが生んだものについての話であり、そしてその無意識が生んだものとは作画なのかもしれない。

 

 

はじめに:堀口悠紀子

『22/7』の作画について話すためには絶対に堀口悠紀子の話から始めなければいけない。自分がナナニジちゃんに興味をもったきっかけとは何だったと思い返してみればやはりそれは堀口悠紀子で、最初おれは「堀口悠紀子」と書かれたうちわを振っていたような気がします。今もわりとそう。

 ナナニジキャラクターはそれぞれ異なるイラストレーターが原案を担当していますが、計算中でモデルを起こしたり、アニメ化したりする際には、堀口悠紀子さんが原案をもとにキャラクターデザインとしてまとめ上げています。原案イラストをみると当たり前ながら絵柄がバラバラで、どのキャラクターも個性的なのですが、まあそこはさすが堀口さんですね。

 堀口さんのナナニジでの仕事について、『あの日の彼女たち』の若林信監督は以下のように語っています。

「ああ、なるほど。それをまずは手がかりにして、やればいいのか。確かに嫌いな色は身につけないよね。そのキャラクターが好きだと思うから、その色を選んでんだよね」という事がなんか一番ビビッときたというか。キャラクターに寄り添ってキャラクターを作っていくっていうのは、そういう事なんだなというのがすごく勉強になったかなと思います。(中略)堀口さんはちょっとした修正で上乗せする感じなんですよね。だから、なんか手助けになるんですよ。果たし状じゃないというのは、なんかいいなあと思いましたね。「よくなる」というのも、なんかちょっと伝えにくいんですけど、「らしくなる」という感じなんです。

『22/7 あの日の彼女たち Animation note』より

 芝居・動きを足すのではなく、表情や身体を微調整するような修正で「そのキャラクターらしく」なる。上がってきた素材の味が、「らしさ」の修正でそのキャラクターの一部になっていく。元の素材に対するリスペクトがキャラクターの描写に豊かさを与えている(言うまでもないですが、それだけレベルの高い素材が集まっていたということでもあります)。

 この堀口さんの仕事に見られるキャラとじっくりとことん向き合う姿勢は、実在しないキャラクターをアイドルとしてプロデュースする上で極めて重要でした。ここを手がかりとして、「かたち」と「動き」の素材の個性と、ナナニジらしい「らしさ」へ迫るための加工から作画的意識を見出します。

youtu.be

animestyle.jp

 というか、計算中作画派の与太読む前にAnimation note片手に『あの日の彼女たち』を観たほうがいい。

 

 

コラージュと「かたち」のギャップ

 計算中では様々に存在する虚実のギャップにより素材の個性を強めている。ここではまず「かたち」に関する素材について喋ります。

 アニメというメディアは普遍的にコラージュ性を持ちます。背景、セル等々複数の素材によって成り立つ表現であるし、そこに生まれる異質さを利用し、強めるような演出は、インディペンデントではもちろん商業作品においてもさほど珍しくはない。

 さて、計算中の目立つ特徴として「モーションキャプチャーによって動かされるアニメキャラ風アイドル」と「そのままの姿で出演している司会芸人」が同居しているというものがあります。

season2第1回放送より

 なんか見慣れ過ぎてもう私の目には相田さんがバーチャルなスタジオセットと馴染んで見えてしまって仕方ないのですが、普通はそうではないという体で進めていきます。

 コラージュの持つ緊張はそれ自体がすでに面白いのですが、ここではコラージュの働きについて考えましょう。そのためにためにまず力関係について想像してみる。なぜか? 界面を貫く流れを見るためです。

 キャラクターやスタジオのセットなど、画面に映る大半は3Dモデルで作られており、そこに三四郎というリアル人がぽつんといる感じなので、面積で見るとフィクションの存在によって半分以上が占められています。

 一方、実写の三四郎は情報量が多く重たい。濃い部分は薄い部分に拡散していくので、つまりこう。

 なるほど、つまり……三四郎さんの見守る視線みたいな、なんかそういう働きがスタジオセットを通ってキャラクターをふんわり包むような、そんなイメージですね。

 どう引くにしろ上のようなどうでもよい図が出来上がる。この際向きは無視しましょう。大事なのは両者の間には常に緊張があるということです。そしてこの緊張の存在するところにMCとアイドルのやり取りがあります。MCはアイドルから話題を、もしくは話題になりそうなものを引き出そうとする。アイドルは出すか出さないかの選択、あるいはどれくらい盛るか考える。MCはその価値を計り、膨らませるのか切るのかを判断する。この虚飾は三四郎とアイドルの質感のギャップに、そして文字通り「キャラクターを演じている」ことに吸収される。ここは計算中の「なんとなく見れるようになる」「個性として許容される」というような緩さを成り立たせている、設計の特徴のような気がする。

 あと、ここら辺の緊張が滝川の言う大人との壁に見えてくるとアニメ『22/7』の価値観の変形、虚飾をめぐっての大人とアイドルの戦いでもあるような気がしておもしろいなとおもいました。

 

 

モーションキャプチャーと「動き」のギャップ

 動きの素材、キャラクター達のアニメートはモーションキャプチャー技術*1により行われます。

 まず「キャラクターの地となる動き」のこと、つまり、単にそのキャラクターを演じることですが、モーキャプという技術の性質上、動きをキャプチャする前にキャラクターとしての芝居をデザインしてしまう必要があります。当たり前ですが、計算中でも基本的な演技設計はなされています。例えば、拍手の仕方、座り方、手はどの位置にあるのかとか。

 低身長キャラの足をぶらぶらさせるやつなんかはかなり面白くて、キャストが自分より身長の低いキャラを演じるために高い椅子に座らせて、脚をぶらぶらできるようにしています。モーキャプというシステムならではの工夫ですし、「座った時に足がついていない状態」を低身長という特徴を演出する芝居として選ぶというのがなんとも作画的ですよね。

 

 演じられていない部分、言ってしまえばキャストの素が出ている部分について*2。バラエティ番組という形態は、アイドルとして、そして場の役割としての「キャラ」と素のギャップ(例えば感情の起伏に乏しく冷静で論理的だと思われているキャラクターが見せる怒りなど)を期待しているところがあります。そしてディレクターたち製作者やMCたちはそこを手がかりにトークを広げるためこのギャップを深掘ろうとし、キャストはキャラクターの設定との齟齬やその場のノリを考えてリアクションをとる。このリアクションは、キャラクター、キャスト、そしてMCや他の出演者の作用によって成り立っていて、その時の力関係は様々に変わり、素材としての個性が生じてきます。

 ついでに、当たり前ではあるんですが、動きが三四郎と次元を同じくしていることも面白いなと思います。会話やジェスチャーが常に生身の人間のものと同期されている、みたいなとこで際立つギャップもあるかもしれない。

 

 

編集で拾うアニメート

 実際の人の動きを下敷きにアニメートするやり方、例えばロトスコープですが、そこにはかんぺきにデザインされ(ようとす)る手描きアニメとは異なり、人の動きの自然さ、無意識のブレが拾われます。

 ここで、実写素材にある無意識の動きがそのまま反映されるのではなく、線として抽出、加工されていることを意識する必要があります。無意識の動きに出る生を「拾い」あげる、そのキャラクター「らしさ」として研ぎ澄ます工程。この「拾う」行程に作画的な意識がある。

 バラエティ番組を成立させるにあたって一番重要なのはトークを回す、広げることです。計算中がシステム的な困難さ*3を抱えつつもバラエティ番組として成立しているのは「編集」の力がとても大きい。

 編集という作業はバラエティに限らず映像作品全てにとって極めて重要です。それ自体が映像のテンポを作るものであり、また別の働きとして、カットの並べ方でやりとりのニュアンスを、例えばどちらに主導権が握られているかなどを表現することができます。

 計算中での編集の大事な働き、作画的な働きは、良いリアクションを「拾う」こと、そしてそれらをトークの盛り上がりが維持されているように並べることにあります。かたち、動きについてそれぞれ魅力的な素材があっても、例えば定点からのカメラ映像では散漫としたものになってしまう。誰が、何に対して、どう反応したのか。その重みづけをフレーミングで行っている。

season2第16回より、さりげなく気持ちよい作画が光るカットを抜粋。滝川がワイプの中を移動していく様、特に歩く速さの加減や振り返る瞬間がワイプに切り取られてジャンプしていることに注目してほしい。

 上は回答者とモノマネをする人が交互に入れ替わるというルールのモノマネクイズの場面。モノマネを終えた滝川が、回答者の後ろを通っていくという動線の作り方や、小さい画角に区切られていることでジャンプカットのような効果を作っているという、さり気なくも非常に見応えのあるカット。移動という本来光の当たらない動きがここでは流れを生みだしています。

 そしてこれらの動き・リアクションは、勢いを殺さぬよう注意を払われて繋がれ、そのリアクションに対するリアクション……というように連なっていきます。バラエティ的なノリの一部として再構成されることで、ひとつひとつの素材が魅力を保ったままに自然な流れに配置されている。

 ここには段取り感を消す働きもあります。必要な芝居をその時々にひとつずつ積み重ねていくようなもの(特にゲームの会話シーンでありがちな、1つの台詞に1つのアクション付けるアレ)は、動き自体の強調がある一方で、読むためのものとしての性格が強くなり、映像的には冷めてしまいます。芝居のための芝居、その動かされている感に生を見るのは難しいし、あと平坦で普通につまらない。この「拾う」編集は、動きの魅力を重視したものであり、その鮮度のために段取り感は生じない*4

 

 

バラエティとしての成立と作画

 バラエティは誇張によって成り立っています。作為的な奇跡の演出があり、キャラクターは自らのキャラを作り、話を盛ったり、大げさに驚き、笑い、怒る。あるいは素を引き出されたりもする。これら誇張されたリアクションは、バラエティのノリとお約束の中に、アニメキャラの見た目と三四郎というリアルとのコラージュの中に、わざとらしいとげとげしさを埋もれさせながらトークの広がりとともに連なっていく。それらのひとつひとつが小規模なエピソードであり、やがてキャラクターの「らしさ」となって蓄積されていく。

 『22/7 計算中』は、アイドルバラエティ番組を作ってきたケイマックスのやり方で作られた、混じりっけ無しの本気のアイドルバラエティであり、かつてないほどに徹底されて作られた作中作です。この徹底された作りが生む形式としての自然さの中に、キャラクターたちの個性が光るエピソードが並び、それらの蓄積でキャラクターを語っている。そんな白身魚的な素材と加工の関係、奥ゆかしい作為の在り方は、まるで芝居で語る作画のようじゃんか……と、計算中作画派は思ってしまうのでした。

 

 

さいごに:計算中作画回10選

 計算中作画派が作画回と作画的見所(作見)をいくつか紹介して終わります。

 

season1 第20,21回「絵心があるのは誰だ?芸術の秋!デッサンクイーン決定戦!!」

作見:動物がいっぱい出てくるので作画。あとメンバーの描ける側描けない側が分かるのもポイント高いです。逆光、オススメです。

 

season1 第22回「私たちをもっと知って欲しい 22/7自己PR動画コンテスト」

作見:神木、東条、柊初登場回となります。柊主観視点のキックボクシング作画は必見。

 

season1 第45,46回「連帯責任!!ビリビリプレッシャーバトル」

作見:罰ゲームとして定番となった電流が流れるやつ初登場回です。ひな壇も取っ払った広めのスタジオセットで暴れるキャラクター達が楽しくて作画です。

 

season1 第50回「第1回22/7即行ダンスクイーン決定戦」

作見:ダンス作画です。

 

season1 第68回「22/7お笑いネタコラボクイーン決定戦!!」

作見:ナナニジキャラとゲスト芸人がコラボしてお笑いをやる回で、普段の三四郎よりも虚実間でのやりとりが近く激しく、作画です。

 

season3 第9回「教えて先輩!ナナニジアイドル講座第2弾!」

作見:バラエティパワーのあった菊地亜美さん回も良いのですが、ここはよりアイドルとして近い位置にいた中田花奈さん回をピックアップ。アイドルとして格好の付く演技や髪の毛のなびきによる躍動感の演出などの指導があり作画。

 

season5 第7回「11thシングル"僕は今夜、出ていく"ヒット祈願!」

作見:立川卒業企画ラストの卒業ライブは計算中には珍しく物語性を強くまとった作画。アイドルナナニジの集大成です。

 

season5 第28,29回「後輩メンバーを見極めろ!ナナニジ秋の体力測定グランプリ!」

作見:全作画派待望の運動会回で、つまり作画です。セコセコ動いたりぶら下がり健康器をやったりしているキャラクターが非常に良いです。

 

season5 第46回「チーム対抗!バレンタイン告白バトル!」

作見:織原純佳さん。

 

season5 第53回「クイズ!スタッフに聞きました!ナナニジいいねランキング」

作見:最終回に滝川の破壊を持ってくる粋さよ。アニメ『22/7』というよりはちょっとまなびストレートを幻視してしまったことに食らってしまった。

 

 でもここで言ってる作画はあんまり上で喋ったこととは関係ないんだよな、というのが信用の出来なさを物語っている……

 

 

 

 つか、計算中、配信してくれ。

 

*1:どのタイミングで変わったのかは定かじゃないですが、初期の頃は一度収録をした後、モーションの別撮りを行っていたみたいです。season1第18回から3Dモデルが更新されているらしく、現在の収録時そのままキャプチャするシステムはおそらくこれ以降? 今回は主に更新後のシステムを前提として話をしています。

*2:ここをキャラクターの個性として認めることの是非は、ナナニジにおけるキャストとキャラクターの関係について考えるべきですが、ここでは扱いません。

*3:計算中の収録はモーションデータの確実な保存のため、どんなにトークが盛り上がっていても約7分に1回収録を止める。また、しゃがむ、現実に存在するモノを持つなどのモーションデータが壊れるような動きが制限されている。

*4:定番企画に「告白クイーン決定戦」などの特定のシチュエーションをキャラクターが演じる企画があるが、こちらはかわって段取り的である。

GBCのルックに慣れたって言ってる人が憎い……

『ガールズバンドクライ』、なんか案外みんな違和を感じてないっぽいので、供養です。まあ褒めは他がやるだろ。

まだ違和感あるんだけど、慣れたとか言ってる人マジ?表現を色々掘って回ってる俺を差し置いて?適性や個人差があるというのはそうだが、こういう、新しさとされるものが受け入れられない時にメチャメチャ悔しい。ということで、このルックをがんばって消化していきたい。いきます。

 

1.僕がCGアニメを考えるとき、出発点はいつもトイ・ストーリー的かどうか、というとこになります。一応トイ・ストーリーがどういうものか説明すると、おもちゃは生きていて、人間の目に見えていないところで動き回っているというアニメです。

 僕らの生きる現実ではもちろんおもちゃは生きていませんので、生命のないオブジェクトを表現するものとしてのCGという使い方はとってもクレバーです。

 そしてそこに、ディズニーお得意の秒間24コマフルアニメーションとして命を吹き込んでいるわけです。アンディに操られているときと、おもちゃたちが自ら動いているときで、おもちゃたちの内部に巡る力の有無がハッキリと見える。今まで活き活きと動いていたウッディは、人間の気配を察知すると途端に人形に戻り、糸が切れたように重力に引っ張られる。

 塊感、あるいは流動性、表面の質感、あと重さも? オブジェクトの性質がまずあって、それが運動している……流体を押しのけ、変形し、表面を光が流れ、慣性に引っ張られる。オブジェクトの質感が先行するアニメーションということなのかもしれません。

(手描きアニメも”設定”があるけど、結局、基本的には平面の絵だ。3DCGの3Dが持つ塊感というのは思ったよりも大きいのかも。あとアニメーションによって容易に変形する異常なまでの流動性がある。)

 

 日本においてフルコマ3DCGアニメと言えば、『MikuMikuDance(以下MMD)』というソフトウェアがあり、これは容易に3DCGアニメーションを作ることが出来るもので、個人製作の3DCGアニメが結構作られました。こちらはキャラクターを使ったお人形遊びという様子で、やはりオブジェクト先行のアニメーション感があります。

 余談ですが、MMDアニメといえば石舘光太郎作品ですね。プレスコ――声優の演技に合わせて3DCGでアニメーションを付けていくというやり方がとられていて、中の人の身体とキャラクターをリンクさせているという点でオブジェクト先行と見ることが出来るかもしれません。マジで余談だな。

 

2.一方で、近年力を増してきたセルルックCGアニメは、言ってしまえば3DCGの画材としての活用という印象です。ゴリゴリに私見です。

 線の存在感、コミカルなフェイシャルアニメーションやエフェクトなど、よりイラストに近いルックの作りになっています。例えばスパイダーバースにみる多種多様な表現を統合したひとつの大きなルックの迫力、そのコンポジットパワーは、セルルックの……というかデジタル制作の利点を生かしていると思われます。

 日本の作品の話をしましょう……もちろん、『GUILTY GEAR』の話です。

 CGの歴史とはゲームの歴史といっても過言、かもしれないけど、俺はあんまりくわしくないけど、まあやっぱゲームがメインフィールドでしょう。『GUILTY GEAR Xrd -SIGN-』が3Dのトゥーンシェーディングを導入したモチベーションとしては、3Dならではの立体的でダイナミックな表現、従来のドット絵では解像度の問題で描画できなかった表情の豊かなアニメーションを挙げています。

www.4gamer.net

 詳しくは上とかを読んで欲しいんですが、例えば線の太さが出す幼さのニュアンスを、遠近それぞれで3Dモデル作ることで工夫していたりと、絵としての印象を重視しています。

 さっきのオブジェクト先行に対し、これらはイラスト・アニメーション先行と言うことにします。共通する工夫として、フレーム数をわざと落として馴染ませたりしているらしい。リミテッド風の強弱をつけている?のかな。ポーズの良さを手掛かりに作り込んでいこう、というような意識?

 アニメ作品でもモチベーションは似たようなものなのでしょうが、3DCGのキャラを操作していたらシームレスにセルルックなアニメーションが展開するという体験があるゲームと比べ、2Dアニメーションに近づこうとすることで質的な向上を目指すアニメ作品では、当然超えることは難しい。『D4DJ』も、フェイシャルアニメーション等の賑やかさには強いインパクトがありましたが、成熟していないこれらの方が面白く、結局手描きで良いじゃんとなってしまいそうなのがつらいところ……

 

 

3.では、『ガールズバンドクライ』はどっちよりなんでしょうか。

 打ち出している特徴として①フルアニメーション、②イラストルックCGがありますが、印象としてはセルルックのようなアニメーション先行的なルックというよりは、オブジェクト先行なのではないか、と思います。

 ただ、アニメーション先行的な側面……イラスト・アニメーション的な動きが可能なオブジェクト、イラストルックCGを使ってのアニメーションなのかもしれない。ここ、初報から今まで融和はしていないと思ってるのだけど、ルックの受け入れられ方の広さを見るに両者にそこまで反発はないのかも。

 イラストルックとフルコマの不和について。4話には演技シーンがありますが、こちらも普段のアニメーションの作り(加速の付け方や振りの大仰さ)と比べてあまり差があるように作られておらず、全体的に舞台っぽい芝居付けがあります。

 イラストルックなCGをそのように大仰に動かす外の力を身体や表情にも感じます。「外力が」というのが曲者で、どうにもお人形感が抜けません。生き生きと”動かされている”。テーマとしても、内から湧き上がり外へ向かうもの、ナマの衝動、について語られていると思うんですが、しかしアニメーションはそうではない。

 キーワードとして「矛盾」があるように見えますが、オブジェクトとアニメーションの二つの引っ張りあいがあることで何か語られるものがあるのでしょうか? 今後に期待。

 

4.新しいのか。

 結構考えましたが、「イラストルックCG×フルコマ」という提案はメチャクチャいい気がしてきました。オブジェクトとしてアニメ的なイラストを考えようというのは良い。一部アニメーターの間で言われている「絵が動くわけねーだろ」という文句に対する何か答えになるのかもしれない。

 ただ、ブレイクスルーというにはやはり先行例はあるような気がする。具体例を挙げるとすると『RWBY』……というか、MMD作品群の存在でしょうか。シンプルにそれらをリッチにしたものだというのが第一印象でした。

 ちょっと違うかもなんですが、『トライガン スタンピード』も結構近い。和氣監督は「(1カット1アクションの通例に縛られず)1カットで長いシーンが作れるのが長所」と仰っていて、被写体ーカメラとしての意識が強く出た映像になっているのかなと。またその一方で、日本の作画アニメ的なコマ数を落とした表現や、アニメ的なリップシンクの調整やコミカルなフェイシャルの成立にも気を配っていて、オブジェクト/アニメーションの両立があるように思われます。

www.famitsu.com

cgworld.jp

 

5.さいごに

 3Dアニメ史に詳しい人だれか解説してくれ~!

 ぜんぜん消化できてません。なんか「生っぽさ」とか言われてるけど「生っぽさ」てなんでしょうか。なめらかさ?

 ただまあ、実際難しいことやっているのは確かなんですよね。全然評価したいけど、アニメである以上アニメーションで語れやという部分もあり、なんかそこに不和ある状態キモくない?みたいなのがあります。

 さっきも書いたけど。その不和でこそ語られている部分があんのや、みたいな、そういうのがあれば嬉しいですね。OP↓にもマリオネット描いてるんで。

 てかOPは作画なのなんなんだ……

 

 以上。